019-L/Y_襲撃(2)

「いやあああ、ハーヴェイッ。ハーヴェイ!助けてえ!」

 クレアが甲高い声で悲鳴を上げた。


 悠はいかにして彼女を救うか、どのように動くのが正解なのか、頭の中で必死に考えを巡らせる。そのかんにも魔獣が荷台へ乗り込んでくるため、魔獣を剣でなした。それでも無我夢中で頭を働かせた。

 

 ――なんとかしないと。

 ――どうする?

 ――魔獣と人間。

 ――僕に両方の相手が務まる?

 

 ふと、荷台に繋がれたハーヴェイの愛馬イヴの姿が視界の端に映った。イヴはあの矢の強襲で大きな怪我を負わずにようで、あったとしても掠り傷程度に収まっていた。

 

「……ハーヴェイさん、すみませんっ!」 

 と叫ぶと、悠は魔獣たちを力任せに剣で外へ押し出した。そしてすぐさまイヴを繋ぐ縄を切り落とし、思いっきりイヴの腹を蹴る。イヴは驚いたようにけたたましく鳴き声を上げ、暴れ始めた。悠の狙い通り、魔獣たちはイヴを警戒し後ろへ退いた。

 

 イヴに魔獣たちが気を取られているのを一瞥すると、悠はクレアの方へ振り返り、剣を構えた。

 

「なんだガキ。殺ろうってか?」 

「ケケケ、そんな細腕に負けるかっての!」 

「殺っちまえ」 

 口々に囃し立てると、数人の男たちは悠へにじり寄った。獲物を前にした獣の如く下卑た笑みを浮かべ、目をぎらぎらとさせている。

 

 ――やらなくては。

 ――殺らなくては。

 

 緊張と恐怖で、剣を握る手が大きく震える。じわじわと迫りくる男たちの後ろで、男の一人に羽交い締められ、クレアが泣き喚いているのが見えた。

 

 ――助けないと。

 ――あの小さな子を。

 

 男の一人が、剣を弄びながらこちらに歩み寄って来る。その後ろにも、クレアを捕えている一人を含めて数名いる。

 

 ――屈め。

 

 突として、そんな考えが脳裏をよぎった。悠は透かさず軽く身を屈め、剣を力強く突き上げると、男の一人の首から大きな血飛沫が上がった。

 

 ――え?

 

 悠は唖然とした。

 自分が自分で無くなったのような、そんな感覚。離人感というべきか。まるで映画のワンシーンを漠然と見ているかのような気分。何時もなら感じられるはずの嫌悪感も不思議と感じない。否。のだ。


 斬られた男が呻き声をあげながら、膝から崩れ落ちる。すると他の男たちが何やら喚き立てながら、こちらへ向かってくるのが見えた。やけにゆっくりとして見える――。 

 右手側から剣を振りかざしてきた男の一人の喉元を掻っ切り、ひらりと身を翻す。同時に左側から迫ってきた男の胸を貫いた。男たちの首から鮮血が舞い、荷台の壁や床を赤黒く染め上げた。

 

 ――ひ。

 

 、悠は驚愕した。ぱっくりと割れた傷口からは血液が泉の如く溢れる、それは次第に血の海となる。苦悶した表情を浮かべた男たちはその海の中で暫くの間、のた打ち回り、直にぴくりとも動かなくなった。

 

 ――人を、斬った。

 ――三人も。

 

 罪悪感と嫌悪感が戦律するように走った。胃の中のものが逆流するような嘔吐感。しかし、体は言うことを聞かない。体は間を置くことなく剣を構え直し、次の一手を繰り出そうとする。

 

「ハーヴェイッ。加勢に来たぞ!」 

 背後から、ジェフの声が響いた。


 振り向くと、荷台へ乗り込むジェフの姿。魔獣に噛まれたのか、腕や脚から血を流している。満身創痍と言っても過言ではない。少し離れた場所へ視線を移すと、他の冒険者がデニスを担いで馬に跨り、槍を振るっているのが垣間見えた。

 

「よく頑張ったな、ハーヴェイ。俺がこいつらを殺るから安心しろ」

 

 すると、自分の頬に、一筋の涙。体が小刻みに震え、胃液が迫り上がり、喉の辺りが熱くなるのを感じた。

 我知らず、。悠は戦慄わななく唇を開いた。

 

「ク、クレアさんが……」 

「わかっている。お前には悪いんだが、お嬢さんの方は任せてもいいか。なんせ、俺もこの傷でな」

 

 ジェフが傷だらけの腕を持ち上げた。何故立っていられるのか理解し難い程に、ジェフの衣服は赤黒い染みを作っていた。

 

「は、はい」

 

 きゅっと口を一文字に結び、悠はクレアの方を見据えた。あの子は、何があっても守らなければ。あの子は、ほんの小さな女の子なのだ。

 

「行けっ!」

 

 ジェフの掛け声を聞き届けると、悠は前へ飛び出した。男たちが立ちはだかろうとするも、ジェフがその行く手を阻む。その隙を掻い潜って悠は御者席近くまで走り抜けた。

 

「ハーヴェイッ。ハーヴェイッ!」

 

 悠が救出に来たと気づくや否や、クレアは悠の方へ逃れようと、羽交い締めにしている男の腕に歯を立てた。

 

「あ、くそっ!やりやがったな!」

 

 クレアを掴んでいた男の腕が、僅かに緩んだのを悠は見逃さなかった。透かさず男のふところへ潜り込み、男の膝を蹴りつけた。

 男が痛てっ、と声を上げてと蹌踉よろめくと、悠は間髪入れずにクレアを抱き寄せ、直ぐに後ろへと退しりぞいた。尻餅を付いた男は痛む膝を抱えて蹲り、怒鳴った。 

「クソが……。ガキの分際で、よくも」

 

 男は苦悶した表情を浮かべながら、のろのろと立ち上がった。そのまなこは怒りで爛々としている。

 

「ハーヴェイ……」 

 悠の胸元で、クレアがか細い声を上げた。悠もその声の理由は承知していた。騒ぎを聞きつけたのか、御者席から数人の男たちが更に乗り込んできたのだ。

 

「これは、いよいよやべえな」 

 とジェフ。後ろの男たちを始末したのか、何時の間にか悠の隣に立っていた。一目見るだけで、ジェフがかなり苦戦したことを理解できた。背中には一筋の大きな斬り傷ができており、服が一層赤黒く染まっている。

 

「ジェフさん……!」 

「気にすんな。これは仕事だからな。何とかあいつらを押し戻すぞ」 

 ジェフの言葉に、悠は静かに頷いた。ジェフは「巻き込んで悪いな」と、一言告げると、痛みに耐えながら、にっと白い歯を見せて笑う。悠は意を決し、御者席の方を見据えた。

 

「クレアさん、失礼しますよ」

 

 クレアが、え?と声を漏らしたが、形振なりふりり構ってはいられない。悠はやおらクレアを荷物のごとく左肩に担ぎ上げた。突然のことで驚いたのか、クレアがきゃあっと小さく悲鳴を上げる。


 ジェフは小さく呼びかける。 

「よし、行くぞ」 

「……はい」 

 悠はジェフと互いに目配せした後、再び前方を見据え、足を踏み出した。

 

「殺っちまえ」 

「殺れ、殺れ!」 

 口火を切ったかのように、男たちも悠たちの方へ一直線に襲いかかってきた。悠はジェフを横目に、立ちはだかる男達を、剣身を使ってなし薙ぎ払う。流石に人を斬るのは躊躇われる為、打撃を加えるだけになってしまっているが、この際、相手を無力化出来ればそれで良い。

 

「おう。ひょろひょろしてるのによく動くな。……ん?お前、女か?男か?」 

 悠を見て、男の一人が驚いた声を上げ、悠の剣撃を剣で受け止めた。「く……っ!」

 

 その男の剣の重みに、悠は苦悶した。昨夜の傷口が開き、じんわりと血が滲み、滴る。

 

「この、退け!」

 痛みを堪え、悠は脚で目前の男を蹴り飛ばし、後ろへ退いた。

 

「おい、野郎ども。こいつ女かもしれねえぞ」 

「まじか。男の格好をしているなんて奇特な女だな」

 

 勝手に勘違いをしている男たちがげらげらと嗤い出した。誤解したのであれば手を抜いてくれれば良いものの、そうはいかないようで、変わらぬ勢いで襲いかかってくる。


 ――ジェフさんは?


 先程から全く、ジェフの声がしない。どうしたのだろうか。そう思い、ジェフの方へと視線を移すと、背中に負った傷がひどく響くのか、御者席の近くで彼は押されていた。その表情は愚問に満ち、足元が覚束無い。

 

「……ジェフさん!」 

 悠が声を掛けるも、ジェフはとうとう其の場に膝から崩れ落ちてしまった。

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