死んだら花になる
モノクロ猫
【死んだら花になる】
「猫って死ぬときに姿を消すんだって」
最近猫が行方不明になった。そのことを彼女に言ったら、冗談でも済まないことが返ってきた。
「見つかるといいね」
病室の寝台で彼女はくつろぎながらそう言った。心配を増させるだけの言葉に腹立たしさを覚える。
仕返しとばかりにお見舞いで買ってきたラムネのお菓子を適当に投げ渡した。
「雑だなぁ」
彼女は少し頬を膨らませて文句を言う。
「さっきから君はどういうつもりで話してるの?」
僕は彼女の態度に、我慢の限界を迎えそうになっていた。
それは彼女にも伝わったみたいで、小さく「ごめん」と呟いたのが聞こえた。
僕はそれにどうとも答えないで、取り敢えず彼女の暇潰しの為に持ってきた本を彼女の前に置いた。
「悪気はなかった。ごめんね」
再度彼女は謝った。
その言葉も無視して僕は病室を後にした。
彼女の手術の前日の夕方のことだった。
「手術うまくいくといいね」
彼女に、彼女の妹は嫌味を込めてそう言った。手術の成功率は半分もない。
昼間にその光景を目撃したばかりだった。
彼女が計り知れない不安を抱えていることは想像に難くない。だから彼女が僕を不安のはけ口にしたとしても本当は良かった。
それなのにあんな風に突き放してしまったのは、居なくなった猫への彼女のあまりに他人事な言葉に憤りを覚えてしまったから。
あの猫をここまで生かしたのは彼女だ。
2年前に今にも飢えて死にかけていたその捨て猫を、毎日看病して走り回れる程元気にしたのは他でもない彼女自身である。
家庭環境から僕の家で飼うように頼んだのも、餌やケージの準備をするときに率先して集めたのも彼女だ。
だから彼女があんなに簡単に「死」を発言したことも、他人事みたいな言葉で終わらせたことも、我慢できなかった。
彼女が不安で押し潰されそうなのに僕は自分勝手だ。今からでも戻って少しでも彼女の不安を引き受けるべきだった。
しかしそう思う頃にはもう遅かった。
時計の針は6時を過ぎて、空は赤く燃えていた。
半年前に一緒に帰った帰り道も、今では一人ぼっち。木々は夕日のせいで真っ黒になって影のアーチを作っていた。
今更病室に向かうこともできない。
「もしかしたら」なんて考えたくもない思考が頭に纏わりついた。
「もしかしたらこれが彼女との最後になるかもしれない。」
こんな最後になる可能性はとても高かった。
僕はただ祈ることしかできなかった。
翌日の病室は秋の柔らかい日差しが満ちていた。
『残念ですが、手術はうまくいきませんでした』
「でも命があっただけ良かったなぁ。私はまだ死にたくもないしね」
病室の彼女は一つ欠伸をして、なんてこともなさそうに本を読んでいた。
「昨日はごめん」
僕は昨日の事を謝った。目を伏せた僕に彼女の表情は見えない。
「別にいいよ。……ただあれで最後になってたらきっと、私は化けて君を背後から……」
彼女の開けた間に何かを感じた僕は顔を上げた。彼女はニコっと笑った。
僕は何も言えずにただ彼女のことを見ていた。
「まぁ、今は笑ってよ」
彼女はその点滴が繋がれた身体からは想像できない程明るく笑った。
「そうするよ」
彼女の言う通りにぎこちないけど笑った。
「ふふっ。変な顔」
思いの外、僕の顔は可笑しいことになっているらしい。それはきっと、さっきまで流してた涙のせいかもしれない。なんてことは彼女に言わなかった。
帰り際彼女と僕は笑って別れることができた。今日も夕空は綺麗に燃えていた。
「猫、死んでた」
夕日が照らした病室は静かだった。
冬の寒さが訪れたのは彼女の手術から一週間が経ってからだった。
その日の朝、病室へ向かうその道の端の端。普段は見向きもしない茂みの奥に見慣れた黒があった。
その体温の冷たさからは想像できない程、安らかな顔をして死んでいたのは猫だった。
その後家に連れ帰って、よく寝てたお気に入りの布団と手向けの花に包まれて小さな箱に入れられた。
その日のうちに動物の火葬屋へと連絡を入れたり、腐らないように保冷剤で冷やしたり、ケージを片したりといったちゃんとしたお別れをしていると夕方が近づいていた。
「なんか、悲しいな……」
彼女はそう溢した。
夕方頃に彼女に面会した僕はただ機械的にそれを伝えた。
彼女も僕も不思議と涙は出なかった。それがなぜだか判らなかった。
悲しみも虚しさもそこに確かにあるのに。
愛猫の死をあっさり受け入れていた。
「結局本当だったんだね。猫が死ぬとき姿を消すって」
彼女は独り言のように呟いた。
「なんでだろうね。最後くらい看取らせてほしいのに」
「その瞬間を誰にも見られたくないんだよ。猫は意外とプライドが高いのよ」
「だとしてもそれは飼い主からするとすごく寂しい……」
「そうだね」
相槌を打ちながら彼女は苦しい顔をした。
「私も最後に一度くらいあの子のことを見たかったな……」
彼女の願いは切実だった。
「火葬までに退院できるかな?」
火葬までの期間は残り3日だった。
「きっと大丈夫だよ」
現実的に無理だった。気休め程度の嘘だった。
「私ね、また手術があるの」
明日の昼から長丁場になるって。前回の所の手術なんだって。前回駄目だったのは想定以上に危険な状態だったからなんだって。
前回以上に厳しいって。
彼女が告げた事実は酷く残酷な現実だった。それを告げた彼女自身の表情はその現実が嘘なんじゃないかと思うほどに平静を保っていた。
「怖くはないよ。死ぬ確率は半分ないから」
僕は何も言えなくなっていた。
「そっか……」
やっと出た声もその程度の言葉だった。
「人は死んだら花になるんだって」
綺麗な蓮だったかな? なんか綺麗な花。桜とか蓮とか彼岸花とか。どれか忘れたけど綺麗なんだって。
「私も猫と同じでプライドが高いからね。死ぬ時は綺麗でありたいな」
僕はお見舞いの品のラムネを雑に彼女に投げ渡した。なんの冗談にも、洒落にもなっていなかったから。
「ごめんね。洒落にならないよね」
彼女はその顔に笑みを浮かべていた。その笑みが何によるものか僕は分からなかった。だから怖かった。
「わかってるなら、そんなこと言わないで生きてよ」
癇癪じみた僕の願いにも彼女は笑って対応した。
「大丈夫。毛頭そのつもりはないから。それに私は消えたりもしないし、安心して良いよ」
気づけば涙が頬を伝ってた。
「ほら、笑って」
彼女に言われた通り、頬を引っ張って無理やり笑ってみる。
「やっぱり変な顔。でも良いね。ふふっ」
少し良くないことを考えすぎてた。そう思った。彼女はこんなに元気そうで、大して病気のことを気にしている様子ではなさそうだった。
「そうだ。手術終わりに生前のあの子の写真を持ってきて。送ってあげられないからさ」
「わかった持ってくる。だから無事に終わらせてきて」
彼女は微笑んで言った。
「じゃあ、頑張るね」
「じゃあ、また」
「またね」
夕焼けは西の空に沈んだ。
翌日の病室に彼女はいなかった。まだ手術を受けているようだった。どんな約束をしたところで、彼女自身にどんなに強い意志があったところで、結局、医師次第で僕らは待つことしかできない。
そして夕方が過ぎて、面会時間を過ぎてもその日の内に手術は終わらなかった。
持ってきた写真を置いてその日は帰った。
『手術は駄目でした。しかし奇跡的に彼女は一命を取り留めました』
彼女はまだ深い眠りについていた。
80%の手術失敗に伴う死亡率だった。薬物投与の副作用はとても強く笑っているのも厳しいほどのものだった。
『私も猫と同じでプライドが高いからね。死ぬ時は綺麗でありたいな』
彼女は変なところで張り合ってた。誰にも気づかれないように強がってた。病気相手に負けないような強がり。
『人は死んだら花になるんだって』
これは唯一の弱音で、唯一のサインだった。
夕方、彼女は意識を取り戻した。
「色々とありがとう! また明日!」
時間もギリギリだったから彼女の言葉にただ従って言葉を返した。
「また明日」
翌日彼女は花になった。
病室に入って彼女のスペースに着くとそこはピンクや赤の薔薇の花びらによって埋め尽くされていた。看護師さんたちはその片付けに追われている。
病室の窓が全開になっている。地面まで盛大に赤い薔薇が散っていた。
彼女との別れはいつも赤だった。
ふと花びらの下に隠れる白い物を見つけた。
そこには猫の写真が埋まってた。手に取ると裏には彼女の字で言葉が記されていた。
『ありがとう。愛してる。さようなら。』
二日後に山奥にて花に包まれ安らかに眠る彼女が見つかった。その顔があまりに安らか過ぎて未だに彼女が死んだことが受け入れられなかった。
今度もまた不思議と涙は出なかった。あんなに彼女が死ぬことを恐れて涙していたのに。猫が死んだときも出なかった涙の理由。なぜだか今はわかる気がした。
きっとあまりに突然過ぎてそんな実感がなかったからなんだ。今だって、世界中を探せば猫も彼女も見つかる。そんな予感がどこかでしている。そんな筈はないのに。
『人は死んだら花になる』
花に包まれて眠る彼女を見て、その言葉を思い出していた。
死んだら花になる モノクロ猫 @MonoKuroneko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます