30

――ゾルゴルドが宿屋へやって来てから数日後。


ティアたちはすっかり宿屋の従業員になっていた。


意外にも宿の客足は途絶えず、毎日が仕事で流れていく。


子どもたちは相変わらずライズをからかうのが好きなようで、背の高い彼女に飛びついては、一体何人ぶら下がれるかを試したりしてる(ちなみに同じく背の高いジャンにもやっている)。


ポムグラは宿屋の料理担当として精を出し、今回の事件が落ち着くまでは馬車の仕事はお預けにすると、馬の世話をしながら新しいメニューを考えている。


バンディーはよくジャンと出かけており、宿屋の仕事はほとんどしない(ライズは気に入らない)。


それでも彼女はよく子どもたちの面倒を見たがった。


だが、どうやら子どもらたちからすると、バンディーは暑苦しいようで苦手な人扱いされていた。


ティアは炊事、洗濯、掃除など幅広く手伝っては、毎日失敗ばかりしている。


王女なのだから当然といえば当然だが、自分から率先して仕事をしたがる彼女に、できれば働きたくないライズは理解できないと言っていた。


各自そんな様子で、考えがあるといったジャンからは何も話されないのもあり、彼女たちはエルムウッドでの平和な日々を過ごしていた。


「えーと、この辺でいいのかな……?」


ティアはエルムウッドの街中を歩いていた。


ジャンから別の宿屋に泊まっているゾルゴルドのために、食事を持っていってあげてほしいと頼まれたからだ。


どうしてわざわざ別の宿屋にゾルゴルドは泊まっているのか?


ティアにはその理由はわからなかったが、本人が望んだようで、ともかく彼女はその宿屋を探していた。


料理とワインの入ったバスケットを片手に、キョロキョロと周囲を見回している。


「川沿いにある宿屋だって言ってたけど……。それらしい看板なんて……あッ!」


しばらく歩き回ってからようやく――目的の宿屋を見つけたティアは、店へと入り、宿泊客であるゾルゴルドが泊まっていることを確認。


それから彼に渡したいものがあるので、部屋を教えてほしいとお願いした。


店主はどうでもよさそうに対応し、ゾルゴルドの部屋を教えるだけで後は好きにしてくれと言ったので、ティアは勝手にさせてもらうことにする。


清掃が行き届いているジャンの店とは違い、ゾルゴルドの泊っている宿屋はそれはもう酷いものだった。


物がそこら中に乱雑に置かれ、空になったワインのびんなどが床に転がっている。


この宿屋に入った瞬間からティアは思っていたが、客商売をする店としては、この宿は最低の部類に入る。


よくやっていけているものだが、料金もそれなりに安いのだろうと、勝手に納得していた。


「ティアです。お食事を持ってきましたよ。中にいますか? いるなら返事をしてください」


コンコンコンとノックをしてティアが声をかけると、ゾルゴルドがドアを開けて顔を出した。


彼は周囲を注意深く見渡すと、彼女を部屋の中に入れる。


ティアはゾルゴルドが泊っている部屋を見て、開いた口が塞がらなかった。


置いてあるベットは傾き、窓ガラスにはヒビが入っていて、おまけに天井にはクモの巣が張っている。


隙間から入ってくる風も冷たく、隣の部屋から他の客の声も聞こえ、よく壁を見れば小さな穴がいくつも空いていた。


「こ、これでお金を取るんですよね……?」


これは部屋というよりも物置小屋だと、ティアはあまりの朽ち果て具合に唖然としてしまう。


いくら安いとはいえ、これでは放っておかれた山小屋と変わらない。


「すみません、ティア王女。あなたにこんなことをさせてしまって。てっきりバンディーかジャンが来ると思っていたので」


「構いませんよ、ゾルゴルド。それに私はあなたたちとは、身分関係なく対等でいたいんです。だから料理くらいいつでも届けます」


ティアは持っていたバスケットをゾルゴルドに渡し、満面の笑みでそう言った。


戸惑いながらもバスケットを受け取ったゾルゴルドは、それをベットの上に置くと、閉めていた窓を開ける。


今日は晴天だったが、この宿屋の日当たりが悪いせいで、陽が差し込むことはなかった。


「あなたには他の王族にはない優しさがありますね。俺たちのような者に、そのようなことを言ってくれるのだから」


「うーん、返事に困ることを言いますね。だけど、私もあなたたちには救われていますから、あなたが言う優しさとは少し違う気がしますよ」


「ご謙遜を。俺はあなたこそこの国の王に相応しいと思います。他人の痛みを知るあなたなら、きっとジニアスクラフト王国を良くできる……」


ティアはまたも答えづらいことをと思いながら、苦笑いするしかなかった。


ゾルゴルドがそう言ってくれるのは嬉しかったが、彼女にその気はない。


おそらく王位を継ぐのは妹のウィネスだろう。


それか、より魔力が高い者――優秀な男を、ウィネスの相手として婿に迎えるかするはずだ。


自分の居場所は王宮にはない。


ティアは家族のことが頭をよぎった後、今はそれどころではないと、慌てて考えていたことを打ち消した。


義賊団を名乗る組織を捕らえ、スヴェインや仲間たちの無念を晴らす。


それ以外のことは考えなくていいと。


「変なことを言ってしまいましたね。料理を持ってきてくれてありがとうございました。ジャンやバンディーによろしくお伝えください」


ゾルゴルドに頭を下げられ、ティアは部屋を後にした。


その帰り道で、彼に言われたことを思い出す。


「私が王に相応しいか……。でも、もしそうなったら、確かに大きく変わりそう……って、何を考えてるんだ、私は!? 今は関係ないことは忘れなきゃ!」


考えたくないのに考えてしまっていたティア。


独り言を叫んだ彼女のことを、すれ違う人らは誰も気にしていなかった。


ただ覇気のない顔で歩いていくだけだ。


だが、そんな歩行者たちが通りすぎていく中で、ティアの跡をつけている者がいた。

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