050-out_蟲害(3)

 オルグレンから数日かけて早馬を乗り継いで走らせ、ジェイコブはコリンとともに、数日間かけて村々を経由して街道を過ぎ、山道を渡った。


 春も深まり、風も暖かなものに変わった頃。

 花見日和の麗らかで青空の眩しい、朝。

 

 やっとの思いで、ジェイコブとコリンは目的地であるオールトン山脈の東端リントン村に到着していた。


 ジェイコブは今年で年齢よわい四十八になる、この道三十年の熟練冒険者である。槍一つでS級まで登りつめた、生粋の戦士でもある。

 それもあり、何日も要する馬や船、徒歩での旅や無理難題で理不尽な依頼には慣れていたし、蛆蟲うじむしの湧く半白骨化した死骸や、赤黒い血を噴かせ、臓物のはみ出させている死体など醜怪なものを見ることには耐性があった。

 生来持ち合わせていた楽観さや鈍感さも相まって、ある程度の惨事に驚くことも恐怖することもなかったし、自分自身でそれを自負すらしていた。

 

 だがしかし。

 流石のジェイコブでも、目の前に広がる惨たらしい光景には開いた口が塞がらなかった。


 其処は最早、麦畑でも荒野でもない。蟲の海だ。

 地中深くから泉のごとく、てらてらと鈍く光る白い蟲が湧き出て好き勝手に地上を這い、蠢動している。麦自体は燃やしてしまったのか、麦の芽は見当たらない。しばしば、蟲の合間から鳥や鼠、猫の骸とともにその燃えカスやも見受けられるが、最早どちらが主役なのか分かったのもでない。

 

 こういう非常事態のさい、人間より鳥や獣の方が敏感だ。

 それゆえに、ジェイコブやコリンの連れていた愛馬たちは村へ近寄ろうともしてくれなかった。借りるのにかなりの額を取られたというのに。仕方なしに途中から徒歩でこの村へ赴いたわけだが……なるほど。馬たちの厭がるのも頷ける。噂や冒険者組合からの事前情報を聞いていたよりもずっと気色悪いありさまだ。

 

 ジェイコブは鼻を手で覆い、声を押し鳴らした。

「臭いもひでえな」

「確かに、これは酷いねえ。どうしたんだろう」

 とジェイコブの横でぼんやりとした声で同意したのはコリンだ。顔を見れば、わずかに引き攣らせた顔をで、その蟲の海を臨んでいる。趣味で昆虫の分解などもよくやっている彼に顔を歪ませるとは、よほどの状況である。

 コリンはおもむろに、鼻をつまみながらその蟲の海へ近寄ると、まじまじと見た。どうやって調査すべきかと考えているのかもしれない。しばらくブツブツと独り言を溢したのち、不意に、コリンはついと数個の小瓶をジェイコブに押し付けて言う。

「まずはこいつらを採取したいんだけどいいかなあ」

「うへえ、これを?まあやりたきゃどうぞだが……」

 気不味い沈黙。小瓶を押し付けた姿勢のままコリンがのほほんとジェイコブを見上げている。

 これは暗に、ぼさっと突っ立っていないで、手伝えという意味か?護衛の扱いが粗雑なことで……ジェイコブはうげっと声を漏らしながらも渋々小瓶を受け取った。

 

「しかし、こんなのは初めて見るんだが、コリン、お前さんは見たことあるか」

「俺も、初めてだなあ。こういうのは見たことがない。ちょっと気味の悪い蟲だね。白い百足、にしては小さいし、足も少ない。何よりも頭がまるで蟻みたいだ……目は緑色なんだ。珍しい……」

 

 ジェイコブとコリンは臭いを少しでも遮るべく手拭で鼻と口を覆った。さらには直接手で触れぬよう、両の手に頑強な手袋をはめ、鑷子ピンセットで蟲を捉え、素早く小瓶に詰める。


 植物の破片や鳥獣の残骸などから蟲を引き剥がす都度、あの腐った肉のような異臭が鼻をつんざき、ジェイコブは涙目になる。手拭い一枚ではこの臭いに対し、屁の突っ張りにもなってはくれない。

 

「うひい。臭え。ひでえ臭いだ」

「ジェイコブ。頼むから静かにしてくれないかな。極力呼吸もしたくない」

「お前さん、死ぬ気かい。呼吸はしろ。呼吸だけは」

「……。あ、枯れ木のある向こう側の方も採ってほしいかな」

 

 コリンに言われるがまま、ジェイコブは蟲の海の奥まで足を進めた。前に足を踏み出す度に足元からはぷちぷちと、身の毛がよだつ耳障りの悪い音が耳に入る。靴底はきっと踏み潰された蟲でべっとりだ。

 無論のこと、足元も完全防備にしている。二重に長ズボンとロングブーツという通常ならば絶対にしないような装いをしているのだ。

 ようやく足を止めると、ジェイコブは再び近辺を見渡した。

 

 ――まさに、奇々怪々だな。

 

 ジェイコブが此処を訪れて、一番の違和感を呼んだものは腐れ落ちた木々や草花でも、這いずり回る見たことのない蟲でもなかった。


 それは、だ。無事な木や草が疎らにあるぶんには気にならなかった。しかし不思議なことに、畑のそばから一定距離より向こうの草木は全ていつも通りの状態を保っているのだ。


 其処にある木々や花々はいつもと変わらぬ春を過ごすかのように新緑の葉を茂らせ、開かれた花弁からはほんのりと甘い香りが漂っている。少し離れた場所へ目を向けると、鹿の親子が草を喰み、一匹の狐が兎を追い、野を駆け回っている。ごく普通で平凡な田園風景。


 それがジェイコブには酷く薄気味悪く感じられて堪らない。この境界線は一体何によって決められているのだろうか。学がなく、さらには学文ごとに興味すら抱いていないジェイコブでも、関心を寄せずにはいられない。

 

 ジェイコブが被害の出ていない方角を見ていたのに気がついたのか、コリンが言葉をかけた。

「あ、あれ。ジェイコブもそれに気づいたのかな?」

「おいおい、人を何だと思っているんだ。」

「脳筋オヤジかな。あ、でも。野生児のほうがこういうのは敏感になるのか」

 

 腐敗臭を前にしても通常運行だ。ぼんやりとした声でさらりとけなしてくる。コリンとはこういう男だ。「酷い言い振りだな」ジェイコブは顰め面をして言い返した。

 するそふと、ジェイコブは動きを留め、言葉を溢す。

「野生児、か。それならぜひ、あいつを連れてきてみたいところだな」

 

 彼の脳裏には一人の少年の姿が浮かび上がっている。別の任務のため、ここにはいないが――彼がここに来れば、何をだろうか。

 ジェイコブがにやにや顔をして思案していると、コリンが軽くジェイコブの腕を突付き、現実へ引きずり戻す。

 

「ジェイコブ。そっちの境のところの土の回収もよろしくね」

 

 まだまだ、この蟲の巣窟から出してやるつもりはない、ということか。コリンが追加の小瓶を投げて寄越すと、ジェイコブは、げえっと声を漏らした。

 

「おいおい土もかよ。そういうことは早く言ってくれや」


 そうぶつくさと言いながらも、作業に戻る。

 だが不意に厭な気配を察知して、ジェイコブは手を止め、振り返った。


 ――気の所為か?


 何か、厭なものがすぐそばまで這い寄って来ているような、そんな感覚。目を凝らしても、耳を澄ませても、その気配の主は見つけられず、さらに厭な汗を掻く。

 

 だが結局、その場を撤収する頃になっても其の正体は解からずじまいであった。

 

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