009-Y_魔獣(1)
何処か遠方から、狼の遠吠えが聞こえる。
すっかり陽が暮れ、山道は夜のそれへと姿を変貌していた。少し欠けた満月が東の空から顔を出し、薄い雲ノ向こうで星々が瞬いている。時折吹き渡る風は穏やかなものであった。
ベアード商団の一行は足を止めた。野営すべく少し開けた場所へ天幕を張ると、焚き火を焚いて夕飯の支度を始める。
悠は天幕の下で座っていた。クレアやデニスは父親のベアード氏と楽しげに家族団欒の
オリヴィアはと言うと、ヒューゴと共に天幕の中の警護を任されているらしい。そのため悠のすぐ横で腕を組んで立ち、悠と同様にベアード一家の様子を眺めている。
ヒューゴは外にいる同僚に話があるとかで、今は席を外してこの場には居ない。オリヴィアとヒューゴを除く冒険者たちは交代で外の見張りをするとかで、天幕から少し離れた場所で閑談して過ごしている。
するとふと、オリヴィアが切り出した。
「そうだ、あれについて話しておこうと思って」
「あれ、ですか?」
何のことだろう、と悠は目を瞬かせる。オリヴィアは真っ直ぐと碧い目を向けていた。
「その様子じゃあ、どうせ魔獣のことも覚えてないかなと思って」
「ま……?確かに、知らないですけど」
「魔獣というのはね、特殊な器官を持っていている生き物のことを指すの。まあ、誰もその器官とやらは見たことがないのだけど……その器官のお陰なのか、とても頑丈だったり、凄く俊敏だったりするのよ」
生物分類が一種類増えた、のような感じなのであろうか。
確か今現在の哺乳類の下は
「すみません……。どんな外見をしているものなんですか?」
「普通の熊や猪を奇妙にしたような、そんな見た目ね」
「……目がいくつも付いていたりするんですか?」
「ええ。ものによってはそういう個体もいるわね」
目が無数にある化け物を想像し、悠はぞわっとするものを感じる。そんなものに出くわしたら、恐ろしさで卒倒しそうだ。成る丈、お目にかかりたくはない。
「……じゃあ、あれですか。傷の治るのが早いやつとか、透けていて触れないやつとかもいるんですか?」
悠の言葉に、しばしオリヴィアは呆気に取られた顔をし、すぐさまプッと吹き出した。
「そんなファンタジーなこと、あるわけないじゃない。姿を見えづらくする個体はいると言えばいるけれど、触れられないなんてこと、まず無いわ」
オリヴィアが言うには、この世界には魔法の類は存在しないらしい。
ヒールやサンダーボルトのような技も無ければ、ポーションのような便利ツールも存在しない。怪我をすれば医者に連れて行くしかないし、身体能力は日々の鍛錬で鍛え上げるしかない。それは魔獣という生物も例外ではないらしい。
「とにかく、それでも他の獣より危険だから。うっかり遭遇したりしたら、絶対に私を呼ぶのよ」
「はい……」
悠はしゅんとした。彼は戦闘において、ずぶの素人だ。そこらの熊や狼でもオリヴィアへ助けを乞う他ない。一方的に女の子であるオリヴィアへ寄りかかる形となるのはどうにも心苦しい。
だが、平凡な日本人男児が武器を持って無双するなど、漫画の中だけだ。そもそも日本の倫理観で生活していて、初めて血を見て平然としていられる者はきっとそういない。もしも存在するとしたら、その人は
「ハーヴェイ、オリヴィア、飯にしようぜ!」
唐突に会話に立ち交じった男の声に、悠は飛び上がる。顔を上げれば、そこには青年ヒューゴ。商団の職員から夕飯を貰って来てくれたらしく、三人分のスープとパン、そして水を乗せた盆を抱えていた。
「あ、食事。ありがとうございます。すみません、お任せしてしまって」
「良いってもんよ。腹減ったし、早く食おうぜ」
とヒューゴが言ってその場に胡座をかくと、悠とオリヴィアも続いて坐した。早速パンを頬張り出すと、ふとヒューゴが言葉を鳴らした。
「そういや、何の話をしてたんだ?」
「魔獣の話よ」
「ああ、魔獣ね。ハーヴェイたちは遭遇したことあるのか?」
「……僕は……ないです」
今の悠は「冒険者のハーヴェイ」ではなく、「オリヴィアの知人のハーヴェイ」であるので、此処は素直に答えても問題なかろう。
すると、ヒューゴは納得顔をして、
「まあ、そう簡単にお目にかかれるもんじゃあ、ないよな」
その言葉に、悠はきょとんとして首を傾げる。
「ヒューゴさんは、見たことがあるんですか?」
「冒険者になる前に一度だけな」
「そんなものよね。一年目の私が見たことあるなんて、かなり珍しいものだもの。十数年で数回会うか会わないか、らしいわ」
とオリヴィアが横から言葉を差し込む。なるほど、想像以上に希少な存在らしい。
自分の能力値が目で見えて管理出来たり、秘薬一つでその能力値が飛躍的に上がったりと、摩訶不思議な設定も散見された。実際にそうであったら都合の良過ぎて奇妙だと感じるであろう。
そんな世界でなくて、良かったのかそうでなかったのかは、なんとも言い難い。自分の身を守ることを考えると、秘薬くらいは欲しいかもしれない。
ふと、悠は何となく切り出した。
「魔獣が出やすい条件とかあるんですか?」
身を守る術がないならば、せめて魔獣と遭遇する可能性自体を削りたい。だがそんな悠の希望は一瞬にして砕かれる。
「私は聞いたことが無いわね」
「夜のほうが出やすいとか、新月の夜のほうが強いとか」
「そういうのも聞かないわね」
悠はううんと頭を捻る。それでは未然に避けて通ることも難しそうだ。話を聞くに、滅多に遭遇するものでもないようだから、心配無用ではあろうが。
――深く考えないでおこう!
そう自分に言い聞かせ、悠はパンを頬張った。
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