7-4
『……ふぅん?』
一言だけ興味深そうな声を出し、ユグドラシルがサンドイッチに手を伸ばした。
彼女の動きにつられ、フィアレッタもサンドイッチに目を向ける。
一見すると普通のサンドイッチだ。耳を取り除いた食パンの間に、何やら赤っぽい果実と生クリームが挟まっており、白と赤のコントラストが印象的だ。
実は、サンドイッチのフィリングはフィアレッタも知らない。軽食としてサンドイッチを用意したのはジルニトラなのだが、フィアレッタが異なる準備をしている間に完成していたため何を挟んだのかわからないままなのだ。
……一体何を挟んだのだろう。
好奇心に誘われてフィアレッタもティースタンドからサンドイッチを一つ取り、ユグドラシルとほぼ同じタイミングで口へ運んだ。
『……!』
「ん……!」
ユグドラシルが先ほどと同様に、片手の指先で口元を隠す。
フィアレッタが両目を大きく見開き、ぱちぱちと目の奥で無数の光を弾けさせた。
サンドイッチをかじって、最初に舌に広がったのは生クリームの濃厚な甘みだ。食パン自体がシンプルでほのかな甘みを楽しめるため、生クリームの味がより濃く感じられる。
その中に感じる果実の甘さ。蜂蜜を思わせる甘みで酸っぱさをあまり感じなくなっているが、この甘酸っぱさとバランスのいい甘みと酸味は――ラズベリーとブラックベリーだ。
『この味……』
「ブラックベリーとラズベリー、二種類のベリーの蜂蜜漬けと生クリームを挟んでいます。……少し甘みが強くなってしまったが、紅茶にはよく合うかと」
ジルニトラがそういって、自分の分の妖精茶を口に運んだ。
なるほど、ブラックベリーもラズベリーも酸味を楽しめる果実のはずなのに、酸味をあまり感じなくなっているのは蜂蜜に漬けてあるためか。
――ブラックベリーと、ラズベリーの、蜂蜜漬け?
『……ずいぶんと懐かしい味を用意してくれたのね……。どこで知ったのかしら? 私たちのシュガーロビンから話を聞いた?』
「フィアレッタの力を借りたのは確かだが、彼女から話を聞いたわけではありません。彼女が実家から送ってもらった本の中に、建国の時代の歴史が記されているのを目にし、自分一人だけで答えを出しました」
かちゃり。
もう一口、ジルニトラが妖精茶を口に運び、続ける。
「建国の時代、我らがパンタシアの初代王は妖精たちから果実の花蜜漬けを友好の証として受け取り、それで菓子を作って妖精や幻獣たちに振る舞った――と。これが形を変えて、妖精や幻獣たちへ畑の恵みを分け合うようになったのだ、と」
遠く過ぎ去った過去の時代。
パンタシアの初代王となった人間と妖精たちは、過去にそのような物のやり取りをした。
妖精たちからは、彼ら彼女らの国だけで採れる黄金のベリーを花蜜に漬けたものを。
人間からは、黄金のベリーの花蜜漬けをシンプルなパンケーキに添えたものを。
料理を互いに振る舞いあって友好の証とし、このやり取りがきっかけになって妖精や幻獣に畑で収穫できたものを分け合うという文化が誕生した――フィアレッタがエヴァンに頼んで送ってもらった本の中には、そういった歴史が記された本があった。
そして、はじめてこのやり取りが行われたのは建国の時代。
ユグドラシルをはじめとした妖精王や妖精の女王たちが、積極的に人前に姿を見せていた時代だ。
「さすがに黄金のベリーや花蜜を手に入れるのは難しかったため、二種類のベリーと蜂蜜で代用したから、あくまでも模倣品。……けれど、懐かしい思い出に浸るにはちょうどいいかと」
ユグドラシルはまだ何も言わない。
手元にあるサンドイッチを静かに見つめていたかと思えば、ゆっくりとした動作で一口、また一口と口に運んでいく。
緩やかな動作でサンドイッチを咀嚼し、飲み込み、また口に運び――全てサンドイッチを食べ終わると、もう一度妖精茶を飲んで、ほうと息を吐いた。
『……ふふ、完全に同じではないけれど……でも、まさかこんなに懐かしいものを出されるとは思っていなかったわ。妖精茶もお茶菓子も、全部ティムバーのもので揃えてくるのも想定外だったし』
呟くかのような声量で言い、ユグドラシルは残っていたスコーンも腹へ収めた。
ティーカップの中に残っていた妖精茶も静かに飲み、空っぽになったカップをソーサーの上に置き、ゆっくりと目を伏せて遠く過ぎ去った過去へ思いを馳せる。
不穏な気配を感じさせる笑顔でも、好奇心や興味に満ちたきらきらとした目でもなく、過去になった記憶を思い起こす姿は――幾千の夜を重ねて生きてきた古き妖精としての姿だ。
『……正直なことを話すと、ね。私はあまり期待してなかったのよ。シュガーロビンが傍にいるとはいえ、妖精嫌いの家の子が楽しい時間を提供してくれることはないだろうって』
しばしの沈黙のあと、ユグドラシルが静かな声で言う。
『ずっとずっと妖精嫌いの家の人間とは交流をしていなかったもの。だから、私たち妖精や幻獣について詳しくないだろう――って。……でも、あなたは私たち妖精が人間と築いてきた歴史を知り、学び、こんな懐かしい気持ちにさせてくれるものまで用意してくれた。予想外で驚いてるのよ、これでも』
妖精や幻獣たちに感謝を示す際の作法に従って、紅茶と茶菓子を選んだ。
ユグドラシルが好む雰囲気になるように会場を飾りつけた。
過ぎ去った過去の記録に触れ、ユグドラシルにとって懐かしいものを用意した。
妖精や幻獣に詳しいフィアレッタの手助けがあったとはいえ、ユグドラシルが楽しめるように――とここまで心を尽くしてくれるとはユグドラシルの予想になかった。
彼女の瞼がゆっくりと持ち上がり、若葉色の目の中にフィアレッタとジルニトラの姿が映し出される。
凪いだ湖畔を思い出させる静かな目と視線が絡んだ瞬間、二人の背筋が自然と伸びる。
なんでこんな気分になるのか――なんて、考えなくてもわかる。
審判の時だ。
『妖精嫌いの子。名前はなんていうの?』
「……ジルニトラ。ジルニトラ・レースディアです」
『そう、ジルニトラというのね』
ユグドラシルが一瞬だけ口元を緩ませる。
だが、本当に一瞬だけ。時間にして数秒ほど。
すぐにまた凪いだ表情へと移り変わり、彼女の口元からも笑みが失われる。
『あなたが妖精や幻獣のことを何も知らないままに関係を修復したいと言っているわけではないとわかったわ。私たちの愛し子の力を借りるばかりで、一方的に私たちの愛し子を利用しているわけではないことも――彼女と親しい関係にあることも、理解できたわ』
あまり悪い内容の言葉ではない。希望を持てそうな内容だ。
だというのに、フィアレッタの胸もジルニトラの心臓も早鐘を打ち、ひどく緊張している。
上手くいっているはずなのに、どうしようもないほどに――嫌な予感がする。
『でも、ね』
ふ、とユグドラシルの唇から短く息が吐き出される。
彼女が物憂げに半分だけ瞼を下ろした直後、二人が感じていた予感が明確な形を得た。
『ジルニトラ。あなたたちの家が、私たちにしたことの内容が内容だから簡単に許すのも難しいの』
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