033-[IN]Y_内世界(3)


 気不味い沈黙。

 じっとこちらを注目する、三人の目。


 悠はさすがに気恥ずかしくなり、思わず俯こうとした。すると突として、紫苑が言った。 

「で、ちなみにこれが君ね」

 

 紫苑がサイドテーブルの引き出しから姿見を取り出して悠に差し出した。少し大きい姿見だ。銀色で、所々歪んでいる。その鏡を悠は覗き込むと、驚きのあまり、素っ頓狂な声を上げた。 

「えっ!?」

 

 鏡にはハーヴェイでも、蒼でもない少年の姿が映っていた。榛摺色はりずりいろのくせっ毛の髪や髪と同じ色の瞳をした少年だ。蓮と同じ年頃だろう。目は少し垂れ気味で、顔立ちが丸く、体はひょろひょろとしている。蓮よりは上背がありそうだ。

 

 ふと、悠は紫苑たちの姿も見た目や性別、年齢がばらばらであることに、意識を留めた。彼らも蒼やハーヴェイと同じ体を所有しているのにも関わらず、蒼とは異なる風体をしている。

 

「ちなみに元々、レンは真っ白な髪色だったんだよ。だけど数年してやっと中に戻ってきたら黒髪に金色の目をしていたんだ。あれはたまげたなあ」

 と懐かしそうに紫苑が笑うと、蓮は冷たく素っ気ない声で応じる。 

「……でハーヴェイとしてやっているうちに、それが反映されたんだろ。たぶん」

 何を話しているのだ。話についていけず悠はぽかんとする。すると紫苑は取り繕うように笑って、

「とまあ、にいる人は見た目が急に変わったりするから、驚かないでね」 

 ということは自分もある日突然、金髪ピアスになったりするのだろうか。それは少し嫌だな、と悠は顔を引き攣らせる。

 紫苑はこほんと咳払いをして、言葉を続く。

「まあ、纏めると、ぼく達はアオと同じ体を持つ、別々の人間なんだよ。ここにいる人以外も含めて、基本的に表立って動いているのは全員で七人程度だ」


 二つも肉体があるのは不思議だが、一つの体に複数の人間がいるというのはビリー・ミリガンを連想させる。

 ビリー・ミリガン。それは1970年代に米国を騒がせた、強盗強姦事件を引き起こした張本人である。彼は二十四人の人格を其の内に秘めていたと言う。確か、医学的には解離性同一性障害という名前が付いていた――悠はおそるおそる、疑問を口にした。

「えっと……。それは、蒼が多重人格、ということですか?」

「ううん。それはぼく達にはわからないね」

 きっぱりと答えと、紫苑はソファの肘掛けに腰掛け、悠然と足を組んで続ける。

「だって、一つの体に複数の人間が憑依したのかもしれないだろう。実際、ハーヴェイには憑依している」

 

 紫苑の言葉に、悠は何も言い返せなかった。悠は医者ではない。それに、医者だとしても、憑依かそうではないかなど、切り分けはできないであろう。それはまさに、〈私〉とは何だという問いに直結する問いなのだから。

 

 すると不意に、紫苑が話を変えた。

「さて、そろそろ日本側の家までの道を教えようか」

 この場にいない住人たちはみな、その日本側にいるらしい。うっかり迷子にならぬように、と紫苑はその入口まで案内すると言った。

  

 紫苑に導かれるまま二階へ上がると、其処は幾つも扉のある廊下だった。両側に同じ形をした扉が並び、各部屋には名前の書かれたプレートが掛けられている。中には、釘や鎖で扉を固定されている部屋もあった。そして――その廊下の突き当りには玄関の扉があった。

 

「え……?」 

 悠は思わず声を上げた。

 不自然が過ぎる。雪国は二階に玄関のある場所もあるというが、それとも少し異なる。何処か其処だけ異世界のような、そんな異質感があるのだ。

 面食らう悠を他所に、後ろから付いて来ていた蓮が扉を開けた。すると、その向こうにはこちらと全く同じ光景が広がっていた。ただし、こちらの床や壁が茶色であるのに対し、あちらは白色はくしょくをしている。

 蓮は素っ気なく言葉を放つ。 

「この玄関の向こう側が日本側だ。迷子になるなよ」 

 面倒をかけるな、と言いたいのだろうか。酷く鋭く、圧を感じさせる声音だ。悠はビクビクとしながら、「はい」とだけ答えた。 

「兎に角、日本側の紹介は後回しにして、こっちのを見に行こうか。」 

 と紫苑が言葉を差す。此処まで来て、日本側とやらを見せてもらえないとは。何とも中途半端な案内だ。

 だが陽茉と蓮は同意したようで、引き返し始めた。陽茉はトコトコと、紫苑のもとへ走り寄っていき、紫苑の腕に抱きついている。陽茉は紫苑にも懐いているらしい。

 

 紫苑と陽茉が階段を降りた途端、蓮が突然立ち止まり、振り返って呼び掛けた。 

「おい、お前」

 

 先程まで眉間に皺を寄せていた蓮が、少し寂しそうな面持ちをしている。悠がそんな彼にしどろもどろとしていると、蓮は続けた。

 

「……やっぱり、俺のことも覚えていないのか」

 

 苦しげな声だ。話し方も先ほどのツンケンとしたものと異なり、幼く舌足らずのように思える。

 そういえば紫苑が、自分と彼らとは会話をしたことがあると言っていた。蓮の表情を見るに、自分と蓮は親しい中だったのかもしれない――悠はしゅんとして、俯いた。 

「……ごめんなさい。申し訳ないけど……」

  

 悠には蓮や紫苑たちとの記憶が全く無かった。だから、彼の期待には応えられない。

 気不味い沈黙ののち、蓮は小さく嘆息した。 

「……別にいいさ。無事ならそれで」

  

 その言葉とは裏腹に、未だに何処か苦しげである。だが悠がそろりと面を上げ蓮を見ると、彼は紫苑たちの前で話していた時と同じ語調で「下に行くぞ」と言い、一階へと降りて行った。

 

 悠が再び一階に戻ると、紫苑があの木の扉のされていたベランダの扉に手をかけていた。木の扉を開けると、ベランダの窓にはぼんやりとした乳白色の光が映っているのが見えた。

 その窓の前へ立つと、蓮は短く言い放つ。

「俺が出る」 

「そうだね。このままじゃ死んでしまうし。頼んだよ、レン」 

 と紫苑が答えると、蓮がそのベランダの窓へ飛び込んだ。驚くことに窓は割れることなく、蓮の姿だけが忽然と消えた。

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