011-Y_魔獣(3)

「……イ!」

 

「……ハーヴェイッ!」

 

 オリヴィアの呼び声で、悠はハッと目を覚ました。飛び起きて横を見ると、隣で眠っていたはずのオリヴィアとヒューゴの姿が無くなっている。


 すると今度はヒューゴの声が掛けられる。 

「おい、ハーヴェイ。残念なお知らせだ」

 

 その声のした方へ視線を向けると、天幕の外でオリヴィアは鎚鉾メイスを、ヒューゴは槍を構えていた。オリヴィアの額には汗が伝っており、緊迫した面持ちをしている。ヒューゴも同様の表情を浮かべている。

 少し離れた場所へ視線を移すと、他の冒険者たちも各々の武器を構えており、すでに泥や血にまみれている者もいた。

 

 ――何かあったんだ。 

 ――そうだ、子供たち。 

 悠は慌てて傍で眠っているクレアやデニスの元へ駆け寄った。子供達も異変を感じとったようで、うとうとと微睡みながら、「何かあったの?」と訊ねてきた。

  

 再びオリヴィアたちの視線の先へ目を向けなおすと、木々の隙間から唸り声を上げる獣の姿があった。確認できる数だけでざっと三、四十数匹はいるであろう獣の群れだ。 

 ――なに、あれ。

 

 その獣達は悠の見たことのない姿をしていた。それらは大型犬の四周り、五周りほど大きく、鋼の如く頑強そうな黒い体毛と、ぎょろぎょろとした赤い目を四つ持っていた。涎を垂らす牙はぎらつき、今にもこちらへ襲いかかってきそうだ。


 蒼然とした悠の様子を感じ取ったのか、ヒューゴが再び悠に声を掛けた。

「そういえば、ハーヴェイは見るの初めてだったな。魔獣だ。荷台の食料でも狙っているのか、かなり集まって来たな」

 

 悠は驚きを隠せないでいた。あれが、魔獣。その存在自体が稀だと聞いていたにも関わらず、何故こんなにも多くの魔獣がこんな所にいるのか。オリヴィアが緊張をはらんだ声で続けた。

 

「ハーヴェイ。あんたはその子達の傍を離れないでちょうだい」 

「は、はい!」

 

 クレアとデニスがぎゅっと悠の服の裾を掴んだ。子供達の寝とぼけていた意識はようやくはっきりとしたようで、その手は震えている。

 悠と同様に、初めて魔獣を見た者が冒険者達の中にもいるようで、「マジかよ、あれが魔獣かよ」と叫ぶ声が聞こえた。

 

「や、殺るぞ……!」

 

 冒険者の一人が一喝すると、それに呼応するかのように数人の冒険者たちが魔獣へ向けて攻め入った。何れの男たちもその顔に恐怖を浮かべ、腰の引けているのが、素人目にもわかった。悠よりは経験があるといえど、彼等はみな、新米なのだ。

 

 すると、オリヴィアが叫ぶように声を上げた。

「ちょっと、嘘でしょう……!」

 

 魔獣と交戦していた男達もその声で振り返った。そしてオリヴィアの視線の先を辿ると、目を剥き驚愕とした。なんと、木陰から他の群れが一斉に姿を現したのだ。ざっと数えるだけでも、二、三十匹はいるだろう。つまり、総じて七十匹前後の魔獣がいるのだ。


 悠は唖然としながらも、声を押し鳴らす。 

「あ、あの……。魔獣ってこんな群れるものなんですか?」 

「いんや。群れたとしても普通は十匹前後て聞いたぞ」 

 と唸るような声で、ヒューゴが言い放った。

 その言葉に悠は耳を疑う。つまり、眼前の魔獣の群れは、一般的な群れの六、七倍以上はあるということになる。

 

「これは、私達も出るしかないかも……」 

 と言うと、苛立っているのか、オリヴィアは自分の頭をがしがしと掻き毟った。

 悠は不安で堪らなかった。あの魔物は、駆け出しの冒険者達だけでどうにか出来るものなのだろうか。

 

「ぎゃああっ!」

 

 金切り声が響いたかと思うと、一人の冒険者の男の首が地面に転がった。魔獣に噛みちぎられたのだ。地面の上には、首だけになって目を見開いている同僚の変り果てた姿。その姿に、他の男たちは青褪めた。


「くそ!距離を取れ。殺られるぞ!」

 とヒューゴが前方にいる男たちに向かって、声を張り上げた。そしてさらに、「何なんだこの数は」と小さな声で吐き捨てる。

 

「ヒイイッ!こっちに来たぞ!」 

「殺れっ!殺れ!」 

「こっちに来るなあっ!」

 

 天幕の前は騒然とした。数多の魔獣を前に、男たちが泣き喚きながらも、奮闘している。しかし力不足のようで、数人の男たちは血を流して座り込み、中には力なく倒れ込んでいる者もいた。


 悠のすぐ傍でデニスが嗚咽を漏らし、泣き叫んだ。

「ハーヴェイ……。こわいよう」 

 その声で子供達の方へ目を向けると、デニスは涙で顔をぐしゃぐしゃにしていており、クレアは堪らえているのか、顔を歪め、唇を強く噛み締めていた。

 

「覚悟しなさい。こっちに来たわよ」

 

 オリヴィアの一声で、悠は顔を上げた。

 知らぬ間に、数匹の魔獣が目前まで迫り来ていた。数度大きく息を吐いたのち、意志を固めたようにオリヴィアとヒューゴは前を見据え、各々の得物を握り直す。オリヴィアの大振りの鎚鉾メイスが月明かりを照り返して鈍く光っていた。

 

「行くぞ!」 

 と一喝すると、ヒューゴが前方へ飛び出し、槍を突き出した。

 オリヴィアも続いて鎚鉾を掲げ、魔獣めがけて大きく振るう。あっという間に魔獣の脳髄や頭蓋骨の破片を撒き散らされ、無惨な姿に成り果てた数匹の魔獣が転がっていた。天幕の前は阿鼻叫喚な光景へと成り果てていた。


 その陰惨なさまを恐れたのか、デニスが悲鳴をあげた。

「きゃあああ!こわいよお!」

 悠は涙目になりながらも、二人を怖がらせまいと、「皆が守ってくれるから大丈夫ですよ」と何度も言い聞かす。それしかできなかったのだ。

 

 ぐしゃりと肉の潰れる音ともに、数匹の魔獣たちが血飛沫を上げて宙に突き飛ばされた。オリヴィアの鎚鉾メイスが、ヒューゴの槍が、鮮血で赤く染まり、地面に黒い染みを作る。時折魔獣がオリヴィアやヒューゴの脚に飛びついてくると、彼らはそれらを素手でわし掴みにし、蹴落としていた。

 

 怖い。

 怖い。

 怖い……!

 

 悠は恐怖で身を震わせた。

 オリヴィア達が自分達を守ってくれる筈だ、という思いと同時に、もしも彼らが敵わなければ。此方にあれ等が来たら。という考えが何度も悠の心に浮かぶ。


 そんな中、ふと、あの兵士の首が悠の視界に飛び込んだ。その見開かれた虚ろな目が、此方を見つめている。ぽっかりと開かれた口がまるで、次はお前だ、と言っているようで、悠はヒュッと息を呑んだ。

 

「ハーヴェイッ!」 

 それは切羽詰まったかのような、オリヴィアの呼びかける声だ。


 悠は意識を目の前へ取り戻すと、何時の間にか数匹の魔獣がすぐ其処まで迫り来ていた。

 

 ――ウソ。


 オリヴィアが悠の元へ駆け寄ろうとするも、数匹の魔獣に阻まれ、押さえ込まれてしまう。他の冒険者たちやヒューゴもとうに足留めされている。 

 悠は咄嗟にクレアとデニスを自分の背後に下がらせ、震える手で、背中に携えていた大剣を引き抜いた。背中越しにも、二人の震えが伝わってくる。とうとう、クレアまでも声を出して泣き始めた。


 どくん、どくん、と悠の心臓が早鐘を打ち、脈拍が速まり、そして思考が停止した。

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