008-out_出立(4)


 ハーヴェイと出会ったのは、ちょうど一年前。春の夜のことだった。

 冒険者という憧れの仕事に就けたことへの喜びと、有名なパーティーに声をかけてもらえた感激で胸がいっぱいだった。

 

「オリヴィア。彼はハーヴェイ。このパーティーでは一番歳の近いメンバーです。暫くの間は彼に付いて仕事を学びなさい」

 

 パーティーの隊長であるという男がオリヴィアに、一人の少年を紹介した。見てくれだけならば、少女と見紛うほどに線の細い少年だった。

 

 おもむろに、そのハーヴェイと呼ばれた少年が口を開く。 

「……おい。勝手に押し付けるなよ」 

 声も中性的で、声の低い女性ともとれる声をしている。 

「たまにはいいじゃあないですか。君も此処に属して五年以上経つのだし、そろそろ新人教育でもしてみなさい」

 

 ――五年以上前ですって?

 

 五年前とは、オリヴィアがとおの時だ。それよりも以前に、彼は冒険者を、しかも傭兵業を主に担っていると言うのだ。

 オリヴィアがぽかんとしていると、やおら隊長が立ち上がり、 

「とにかく。頼みましたよ、ハーヴェイ」 

 と言ってその場を後にした。


 まさかの二人きり。オリヴィアはなんと話し掛ければいいのだろうかと困惑した。 

 ――ええい、ままよ! 

 オリヴィアは自身を鼓舞し、口を開いた。 

「あ、あの……っ!」

 

 だが向こうは振り向きもしない。気不味すぎる。

 しばらく沈黙を貫いた後、ハーヴェイは深い溜め息を付き、やっとこちらを向いた。

 

「おい、お前」 

「は、はい」 

「飯は食ったか?」 

「……まだ……ですけど」

 

 とオリヴィアが答えると、ハーヴェイは椅子に掛けていた外套を担ぎ、黙然と部屋の外へ向かう。付いて来い、と言う意味であろうか。オリヴィアは急ぎ彼の後に続いた。

 

 ハーヴェイは実に無愛想な人だった。

 

 こじんまりとした酒場の前へ着くと、ハーヴェイは無言のまま、ずんずんと店の中に入って行った。すると、店主と思われる中年の女がハーヴェイを見るや「げっ」と苦虫を噛み潰したような声を上げた。他の給仕達からも注目されている。

 オリヴィアは店の者達の様子に疑念を抱きつつも、ハーヴェイの後を追い、彼の座った席の向かい席へ腰掛けた。ハーヴェイに「適当でいいか?」と聞かれたので、「それで良いわ」とオリヴィアは応じた。


 するとに突然、酔っ払った、柄の悪そうな男が数名、ハーヴェイを取り囲んだ。 

「おい、来やがったなクソ野郎!」

 

 だがハーヴェイは彼らを全く相手にすることない。一瞥することすらなく、店の従業員を呼びつける。 

 ――え。この状況で注文するの? 

 オリヴィアが目を剥いているのを他所よそに、ハーヴェイは従業員から麦酒ビールを受け取り、終いにはそのグラスの中を一気に飲み干している。完全に、相手にしていない。


 だがその酔漢すいかんたちは諦めない。 

「おい。無視するなよ、クソガキ」 

 一人が勢い良くテーブルを叩き、ハーヴェイの持つグラスを手で払った。その勢いでグラスはガシャン、という音を立てて割れ、破片の一つが当たったのか、ハーヴェイの手の甲からつうっと一滴の血が流れた。


 其処で初めて、ハーヴェイが声を発した。 

「……おい」

 

 いかにも不機嫌そうな、低くすごみのある声である。立ち上がったかと思うと、次の瞬間には右足を振り上げ、ハーヴェイはその男の顔面を蹴り上げていた。ハーヴェイの足を直に食らった男は瞬く間に壁まで吹き飛び、骨の折れたような鈍い音と共に床に叩きつけられた。

 

 それが始まりのゴングだったかの如く、残りの男たちが雄叫びを上げた。

「おい、こっちにもいるぜ、クソったれ!」

 

 ハーヴェイはと言うと、顔色一つ変えることも無く、蚊を払い落としているかの様に軽々と彼等をのして行く。床に転がされた男たちはいずれも腕か足が本来向くはずの無い方向を向き、中には歯が折れ、鼻血を垂らしている者もいた。

 周囲はというと、誰に賭けるかと相談を始める見物人までおり、オリヴィアは唖然とした。いったい自分は何を見せられているのか。

 

「き、きゃあああ!」 

 店主が絶望したかのような悲鳴を上げた。


 それもそうであろう。酒場は瞬く間に生きる屍で埋め尽くされた挙げ句、テーブルや椅子は横倒しになり、食器の類は割れ、散らかり放題。最後の一人が床に放り出される頃には店の半分以上が雑然としていた。

 

 店の中が静まり返って間もなく、オリヴィアはハーヴェイの不可解な行動に首を傾げた。 

「……?」 

 ハーヴェイが積み重ねられた男達の懐を漁り出したのだ。何をしているのだろうかと眺めていると、ハーヴェイの手には、男達の財布。極め付けには、ひい、ふうとその金を数え始める。


 オリヴィアはぎょっとして彼の元に駆け寄り、 

「ちょ、ちょっとハーヴェイ。何してるのよ」 

「何って。見ればわかるだろ。お前のその頭は飾りか?」

 

 開いた口が塞がらない。いやいや。何処からどう見ても、強盗紛いな事をしている様にしか見えない。ハーヴェイは先程男たちから巻き上げた財布を店主の方へ放ると、さっさと店の外へ出て行ってしまった。

 

 ――ん?

 

 せっかく集めた金を何故置いていくのか。ハーヴェイは何をしたかったのか。


 後々店主から聞いた話では、ハーヴェイの腕っぷしの強さに挑戦したがる男たちが良く店に訪れて来るそうだ。無論のこと、その都度ハーヴェイの圧勝であるようなのだが、店を荒らした後は、いつも金をこうやって置いていくらしい。彼なりに弁償をしているつもりなのかもしれない。


 けれども。

 

 ――そもそも、こんな過剰防衛さえしなければ良いだけのことでしょうが!

 

 確かにハーヴェイ一切手出しをしていない。だが、その対応は誰が見ても明らかなほどに、度を過ぎていた。

 

 だがしかし、彼は決して無差別な破落戸ならずものでは無かった。 

 再び酒場を訪れていたある日のことだ。普段いつも通りに、店主たちに煙たがられながらもハーヴェイとオリヴィアは晩飯を食っていた。未だ仕事は請け負っておらず、ハーヴェイから組み手を習い始めた日の夜だった。


 泥酔した男が蹌踉よろけた拍子に、ハーヴェイの上に倒れかかり、麦酒をハーヴェイの服に掛けてしまったのだ。その酔客はその時には既に意識は無く、故意では無いようだったが、オリヴィアはその様子を見て肝を冷やした。 

 ――まずい。また喧嘩になるんじゃあ。

 

 そう思ったが矢先、ハーヴェイがすっと立ち上がった。変わらずの不機嫌面である。見守るべきか、それとも止めに入るべきかとオリヴィアが思案していると、彼は思いも寄らぬ行動を取った。いびきを掻くその男を床に下ろしただけなのである。


 普通の者であれば、なんと不親切な男なのだと憤慨したであろう。しかし、あのハーヴェイである。何かと吹っ掛けられると、その倍以上に返すのが道理であるかのような、あのハーヴェイだ。十分優しさのある行動だ。

 

 それから彼と共に過ごすうちに少しずつ、ハーヴェイの性質を理解した。彼は敵意を向けてくる者には容赦なく報復をする。しかしながら、敵意のない者には全くと言って良い程に興味がなく、手出しをすることはない。

  

 ――ついこの間の事なのに、懐かしく感じるわね。

 

 オリヴィアはふっと微かな笑みを浮かべた。


 ハーヴェイとは未だ一年程度の付き合いでしかない。彼がオリヴィアの師の役割を担ってることもあり、冒険者としての時間の多くは彼と共に過ごして来た。その気性の荒さに振り回されることも多々あったが、不満はなかった。オリヴィアにとって、ハーヴェイは師であると同時に良き相棒であるのだ。

 

 ――早く、しっかりとした医者に診せなくては。

 オリヴィアはおもてを上げ、きゅっと唇を結んだ。

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