041-R_一新(3)

 首都イェーレンから西にあるウェインリは豊かな宿場街だ。 

 古典的クラシカルな煉瓦造りの建物が立ち並び、石畳は質素な幾何学文様を模して敷かれている。大通りを通る馬車は荷馬車が多い。往来する人々の多くは何かしら大きな荷物を携えていた。


 この街では常に各地各国から来た旅人たち――首都への旅行客や商人、冒険者が集まり、店や宿屋を訪れているのだ。その多くは首都に用事がある為、昼間は人通りの少なく静かであるものの、夜になると街は様変わりし、様々な人種・老若男女が入り乱れ、賑やかになる。

 無論この街には、鍛冶屋、雑貨店、貸馬屋のような旅の必需品を揃えるため店から居酒屋や女郎屋、宿屋のような旅の疲れを癒やすための場所まで、旅人に必要なものは一通り揃っている。


 昼下り。

 

 目的地のカフェを探すべく、行き来する人の雑踏の中を搔い潜りながら、蓮は中央通り沿いの道を往っていた。

 少しまだ眠気が残っているものの、これ以上待ち合わせを先延ばしにするわけにも行くまい。頭蓋を砕く天誅が舞っている。

 

 ――くそ。どっちだったか。

 

 蓮は道に迷っていた。何度も訪れたことのある街ではあるものの、目的地がどの辺りなのか皆目検討も付かない。一応事前に詳しい地図も知らされていたものの、適当に聞き流していたのもあり、その情報は曖昧なものであった。

 元より、蓮は洒落た酒場以外の飲食店とは無縁の生活をしていたのだ。酒場ですら、長居すると喧嘩を売られることが多いため、必要最低限の時間で限られた場所にしていた。弁償する場所が街全体にあるのは流石に蓮とて嫌であるからだ。それにそもそも、や任務に関係のないことに意識を向けたこともない。

 

 それはオリヴィアにも当てはまることの筈なのだが、一々調べたらしい。何故急にそんな気になったのかは、蓮の知るところではない。


 頭の中で、紫苑が、「君は揺れる乙女心が理解っていないね」と呆れた声でほざいていたが、何を言っているのかさっぱり理解できない。そばにいる女がオリヴィアを除くと、紫苑や陽茉しかおらず、彼女たちは浮いた話をしないので、女心だどうだ、といった話には疎いのだ。何よりも、蓮自身、色恋沙汰に微塵も興味がない。

 

 ふと、蓮は足の進める速度を遅めた。オリヴィアだ。普段はシャツにズボンという恰好をしているというのに、今日は何故か女の衣服を身につけている。持っていたのか知人に借りたのか、小花の刺繍の施された膨らんだ袖のブラウスにゆったりとした丈の長いスカートだ。

 それでも背には鎚鉾メイスを背負っているのは非常事態に備えてなのか、それとも遅刻するであろうハーヴェイに制裁を加えるためなのか。

 

(これは、かなりまずいね。鉄拳の一つや二つは覚悟しないとかもね) 

 と紫苑が呟くのを聞き、蓮は思わず、オリヴィアのもとへ近寄るのを躊躇った。


 恐々と人々の往来の合間から彼女の様子を伺うと、頻りに地面を足で叩いており、表情を見なくとも全身で怒り心頭、を表している。普段は履かぬ、少しヒールのある靴だ。あれに踏み抜かれたら足の骨の数本は持っていかれるだろう。


 やはり、引き返すか、引き返さぬか。

 

(レン。どうせ今逃げても、宿で会うだろう) 

 紫苑の言うことももっともだ。蓮は渋々とオリヴィアに気取られぬよう、忍び足で駆け寄ると、彼女とばっちりと目が合ってしまい、げっ、と声を上げた。

 

(頑張って。蓮さん) 

(取り敢えず、まずは土下座だね) 

(れ、れ、れ、れんお兄ちゃん、が、がんば)

 

 いつの間にか、野次馬に陽茉まで入っている。他人事だと思って楽しんでいるな、と蓮は悪態をつきたくなる。

 

「遅いわよ。何していたのよ」 

 仁王立ちのオリヴィアを見て、蓮は土下座を真面目に検討した。目を必死に彷徨かせ、なんと言うべきか必死に考えた。 

「……わりい」

 

 結局、初めに詫びることにした。素直に詫びるのが苦手な蓮は、ついそっぽを向いてしまう。そんな蓮の右耳をオリヴィアが引っ張った。 

「もう十三時よ。言い訳を聞こうかしら」

 

 そしてすごい剣幕でオリヴィアが問い詰めてくる。気迫がもはや尋問の域である。

 

(おやおや、やっぱりかなり怒っているね。素直に土下座したほうが良くないかい?) 

(あちゃあ。オリヴィアさん、怒っていますね) 

(ね、寝坊、て、い、いいわけになる?)

 

 三人の、この場において全くためにならないコメントを聞きながら、蓮は溜め息を付きたくなるのを堪えた。此処で溜め息などついたらオリヴィアに良からぬ勘違いを与えてしまう。

 

「…………寝坊だ」 

 言い訳を考えるのも、蓮は素直に言うことにした。すると、オリヴィアが蓮の横の石畳を踏み抜いた。相手が怪我人なので、オリヴィアなりに耐えたのであろう。 

「そう。怪我しているから、殴るのはよしてあげるわね?」

 

 通りがかった商人の男がオリヴィアの怪力に目を剥いていた。硬い石畳が、粉々になっていたのだ。オリヴィアを見知っている、とくに男たちはさっと自分の股間をかばった。オリヴィアの鬼のような形相に蓮は顔を引き攣らせた。 

「…………す、すまない」 

「よろしい。今日はあんたの奢りよ」

 

 蓮の謝罪を聞くや否や、オリヴィアはにこりと笑って言った。蓮の快気祝いなのに、蓮が奢る羽目になるという、なんとも奇妙な状況である。 

「何しているの。早く来なさい」

「……はいはい」

 

 渋々とオリヴィアの後を追い、デイビーズ・カフェに入ると、蓮は言葉を失った。

 其処はであった。 

 年若い女性を意識した内装で、近頃ブルジョワ層で流行している壁一面には深碧色の壁紙。白い丸テーブルの上には蔦模様の刺繍のあしらわれた白いテーブル・クロスがそっと被せられている。女の客が多い為か、室内は化粧独特のにおいが立ち込めている。

 

 時間が時間であるので、客は疎らで、いたとしても食事を終えた若い女たちが噂話に花を咲かせている。厨房に控える料理人と、そして今店に連れ込まれた蓮の二人だけである。

 

「お前……。なんで男連れでこんな処に来ようと思ったんだよ」 

 蓮は低く唸るような声で訊ねた。さては初めから遅刻することを見越して店を選んだのではないか、と思われる程に男の自分がいるのは不釣り合いだ。頭の中で頻りに、「だから、女の子とデートだよ!」だの「時間でいないだけでたぶん、カップルとかも来ていたはずだよ!」だのと紫苑が声を掛けているのだが、新手の嫌がらせにしか見えない。

 

「だって、来てみたかったんだもの。それにあんた、そんなに細かいこと気にしないじゃない」

 と言うオリヴィアは満面の笑みを浮かべている。全く、紫苑の言う「おんなごころ」なるものはよくわからない。蓮は頭を抱えながらも、オリヴィアに手を引かれて席に腰掛けた。


 ――季節は、初夏へと移り変わろうとしていた。






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ここまで読んでくださり、本当に、本当にありがとうございます。序章の1完結でございます。

こちら一時休載しておりましたが、2024年春に再開する予定でございます。

面白い、と思っていただけましたら是非、フォローや評価(お星さまやハートですね)宜しくお願いいたします。もちろん、強制ではございません。が、お読みいただいている方の名前が見えるとたいへん、励みになります(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)

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