018-Y_襲撃(1)


 降り止まぬ雨の中。

 悠は心を落ち着けるべく、深呼吸をしていた。

 ――落ち着け。


 今は子供たちもいるのだ。めそめそとしていると、彼らに要らぬ不安を感じさせてしまう。

 ――うん。大分落ち着いてきた。

 

 そう思うと同時くらいか。突然、雨音に混じって、金切り声のような音が悠の耳に届いた。

 ――え?何?


 何か音がしたような気がする。気の所為だろうか。悠はじっと耳を欹て、荷馬車の外へ凝視していると、間もなくして。

 

「うわああ、魔獣だ!」

 

 という、はっきりと意味の理解出来る悲鳴が轟いた。


 条件反射の如く、無意識に悠は荷馬車の中に立てかけておいた大剣を手に取る。悠も自分のその行動には驚かされた。まるでこうすることが当然であるかのように、体が自然と動いたのだ。

 荷台の外を見ると霧の中から、数匹の魔獣たちが姿を表し、鋼のような体毛を逆立て、あの四つの赤い目をぎょろぎょろとさせていた。

 

 ――嘘。未だ一日も経っていないのに。

 

 いったい、何処の誰だ。魔獣に遭遇する事は滅多に無いとか抜かしたのは。二日も連続した上に、この群れの数。余程くじ運の良い者がいるのか。それとも、彼等の「滅多に」という言葉は発生確率の高いものに使う言葉なのか。


 ふと、悠は意識を留めた。 

 ――あれ。

 

 何かが可怪しい。

 そんな考えが思い浮かんだのだ。


 悠は働かない頭を巡らせるも、それが何かは解からない。何か得体の知れないものを感じてならなかった。何かあると、持ち合わせていないはずの直感がそう囁くのだ。もしかすると、ハーヴェイの体がそう感じているのかもしれない。オリヴィアに相談したいところではあるものの、生憎、彼女は席を外している。


 怯えた声でデニスが言葉を投げかけた。 

「ハーヴェイ、また魔獣が来たの?」 

 悠の服を掴む彼の手は小刻みに震えている。

 

 ――来る。

 なんとなしに、そんな予感がした。

 

「……っ。伏せて!」

 悠は声を張り上げ、自分が乗じている荷馬車の御者席に向かって叫んだ。

 しかし、其処にいた職員は声を上げるよりも先に、力なく御者席から崩れ落ちた。その胸には、深々と矢が刺さっている。

 

 そして程無くして、矢の雨が降り注いだ。

 

「…………っ。きゃああああ!」

 

 クレアが大きな声で悲鳴を上げた。デニスは声もあげられないようで、悠にしがみついている。他の荷馬車の方からも悲鳴が聞こえてきた。悠の視界の端で魔獣の群れがこちらへ向かっているのが見えた。

 

 ――

 

 悠は熱に魘された頭を手で抑えながらも、外にいるはずの、矢をを探った。 

 すると魔獣の影から、馬を駆り、弓を番えている男たちの姿が視界に飛び込んだ。三十数人はいるだろう。彼らは持っていた弓を仕舞い、剣を抜いた。

 

 ――人間……?

 ――でも、なんで魔獣と一緒にいるの?

 

 人と魔獣が手を組むことがあるのか。蒼が読んでいたファンタジー漫画の世界の如く、魔獣使いでもいるのだろうか。

 

 ――最悪、人を、殺さないといけないかもしれない。

 

 気付きたくもない事実が、悠の脳裏に浮かんだ。魔獣と一緒にいる、ということはそういうことである。自分にそんなことが、出来るのか。魔獣を殺すことにすら忌避感を抱いていたこの自分に。

 

 ――でも、やらないと、殺される。

 ――僕が、この子達を守らないと。

 

「殺っちまえ……っ!」

 

 という男の掛け声と共に、魔獣がベアード商団の一行へ襲いかかり、数人の男たちもそれに続いた。周囲から剣撃の音と悲鳴が聞こえ始め、周囲は地獄絵図の如く騒然とした。

 

「クソ!なんで人間と魔獣が一緒につるんでいるんだよ!」 

 とジェフが吐き捨て、悠たちの向こう正面に飛び出した。

 彼は緊張した面持ちで、素早く剣を突く。魔獣の鋼のような黒い体毛の隙間を狙うも、外してしまう。昨夜の件で軽症に済んだだけのことはあり、俊敏な身のこなしをしているものの、やはり新米のそれで、魔獣を相手に手間取っている。

 

 ジェフを含め、数名の冒険者の男たちが魔獣とが命の削り合いが繰り広げられていたが、魔獣たちはその鋭い牙で剣を弾き、力強い脚で男たちを薙ぎ払う。素人の悠が見てもわかるほどに、冒険者側が圧倒されていた。

 

「ハーヴェイッ!」

 デニスが悲鳴を上げた。


 何時の間にか数匹の魔獣が荷馬車に取り付いた。悠は咄嗟に荷馬車へ上がってきた魔獣へ目掛け、剣を振い落した。


 熱で思考が緩慢としている所為か、思いの外、実際に剣を振るうと忌避感も恐怖心も然程強くはなかった。手元がふわふわとして、魔獣を斬っているのか刺しているのかすらよくわからない。音も鼻も鈍くなっているため、何かを殺すことへの拒絶感も薄れる。牙が自分を掠ったとしても、痛みをあまり感じない。

 

 悠はただひたすらに、荷馬車に上がろうとする魔獣達の首を剣で切り裂き、体を貫いた。その都度、魔獣たちはが呻き声と血飛沫を上げ、荷馬車から転落した。 

 思考が纏まらないの中、取り憑かれたかの如く、「二人を守らなくてはならない」という考えだけは何度も思い浮かんだ。


 やにわに、クレアの悠を呼びかける声が耳に届いた。

「ハーヴェイ、あっち!」

 

 咄嗟に振り返ると、数人の見知らぬ男たちが荷馬車の御者席からこちらへ、侵入を試みていた。おそらく、魔獣とともにいた男たちの数名であろう。

 

 ――どうしよう。

 

 たちまちのうちに男たちが、次々と荷台に乗り込んでくる。子供たちを背に魔獣と男に挟まれ、悠は困惑し、その動揺が、悠の痛みと熱でぼやけていた頭を覚醒させた。

 

 ――どうする。

 ――どうする?

 

「おい、若い女もいるぞ」

 

 クレアに気が付いたのか、男の一人が嬉々とした声を上げた。悠は男を外へ押し出そうと剣を掲げるも、魔獣にその腕めがけて飛びつかれ、否が応でも、魔獣を相手せざるを得なくなった。

 

「きゃあああ!」

 クレアが悲鳴をあげた。


 魔獣を手で押さえつけながら、悠は声のした方へ振り向くと、男がクレアの髪を掴み、御者席の方へと彼女を引きずっていた。

 

「おねえちゃん、おねえちゃん!」

 

 姉を救おうとデニスが必死に男の脚にしがみついていたが、男は五月蝿いと一喝し、デニスを蹴り上げると、デニスは荷台から放り出されてしまう。

 

「デニスさんっ!」

 

 悠の叫び声にジェフが気づいたようで、慌ててデニスを庇って地面に転がった。

 

「ハーヴェイッ。坊っちゃんはこっちに任せろ」

 

 ジェフの言葉で、デニスのもとに駆け寄ろうとした悠は踏みとどまった。デニスにはジェフが付いている。

 

 ――今、自分がすべきなのは、クレアの救出だ。

 

 悠は再びクレアの方へ視線を向けた。

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