020-L_襲撃(3)


 ジェフが仆れ込んだのを見て、悠は目を見開き、そして茫然とした。 

 床に伏したその屈強な戦士は血溜まりの中、ぴくりとも動かない。生きているのか、そうでないのか。それすらも判らない。

 

「ようし、あっちは片付いた。残りを纏めて捕まえろ」

 男の一人が喜々として声を張ったのを聞き、悠はハッと我に返った。


 ――どうしよう。

 悠は半ば混乱状態パニックに陥っていた。頼みの綱であったジェフが、まさかの戦闘不能。つまり、この場を悠一人で切り抜けなければならないのだ。

  

「ヒヒッ。あのは、剣を鈍器と思っているらしいぞ」 

「なら、怖くねえな」 

 男たちの下卑た嘲笑。悠は当惑した。


 決して人を傷つけたくないという甘え。この甘ったれた考えが、自らの首を絞めている。武術の達人でもないのにも関わらず手を抜いていて、敵意のある相手に敵うはずがない。当然の帰結とばかりに、次第に悠は男たちに剣を掠れさせることすら出来なくなった。

 

 ――怖い。

 ――逃げたい。

 ――でも、このままだと。

 

 このままでは、こちらの自分の体力が先に切れてしまうだろう。相手を確実に無力化する。そのつもりで掛からねば、次に地面に組み伏せられている者が居るとしたら、おそらくそれは自分自身だ。は悠はドクンドクンと心臓が高く波打つのを感じた。恐怖で涙が溢れてきた。 

 ――死にたくない。

 

「うわあああっ!」 

 悠は大声を上げ、闇雲に剣を斜めに一筋、振り落とした。


 弾力を持った肉を抉る、確かな手応えを感じた。眼前で崩れ落ちる、棒立ちになった男。突然の暴挙に動けなかっただろうか。眼前を舞う鮮血と、吐き気を催す生臭い臭い。

 それが人間の形をしたもののそれであると意識をすると、今にも足が竦みそうになる。それでも悠は我武者羅に剣を振るい、突き、前進した。死にたくない。込み上げてくる死への恐怖だけが、悠を奮い立て、衝き動かした。気が付けば男たちを御者席の方まで押し戻していた。


 一種の過覚醒状態とでも言うのだろうか。気が高ぶり、感情を爆発させていた悠には、死を回避する以外の事は頭の中に浮かばない。

 

 死にたくない。

 死にたくない。

 死にたくない。

 

 興奮を極めた悠は、自分の肩や腕、腹や腿に相手の剣が掠めている事すら認知できないでいた。頭は真っ白で、自分が今何をしているのかのも解らなくなる。男たちが後ろに退いて初めて、悠は動きを止め、眼前の惨状を意識した。 

 男たちは警戒したのか、悠と一定の距離をながら、様子を伺っていた。その足元には、呻き声を上げ蹲る男たち。急所を外してしまった所為か、男たちは長いこと藻掻き苦しんでいる。

 

 ――あ。

 

 その光景に、悠は唖然とした。

 人を傷つけてしまった。この手で。何人も。自分は何と酷いことをしたのだろうか。今更に自責の念が沸々と湧き上がり、それは段々に胸の奥深くへずっしりと伸し掛かる。

 次第にのたうち回る男たちが動かなくなっていった。その様を目の当たりにすると、頭の奥で鐘が鳴らされたような、そんな衝撃が走った。

 自分は人殺しをしたのだ。超えてはいけない一線を超えてしまったのだ。取り返しの付かぬ現実に、眼の前が真っ暗になり、悠の足は竦んで動けなくなった。

 

「ぐえっ!」 

 放心状態で立ち尽くしていると、不意に喉を締め上げられたような呻き声が鳴り響いた。


 一人の男の首が、横から串刺しにされていた。そのすぐ横には、床に伏していた筈のジェフの姿。立っているのが不思議な程に息も絶え絶えではあるものの、確かに彼は其処に彼自身の足で立っている。

 

 ――ジェフさん?

 

 彼は生きていた。生きていたのだ!

 ジェフが生きていたからと言って、決して自分の犯した罪が帳消しにされるわけではない。さあれど、悠は少しだけ胸のつかえが取れたような気がした。そのことがどうにも嬉しく、今にも泣き出しそうなほどに胸の辺りに何が込み上げてきたのを感じた。

 

 一方で周囲の男たちは何が起きたのか頭が追いつかないのか、目を白黒とさせている。それを好機と捉えたのか、ジェフは其の儘の勢いで、串刺しの男諸とも、数名の男たちを蹴り上げ、御者席の外へ放り出した。涙を耐え忍ぶ悠は、只茫然とそんなジェフの姿を眺めていた。

 

 ガタン!

 

 突然、荷馬車が大きく揺さぶられた。

 何事かと御者席の方へ目を向けると、先程ジェフによって蹴り落とされた男の一人が馬にしがみついていた。馬は興奮したように暴れ、駆け出した。

 

「くっ!」 

 予想外の揺れに、悠の隣でジェフが呻き声を上げて横転した。勿論のこと、悠も同様に体の均衡バランスを失い、蹴躓よろめく一歩手前で大剣を床に突き立てた。

 

 次の瞬間。

 

「きゃあああっ!」

 クレアの絹を割くような叫び声が、響き渡った。


 悠は痛みで苦悶の声を漏らした。刃のこぼれた、一振りの剣が、悠の腹を貫通していた。男の一人が顔を真っ赤にして、力強く剣を悠の背に剣を押し付けている。床に転がり動かなくなった仲間のための報復であろうか。 

 悠は無我夢中でその男の腕を力強く掴み、床へ叩きつけた。そして即座に大剣を床から抜き抜き、その男の首に突き立てた。

 

 ――痛い。

 剣に貫かれた背から、腹から、じんわりと熱いものが滲み出してくる。

 

 ――痛い。

 痛みがだんだん体中を突き抜けていく。

 

 悠は男に突き立てた剣を引き抜き、床に放ると、自分の手で背に刺さった剣をやおら抜き出した。どくどくと生暖かい血が腹から溢れ落ちていく。

 

 ――痛い。

 

 自分の剣を拾い上げようとすると、剣が手からするりと落ちた。指に力が入らない。手の震えが収まらない。とうとう足元も覚束無くなり、悠は膝をついた。

 

「ハーヴェイッ!」

 

 クレアの悲痛な声が、何処か遠く感じる。赤黒いものが、床に広がっていくのが、悠の視界に映し出される。

 

 ――ああ。

 この感覚には、覚えがる。

 

 車に撥ねられたときも同じ色を見た。あれは本当に痛かった。

 

 ガタン

 

 再び、大きな揺れ。

 

 先程の揺れとは比にならない程に大きく地面が揺れ、更には荷台自体が傾き始めた。外からは、男たちの悲鳴と、がらがらと何かが崩れる音。

 

「きゃあああっ!」

 

 クレアが甲高い悲鳴を上げながら、悠にしがみついた。床が次第に垂直に近いほどに傾き始めたのだ。悠は反射的に力の入らない手で剣を床に突き立て、自身とクレアの体を支えた。 

 御者席のあった方へ目を向けると、男たちの数人が宙に投げ出されていくのが垣間見えた。悠は、荷馬車が峡谷へ飛び出し、自分が谷底へと落下しつつあるのだと理解するのに、数秒を要した。そしてとうとう、悠の腕も限界に達し、大剣を握る手が緩まった。

 

 ――あ、まずい。

 そう思ったが矢先、悠たちは深い谷底へと落ちていった。

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