037-R_交代(3)
少し離れた、藪の中。
蓮は最後の一匹を追い詰めていた。
背中の傷が開いて悪化し、足元には大きな血溜まりができている。だがしかし、痛みは感じていなかった。返り血で半裸の上半身がべとべとになっていることも気にならなかった。
――殺してやる。
そのことしか頭になかった。傷つける奴は一人残らず殺してやる。ただ殺すのでは気が済まない。受けた苦しみ以上の苦痛を味合わせてやらねば。血が不足し頭が回らないのも相まって、尚更そのことだけに執着していた。
最後の一匹がみっともなく耳を垂らし、身を低くしている。その四肢をガタガタと震わせ、それを見ているだけで蓮は実に愉快な気分になった。アドレナリンが過剰に分泌されているのか、蓮はだんだん気分が高揚してきていたのだ。
くうん、くうんと魔獣が力無く鳴き、降参の意を示している。だが、蓮はそれを受け入れない。
「足搔いたって無駄だ。あいつに手を出したんだ」
最後までとことん追い詰めてやる、と蓮は冷たく言い放つ。頭の中で、紫苑が「そろそろ止めなさい。やり過ぎだよ」などと騒いでいるが、まったく届かない。この魔獣を気の済むまで痛めつけてやらねば、蓮の怒りは決して収まることはないのだ。
無論、此処までやる必要はないということは蓮もよく理解していた。しかし、それはそれ、これはこれである。この魔獣には既に脚に五箇所、背中に三箇所に傷を負わせ、左耳を切り落としてやった。あえて、いずれの傷も意図的に急所を避けておいた。直ぐに死なれては、蓮の気が済まないからだ。
魔獣はブルブルと身を震わせ、低い姿勢を保ったまま、一歩ずつ後退る。だがしかし、後ろにある大木に行く手を阻まれその脚が止められた。
恐怖で脚が竦んでいるのか、樹を避けて逃げ出すこともなく、一歩一歩距離を詰める蓮から目が離さず震えている。その間の抜けた魔獣の姿を見て、蓮は更に感情が昂ぶった。実に快い。実に痛快だ。
くうん、くうんと魔獣が再び鳴き喚いた。その様を見て、蓮は冷たく言い放つ。
「なんだ、もう逃げねえの?」
すると、魔獣が渾身の力を込めて蓮に頭突きを食らわせた。腹の傷に障り、蓮は小さく呻く。
今だ、と言わんばかりに、に魔獣は這いつくばるようにして大木の後ろへ一目散に逃げた。蓮は腹を押さえながら、魔獣の後をゆっくりとした足取りで追った。
途中木の根に足を取られ、魔獣は大きく転倒した。後ろ足の傷が響くのか、魔獣は前足だけで這いつくばり始めた。這う力が段々と弱くなったのか、魔獣の歩度は次第に落ちていく。それでも、魔獣は懸命に這い蹲った。
蓮はあえて少し距離を置いて、歩を進めていた。散々人を痛めつけていたあの魔獣が、死への恐怖で逃げ惑う様を目に焼き付けたい――そんな欲望が彼をそうさせているのだ。
すると、魔獣が力尽きてその場に伏した。蓮は背中からその魔獣を踏みつけ、上から跨る。魔獣はピスピスと苦しげに鼻を鳴らしていた。
蓮は短刀を握り直すと、毛の隙間を狙って勢いよく振り下ろした。何度も、何度も突き刺し、魔獣が気絶しそうになると、その鼻面を殴って無理やり覚醒させた。蓮の耳には、魔獣の肉が抉られ、血管が切れる音が滞ることなく聞こえた。
グシャ!
ブチブチ……
魔獣の背から腰にかけて短刀を突き刺し、掻き回すように柄を捻り、肉を削ぎ落とした。幾度となくもそれを繰り返すと、内蔵が骨と肉の隙間から垣間見えた。
蓮は細長い臓物を素手で掴み、外へ引きずり出した。その衝撃で血管を破ってしまったのか、勢いよく鮮血が舞い、蓮はその血を一身に浴びた。生暖かくて、鉄臭い。その非道な行為は淡々と、そして長い事続けられた。
――飽きたな。
やにわに、糸が切れたかの如く蓮の興が削がれた。相手はあまり動かなくなってきた上、動いたとしても、ぴくぴくと死にかけの魚のように痙攣するだけだ。血が不足して頭もくらくらするし、そろそろ休みたい。そんな気になったのだ。
――よし、殺すか。
蓮は魔獣の頭を持ち上げ、力を込めて短刀を振り降ろして首の後ろ奥深くに突き刺した。魔獣は大きく痙攣し、そして動かなくなった。
魔獣の首に突き刺さった短刀を抜いた。満足した蓮は立ち上がり、短刀についた血をふるい落とした。すっきりとして気分爽快である。
(ちょっとレン!やりすぎだよ!)
頭の中から、紫苑の声がした。
「うるせえな。向こうから手を出したんだ。正当防衛だろーが」
(君のやっていることは、世間一般では過剰防衛と言うんだよ!)
五月蝿いな、と蓮は眉間に皺を寄せた。中と会話ができるようになって助かった面も多々あるが、小姑の如く五月蝿い小言が聞こえるのは玉に
突如。蓮は視界が大きく回って揺れた。とうとう体に限界が来たらしい。蓮は頭を抱え、悪態付く。
「……くそ」
(ご、ごめんなさい……僕がとろくさかったから傷だらけで……)
申し訳無さそうな悠の声がした。
すると今度は、紫苑の声が差し込まれる。
(ユウが謝ることじゃないよ。この馬鹿が無駄に追い立てるのが悪い)
「あ?」
その言い方だと、悠を責めたみたいじゃないか。そのつもりで悪態付いたわけではないのに。蓮は思いっきり眉根を寄せた。
だが紫苑は言葉を訂正することなく、深々と嘆息して、
(まったく。日本じゃなくてよかったよ)
日本だったら今頃君は動物保護団体に袋叩きにされるか、刑務所送りだよ、と言葉を続けた。
「……五月蝿え」
(一応、
日本じゃなくて、という言葉が引っかかったらしい。悠がおそるおそる疑問を投げ掛けた。
(クロレンスには法律ないんですか……?)
(あるにはあるけど、たぶん今回の件は正当防衛が成立してしまうね。動物保護団体もいないし)
(え?)
(クロレンスには、法的には過剰防衛という概念がないからね……。先に手を出したほうが悪なんだよ)
(…………)
顔は見えなくとも、紫苑の言葉に悠がドン引いているのがよくわかる。
(レン、日本の体に強制交代が起きたら絶対に、絶対に大人しくするんだよ。くれぐれも暴れ回らないようにね?)
(それは、僕の方からもお願いしたいです……)
「……それくらい、俺でもわかってるっての」
蓮はむすっとした。まるで常識のない人間のような扱いを受けているようで、不愉快だ。
(君、今、自分に常識があるとか思っているでしょう。君のそれは非常識だからね)
心でも読んだかのような紫苑の言葉に蓮は怒鳴り返そうとした。しかし、藪の隙間から現れた姿を見て、蓮はすぐさま押し黙った。
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