007-Y/out_出立(3)

 各荷馬車の左右に護衛を据え、ベアード商団一行は首都イェーレンに向けて出立した。

 港町エルデンを出て、農村部を通り抜けたのち、グレウフェル山脈と呼ばれる山脈を超え、首都イェーレンへ向かう、いう道筋ルートだ。


 悠はクレアとデニスと共に、ベアード氏が御者を受け持つ先頭の荷馬車の荷台に乗っていた。ハーヴェイの愛馬イヴは荷台に括り付けて引いてもらっている。

 

 港町エルデンを抜けると、長閑な田園風景が広がっていた。この世界では、今は春の季節に当たるらしい。一部の地面には少しだけ、雪が残っていた。その隙間からは麦の芽が顔を出している。

 この辺りは夏になると、一面黄金色の麦畑になるらしい。きっと絶景に違いない。想像するだけで、悠はほうっと恍惚とした。

 

「よう。俺はヒューゴていうんだ」

 

 やにわに鳴らされた男の声で、悠は荷台の外へ視線を向けた。護衛を担う冒険者の一人だ。彼は馬の速度を少し落として、荷馬車の後方に付けている。濃茶のうちゃの髪と瞳をした、まだ二十代前半くらいの大柄な男で、にやりと白い歯を見せて言葉を続く。

「で、お前はなんていうんだ?」

「僕はい……ハーヴェイです。宜しくお願いします」

 一瞬、五十嵐と言いかけて悠はひやりとする。だが、ヒューゴは別のところが気になったらしい。

「ハーヴェイ。有名な冒険者と同じ名前かあ。というかお前、女みたいに細っころいな。それにその肌の色、サハーン人か?」 

「サハ……?」

 

 聞いたことの無い言葉に、悠は狼狽する。悠がどう答えるべきかとあぐねていると、デニスが悠の上着の袖をつまんできた。 

 デニスの方へ目を向けると、持参したと思われるトランプのようなものを差し出していて、 

「ハーヴェイ、遊ぼうよ」

 

 何とも愛くるしい無垢な笑い顔を向けてくる。打ち解けてくれたようで、嬉しい限りである。その様子を御者席から見ていたクレアも驚いた面持ちで「デニスが甘えるなんて珍しいわね」と言葉を溢した。なおさら喜ばしい。 

 悠は顔を緩ませながら、言葉をを継ぐ。 

「僕にもデニスさんと同じくらいの妹がいたんですよ。なので、懐いてくれるのは嬉しいです」 

 悠はデニスに渡された(おそらく)トランプのカードを手早く切った。自分の元いた世界の人が持ち込んだのではなかろうかと疑いたくなる程にデザインが似ている上、遊戯ゲームの規則も大きくは違わない。運が良い。


 すると、クレアも遊戯ゲームが気になったのか、御者席から顔を覗かせて言った。

「暇だし、わたしも混ぜてよ」 

「良いですよ。それでは、三人分にカードを分けますね」 

 と悠が答えると、クレアは御者席から荷台の方に下りてきた。長いスカートの裾が捲れてももが露わになり、ベアード氏が「はしたないからお止めなさい!」と叫んだ。

 

 その様子を見ていたヒューゴが、「女の脚を見て、平然としているだなんて、意外だなあ」と驚嘆し、さらに小さく呟いた。「うぶそうな面構えをしているから、そういうのに免疫がないのかと思っていた」

 

「へ?」 

「その見た目でまさか女遊び激しいとか言わんよな」 

「そんなわけないじゃないですか。妹がいたからですよ!」

 

 幼い妹がいた為に、年下の女性の裸には見慣れている。それに日本だと股下丈と言っても良い程に丈の短いものを身に着け、脚を晒す女性も少なくはない。何よりも悠はギャル文化のある平成生まれ。なおさら見慣れている。それ故、そもそも気に留めなかった。だが、それが宜しくなかったらしい。

 呆れ顔でヒューゴは続けた。 

「随分と腕白な妹だったんだなあ」

 

 悠は笑って誤魔化した。失念していた。ここは自分のいた国と別の国というだけでなく、異なる世界なのだ。文化も常識も自分の見知っているものではないのだ。

 

「あ、もう間もなく山に入るわね」

 

 クレアの呟きで、悠は顔を上げた。御者席の方を見ると、山の麓に差し掛かっていた。

 首都圏育ちで、大学も比較的開発された場所にあったのもあり、こんなにも緑で鬱蒼としている場所は新鮮に感じる。未知の世界に踏み込むような感覚に、悠は固唾を呑んだ。

 

 山中へ入って行くと、其処は何とも心地の良い場所であった。

 空気はしっとりとしていて、土の匂いがする。亭々たる木々がそびえ立ち、葉の隙間から溢れる陽の光がなんとも幻想的だ。何処からか啄木鳥が木を突く音が鳴り響いており、リスが木の上から駆け降り、兎が耳を草の隙間から出しているのが見えた。左手は峡谷になっており、深い谷底を覗き込むと、蛇行して流れる大きな河が見え、その河の水は澄んできらきらと輝いていた。


(…………い)


 ふと、悠は意識を留めた。誰かの声が耳に入った気がしたのだ。だが周囲を見渡したものの、誰も自分に話しかけてはいない様子である。

 そんな悠を不審に思ったらしい。怪訝な面持ちをして、クレアが悠の顔を覗き込んできた。 

「どうしたの、ハーヴェイ?」 

 デニスも姉のクレアと同様に不思議そうにこちらを見つめている。

 

「いえ……。なんでもないです」

 

 悠はへらりと笑い、再びトランプを握る手に視線を戻した。



  ✙


 

 オリヴィアが空を仰ぎ見ると、陽がとうに天頂に差し掛かっていた。


 彼女は酷く憂いていた。昨日さくじつから相棒のハーヴェイの様子が可怪しい。まるで赤の他人と入れ替わってしまったような、そんな気にさせる程に彼は変わってしまったのだ。

 

 ――戻る……わよね?

 

 もしも元に戻らなかったら。ずっとあのままだったらどうしよう。オリヴィアはそんな思いで胸が締め付けられるのを感じ、それを堪らえようと唇を噛み締め、手綱を握る手にぎゅっと力を籠める。


 いつも傍で自分を支えてくれる(と言って良いのかは躊躇われるが。)相棒はまるっきり頼りにならず、自分一人で恙無くつつがなく務めを全うできるのか。それに何を差し置いても、ハーヴェイ自身の体調が心配でたまらない。

 

 ――いったい、何があったのかしら。

 

 つい十日ほど前のことだ。港町エルデンを出発する日取りに関して打合せすべく、二人でベアード氏の元へ向かっていた。

 すると突然に、ハーヴェイが蹌踉よろけたかと思うと、そのまま膝から崩れ落ちたのだ。何事かと声をかけると、彼は瞬く間に昏倒してしまった。医者に診せても、特に問題はなさそうだ、そのうち目覚めるであろうの一点張り。されども彼は丸一日、意識が戻ることは無く、挙句の果てに、目を覚ますとあのあり様である。

 

「はあ……」

 

 オリヴィアは頭を抱えた。ふと前方の荷馬車に目をやると、ハーヴェイが未だかつて一度も見せたことのない満面の笑みを浮かべて、子供たちと戯れ合っている。

 

 ――本当に、別人みたい。 

 ――ついこの間まではあんな様子では無かったのに。

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