043-[IN]Y_日常(2)※改稿済
それは少し時間の遡る。
悠は突然に目を覚ました。
――ここ、何処……?
寝惚けた頭で悠は上体を起こし、周囲を見渡す。そこは静かな書斎のような一人部屋だ。ぼんやりと手元を見れば、クレア・シルヴィアの手記本が放られている。この本は確か。
しばらく見つめたのち、悠はハッと悠は我に返った。
此処は、
どうやら、というか確実に本を読んでいる最中に寝落ちしたのである。またしてもやってしまった。このところ毎日だ。悠はううむ、と唸ったのち、
「ふあああ……」
実物の体は無いというのに、肩が凝ったようなそんな気分になるのだ。不思議だ。
「……こっちは
何だか今もとても長い夢を見ているような、ふわふわとした感じがする。
悠は左の親指を噛み深い思考へ潜りそうになる。だがすぐにはた、と我に返り動きを止めた。
――深く考えるのは、止そう。
悠はぶんぶんと首を左右に振って、溢れ出る疑問と憂いを押し留める。 己の奮いたてるように、両頬を手で打ち、
「よし、一階に行こう」
もはやこの行動も日課だ――悠がハーヴェイの体へ行き来するようになって、早
一階に降りると、すでにリビング・ダイニングの革張りのソファで、女が革張りのソファにひとり腰掛けてミルクティーを飲んでいた。
「おはようございます、紫苑さん」
と声を掛けた。紫苑はのんびりと悠を見て、いつもの凛々しい笑みで返す。
「や、おはよう。ユウ。今日は早かったね」
それは知らなかった。そもそも今が朝にか夜なのかすら判っていない。部屋には時計がないし、窓もないから。悠は頬を掻きながら言葉を継ぐ。
「そうですか?ここにいると今が何時なのかわからなくなってしまって……」
「ハハハ!違いない。ぼくもだけど、ずっと籠っているとね」
ふと、悠は紫苑の座っているソファの向かい、白いファブリック・ソファに寝顔だけ天使な少年の姿がないことに気が付いた。いつも朝ギリギリまでそこで毛布に包まって眠っているというのに。
きょとんとしながら、悠は紫苑へ視線を向け、尋ねてみる。
「今日は蓮さん、一階で寝てないんですね」
「あー、なんか用事があるとか言って」
「用事?」
「日本側のね。朝からそっち行っているよ」
へえ、と悠は小さく言葉を溢す。未だに、悠は二階の玄関を開けたことがない。あの廊下つきあたりの扉を開ければ日本側の
「まあ、ハーヴェイの朝食の時間になったらきっと戻って来るさ」
と紫苑はからからと笑って、ミルクティーをすする。
すると、悠と紫苑の背後から、三人目の声が鳴らされる。
「ど、ど、どうし、どうしよう」
吃音のある、小さな女の子のような愛らしい声だ。
悠と紫苑が振り返ると、そこには十にも満たなさそうなほど幼く、栗色のくせっ毛が目立つ少年が、うさぎのぬいぐるみをぎゅうぎゅうと抱きしめて立っている。前髪で顔が隠れていても、困惑していることだけはその、おろおろとしている仕草からひしひしと伝わってきた。
先に声を掛けたのは、紫苑だ。
「おや、おはようマリ。どうしたんだい?」
「で、じぇ、でん、伝言、たのまれ、て」
「伝言ですか?」
と次に返したのは悠。
陽茉はこくこくと頭を縦に振り、ぬいぐるみのうさぎをさらにぎゅうっと抱きしめて言葉を継ぐ。
「あ、あさごは、朝ごはん、代理おね、おねがいって」
――ん?
悠は目を点にして固まる。その横で紫苑もまた、微笑を浮かべたまま、固まる。それは、つまり。
急にふたりとも口を開けたまま硬直するものだから、気不味く思ったのか、それとも不安に思ったのか。陽茉はさらにおろおろとして、俯いて、言葉を続ける。
「あの、その……ど、ど、どうしよう」
そこでようやく、紫苑が正気を取り戻したらしい。ソファから立ち上がり、陽茉に詰め寄る。
「ちょいちょい、お待ちよ。それってもちろん、レンの伝言なんだよね?」
それでも裏返っている。目が泳いで、冷や汗を多量に掻いて、わかりやすくも動揺している。陽茉がビクッと後退りながらも、何度も頷いて「イエス」と答えるのを認めると、紫苑は頭を抱えて絶望したような声を上げる。
「あのお馬鹿、何してるんだい!」
紫苑が
すると、紫苑はガシッと悠の両肩を掴み、実に真面目な顔を近付けた。
「ユウ、よくお聞きよ」
「あんまり聞きたくないかもです」
つい、本音が出てしまう。
これはよくない。まったくよろしくない。一階に降りようとするんじゃなかった。悠はじりじりと後退しようとするも、紫苑は逃さない。筋肉質な手ががっちりと悠を捕らえて、ずずいとさらに顔を寄せてくる。
「いいかい。今日は
「知ってますよ」
この
考えてれば、魔獣に全身齧られて、盗賊に腹を刺されて(しかも内臓近くだったらしい)、さらには崖から転落。そんな状態で蓮が暴れたのでさらに悪化。無事なはずがない。
――て、今はそんなこと振り返っている場合じゃないって!
我に返って悠は必死にぶんぶん首を左右に振る。
「無理です無理です!僕には無理です!」
紫苑の言いたいことは口にされていないけれど、悠にはわかる。それはつまり。
「ユウ、大丈夫だよ。行って、食べて、帰るだけ。うっかりオリヴィアちゃんに遭ってしまうかもしれないけれど!」
「それが一番困ります!」
やっぱり、とばかりに悠は叫ぶ。ようは、蓮の代わりにハーヴェイとして
だが紫苑は気迫ある笑みを向けて、木の扉のされていたベランダの扉までぐいぐい悠の背を押す。さらには片手で悠の肩を掴んだまま、もう片方の木の扉を開けて、親指を立ててグッドのポーズをする。
「ユウ、ガンバ!」
「丸投げしないでください!紫苑さんだって出られるでしょう!?」
「ぼくはほら……マリのお世話とか、他の住人たちの面倒とか?みないといけないし」
その理由のすべてに疑問符が見えるのは気の所為か。悠は声にならない悲鳴を上げていると、紫苑は両手を合わせて、深々と頭を下げる。
「頼むよ、ユウは数日間出てたことあるだろう?レンに早く戻るよう説得してくるから、さ?」
ちらっと顔を上げてこちらの様子を伺って来る。
悠はぐっと怯む。そんな少しウルッとした目で見られては、断れない。フリだとはわかっているけれども!
「……わかりました」
悠はがっくりとしながらも、ぼんやりとした乳白色の光を映す窓へ向き直る。あそこを潜れば、ハーヴェイの暮らすクロレンスへ出るのだ。悠は深呼吸して、その窓へと手を伸ばした。
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