038-R_交代(4)
其処には、栗毛の馬と炎髪の少女が目を見開いて突っ立っていた。――蓮にとっては数日ぶりの顔である。
蓮と目が合うや、オリヴィアが少し震えた声を漏らした。
「……ハーヴェイ?」
その碧い瞳には涙をたっぷりと溜めている。雨の中を走っていたためか、泥まみれになっており、いっそう悲壮感がある。
蓮はそのボロボロの少女を前に、素っ気ない声で返す。
「……オリヴィア」
そして何をそんなに感激していたのか、オリヴィアは水溜まりや泥で靴が汚れるのを気にすることなく、蓮のもとへ飛び込んできた。
「ハーヴェイッ!」
「……
勢いよく抱きつかれた衝撃で傷に障り、思わず蓮は小さく呻いた。少しは遠慮してほしいところである。
だが涙で顔をくしゃくしゃにしているオリヴィアに、そんな余裕はない。
「……もう元に戻らないかと思って……心配したんだから。馬鹿馬鹿!」
元の馬鹿力もあり割と力強く、ポカポカと胸を殴ってくる。その都度に蓮は痛みに呻き、「クソ、痛いからやめろ」と叫んだ。
その傍ら、脳内も大変賑やかであった。紫苑と悠が口々に話しかけてくるのだ。
(女の子にクソ、というのはいかがなものかな。)
(オリヴィアさん、無事だったんですね。よかったあ)
(心配かけたんだ、優しく頭を撫でるくらいしておやり)
(他の皆さんは無事なんでしょうか)
五月蝿い、黙れと言いたいところだが、それを今声に出すとオリヴィアに怪しまれるため、蓮はぐっと我慢した。
「……商団は、首都に届けたのか」
小さな声で、蓮がオリヴィアに訊ねる。オリヴィアは暫し目を瞬かせ、俯く。何処か自信なさげである。
「ええ……。届けたわ」
なんで気落ちしているのかがよく解からず、蓮は顰め面をした。だが何と声を掛ければよいのかのかわからず、行き場を失った蓮の手はただただ宙を泳いでいた。
(そこは褒めてぎゅっと抱きしめてあげるところだよレン!)
紫苑の言葉に蓮はかちんと来て、怒鳴り返したくなり、思わず口を開けた。
「……どうしたの?」
オリヴィアが挙動不審な蓮を心配そうに覗き込んできた。蓮は空いた口を渋々と閉じた。ここで一人喚いていたら、完全に頭の狂ったやつと思われるだろう。
「…………なんでもない」
「……というかあんたっ!」
オリヴィアが蓮の後ろを見て、突然大声を上げた。オリヴィアは蓮の後ろに転がっている無惨な死骸を見ていた。先程まで蓮が切り刻んでいた魔獣の死骸だ。
「これはやりすぎでしょうっ!」
顔を青褪めさせて、ビシッとその魔獣を指差すオリヴィア。それを見てつい確認したくなったのか悠が小さな声で、
(過剰防衛の概念、あるみたいですけど……?)
(法律にないだけだから。道徳的にはやっぱり、ね?)
紫苑がやや棘のある言葉でちくちくと蓮を刺してくる。これは怒っているんだろうと、と蓮はなんとなく感じ取った。
「もう、なんでここまでやるかな……。今回は魔獣だったから良かったものの……」
オリヴィアは原型を留めないほどに滅茶苦茶にされた魔獣の死骸を見て、頭を抱えた。蓮はその後ろで悪びれた様子もなく、血の付いた長ズボンの裾を絞っている。絞られたズボンからは赤い液体が滴っていた。
「ちょっと、少しは反省しなさい」
呑気に、服が気持ち悪いなと呟く蓮に向かい、オリヴィアが一喝した。だが蓮はけろりとした顔で答えた。
「正当防衛だろ」
「あんたは少し黙ってなさい」
ぶつぶつと「叱りつけた自分が無駄だった」と呟きながら、オリヴィアが眉間を手でおさえている。
「兎に角、洞窟まで戻るわよ。クレアとヒューゴを残して来ているんだから」
「……ああ、そうだったな」
すっかりとクレアの存在を忘れていた蓮は、「どんな顔のやつだったか」と考えるも、思い出せずにいた。そもそも蓮の視界には全くクレアは映っていないと言っても差し支えがない程に、蓮は周囲を見ていなかったのだ。
(錆色の髪に翡翠色の瞳の女性です。助けてあげてください)
蓮の考えていることを察したのか、悠が大きな声で話しかけてきた。「ああ、そういえばそんな女もいたような、気がするな」と蓮は考えた。自分の後ろににそんなのがいたような、いなかったような気がするのだが、矢張り姿形を思い出せない。
(……クレアさんを庇うために外に出たわけじゃなかったんですね)
(レンは付き合いの長い人じゃない限り、そんな考えを起こしたりしないよ。いや、付き合い長くてもやらないかも……?)
まあ、あの馬鹿は単なる戦闘狂だからね、と紫苑が余計なことを悠に吹き込む。紫苑たちの会話に蓮は苛立ちを覚えながらも、オリヴィアの後を追いかけた。既に洞窟がどっちにあったのかも覚えていない上、帰り道もわからない。そもそも何処に自分が居るのかも認知していない。故にオリヴィアに付いていく他ないのだ。
気がつくと、雨が止み、東の空から陽が顔を出していた。木々の葉の水滴が陽の光を浴びてきらきらと輝いている。
長い、長い夜がようやく終わったのだ。
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