第二話「木に縁りて友を求む」


 立方体を正面から見た時、それを平面の正方形と認識して終わるのは少し残念なことのように思う。

 

 視線の入射角を少し横にずらせば側面が見えるわけだし、大きく回り込めば裏側にも面があることに気付くことができる。

 無論どこかの面が欠けている可能性もあれば、そもそも見ていたものが立方体ではなく四角錐だった、なんて可能性もある。


 我々は三次元で生きているわけだから、常にそういう考え方をするべきだ───なんて傲慢な主張をするつもりは毛頭ない。

 ただ、それに気付くことができないのは少し残念なように思ってしまうのだ。


 少し話が抽象的なので、もう少しわかりやすい例えを出してみることにする。

 ルービックキューブを正面から見た時に、その一面が綺麗な赤色に揃っていたとしよう。

 果たしてその面だけを見て、他の面まで綺麗に揃っていると言えるだろうか。

 恐らく、そう思ってしまう人は少なくないように思える。


 一面だけ揃えるのも難しい(人によるが)のに、それが二面、三面となると当然難易度は大きく跳ね上がる。

 一面が綺麗に揃っているだけでは、他の面がぐちゃぐちゃになっている可能性の方が高いまであるというのに、一つの視点に囚われてその点に気付くことができない、というのはなんだか勿体無いという話である。


 何が残念で何が勿体無いのかと問われれば、正直それを具体的に表現することはできない。


 多角的にものを見れないその思考を勿体無いと感じるのか。

 綺麗な面だけを見て、他の汚い部分を見ようとしないその都合の良さを残念だと思うのか。


 まぁなんにせよ、私が言いたいのは───




「好きで校庭の木陰で休んでるわけじゃないってこと」


「話が難しいよ」


「きつい内容の時だけ休めるのが羨ましいって言われるのが面白くないって話」


「まぁ持久走はねぇ、心臓ダイレクトだもんねぇ。……あ、でも」


「なにさ」


「その正面から見たルービックキューブの一面が白色だったらくはあるよね」


「……屁理屈はいらないの!」


「えー、決まったと思ったのにー」


 とある中学校、とある教室の中、2人の女子がそんな会話をしていた。


 その会話は誰の耳に入るわけでもなく、ただ教室のかしましい騒ぎ声に紛れて消えた。



       ******


 

 自己紹介が終わって、新入生のあゆみの読み合わせを終え、我々1年生一同は体育館へと向かうために廊下に名前の順で並ばされていた。

 ここで一つ驚いたのは、小さくではあるが既に話し声が聞こえつつあることである。

 朝早く登校した組同士で仲良くなったのか、或いはたった今仲良くなったのか。

 はたまた入学式の時に仲良くなったのか……いや、それについて考えるのはよそう。


 どんな理由であれ、既にグループ形成の兆しは生まれ始めているという事実は看過できない。

 

 新学期、更にそれが一年生ともあろうものなら、スタートダッシュでその後一年の人間関係が定まると言っても過言ではない。

 それに私には中学生の時、初めて話しかけられた相手と一番仲良くなったという実体験がある。

 その時は受け身の体制でありながら運良くぼっちを免れたものの、高校という舞台はそう甘くはあるまい。


 私自身、自己プロデュースが上手くないことは百も承知で、友人を作るとなれば人よりも努力しなければならない点は認めざるを得ない。

 得ないのだが、だからといって突然積極的になれるわけではないのだ。

 なれたら誰も彼も苦労しない、というものである。


 というわけで、まずは人間観察から。

 

(さて、手頃な相手は何処かな……?)



「あ、あの!」



 なんて考えた矢先、私の肩にちょんと手が触れる感触があった。

 振り向くとそこには、黒髪の少女が立っていた。

 ……まぁ、この学校に黒か白以外の髪色の人間なんていないだろうけど。

 そんなことはさておいて、その少女がどんな人物なのかについては一目見た瞬間におおよその予測がついた。


「あ、その、ひ、日向さんですか?」


「そうですけど……」


 そしてその声と仕草を見て、予測は確信に変わった。

 一言で言うならクラスに1人はいそうなおどおどしたタイプの子。

 何事においても消極的で、思考もネガティブ寄り。

 髪は常に一定の長さを保ち、自分と同じような仲間を見つけて、一緒に教室の端の方で静かに談笑しているタイプの子だ。

 

 しかしそんな子が私に何の用だろう。

 まさか同類でも見つけたとでも思われてしまったのだろうか。

 まぁ私もよく教室の端で寝てる人間だったから、側から見ればあまり変わらない人種ということだろうか……。


 なんて話は置いておき、とにかく話を聞いてみることにした。


「日向さん、どこら辺に並べばいいか分かってたりする?あ、ほら、わたしたち番号隣だから……」


 はて、番号が隣とは。


「……あ、そっか」


 そういえばこんな子が前の席にいた気がしないでもない。

 あの時はあまり良い気分ではなかったから、周囲に目がいっていなかったのだろう。

 

 しかし番号順なら大体どこに並べば良いのか見当はつきそうなものだが、まぁ間違えていいこともないし一緒に探すとしよう。


「じゃあ、並ぼっか」

 

 各所で小さく話し声が聞こえる人混みの間を縫うように歩き、列の後方へと足を進める。


「みんな場所わかってるのかな」


「ほら、日向さん入学式お休みだったから」


「あー、その時に」


 やけにスムーズに列が形成されていくと思ったが、入学式の日にみんなは一度、名前の順で並んでいたのだろう。

 その時に前の人間だけを覚えておけば良いだけの話なのだ。

 

「無理してでも行っとくべきだったかな」


 そう、何を隠そう私は入学式を休んだのである。

 シンプルに体調が悪く、ドクター……否、シスターストップがかかった。


『入学式なんて行ったところで何もないって。大丈夫!』


 ……とは姉の言葉である。

 当然何もないはずもなく、今みたいなちょっとしたトラブルや、既にいくつかのグループが形成されているなんてことも起きている。


 先程から入学式を休んだ弊害がちらほら散見される。

 出遅れたことは確かだが、まだだ、まだチャンスは───


「あ、日向さん、ここらへんじゃないかな?」


 私が1人で小さな闘志を燃やしていると、少女は私の袖をちょいちょいと摘んで、列の中に不自然に穴が空いている場所へと誘導してくれた。

 ……まぁ、私もまた少女ではあるのだが。


 と、ここまで来て漸く気付いたことがあった。


「あの」


「え、あっ、ど、どうしたの?」


 なぜそんなに焦る。

 別に変な質問をしようとしているわけではないのだ、私は素直に聞いてみた。


「えっと、名前聞いてもいいかな?」




        ******




(お、覚えられてなかった……)


 というのが、わたしのその時の心境であった。


 高校生活初日、失敗しないようにクラスメイトの名前をたくさん覚えようと努力した。

 入学式はちょっとうまく行かなかったけど、今日はメモとペンを常備して、「昨日の自分とは違んだ」という気持ちで今朝はいっぱいだった気がする。

 ……とはいえ、暗記パンでもない限りはクラスメイトの名前を全部メモしたところですぐに覚えられるわけではないから、せめて近くの席の人の名前だけでも覚えておこうと思い、心の中で何度も復唱した。

 日向綴ちゃんもそのうちの1人。


 彼女の印象はひときわ強かった。

 一番初めに自己紹介をしたこともあるし、その内容も内容だったけど、それ以上に興味を惹くものがあった。


 彼女が席に着こうとして横を通り過ぎた時、その顔を見た。

 一言では表現できないその表情に、視線が自然に吸い寄せられた。

 通り過ぎる一瞬の間ではあったけれど、その瞬間は目の奥にしっかりと焼きついていた。

 に詰まっているものを読み取ろうとして、結局よくわからなくて、でも一つだけ感じ取れたことがあった。


(少し、寂しそう)


 同情という感覚は全くなくて、気付けば最初の友達候補として心の中で挙げられていた。

 わたし自身引っ込み思案だという自覚は昔からあって、クラスメイトに自分から話しかけるなんてちょっと前のわたしでは考えられなかった。

 親友とも呼べる相手もいなくて、気付けば高校生。

 そんな現状をどうにかするべく、高校では自ら声をかけようと決心した。

 だから、勇気を出して、親切な人間のフリをして、漸く話し掛けるに至った。

 そこで漸く向こうから掛けられた言葉が「名前なんだっけ」。


 そんなのは、そんなのって……。



(……あれ、別に普通、か───)



 気付いてしまったら、熱が抜けるのは早かった。


 張り切っていたのは自分だけ。

 熱意は一方通行で、相手が自分に興味ないことなど当たり前のこと。

 だから「話しかける」という行為は難しいのだと、再認識させられたようであった。

 そんな当たり前のことが頭の中でぐるぐる回って、途端自分のことが恥ずかしくなった。


(でも──)


 寧ろラッキーだったのかも知れない。

 わたしのことを覚えてないといことは、も記憶にない、ということでもある。

 半分ほっとして、半分残念なこの複雑な感情を押し殺して、2度目の自己紹介をした。


野呂のろ華恋かれんっていいます。えっと、よろしく……?」


「あ、かん……野呂さんね、こちらこそよろしくおねがいします」


「あっ」


(今絶対に「噛んだ」って言おうとしたよねこの人……)


 40分前くらい、自己紹介の時のこと。

 昔から緊張には弱かったのもあって、「野呂華恋」を「ろろかれん」と言ってしまった。

 なんとかカバーしなきゃ、と慌てふためいて、結局自分でも何を言ったのか覚えてない。


(わたしが忘れてるんじゃ、なぁ)


 そんな自己紹介から今この廊下に並ぶまでの短時間で存在を忘れられ、さらに自己紹介で盛大に噛んだことは思い出される始末。

 何一つ上手くいかず、心に影が生まれたのがしっかりと感じられた。


(はぁ、ダメだなぁわたし……)


 きっと彼女に良いイメージは持たれていないだろう。

 クラスに1人はいそうな、何事においても消極的で、思考もネガティブ寄りなヤツ。

 髪の長さはちょっと深めで、自分と同じような仲間を見つけて、一緒に教室の端の方で静かに談笑しているタイプのヤツ、みたいに思われているに違いない。


 まるで、中学のときの──


(……いや、そうじゃないでしょ)


 こういうところが良くないっていう自覚はある。

 あるのならば変えるまで。

 何よりわたしを邪険にしなかった彼女に失礼だから。


 だからここで挫けずに頑張ろうと、心の中で「よし」と改めて気合を入れたのだった。




        ******




 名前を聞いてからというものの、野呂華恋という少女はダンマリだった。

 既に列は出来上がっているのだが、1・2・3組が出発しない限りは4組も出発することはできない。

 なので誰かと話しながら暇を潰したいと思っていたのだが、どうやら彼女も緊張しているようで、気軽に話しかけられるような状態でないことが見て取れた。


 そういえば、彼女の性格や態度からみるに、積極的に人に話しかけるタイプではないはずだ。

 それなのに、入学式を休んだ私のためにどこに並べば良いのか、態々話しかけて教えてくれたのだ。

 何となく並ぶ場所が近いから話しかけてみた、なんてことはないだろう。

 肩を叩くだけでも、多大な勇気を要したはずである。

 あれ、なんだかそう考えると───



(めちゃくちゃええ子や……)



 私は眉間を指で押さえながらそう思った。


 令和という時代においてこんな子に出会うことができるとは、まさに千載一遇といったような感覚である。

 昨日テレビでどっかの国の若者達が差別反対運動に便乗して集団で暴れ回っている、というニュースを見たからだろうか、余計にそう思ってしまう部分があった。


 しかもよく見れば、否、よく見なくとも可愛らしい顔をしている。

 それを小柄な体躯と控えめな身長がさらに際立たせており、一部の人間にはドストライクなのではないか、なんて思わせるものがあった。

 

(まぁ、人は見た目じゃないけどさ)


 彼女の見た目がどんなものであれ、私なんかに話しかけてくれたこと自体に変わりはない。

 それだけですごく嬉しい。

 思わず笑みが少しこぼれそうになる。


 私は単純な生き物だから、相手が自分に対して好意的ならば、自分も相手に対して好意的な印象を抱く。

 その逆もまた然り、つまり鏡のようなわかりやすい人間であるというわけだ。

 というわけで、こんないい子の友人というポジションを確立すべく、私はしっかりと先手を打っておくことにしたのだった。


「ねぇ、集会終わった後のお昼の時間なんだけど」


「えっ?あ、うん」


「お昼、一緒に食べようよ」


「……あ、えっと」


 しまった、いきなり誘うのは不味かっただろうか。

 あと親密度を2、3あげないと解放されないイベントだったか?


「わ、わたしでいいの……?」


 ……なんてことはなく、どうやら要らぬ心配をしているらしい。

 私は内心ほっとしつつ、これ以上不安にさせないようになるべくしっかりと答えた。


「そりゃあ、もちろん」


「そ、そっか。うん、一緒に食べようね」


 彼女の表情が、ぱっと明るくなった。

 まるで陽の光を浴びた向日葵のようで、私の中の黒い部分が浄化されていくような感覚を覚えた。

 

 あくまで主観的なものになるのだが、私自身「人の運」というものはかなり良いように思える。

 分母は少ないものの、その割合は大きい。

 狭く、深くという関係の相手が多いのだ。

 彼らは私の審美眼で選んだとかそういう感じのものではなく、いつの間にか自然と仲良くなっていた、そんな人たちである。

 

 彼女もそんな内の一人になるのだろうか。

 そんなことを考えながら、私は横目で嬉しそうに微笑んでいる少女を眺めていたのだった。



        ─・・・・─



 やはり学校の集会というものはつまらない。

 見ているだけ聞いているだけで、能動的に何かを行うことがまるでない。

 まるでゲームの周回のようだ……なんてくだらないことを思いつくくらいには、暇だ。

 自らに「主体性がある方だ」と言いたいわけではないが、「ただ座って人な話を聞く」というのは流石に面白くない。

 問題を解いたり指名されるかもしれないという若干の緊張感がある分、授業の方がまだマシである。


「高校生になったからには、是非皆さんには積極性、主体性というものを育てて欲しいのです」

 

 なんて言葉を受動性MAXの状態で聞かされるのだ、育つものも育つまいよ。

 ……なんて屁理屈をこねていた辺りで、教師の声が段々と遠くなってきた。

 声だけでなく、景色や意識、その他諸々が遠くなって────




 不意に、肩を軽く叩かれる感触がした。


「…………うぇ」


「きりーつだってよ」


「ギリースーツ……?」


 朧げな記憶が正しければ、確かそんな単語を返したような気がする。

 何を言ってるんだコイツは、と思われたかもしれないが、それはこちらの台詞でもある。


「……?起立だって。いいから立てや」


 シャツの肩の部分を軽く上に引っ張られ、そこで漸く意味を理解した私は慌てて立ち上がった。

 4組の23番なだけあって周りには人の壁があり、教師に見つかることはなかったようで、私はすぐさま何食わぬ顔を作って欠伸を噛み殺した。


 ありがとう、後ろのA君。

 顔は全く見れなかったし、当然の如く名前なんかわからないけれど、その功績に免じて私の睡眠を邪魔した罪に関しては水に流そうではないか。

 

(しかしどこかで聞いたような声……)


 遠い昔……いや違う、つい最近のことだ。

 最近というか、今朝のことというか───





「あっ、オセロ!」

 

「……え?」


 集会が終わって体育館から教室へ戻っている最中、私は天啓を受けたかのように思い出した。

 ちなみに、戻る途中ずっと野呂さんの両肩に両手を乗っけていた。

 何故だかそうしたくなる愛らしさが彼女にはあった。

 嫌がるものなら即やめようと思っていたが、彼女が「わ、どうしたの?ふふふ」なんて反応をするものだから、結局教室まで乗せっぱなしであった。

 この子は私が護らなければならない、そんな庇護欲を感じざるを得ない、ある意味で末恐ろしい子である。


「オセロがどうかしたの?」


「あっ、そうなの」


 私はやや名残惜しい感情と共に野呂さんの両肩から手を離し、くるりと後ろを向いた。


「さっきはどうも」


「おっ、おう」


 何故かその声の主が誰かを思い出すまでお礼を言っていなかったので早速言うことにしたのだが、なんだか少し驚かれてしまったか。

 フィクションの小説や少女漫画ならここから二転三転するのだろうが、残念ながらこれはただのモノローグに近しい実体験の書き起こしである。


「えっと、それだけ」


「おっ、おう……」


 当然何か起こるわけもなく、結局それがオセロとの最後の会話であった。



 ……あくまで本日の話なので、彼がこの後凄惨な事件に巻き込まれるなどの展開は起こらないので安心してほしい。


 

 集会が終われば待っているのはランチタイムだ。

 本校は給食制度はなく、昼食は各自持参となっている。

 母が「毎日弁当作ったげる」なんて言うものだから、流石に遠慮して月・水・金だけ作ってもらうことにした。

 ただでさえ仕事で朝が早いというのに、そこまでしてもらうのは気が引けるというものである。

 ……という理由もあるのだが、折角購買や食堂があるのだ、素直に利用してみたいというのが残りの理由であった。

 今日は月曜日であるが、万が一「友達と購買に一緒に買いに行く」というレアイベントが発生した時のために、お弁当は遠慮しておいた。

 

「というわけで、何か買ってこようと思うんだけど」


「あ、わたしお弁当持ってきちゃった……」


 と、申し訳なさそうにしている野呂さん。

 お弁当を持ってきて悪いことなど何一つないのだが、なんだかこちらまで申し訳なくなってきてしまう。

 

 そこで流石の私、咄嗟に妙案を思いついた。


「菓子パン、半分なら食べられそう?」


「え……?」


「何か一つ、一緒に買おうよ」


 私は財布から取り出した500円玉を指で弾いて、華麗にキャッチした。

 ちょっとドキドキしたのは内緒である。


「えっと、いいの?」


「そりゃ、もちろん」


 彼女の顔が明るくなると、周囲の空気が暖かくなるようなそんな感覚を得る。

 まるで太陽のようだと思ったが、常に曇りがちであるのでやっぱりそれは言い過ぎか、とも思った。



        ─・・・・─



『…………………』


 教室へ向かう階段を、私たちは重苦しい雰囲気を放ちながらトボトボと上っていた。

 上級生もいないというのに、まさかあそこまでの人だかりができるとは、想定外であった。

 結局買えたのは小さなうぐいすパン一つ。

 それすらもあの人の群れに襲われて残った唯一の売れ残りであり、人間の空腹を根源とする行動力に若干の戦慄を覚えた。


 だったら食堂に行けばいいじゃないか、と言いたげなそこのキミ。

 残念ながら本日の食堂は休みなのだ、やっているのなら当然行っている。


「ごめんね……不毛な争いに巻き込んじゃって」


「え、あっ、大丈夫だよ!えっとね、この時間は購買に近付いちゃダメって、初日で分かったんだから、いい経験になった……かな」


 私を慰めようとしてくれているのだろう、本当に優しい子である。

 しかし結局私の昼食が小さなこのうぐいすパン一個という事実は確定しており、きっと彼女には私の背中にどんよりとした紫色のエフェクトが見えていたことだろう。


「はぁ、相変わらず長い……」


 3階までくると、段の一つ一つがどんどん高くなっていくように感じる。

 態々一階まで降りてきたというのに、収穫が対価に見合っていないではないか。

 

「こんないたいけな少女2人じゃ、男子達には勝てないのかな……」


 と、大分気落ちしていたところに優しい声が掛けられた。


「あのね、えっと……よかったらわたしのお弁当、半分食べていいよ?」


「えっ、いやっいいよそんな!」


「えっと、あっと、ちょっと作りすぎちゃって……!」


 そんな突然隣に越してきた可愛い女の子みたいな台詞を聞いて、申し訳なさと共に感謝と敬愛の意が湧いてきた。

 今日会ったばかりの人間に、何故そこまでしてくれるのだろう。

 反応を見る限り、本当に作りすぎてしまったわけでもあるまいに。

 いや、「こう見えて実は大食漢でした」なんてオチもあり得るのか?


 ひとまずその場では丁重にお断りして、後で重箱でも出てきたらお言葉に甘えて少しだけいただこう、そう思ったのだった。




        ─・・・・─




 教室に戻ると、私の席が何者かに占拠されていた。


「あ、悪い。席使う?」


 後ろの席のヤツと話していたのだろう、一人の男子が私の椅子に前後逆になって座っていた。

 髪は短く、ワイシャツの裾はだらしなく出ており、正に「チャラい」を体現したようなヤツである。

 当然ながら名前なんか分からないし、なんなら顔すら見た覚えがなかった。


 そういえば後ろの席といえば、オセロか。

 彼はコンビニで買ってきたであろうサンドイッチを齧りながらこちらを一瞥してきた。

 あのよく映える緑の鞄を背負っていなければ、なんだかひどく凡庸な人間のように思えてしまうのだった。

 彼は悪くないのだが、仕方あるまい。

 

 さて、これらは「そういえば思い返してみればそんな感じだったな」というただの所感を後から書き記したものであり、その時実際に返事もせずにこんなことを考えながら突っ立っていたわけではない。

 今後もこういった「走馬灯かよ」と茶々を入れたくなる文章が出てくる事もあるかと思うが、そこは小説風の文章ということで目を瞑っていただけると幸いである。


 席を使うのかと聞かれて、現実では2秒も経たない間に私は返事をしようとした。

 使うとも、そりゃあ使うともさ。

 だってお前がオセロの左隣の空いてる席に移動すれば済む話だから。  

 イラストで描くならこんな感じ↓である。

  □       ■  

  ■ ■ □ → ■ □ □    

 分かりにくいと言われようと、どうせ誰に読まれる予定でもないのだ、私の知ったことではない。

 というわけでその旨を伝えるべく私は口を開いたのだが。


「席、そっちに移動してほ───」


「そ、そのままで!だい、じょうぶです……!!」


「しい……んだけど?」


「なに?使っていいの?」


「は、はい!」


 なんと、私の代わりに野呂さんが返事してくれた。

 一体どこまで優しい子なのだろう。


 まぁ、私の席の話なのだけれど。


 


        ******




「うぅ……ごめんね……」


「いや、別にいいんだけどさ」


 

 教室の中、左前方、前から2番目の席。

 陽の光がカーテンの隙間から漏れて、私の机の端っこをキラキラと照らしていた。

 心穏やかに過ごせそうな場所ではあるが、目の前には女子が二人。

 どちらも自己紹介でインパクトを残した奴らである。



「わたし、ああいう人怖くて、つい……」


「まぁ確かに見た目はアレだけど、話してみると意外と話通じるかもよ?」



 一人でご飯を食べていると、周囲の音がよく聞こえてくる気がした。

 中学の頃は常に人に囲まれてたから、学校でこんなに落ち着けていることが少し不思議だった。


「てか、ここ座っていいのかな?」


「えっと、多分大丈夫。ここの席の2人はあっちでご飯食べてるから」


「覚えてるの?すごいね、わたし野呂さんとオセロ以外だれかわかんないや」


「オセロ……?」


 ───なんて思っていたのに、近くに人が来てしまった。

 嫌でも会話が脳に流れ込んできて、若干の不快感を感じる。

 まぁ、アイツらほどではないけれど。


 というか、私はなぜ今一人なのだろうか。

 不思議だ。

 理由が分からなかった。

 

 それは決して自分が驕っているとか、そういう類のものではない。

 ただ単純に不思議に、そう思ってしまった。

 中学では常に周りに人がいて、常に話題の中心に私という存在が在った。

 そうなりたくてなったわけではないのだが、別に気分の悪くなるようなものでもなかったし、断るような理由も当時はなかった。

 まぁそんな適当な考えをしていたからこそ今このような状況にあるのだろうが、それにしても少々予想外であった。

 

「あ、わたしのお弁当、好きに食べてね」


「いやいや、本当に大丈夫!次の時間終わったら下校だし……」


「あっ、今お腹鳴らなかった……?」


「えっと、今のはあれだよ、振動して音を鳴らすやつだよ……」


 カブトムシかよ。

 もっと他に言い訳あったろ……。


 どうやら窓側に座っている方がお昼を忘れたらしい。

 盛大に噛んだ方ではなく、病気の方。

 なんて言ったっけ……。


 ふと手元を見た。

 今朝買ってきた高菜のおにぎり、食べかけが一つ。

 そして、手を着けていないたまごサンドが一つ、机の上にあった。

 お腹は減っていない。

 今食べているおにぎりを完食すれば、夜までは余裕で持つ。



(…………いや、なんで私が)



 なんで私が。


 私が、なんなのだろう。


 その続きが、出てこない。


 思えば、学校初日で自分から知らない人に話しかけたことなどなかった。

 友達なんて、作りたいやつが適当に誰かに話しかけてできるものだと思っていた。

 話しかける側がいて、られる側がいる。

 それが5:5くらいの均衡を保っていて、それで世界はうまく回っているのだろう、そう思っていたのだが。


「そ、そうだよね!ごめん、自分以外の人が作ったお弁当、食べたくないよね……」


「そそそんなことないよ!!あっ、あ〜……なんか、すっ、凄く卵焼きが食べたくなってきたかも……」


「ほ、ほんと?あのこれ、甘いやつ焼いてみたんだけどね───」


 付き合いたてのカップルだろうか。

 まるで台本があるのかと疑ってしまいたくなるような、そんな陳腐な茶番劇を見せられているようで思わず笑ってしまいそうだった。


 この二人はどのようにして仲良くなったのだろうか。

 どちらかがもう一方に話しかけたのだろうか。

 話し掛けるに至った経緯は、どういうものなのだろう。


(友達の作り方、か)


 今までの私の友達の作り方は、たぶん間違いだったのだ。

 そもそもあのやり方でははできなかったのかもしれない。

 

 もっと昔にそれに気付けていたのなら──



「あの…………」


「へっ?」



 目があって、間抜けな声が出た。



「えっと、うるさくしちゃってごめんなさい」


 心臓のヤツが、申し訳なさそうにこちらを見ていた。


「いや別に、そんなこと」


「そ、そうですか。ずっとこっち見てたので、うるさかったかなって」


 ……しまった。

 らしくないことを考えていたからか、現実世界に意識が向いていなかった。


「えっと……」


 どうしよう。

 こういう時にどうすればいいのか、すぐに答えが出せない自分が嫌いだ。

 

 目線を落とした時に、たまごサンドが目に入った。

 私は半分無意識でそれを手に取ると、いつの間にかそれを彼女に差し出していた。



「えっ、これ……」



 やってしまった。

 胸の辺りが熱くなる。

 全身から冷や汗がヌルッと湧いてきて、緊張に感情が支配される。


 こんなところ、アイツらが見たら笑うだろうか。

 それとも、冷ややかな目で見てくるのだろうか。

 一々アイツらのことを考えてしまうのは、まだこの心が彼らに縛られているからなのだろうか。


「あの……?」


「あっ、あげる。お腹いっぱいだから」


「いや、そんな……!」


「それじゃ」


 碌な言葉も出てこず、私はそそくさと

その場を後にした。

 




「……はぁ」


 

 いつからこんなに弱気になったのだろう。

 中学の頃はもっと自分を肯定できていたはずなのに。


(……いや、元からか)


 弱気だったのは、昔から。

 あの頃の自己肯定は紛い物。

 いや、借り物と言った方が適切か。


 態々離れた高校に通うことにしたというのに、このままではあの頃と何も変わらない。

 変わらなければ。


 あの日無くした、沢山のもの。

 その代わりになるものを、一つでも取り戻せるように。



        ******



「おいしーこれ」


「ふふ、よかったね」


 託されたたまごサンドをいただきながら、野呂さんと先程の少女、榎本えのもと夏希なつきについて話していた。

 当然名前は野呂さんから聞いた。


 ぱっと見でも分かる端正な顔立ちで、長い髪と身長が印象的であった。

 おまけに萌え袖というチャーミングポイント付きで、大人の女性らしさを醸し出しつつも可愛らしさは忘れていない、そんな雰囲気が見て取れた。

 

 まぁ、大人の女性らしい落ち着きは見られなかったけれど。


「なんか様子が変だったけど、大丈夫かな?」


「うーん、あれは恐らく……」


 あの表情、あの緊張感。

 教室を出て向かった方向。

 そして最後の一言。


「あれは長期戦になるだろうね……」


「…………?」


 兵糧を託して出陣した戦友の無事を祈りながら、私はありがたくたまごサンドを食べ切ったのだった。


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