032-[IN]Y_内世界(2)※改稿済

 今の悠より少し高めの、少年とも少女とも取れる声だ。聞いたことのあるような、ないような、そんな声。その声に悠が振り向くと、二階へと続く階段から二人の少年が降りてきていた。

 

 片方は十にも満たなさそうなほど幼い、栗色のくせっ毛が目立つ女の子、のように見える子どもだ。紫苑のように体型がはっきりしていないので判別つかぬが、青い小花柄のワンピースに身を包み、うさぎのぬいぐるみを抱えている。

 前髪が長く、顔がよく見えないが、俯いて尻込みをしているその様から、内気な子であろうと伺える。髪色や髪質は異なるが、何処か「あおい」に似た雰囲気がある。

 

 もう一人は、中学生くらいの少年――こちらも少女かもしれぬが、その粗暴そうな歩き方から、とりあえず悠は少年として見做していた。とにかくどちらとも取れる容姿なのだ。すらりとした体躯で、背はあまり高くない。黒いTシャツに少し大きめの深緑の半ズボンを履いている。そして、濡羽色の色の髪に猫のような黄金こがね色の目。

 その少年の風貌に、悠は思わず声を溢していた。

黄金色こがねいろの目……ハーヴェイ?」 

 その少年は、顔立ちこそ東洋的であったが、何処となくハーヴェイを思わせるところがある。

 

 蓮はついと顔を背けて何も応えない。代わりにとばかりに、紫苑が言葉を添えた。 

「ハーヴェイというのは、あのの肉体につけられた名前かな。彼はれん。その隣は陽茉ひまりだよ。ぼくは「レン」、「マリ」と呼んでいるよ」 


 の肉体というのが何を指しているのか。悠は紫苑の言葉の意味が解せず、怪訝な面持ちで紫苑を見つめた。 

 だが今度は続けない。紫苑は蓮のそばへズカズカと歩き寄り、メッと言いながら蓮の頬を抓る。

「しかし、レン。悠が苦しんでいるのに何度も呼びかけるのはいただけないね」 

「仕方ないだろ。そうでもしないと、に来られなかったんだから」

 と蓮は吐き捨て、紫苑の手を力強く振り払う。


 すると蓮の後ろに隠れて、陽茉が初めて声を鳴らす。

「は、は、は、はじめまし、て……。ゆ、ゆうお兄ちゃん」

 どうやら少し吃音きつおんがあるようだ。悠はとりあえず陽茉と視線を合わせるように屈み、挨拶をし返す。「はじめまして」 

「さ、さ、さっきは、びっびっくりした……」 

 とおずおずと陽茉が口籠る。何に吃驚したのかわからず悠がきょとんとすると、紫苑が穏やかな声を差し込む。 

「一瞬、に出ちゃったんだよね」 

「う、うん……。い、い、いたくてし、死んじゃうかと思った……。お、おに、お兄ちゃんたち呼んだのに、じぇ、全然来てくれなくて」

 と陽茉はこくこくと頷き、さらに俯く。

 

 ――お兄ちゃん?

 ふと、クレアに、自分が頻りに兄を呼んできた、と言われていたのを悠は思い出した。

  

 ――まさか?


 すると蓮がため息混じりに、 

「仕方ねえだろ。が動作しなかったんだ」

 と言って、陽茉と共に悠のいるソファの向かいにあった白いファブリックソファへ腰掛けた。蓮は何だかとても不機嫌で、眉間に皺まで寄せている。 

 途轍もなく話し掛けづらい雰囲気だが、それでもなんとか、悠は問い返す。 

ってなんですか?」 

「後で見せてあげるね」 

 代わりに紫苑が答えた。すぐには教えてくれないようで、悠はなんとも言い難い複雑な気持ちで黙りこむ。ありとあらゆる説明が後回しにされ、会話についていけない。

 そんな悠に構うことなく紫苑は、蓮や陽茉の後ろへ回って続けた。

「まず、ここの住人をちゃんと紹介するね。他にもいるのだけど、まあそれは追々おいおい」 

 まずこの女性、紫苑は、二十代後半で、ある時を境にここのリーダー的な存在になっているらしい。

 

 そして次に、このぶっきらぼうなハーヴェイを彷彿させる少年だ。十代前半らしい。ハーヴェイとしての活さ時期が一番長かったそうだ。 

「じゃあ、オリヴィアさんと話していたのは……」 

「レンだね。あのときはの疎通ができなくて、苦労したんだよね。レン」 

 紫苑が蓮に笑いかけると、蓮はそっぽを向いて低い声で答えた。「……五月蝿え」

  

 中に外、そして窓。彼らが度々使用する単語の意味を理解出来ず、悠は困惑ばかり。紫苑は後で説明すると言ってなかなか教えてくれない。悠は堪らず、口を開いた。 

「あの、とかって……」

 

「な、な、は、ここ……。そ、そ、そとは、」 

 陽茉が、説明しようともごもごと口を動かす。そんな陽茉の頭にぽんと手を乗せ、蓮が彼女を止めた。

 

は今のこの場所のことだ。は、日本とかクロレンスとかのことだ」

 

 相変わらず機嫌の悪そうな声だ。強い語気に悠は気圧されそうになるが、どうにか続ける。 

「……僕、はじめは憑依したと思ったんです。ハーヴェイの体に。だって、元の体と全然違いますし、クロレンスなんて国も初めて見たので」

 

 そうだね、と言いながら、紫苑がうんうんと頷き、にっと不敵そうな笑みを浮かべて言った。 

「たぶん、憑依であっていると思うよ。ぼくたちはんだ」 

「……え?」 

「それから、日本の体も無事だよ。今は別の人に行ってもらってるんだ」 

 と紫苑が続けた。何故、日本とクロレンスの両方の体を持つのだろうか。何故、複数の人間が同じ体を共有しているのか。頭が追いつかず、悠はますます目を回す。

 

「なんで二つ同時に、とか聞くなよ。俺も知りたい」 

 不意に、蓮がぼやくように言い放った。悠は心を読まれたのかと思い、どきりとした。

 

 紫苑が言うには、紫苑と陽茉は蒼が一度目の交通事故に遭い、昏睡状態になったあたりから、クロレンス側の肉体、即ち「ハーヴェイ」の肉体で日常生活を送るようになったらしい。

 

 はたと、そこに蓮の名前が含まれていないことに悠は気が付いた。悠は蓮へ視線を向けて訊ねた。 

「え……じゃあ、蓮さんはいつから……?」

 

「……お前、本当に何も覚えていないんだな」 

 と蓮は深々と嘆息する。彼が何を言っているのかわからず、悠は小首を傾げた。すると横から、紫苑が口を挟んだ。

 

「……アオは、一度自殺を図っただろう?」 

「え……?」

 

 紫苑の言葉に、悠は当惑した。自殺未遂をした話など、母から聞いたことがない。

  

「左手首に、切り傷のようなものが残っていただろう?」 

 と紫苑は言うと、左手を持ち上げ、手首あたりを指さしてみせた。

 

 思い当たる節はあると言えばあった。悠はそれを、事故か何かでつけた傷だと勝手に思っていた。その傷が何時何処で付けたものだったのか、記憶に無かったのだ。

 

 紫苑は静かな声で続ける。 

「アオは、十二の時に手首を切ったんだ。そのときに、蓮だけがクロレンスに来た」 

 蓮は七年以上ものの間、一人でクロレンスにいたらしい。悠は数日でも辛かったというのに、蓮は一人でそんなにも長い時を過ごしていたのだ。もしもそれが自分だったらと思うと、悠はぞっとする。

 

 こほん、と紫苑が咳払いをした。

「それで三人目はマリ。七歳くらいで、ちょっと吃音きつおんがあるかな。強い恐怖心とかを感じると外に弾き出されやすいんだ」 

 紫苑が最後の一人を紹介すると、陽茉はぎゅっと蓮に抱きついて隠れた。蓮にかなり甘えているようだ。男女は逆であるものの、まるでクレアとデニスを彷彿させる光景だ。悠は再びクレアの言葉を思い出し、訊ねた。

 

「じゃあ、クレアさんが言ってた、お兄さんをしきりに呼んでいたのって……」 

「陽茉だ」

 気怠げな声で蓮が答えた。

 

「それで、やっと来たのが君だ、ユウ」

 と紫苑が言うと、紫苑と蓮、陽茉が一斉に悠の方を向いた。



※本作では、性別がはっきりしないキャラクターを一律「少年」「青年」「彼」と表現するようにしております。

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