09

――まだ朝日が昇り切っていない時間に、ライズはティアと共に王都を出た。


ティアは馬車にシンプルな幌馬車を選び、今回の国境への移動は御者ぎょしゃもつけることとなった。


御者の名はポムグラという女性で、年齢はライズやティアよりも一回り上の三十代を超えた人物だ。


「悪いですね、ポムグラさん。長旅にあなたを付き合わせてしまうことになって。しかも、こんな早くの出発になっちゃって」


ティアは最初、ライズと二人だけで国境まで行こうと考えていたのだが、馬車の手綱に慣れていない人間では途中で事故が起きるかもしれないということで、ポムグラを雇った。


ポムグラは元は高級娼婦だったらしいが、いろいろあって現在は、ジニアスクラフト王国でも名物の御者なのだそうだ。


その格好はまさに御者というべきオーバーコートを羽織り、それとは不釣り合いなフェイスベールをつけ、顔の下半分を覆い隠しているため、どこかミステリアスな雰囲気を醸し出している。


「なーに、ワタシは構わないよ。むしろ仕事がもらえてラッキーってなもん」


ポムグラは、そのオーバーコートから出る威圧感と、フェイスベールの妖艶さからは想像ができない気さくな性格だった。


彼女が平民出身というのもあっただろう。


態度や仕草にからはさすがは元高級娼婦といった品性を感じさせるものの、どこか自然と相手の懐に入ってくる感じが、ライズにはした。


「なに? お前ら知り合いなの?」


ライズが訊ねると、ティアは“お前”という言い方はポムグラに失礼だと、彼女をとがめた。


ポムグラはわざわざ危険な国境までの道を、自分たちを届けるためだけに引き受けてくれたのだと、ティアは、まるで子どもに注意する母のように小言を口にする。


「私には“お前”でいいけど、他の人には使っちゃダメなんだからね! それにポムグラさんは私たちより年上なのよ。目上の人はうやまわないといけないわ!」


「あぁ、わかったからそんな怒るなよぉ。アタシが悪かったって。えーと、ポムグラ……さん、すいませんでした……」


ライズの慣れない謝罪する姿を一瞥して、ポムグラは手綱を引きながら笑った。


そんな小さなことは気にしなくていいと、上品に笑いながら馬を走らせていく。


まだ陽が昇ってないこともあり、道行く途中で動物たちが眠っている姿が見えた。


こうやって改めて見るのは初めてだと、馬車内で雑談が交わされる。


それから会話は、先ほどライズが訊ねたティアとポムグラの関係になった。


なんでもポムグラが病で高級娼婦を続けられなくなったときに、彼女に御者をすすめたのはティアなんだそうだ。


「最初は何を言い出すんだと思ったけど、ティア王女にあなたならジニアスクラフト王国で一番になれるって言われてね。まあ、そのまま乗せられてなってしまったってわけ」


「だってポムグラさんは元々は地方出身で地理にも明るかったし、何よりも身分に関係なく話題も提供できるからいいかなって思ったの」


「おいおい、それだけじゃないでしょう? 王女が馬や荷馬車を用意してくれなかったら、さすがにやってないって。まあ、こんな顔になったら娼婦は無理だったし、今は感謝してるけどね」


ポムグラはそう言うと、フェイスベールを取って顔の下半分をライズに見せた。


そこには女性でもウットリしそうな整った鼻と目とは裏腹に、焼け爛れた口元があった。


今は病も癒え、誰かにうつすことはないが、一応は客商売ということで隠していると言う。


「別に隠すこともねぇだろ。馬を引くのに顔は関係ねぇんだからよ」


「ちょっとライズ!? あなた、さっきから口が悪いわよ!」


デリケートな部分を突いたライズに、ティアはまたも声を荒げた。


だが、言われた本人であるポムグラに気にしている様子はなく、ベールで顔を隠してからクスクスと笑う。


「そうかもしれないね。でも、結構気に入っているんだ、ワタシ。ティア王女がくれたベールを付けた今の自分と、このオーバーコート」


話しているうちに、ライズはポムグラのことを気に入っていった。


それは彼女の気さくな人柄もあったが、何よりもティアのことを軽んじていないからだった。


視察でジニアスクラフト国内を回っていたとき。


身分に関係なく、ティアの対する扱いがあまり良くなかったことを、ライズは忘れていなかった。


そのときはあまり気にしていなかったが。


城での王や王妃、さらには貴族や兵たちの態度を見て、今後ティアを軽んじる人間が現れたら、二度とそんなことができないようにしてやるつもりだったのだ。


もちろん手を出せばティアが喜ばないことを知っているので、目でこちらの不快感を訴え、機会があれば誰にも見つからないように脅す。


殺されたくなければティアをバカにするなと、ライズお得意の暴力的な方法でだ。


「ポムグラさんがいい人で良かったよ。これで今回の旅も楽しくなりそうだ」


ライズはそう言いながら、馬車内でゴロリと横になった。


彼女の言っている意味がよくわからなかったティアが小首を傾げていると、ポムグラは少し呆れたように笑っていた。

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