010-Y_魔獣(2)

「ずっと思っていたんだけどよ。オリヴィアは冒険者には見えないよな。その細腕で武器持ち上げられるのか?何の武器を主に使ってるんだ?」

 

 やにわに、ヒューゴが話を変えてきた。

 ヒューゴへ視線を向けると、その顔にはオリヴィアに興味津々です、と書いてある。今回の任務に参加をしている冒険者の中でオリヴィアは紅一点な上、この美貌である。好奇心の対象にもなり得るだろう。


 そんなヒューゴに対し、オリヴィアはきっぱりと、 

鎚鉾メイスよ」 

「へ……?」 

 オリヴィアの言葉にヒューゴは困惑顔。


 思ってもみないであろう。この愛くるしい美少女が、そこらの男たちよりも重たいものを振り回すだなんて。 

 オリヴィアが相棒の鎚鉾メイスをドンッと地面に突き立ててみせると、ヒューゴの表情が固まった。せいぜい可笑しな幻想でも抱いていたのだろう。残念。彼女はゴリラだ。

 

 その美少女の皮を被ったゴリラを前にヒューゴは呆気に取られながらも、言葉を押し鳴らす。 

「……すげえ怪力だな……オリヴィア」 

「そう?ありがとう。ちなみにあんたは何なの?」

 

 オリヴィアの言葉を聞くと、ヒューゴは槍を振ってみせた。どうやら彼は槍を得意とするらしい。確かにそれっぽい。 

 ヒューゴは今度は悠が携えている大剣を見て声を上げる。

「ハーヴェイのそれは……剣か?オリヴィアもだが、見た目に似合わず無骨なものを使うなあ」

 

 ハーヴェイの剣もまた、普通の剣に比べると幅が広く、重みがある。悠は苦々しく笑いながら言葉を継ぐ。 

「あ……。これは、借り物なんです。護身用として」 

「へええ。護身用としてそれ、扱えるのか?扱えなきゃ宝の持ち腐れだろう」 

「はは……。確かにそうですね」 

 ヒューゴの的を射た指摘に、悠は曖昧に答える。煮えきらない悠の態度に、ヒューゴが、「おいおい、大丈夫なのかあ?」とぼやくが、答えようがない。だって、全然、大丈夫じゃない。

 

 だがそんな悠の思いを他所に、オリヴィアがきっぱりと言い放つ。 

「大丈夫よ。こう見えても、ハーヴェイは力持ちなんだから」 

「へ、へええ?二人とも見た目に似合わねえなあ」

 

 感嘆するヒューゴを見て、悠は少し焦った。今の悠にそんなことできるはずがない。妙なハードルを上げないで欲しいとオリヴィアに目で訴えるも、オリヴィアはきょとんとしている。これは絶対に通じていない。

 

 悠は話をすり替えるべく、声を大きくして言った。

「と、とにかく、冷めちゃう前にお夕飯いただきましょう!」

 一瞬驚いたように二人は目を瞬かせていたものの、「そうね」とオリヴィアが答えた。よかった。この話は此処までになりそうだ。


 悠は盆からスープの器を持ち上げた。中には、豆の入った獣の乳のスープ。少し熱そうだな、と考えた悠はふうふうとスープを冷まし、パンにつけ、口に放り込んだ。なんとも獣臭い、独特な味のするスープである。パンもぼそぼそで、お世辞にも美味しいとは言えない。


 食事を終えると、不意にオリヴィアに訝しげな声で問いかけてきた。

「ねえ、ハーヴェイ。あんた、爪を噛む癖なんてあったかしら」

 

 悠はどきりとした。

 オリヴィアへ視線を向けると、彼女はじっと悠の手元あたりをを見つめている。ふと自分に意識を向けると、悠は親指の爪を噛んでいた。無意識にだ。その爪はぼろぼろで血が滲んでおり、見られると少し恥ずかしい。オリヴィアに見えぬよう、そっと自分の手を引っ込めた。

 

「え……。あ、はい」 

「そう……」

 

 オリヴィアは少し表情を曇らせると、ついと顔を背けた。

 

 ――ああ、これは。

 

 彼女のその様子を見て、悠はさとった。ハーヴェイには無かった癖なのだろう。蒼にも無い癖であった為、母がオリヴィアと同じような反応をしたことがあった。

 

 ――なんだろう。 

 ――なんだか、胸の辺りがムカムカする。

 

 

  ✙


 

 

 何によって、僕は僕であると考えられるのか。

 

 僕は時々、そんなことを考える。

 

 大学の講義で、こんな話の持ち上がった事があった。私自身の根幹を成す〈私〉は何によって規定されるのか、という話だ。

 

 ある生徒が言った。「それは脳ではないか」と。

 

 その生徒の意見はこうだ。人の肉体からだは数年経てば、脳を除く全ての細胞が入れ替わると云われている。それ故、肉体からだは〈私〉を規定するものではなりえない。しかし脳は変わらないのだから、脳が、自分を〈私〉たらしめるのではないか。

 

 そこで、教授が一つの思考実験を提示した。 

 自分の脳や肉体をそっくりそのまま複製できる技術があって、その技術でもう一人の自分を作ったとき。その複製した自分は〈私〉と言えるのか、というものだ。

 

 その複製された自分は「私」としての意識を持っていて、自分のことを「私」だと思っている。では、元の躰にいる自分と、複製された自分。どちらが<私>と言えるのだろうか。

 

 ある生徒が、「元の肉体にいる自分が〈私〉に決まっています」と答えた。

 

 だって、その複製された肉体に乗り移ったわけでもならまだしも、二号や三号が作られて元の肉体と別に活動をしてしようしていまいが、元の体にいる「私」が消えたわけじゃない。ならば、元の体の自分は変わらずに〈私〉であるはずだ、と。

 

 其処で、先生が意地の悪い質問を、その生徒に投げかけた。


 では、元の肉体にいる〈私〉が、異世界転生ものの漫画の如く、ある日突然、他人の肉体へ乗り移ってしまったら。肉体も脳も全く同じに複製された二号や三号と、肉体も脳も異なる自分。どちらが、〈私〉と言えるのか。

 

 その生徒は答えた。

「乗り移った方の私が〈私〉に決まっています。だって、意識は途絶えていないのですから」

 

 では、自分の何が、〈私〉を形成するのか。肉体でも脳でも記憶でもないならば、一体全体、何処に〈私〉は在るのだろうか。

 

 僕はその話を興味深く思った。

 

 僕は「五十嵐悠」だ、と思っているのに、周囲は「五十嵐蒼」だ、と言う。どんなに周囲を説得しようと、頭が可笑しくなっただけである、といつも返されてしまう。 

 この問いが解ければきっと、僕は「五十嵐悠」であると、胸を張って言い切れるのではないか。僕を「五十嵐悠」であると証明できるのではあるのではないか。そう、考えた。

 

 そしてハーヴェイの肉体の中にいる今もなお、「何が私を〈私〉たらしめるのか」という問いを時折思い浮かべては、思いを馳せていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る