024-Y/A_孤立(2)
「ハーヴェイ、しっかりして!」
朦朧とした意識の中、悠は自分の服が引き裂かれる音と、泣きじゃくりつつも自分を励ますクレアの声が耳に入った。
すると不意に、悠はクレアに無理やり口をこじ開けさせられた。頭の片隅で、何事か、と考えていると、丸めた布のようなものを口に押し込まれた。
――何……?
「……これ、抜くわよ」
小刻みに震えたクレアの小さな声が聞こえる。悠が状況を理解する前に、クレアが悠の背に突き刺さった枝をありったけの力を籠めて引いた。
「ぐ、ああああっ!」
その息が詰まるほどの激しい痛みに、悠は大声で叫んだ。
肉が引っ張られ、傷口から全身へ電撃が走るように痛みが伝播し、意識が白む。耳元で、どうして抜けないの、と涙声で叫ぶクレアの声がする。奥まで刺さってしまったのか、中々抜けてくれず、悠は大声で何度も悲鳴を上げた。
――痛い。
――痛い。
――痛い。
やにわに、クレアの手が一旦止まった。疲れたのかもしれない。悠はぜえぜえと荒い呼吸を吐き出した。この痛みは何時まで続くのだろうか。
「ハーヴェイ、苦しめてごめん……ごめんね」
か細いクレアの声を、悠は痛みで遠のく意識の片隅で聞いていた。
「ううっ!」
悠はびくりと身体を痙攣させた。クレアが再び矢に手をかけたのか、傷口に抉るような痛みを感じる。
刹那。
悠は掠れた声で泣き叫んだ。
「う、ぎゃあああっ!」
ぶちぶちという肉と血管を引き裂く音と、鮮血が壁や地面に飛び散る音が洞窟に鳴り響いた。
――痛い。
――痛い。
――痛い。
悠は呼吸が詰まり、ひゅうひゅうと声を漏らした。傷口を強く縛られるのを感じ、再び悠は小さく叫んだ。
――痛い。
――痛い。
――もう、嫌だ。
「とりあえず、応急処置はしたわ。綺麗な布じゃないからあんまり良くないんだけど……」
と言う、弱々しいクレアの声がした。悠はゆっくりと、目だけを動かして、声のした方を見た。
――暗い。
――何も見えない。
「……く、クレアさ……」
うまく舌が回らない。自分が何を話しているのかよくわからない。意識が混沌とする。クレアは何処に行ったのだろう。オリヴィア達は無事なのだろうか。
――寒い。
――熱い。
「わたしはここよ」
耳元に、クレアの声がした。どうやらすぐ傍にはいるようだ。悠は声のした方を再び見ようと試みたが、やはりよく見えない。
「ハーヴェイ、きっとオリヴィアがわたしたちを見つけてくれるわ。頑張って」
クレアの声は揺れていた。きっと不安なのだろう。ここで悠を失えば、クレアは一人になってしまう。齢十の小娘にこの峡谷で生き抜く術はない。悠はクレアを慰めようと必死に声を絞り出した。
「な、泣かないで、ください」
「しっかりして、ハーヴェイ」
「だ、大丈夫、だから、なかない、で……」
声のする方に悠は必死に手を伸ばした。温かい小さな手が手を握り返してきた。クレアだろう。嗚咽を漏らしながら、泣いている。その声が、どんどんと遠のいていく。そして、ぷつりと音が途切れた。
✙
やにわに、ハーヴェイがびくり、と大きく痙攣した。
「……ハーヴェイ?」
クレアは眉を顰め、ハーヴェイの顔を覗き込む。ハーヴェイは小刻みに身を震わせ、身を縮めていた。その黄金色の瞳を見開かれている。
「ハーヴェイ、どうしたの?」
尋常でないハーヴェイの様子に驚き、クレアは声を張った。彼の見開かれた虚ろな目は焦点が結ばれていないように見受けられる。
「ハーヴェイ?ハーヴェイッ!」
不安に駆られ、クレアは必死に彼へ呼びかけた。確かに先程からハーヴェイの呼吸が荒かったが、今のそれは、どこか過呼吸になっているような気がした。
「落ち着いて、ハーヴェイッ!」
クレアは落ち着かせるべく、ハーヴェイの背を揺すろうとした。すると突然、彼はクレアの手を力一杯払い除け、飛び退いた。
「え?」
いきなりのことで、クレアは頭が追いつかず、唖然とした。ハーヴェイは痛みで苦悶の表情を浮かべながら、怯えるように後退っている。
「え、どうしたの……?」
ハーヴェイへクレアは手を伸ばす。何かが可怪しい。
「わあああっ。こ、こ、こないで、こ、こわい……!」
突として、クレアを怖がるように、ハーヴェイは身を縮め、わあわあと泣き喚き始めた。状況が全く持って飲み呑みこめないクレアは茫然とした。
「こ、こ、こわい、こわいよお」
ハーヴェイは
熱でも出て、一時的に幼児退行でもしているのだろうか。嗚咽を漏らし、啜り泣くその様は十にも満たぬ子供のようだ。
クレアは手を
「……い、い、いた……い」
つと、体力が尽きたように、ハーヴェイが力無くその場に崩れ落ちた。クレアは慌てて彼の元へ駆け寄り、手を握ると、ハーヴェイの手は想像以上に熱くなっている。ぎゅっとクレアは握る手の力を強めた。
「……ん、にい……ちゃ……ん。ど、……どこにいる、の……?」
ぽつりぽつりと、掠れた声で、ハーヴェイが誰かを呼び始めた。よく聞き取れないが、どうやら兄を呼んでいるようだ。クレアは胸のあたりがぎゅっと締め付けられるような感覚がした。自分は無力だ。只、彼が自力で回復してくれるのを祈るしかない。
「……、……ちゃん……どこ……?」
――やはりさっきから、誰かを呼んでいるわ。家族かしら……?
クレアも父や弟のデニスが心配で堪らなかった。父は離れたの荷馬車にいた。オリヴィアが近くにいたはずだ。デニスは確か、名も知らなぬ冒険者の傍にいた。きっと二人とも無事なはず。そう言い聞かせながらも、矢の雨で倒れていった父の部下や冒険者たちを思い出し、恐れ慄く。もし、あの矢で父が命を落としていれば。
――きっと、大丈夫よ。
クレアはきゅっと目を瞑った。
「……いた……い……」
「いた……い」
「……いたい……」
ハーヴェイはずっとぶつぶつと呟いていた。しかしそれが、彼が生きている証と思え、安堵している自分がいる。まだ自分は一人じゃない。雨が止めば、きっとオリヴィアが来てくれるはず。クレアは必死に祈った。
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