040-[IN]Y/R_一新(2)


 一階へ降りると、蓮は白いファブリックソファの上ですうすうと寝息を立てて眠っていた。

 

 毛布を抱えて丸まって寝ている。攻撃的な性格からは考えられないほどに寝姿は愛らしい。聞くところによると、蓮の部屋には布団が無いらしい。 

 正確には何も無いらしい。紫苑が言うには、蓮の部屋はまるで刑務所のようだ、とのことだった。各部屋で置いてある物が全く異なるようで、不思議なものだ。


 紫苑は蓮のそばへ来るや、容赦なく毛布を取り上げる。

「こら、起きな。寝坊助!」 

 勢い余って蓮はがソファから転げ落ちてしまい、ゴンッといい音が部屋に響き渡る。

 

「…………痛え」 

 寝ぼけ眼で蓮が悪態をついた。やはり目を覚ましていると、ふてぶてしくて可愛くない。そんな眠たげに目を擦る蓮に、紫苑はにっこりと笑いかける。 

「やあ、おそよう。レンくん」

 皮肉たっぷりだ。さらに紫苑は不機嫌面の蓮の頬をつねって、 

「まったく。今日はオリヴィアちゃんと朝食の約束をしていたでしょう。早く外に出なさい」 

 と紫苑が一喝する。蓮は暫くぼんやりとして、何を約束したのか思い出そうとする素振りをして言った。

「……そうだっけ」

 これは確実に忘れている。頭が回っていないのか、うつらうつらとしながらだ。蓮はあまり寝起きの良い方ではないらしい。

 

 悠は苦笑して、言葉を返した。 

「そうですよ。昨日の夕方、オリヴィアさんに言われていましたよ」

 

 それは、昨日の夕方のことだ。酒場で、オリヴィアとハーヴェイは夕食を摂っていたのだ。

 其処で突然に、オリヴィアが切り出したのである。 

「ねえ明日の朝、大通りにあるデイビーズさんところのカフェに行かない?」 

 デイビーズさんとは、料理人をしている、オリヴィアの知人の一人である。だが蓮が知るはずもなく。 

「……は?」 

「あそこはスフレが美味しいんですって」 

「ふうん」

 

 スプレーだかスプーンだか知らぬがそんな料理に蓮は全く興味がなく、適当に返事をした。熱々のシチューを蓮が頬張っていると、オリヴィアが蓮に詰め寄ってきた。 

「遅れちゃったけど、ハーヴェイの快気祝いもしたいのよ」

 

 快気祝い、とはハーヴェイの記憶が戻ったことに対する快気祝いだろう。ベアード商団の一件で負った傷は全く治っていない。 

「……興味ない」 

「あそこのスフレは本当に絶品らしいわよ?」

 

 またしても謎の料理名。それが人を祝う態度なのかは全くわからないが、オリヴィアの笑顔からは気迫を感じた。脅迫する言葉は何処にも含まれていないし、実際に彼女な脅迫などしていない。しかし断ったら殺される、そんな予感を感じさせる、ただならぬ雰囲気が醸し出されていた。 

 だと言うのに頭の中で紫苑が、女の子からのデートの約束を断るんじゃないよ、と意味の分からない注意をしてきたり、悠が、よほど嬉しかったんでしょうね、よかったですねと頓珍漢なことを言ってきたりしている。

 

「食べに行きましょうよ」 

「……っ。行く、行けばいいんだろう!」

 

 結局、蓮は彼女の気迫におされて承諾した。するとオリヴィアは嬉しそうな顔をした。

 

「明日、デイビーズ・カフェの前で八時集合ね」 

「朝の八時だからね?」 

「あ、服は渡しておくから、ちゃんとした格好をしてきてね。間違っても、寝間着で来ないこと!」 

 そして何度も蓮にオリヴィアは念をおした後、彼女は席を立ち、先に宿へ帰って行った。

 

「で、もう、約束の時間をすぎています」 

 と悠が説明し終わると、やっと思い出したのか、蓮の顔から血の気が引いていた。オリヴィアを怒らせるのは得策ではない。顎に一発拳を入れられるくらいなら可愛いものなのだ。彼女は脚癖が悪く、股間を蹴り上げてくるのだ。

 

「……クソ」 

 と悪態をついて、蓮はベランダの扉を開けた。其処にはぼんやりと白い光が映っている窓があった。

 

「まったく。レン。気をつけていっておいで」 

「いってらっしゃい」 

「い、い、いってらっしゃい、れ、れ、蓮おにいちゃん」

 

 紫苑と悠、陽茉が手を降ると、小さく、行ってくる、と答え、蓮は窓の中に飛び込んだ。

 


           ✙


  

 首都イェーレンから少し西にある街、ウェインリの宿で、蓮は飛び起きた。

 窓からは眩いばかりの陽の光が差し込んでいた。窓を開けて空を見あげると、陽は既に、天頂高く登っていた。完全に遅刻である。

 

「……っ!」

 

 伸びをしようと腕を上げると、ずきりと腹が痛み、蓮は苦悶した。

 後々に悠からは、魔獣に腕と脚を片方ずつ噛まれたんだけでなく、腹に穴を開けられたと聞いている。しかも背中に枝まで刺さったとか。これらの傷がなかなかに深く、傷はだいぶ塞がったものの、動かすと鈍い痛みが走る。

 

(やあ、おそよう、レンくん)

  

 皮肉たっぷりの紫苑の言葉に蓮は顔を顰めた。それはついさっき、中でも交わした挨拶だ。

 

(レン、朝はちゃんとおきないと。オリヴィアちゃんにも迷惑をかけちゃうでしょう。あ、それとも殴られたいという性癖なのかな?) 

「……五月蝿え。何が性癖だ。こっちだって怪我してるんだ。ゆっくり寝る権利はある」

 

 はあ、と紫苑が溜め息を付き、 

(君の場合、怪我をしてなくても睡眠の権利を主張してくるでしょ) 

「……」 

 紫苑の言葉は図星であったため、何も答えられない。とにかくとばかりに蓮は水瓶の水で顔を洗った。鏡台の鏡には、黒髪と黄金色の瞳をした自分が映っていた。

 

 すると、そのハーヴェイの顔を見ていたのか悠が声を鳴らした。 

(そういえば、蓮さんはどうして髪を伸ばしているんですか?) 

 蓮は髪を梳きながら、無言で返すと、紫苑が嘘八百を並び立てた。 

(いいかい、ユウ。レンはああ見えて、中学生の精神年齢だからね。中の見た目君と同じくらいだけど、君より拗らせているからね?) 

(……ああ……) 

 悠の中でなにか納得したようだ。

 

 蓮は櫛を折るのではないかと思えるほどの力で櫛を握り、小さく、ドスの聞いた声を鳴らす。 

「後でしめるぞ、クソ紫苑」 

(君が厨二病なのは事実だろう。格好つけて剣なんて担いじゃって) 

(し、紫苑さん……) 

 紫苑の言葉に悠があたふたとした。怒りで勢い余り、蓮は櫛をへし折った。人が遅刻寸前にばたばたしているというのに、中は言い放題である。

 

(兎に角、身支度を早くすませないと。オリヴィアちゃんが待ちくたびれて怒ってしまうよ)

 

 オリヴィアの憤慨する姿を想像して、蓮はぞっとした。急ぎクローゼットに吊っておいた衣服を引っ張り出して袖を通す。オリヴィアが着てくるようにと指示をした「寝間着ではない」衣服である。

 

(僕、思ったんですけど、クロレンスの洋服って着づらいですよね)

 

 悠も数日この国の服を身に着けていたので、その面倒くささは身に染みて理解していた。布地が伸びないので、とにかく着づらいのだ。それだと言うのに、ひたすら紐とボタンを留めなければならない面倒なデザイン。さらに面倒なことに本来は帽子も必須である。

 

「……クソ。悠、着替えだけ代われ」 

 自分で羽織った白いシャツのボタンに蓮はうんざりしていた。代わってくれるならば代わってほしい。

 

(こらこら。人をぱしらないの。自分で着なさい) 

 と紫苑が話しかけてくる。ちなみに、紫苑はクロレンスの服を着たことがない。

 

「……お前、まじで一度着てみやがれ」 

(……)

 

 紫苑は然り気なく聞いていないフリをする。都合の悪い時だけ、窓の傍にいないのを装えるのは、中にいる住人たちの特権だ。 

 おい、と小さく突っ込とうとするも、時間がないことを思い出し、思い留まった。急いでシャツのボタンを留め、黒のズボンを身につけると、牡鹿の皮のショートブーツを履いた。

 

 頭の奥で悠が、「頑張ってください!」と応援していた。蓮は髪を革の髪紐で結うと、深いグリーンの外套を担ぎ、右手で帽子掛から黒のハンチング帽を取った。そして、忘れ物はないかと確認した後、急いで部屋を出た。


 時刻は十二時半。

 待ち合わせの時間から四時間が経過していた。

 

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