5-7 撮影の仕事

 その日、僕は印刷所に入社試験辞退の連絡を入れ、自転車で山田写真館へ向かった。日ざしは既に真夏のものだった。まだ朝の時間帯であっても暑く、頬に汗の滴が流れた。


 僕は自転車のペダルを目一杯こいだ。力がどこからか湧いてきた。



−−お腹いっぱい食べてね。今日は勝負の日でしょ。


 母の今朝の言葉が浮かんだ。


−−男は二本の腕で生きていくんだ。手に職を付けなさい。


 父のいつかの言葉が浮かんだ。


−−人生、好きこそものの上手なれ、よ。


 姉のいつもの言葉が浮かんだ。



 人生はどこで何が起こるか分からない。今日の僕は、人生の岐路にいた。




「いらっしゃいませ。あら、カナタ君どうしたの?」

 いつも、レジで接客をしている絹子さんが声をかけてくれた。


「今日は、ちょっと相談があって……。真琴社長はいらっしゃいますか?」

「ええ、奥に居ると思うけど、どうかしたの?」

「僕、プリントだけじゃなく、撮影の仕事をしたいんです。平日とかも。何かお仕事はありませんか?」

「撮影の仕事なら、今、テツローがしているものがあるわ」


 テツローは僕の同級生で、この山田写真館の跡取り息子だった。成人式の集合写真を撮影した時に、カメラマンとして会場に来ていた。そこで、テツローに「写真館でバイトをしないか」と誘われたのだった。最初のうちは、何回か撮影の助手として、僕もカメラを触っていたのだが、すぐにプリント担当の女性が写真館を辞めてしまってからは、ほとんどフォト・プリントの専任者として働いていたのだった。


「真琴社長に、訊いてみると良いわよ」

 絹子さんはテツローの母で、山田真琴社長の妻である。齢五十才位の女性で背が高く、美白の婦人だった。


「カナタ君、どうした? 今日、学校は?」

 奥から真琴社長が顔を出した。

「今日は就職活動のために来ました。学校を休んできたんです。フォト・プリントの仕事じゃなくて、なにか撮影の仕事はありませんでしょうか?」

 僕は思いきってそう言い、山田社長の返事を待った。山田社長は少し考えてから、返答を口にした。

「無くはない。一応、確認をテツローに入れるけれど、住宅の完成内覧会の写真撮影があるな。あとは、卒業アルバムの写真かな」

「卒業アルバムの仕事なら、前に一度同行したことがあります。野球部の試合を撮影したんです。至らない点が多々有るかと存じますが、どうか僕に撮影の仕事をさせていただけないでしょうか」


 僕は必死だった。プロのカメラマンへの道は遠い。だが、ここで挫けてしまっては、駄目なのだ。


「いいだろう。カナタ君にお願いしよう」

「ありがとうございます! 僕、精一杯頑張ります!」


「だが、まずは見習いからだ。テツローに色々教わるといい。平日も何日か出社できるかい?」

「火曜日は一日、木曜日は午前中に働けます。四年生で、授業があまりないのです」

 真琴社長は頷き、言葉をかけてくれた。


「分かった。もう一つのバイト、ハンバーガー・ショップの方はどうするんだい?」

「そちらも、かけ持ちでします。平日毎日、夕方六時からなんです」

 僕はよく考えながら、そう返答した。大丈夫、ハンバーガーショップの仕事は慣れている。


「それじゃ、頑張るんだよ」

 真琴社長は、僕の背中を軽く叩いて、気合いを入れてくれた。

「今日は、ありがとうございました」

 にこやかに微笑む絹子さんに挨拶をして、僕は写真館を後にした。


 初夏の日ざしが、大空を焦がしていた。風はなく、雲がゆっくりと流れていた。

 それが僕の新しい旅立ちだった。

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