5-6 面接試験の朝

 今日僕は、風間印刷の入社試験のために朝七時に起きた。


「あら。今日は早いのね」

 キッチンには母と父が居て、朝食を食べていた。

「今日、入社試験の日なんだ」

「そうか。前に言っていた印刷会社か?」父の宮島学が訊いた。

「営業職に就きたいんだ」

「試験は何時から?」

 母が話に加わった。

「九時半まで集合で、十時から開始なんだ」


 今日は火曜日で、いつもなら八時位に起きるのが常だった。あくびをしながら、僕は冷蔵庫の中から麦茶を取り出した。

「麦茶、もらうね」

「カナタ、今回の就職は正社員か。バイトみたいな仕事じゃないだろうね」

 父さんが、念を押すように尋ねた。


「一応、正社員だよ」

「かならず、正社員にしなさい。安定しているし、年金や社会保険にも入れるからね」母が付け加えた。

「大丈夫だよ。きちんとした会社だから、企業年金なんかも有るっていうし」

「なら安心だな」父が頷いた。


「いただきます」

 テレビを見ながら、僕は朝食を食べることにした。

 涙が止まらなかった。味が良く分からなかった。野菜サラダが塩からかった。ご飯が柔らかすぎた。


「ごちそうさま」

 僕はそう言って、キッチンを出た。



 階段のところで、香子姉さんとすれ違った。

「おはよ、カナタ。今日は早いのね」

「今日、就職試験なんだよ」

 僕の答えに、香子姉さんは僕を励ましてくれた。

「いつもの調子なら、絶対大丈夫だよ。気楽にね」

「ありがとう。でもさ……」

「でも?」香子姉さんが問いを返してきた。

「何故、働かなくちゃならないのか、僕には良く分からないんだ」

「……それは、お金のためでしょ。生活していくには、お金が必要だもの」

「お金の為に、仕事をしなくちゃならないの?」


「好きなコトを、仕事にすればいいのよ」

 香子姉さんは、ゆっくりと、だが力強く教えてくれた。

「『好きこそ、物の上手なれ』って、いうでしょ」


「僕、本当は写真の仕事がしたいんだ。でも、どうしたら良いか……」

 僕は思い切って告白してみた。香子姉さんは、静かに穏やかに答えを返した。


「なら、写真館の人に聞いてみたらどうかしら。結婚式の写真撮影の仕事とか、有るかも知れないんじゃない?」

「ブライダル・フォトグラファーか……」

僕は、独りつぶやいた。


「僕、印刷会社の営業の面接、行くのやめようと思う」

「……そう思うなら、そうしたら良いわ。姉さんはいつもカナタの味方よ」

「ありがとう」


 僕は胸のつかえが取れたようだった。俄然がぜん気力がみなぎってきた。

「僕、出来るだけのコトをしてみようと思う」



 僕は、いつもは土日だけバイトのために写真館を訪れていた。それは、写真をプリントするためだった。僕は「写真を撮影したい」のだ。プリントするために生きているんじゃない。


 今日は、オープン時間である、朝九時に写真館を訪れることにした。


 写真で生きてゆく。

 そのためには、どうしたら良いのだろうか。


 『全力で毎日を生きる』。

 いまの僕には、それしかなかった。


 僕がしたいのは印刷屋の営業じゃない。

 写真を撮ることがしたいのだ。

 見積づくりでもディレクションでもなく、何かを生み出したいのだ。


 この手でつかめる何かを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る