7-5

 フィアレッタの喉が引きつった音をたてた。

 ジルニトラも表情を引きつらせたあと、ぐっと顔を険しくさせた。

 もともと、ユグドラシルが出した条件はフィアレッタとジルニトラにとって非常に不利だ。ユグドラシルを満足させればいい――とぱっと聞いた印象では簡単そうに思えてしまうが、いくら満足のいくもてなしを受けたとしてもユグドラシルが満足しなかったと口にすれば、フィアレッタとジルニトラの要求を簡単にはねのけられる。


 そのことも理解したうえで、二度と来ないかもしれないチャンスを手にするために挑戦すると決めたのは自分たちだ。

 けれど――苦い結果で終わりそうな現実を突きつけられると、やはり苦しいものがある。


『レースディア家が過去に妖精たちや幻獣たちにした所業は、人間たちからすれば遠い過去の話かもしれないけれど……私たちからすれば、時間が経っても決して許せるものではない。だから――』


 ジルニトラの表情がどんどん苦く、暗く沈んでいく。

 フィアレッタがなんとか慈悲をもらおうと、反論するために唇を開く。

 が。


『ユグドラシル様!』


 ジルニトラが何か言うよりも、フィアレッタがユグドラシルへ反論するよりも早く。

 木々の影から、薄い光をまとった小さな影が会場へ飛び込んできた。

 わずかな時間を置き、驚いて処理を止めていた脳が働き始め、飛び込んできた影の正体を理解しはじめた。

 飛び込んできた影は――人の形をしている。二十センチほどしかない小さな人間だ。

 けれど、背からは光の粒子をこぼす羽が生えており、耳の先が尖っている。


 緩くウェーブがかった赤毛には白い花が細かく編み込まれ、華やかな印象を与える。

 シンプルな白いワンピースを身にまとった彼女の姿には、フィアレッタもジルニトラも覚えがある。

 フィアレッタに声をかけ、ジルニトラに手を貸してくれたフロスピクシーの一人だ。


『……白花の子?』


 ユグドラシルがぽかんとした声色で一言、呟く。

 白花の子と呼ばれたフロスピクシーは飛び込んできた勢いのままユグドラシルに近づき、胸の前で祈るように両手の指を組んだ。


『ユグドラシル様、どうかお聞きください。この子は――冬に愛された子だけは違うんです!』


 焦りをこれっぽっちも隠さず、白い花のフロスピクシーは自身の女王へ懇願する。

 自身が守るべき対象が危険視している家の人間を愛称で呼び、かばう様子にユグドラシルはますます目を丸くした。


『……違う?』


 一体何が違うというのか――訝しげなユグドラシルへ、白い花のフロスピクシーは続けて訴える。


『この子は、確かに忌まわしい妖精嫌いの家に生まれました。ですが、妖精や幻獣を見下した者ばかりの家の中で、この子だけは妖精や幻獣への好意的な感情を忘れずにいました!』


 白い花のフロスピクシーがそういった瞬間、ユグドラシルの表情が変わった。

 訝しげな表情が一変し、信じられないと言いたげな表情へ。

 ジルニトラも、自分をかばってくれる妖精が現れるとは思っていなかったのか、両目を大きく見開いたまま、ぽかんとしている。


 そんな彼の隣でフィアレッタも似た顔をしていたが、ふと、フロスピクシーたちと言葉を交わした記憶がよみがえった。

 白い花のフロスピクシーの家族を助けてくれた、妖精嫌いの家の中でジルニトラは唯一嫌な気配がしない――フィアレッタの耳元で白い花のフロスピクシーがそっと打ち明けてくれていた。


『冬に愛された子が今よりも小さい頃、この子は妖精嫌いの男に捕らえられていた私の家族を助けてくれました。それ以外でも私たちを動力源としか見ないあの家の中で、この子だけは私たちのことを心配してくれていました!』


 ジルニトラだけは、レースディア家の『例外』なのだと。

 彼だけは幼い頃から妖精や幻獣たちを憎まず、心配し、ともに寄り添おうとしていたのだと。


『……それは、本当?』


 わずかな空白ののち、ユグドラシルが一言だけ問いかけた。

 ぱっと聞いた印象ではフロスピクシーへの問いに聞こえるが、そうではない。

 ゆっくりした動きでジルニトラに向けられた目が、フロスピクシーではなくジルニトラへの問いかけなのだと物語っていた。

 ジルニトラがわずかに怯んだような反応を見せたが、即座に息を吐き出し、答える。


「……確かに幼い頃、授業が嫌で物置き部屋に隠れた際、鳥籠に囚われたフロスピクシーを見つけています。見なかったことにすれば、確実に殺されると思い、逃したのも確かです」

『……そう……。白花の子を恐怖で縛って従わせているわけでも、白花の子がでまかせを言っているわけでもないのね……』


 再び、場に少しの沈黙が訪れる。

 苦い結果に終わるとわかっている絶望に満ちた沈黙ではなく、どう転がるか先が見えず、不安や緊張に満ちた沈黙だ。

 一秒が一分に、一分が一時間に感じられる空気が満ちる中、誰もがユグドラシルの答えを待っていた。


『……どうやら、私は勘違いをしていたみたいね』


 沈黙が訪れてからどれくらいの時間が経ったのか――。

 やがて、ユグドラシルが眉尻を下げ、眉をハの字にして一言呟いた。

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