046-R/[IN]L_前夜(2)


 このウェインリの街に滞在してから、オリヴィアは週に二回程度の頻度でオルグレンにいるパーティーの隊長と文をやり取りしていたらしい。そしてその隊長から連絡が来たのだ。まさしくその別個に行動していたふたりのメンバーからの連絡が途絶えたのだと。

 

 頭を回すべく、パンを千切って頬張り、糖分を補給すると、蓮は右の手で頬杖を付いて問う。

「で、連絡が取れないっていつからだ?」

「本当は先月くらいからみたい。私たちも任務をしていた時期だから連絡取れなくて。一応だいぶ前に北方第二支部へ捜索願いは出したみたいなのだけど、全然返答が来ないって」

 

 ここクロレンスは高山や森林地帯の多い国で、三つの大山脈を持つ。北部に隣接する神聖ゾンバルト帝国との国境を壁の如く隔てるバルトレット山脈、中央部を東西を横断するオールトン山脈、そして南部を北東から南西へ斜めに走り抜けるグレウフェル山脈。その他にも小規模な山岳地帯はあるにはあるが、この三大山脈は特に大規模な峰々である。

 以前、悠がベアード商団とともに渡ったのはグレウフェル山脈。オールトン山脈とは距離があるため、冒険者が行方知れずだ、なんて噂すら耳にする機会はなかった。

 

 蓮はハッと鼻で嗤う。

「どうせ、くだらないハンコリレーでもしてるんだろ」

 この世界で目覚めてからずっと、冒険者組合と付き合いのあるのだが、そのお役所仕事たるや、酷いものである。きっと悠が見れば、「市役所かな?」と思うに違いない。

 

 何かあればすぐに、「担当が違います」。たらいまわしにされてやっと、辿り着けたかと思えば、「承認下りていないので少々お待ちください」。少々ってどれくらいなんだ。ゆえに依頼を出す時は余裕を持って依頼するのが暗黙のルールである。

 中には間に合わないので、組合を通さず個人でこっそり依頼してしまうケースもあるらしい。別に違法ではないが……まあ、組合の縄張りで好き勝手振舞えば、その個人や依頼主が嫌がらせの類を受けることもあるのでご注意だ。

 

 オリヴィアは困り顔で深々と嘆息して、

「まあ、組合も変に権力付けていて、色々と複雑になってきているのよ。今さら文句言っても仕方ないけど……こういう緊急の時は本当に面倒よね」

 

 そこに利益を見出せば、それだけの人間が集まる。人間が集まればやれ地位だの階級だの権力だの言い出して、どうしても人間関係での面倒事は多く生じるもの。それはだんだんに歪な伝統となって、当初の夢や希望、精神は形骸化してしまう。つまり、ただの「形だけ」になってしまうのだ。

 

 冒険者、なんて名称が付いているのだから、以前はきっと、見たことも聞いたこともない新しいものをその身で体感・追及する何かであっただろう。だのに、今ではただの代行業者の社員みたいになってしまっている。悲しいことだ。

 

 蓮はまたハッと鼻で嗤って、足を組む。

「組合の上の奴らを海に沈めたら、制度見直すんじゃねえの?」

「やってみたいけど、それ犯罪だから」

 犯罪でなければやるのだろうか。ツッコみどころ満載なふたりの会話に、周囲にいた他の客や給仕の娘たちは汗を伝わらせていた。

 

 こほん、と咳ばらいをして気を取り直すと、オリヴィアは言葉を続ける。

「とにかく。アーサーから、オールストン山脈沿いにあるドナ村へ行くように言われているのよ」

「アーサーは来ないのか?」

 アーサーとは、ハーヴェイたちの属する冒険者パーティーの隊長のことである。

「別の依頼が重なっていて、到着が遅れるみたい」

「いつものパターンか」

「そうね。いつものパターンだわ」

 

 冒険者パーティーの隊長というのはたいてい、とにかく多忙だ。とくにハーヴェイたちのところの隊長は。

 ハーヴェイたちの属するパーティーメンバーはすべてA級以上。特殊な依頼を言い渡されがちだ。だが全てを受けていたらメンバーが過労死するし、かと言って断ればそれはそれで波風当てる。そこをうまく調整するために奔走しているのだ。

 

 蓮はパンの最後のひとくちを口の中へ放ると、すっと席から立ち上がる。

「明後日出発として、準備なら今からやっても問題ないだろ?」

「そうだけど……」

「だけど?」

「くれぐれも、無茶して傷を復活させないでね?喧嘩もなしよ?」

 まったくもって、それは確約できたものでない。






 



 窓の外ですっかり夜の帳がおろされたとも気が付かず、革張りのソファの上で悠は舟を漕いでいた。

 今朝のバタバタも終わってしまえば、何もない平和で平坦な一日である。もはや今、夢を見ているのかそれとも目覚めての景色を見ているのかもよくわからない。

 

 ――僕っているんだろうか。それとも、実はもういないんだろうか。それともそもそも、自分なんて存在しないのだろうか。

 

 夢現の境界線が曖昧となる都度に、そんな不安が、頭の隅によぎる。もうずっと、へ来てからそうなのだ。そんな贅沢きっと言ってはいけないのに。


 

「おい、起きろ」

 やにわに頭上から鳴らされたのは、少し高めの少年の声。

 

 

 うっすらと目を開けば、ハーヴェイを思わせる、黒髪金眼の中学生くらいの少年が覗き込んでいる。

「あれ……蓮さん?戻ってきていたんですか?」

「ついさっき。外はもう、真夜中だ」

 相変わらずの不機嫌面だ。というより、彼がにこにこと笑っているのを見たことがない。悠はまだ寝惚けた眼を擦り、上体を起こす。

 

「外、夜だったんですね……すみません、寝落ちしちゃって」

「別に構わねえよ。それよりあのクソ紫苑はどこだ?」

「え、紫苑さんですか?」

 リビングダイニングを見渡すが、そこには誰の姿もない。

「……クソ、あいつ逃げやがったな」

 

 何やら殴り込みをするために、に来たらしい。悠は顔を引き攣らせ、乾いた嗤いしか溢せない。蓮は眉間の皺を寄せて怒りを露わにしていたが、ふと真顔になって、

「まあ、いいか。本題はそっちじゃねえし」

 

 違うんだ。

 我知らず、悠は目を点にしていた。蓮はがしがしと濡れ羽色の髪を掻くと、悠へその鋭い黄金こがね色の目を向けて、言葉を続ける。

「しばらく、移動でここをあける」

 悠は目を瞬かせて思考を停止させたが、すぐに理解した。ようは、いってきます、と言いたいのだろうか。

 

「何処かの村へ仲間を探しに行くんでしたっけ?」

「そうだ」

はたぶん、大丈夫ですよ。とくに何も無いですし」

 

 にこにこと微笑んで、悠は言い終える。けれども、蓮はそんなことを聞きたかったわけではないらしい。目をそらし、顔を険しくして、何かを言い淀んでいる。

 

 ――どうしたんだろう?

 

 蓮は比較的、ズバズバと物を言うたちだ。だというのに、珍しくも言うか言わぬかと悩んでいる。

 

「……二階に行くとき」

 ぽつり、と蓮が声を落とす。

 

 あまりにも小さな声で聞き取れず、悠は首を傾げてきょとんとする。またしばらく蓮は口を開いたり閉じたりして、思案しているような素振りをする。

 だがようやく意志を定めたらしい。今度は蓮はしっかりと悠の目を見て、強く言葉を告げる。

「二階に行くとき、あまりに近づくな」

 

 玄関。

 おそらく二階の、日本側とクロレンス側を繋ぐ扉のことだろう。なぜ近寄ってはならないのか。


 その疑問を、悠は口にして問いかける。

「どうして、近づいてはいけないんですか?」

「どうしても、だ。俺が留守の間は近寄るな」

 

 答えてはくれないらしい。きっと向けられる黄金こがね色の瞳には、強い意志や切実さを感じられ、きっと深い事情があるのだろう、とさとららされる。

 その理由はやはり、わからない。でも。けれども、その彼の希望に応えない、なんて選択肢を選んではならないような気がした。

 

 ――

 

 そんな気分が不思議と湧き起こり、すべての否定的な思考を掻き消してしまう。気が付けば、悠はできるだけ優しく、はっきりと言葉を伝えた。

 

「わかりました。だから、安心してください」

 

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