最終話

7-1

 風に揺られて木の葉が擦れ、さらさらと爽やかな音を奏でている。

 大きく息を吸い込めば、柔らかな緑の香りを感じられる空気が肺いっぱいに取り込まれる。

 天気は晴れ。頭上に広がる空は青く澄み渡り、肌を撫でる空気はまだ少し冬の気配を残しているものの、確実に春に近づいてきている。まだ冬の寒さが戻ってくることもある時期だ、もっと寒かったら――という不安もあったが、奇跡的に天気にも気温にも恵まれた。


 目を空から眼前に移せば、森の広場に用意したティーパーティーの会場が視界に映る。

 足元に咲き誇る緑の絨毯にレースディア邸から持ってきた野外用のテーブルを置き、柔らかな新芽のテーブルクロスで飾っている。その上に同じレースディア邸から持ってきた花瓶に季節の花を飾り、テーブルにも色とりどりの花弁も散らして飾っている。


 テーブルに置かれているのは、花瓶や花々だけでない。フィアレッタが直々に選んだミモザ柄のティーカップが人数分置かれ、同じくミモザ柄のティーポットには紅茶が冷めないようティーコジーを被せてある。

 テーブルの中央に置いたティースタンドには、一番下の皿にサンドイッチ、中央にはラム酒やスパイスを加えて作った大人の味わいを楽しめるケーキを。そして一番上の皿にはスコーンやクッキーといった代表的な焼き菓子が盛りつけられている。どれもティムバー産の小麦から作られた小麦粉を使用した一品だ。


 普通なら見ているだけで心が躍る光景だが、残念ながら今のフィアレッタにはそんな余裕はない。

 だって、これは自分たちのために用意されたティーパーティーではないのだから。


「……緊張しているか? フィアレッタ」


 そ、と。顔をこわばらせているフィアレッタの手に、すぐ隣から伸びてきた大きな手が重なる。

 ただ、手が重なっただけ。

 たったそれだけのことだが、フィアレッタの中で渦巻く緊張や不安が少しだけ遠のき、心に落ち着きが戻ってきた。

 重ねられた手を一度だけ優しく握り、フィアレッタはすぐ隣に立つジルニトラを見上げて苦笑を浮かべた。


「さすがに。妖精を招くティーパーティー自体は経験がありますが、妖精の女王を招くのは今回がはじめてなので」

「過去に妖精の女王と親しくしていた者の記録があったら、心構えができたのだが……こればかりは仕方ないな」


 ジルニトラも苦笑を浮かべる。

 けれど、すぐに浮かべた苦笑からフィアレッタを安心させる微笑へ切り替え、フィアレッタの指に自身の指を絡め、優しく握り返した。


「……だが、大丈夫だ。フィアレッタが手を貸してくれたんだ、限られた時間であったがしっかり準備できたし――二人ならきっと大丈夫だ」


 ジルニトラの言葉、一つ一つがフィアレッタの胸に落ちて染み込んでいく。

 激励というには遠い静かな言葉だが、そっと寄り添ってくれるかのようなぬくもりを感じる言葉たちだ。

 彼の唇から紡がれた言葉を心の中で何度か繰り返し、フィアレッタは浮かべていた苦笑から柔らかな笑顔へ表情を変えた。


「……ふふ、そうですね。ありがとうございます、ジルニトラ様」


 そうだ、フィアレッタは途中で少し動けなくなってしまったが――二人であれこれ調べて準備をしてきたのだ。きっと上手くいってくれるはず。

 ついに迎えた日だというのに、弱気になってしまっていたら全てが上手くいかなくなってしまう。


 そう。今日は約束した日から二ヶ月経ち、とうとう迎えた日。

 ティムバー北部に位置する森にティーパーティーの会場を設置し、フィアレッタとジルニトラは今回の招待客が到着するときを静かに待っていた。


 途中でアクシデントもあったのに、我ながらよく頑張ったと思う。

 フィアレッタが倒れて休んでいる間、ジルニトラがユグドラシルに関するかすかな情報を集めて準備を進め、フィアレッタが無事にまた動けるようになってからは使用するティーセットをじっくり選び――無事に今日という日を迎えることができた。

 ジルニトラに任せると決めたときは彼が無理をするのではないかと心配だったが、今思うと余計な心配だった。


 ……こんなに頑張ったのだ。なんとかして成功に導きたい。

 フィアレッタが心の中で強く決意した瞬間。


 りん――と。

 風も吹いていないのに、金属質な鈴の音が空気を震わせた。


「――!」

「……!」


 二人の表情が同時に引き締まる。

 限られた人間しかいないティーパーティーの会場は静まり返っており、フィアレッタとジルニトラ以外の声は聞こえない。だからこそ、その音は二人の耳にしっかり届いた。

 音をたてたのは、フィアレッタがエヴァンに頼んで送ってもらった妖精の来訪を告げる鈴型の魔法道具だ。

 木の枝にくくりつけておいたそれが音をたてたということは――そういうことだ。


 静かに息を吸い込み、吐き出して、するりと繋いでいた手を離す。

 ジルニトラもフィアレッタの手からそっと手を離し、互いの手からぬくもりが遠ざかった。

 ほんの少しの寂しさがフィアレッタの心に生まれるが、鳴り響く鈴の音が気にならなくさせた。


 りん、りん、りん――。


 繰り返し鈴の音が鳴っている。

 鈴の音の間隔はだんだん短くなっていき、それに伴い、さらさらと木の葉が歌い出す。

 やがて、ふわりと花の香りを含んだ風がフィアレッタとジルニトラの肌を撫で――次の瞬間、二人の視線の先で緩くウェーブがかった亜麻色の長髪がふわりと揺れた。

 神秘的な美しさは二ヶ月前に見たものと何一つ変わらない。

 フィアレッタとジルニトラが見つめる先、森のより奥深くに続く道からゆったりとした歩調で歩いてきたユグドラシルは若葉色の目を柔らかく細めた。


『あら。ずいぶん素敵な会場を用意してくれたのね』


 こうして姿を見るのは二度目だが、神秘的な姿を目にすると自然と背筋が伸びる。

 まずはティーパーティーの会場の雰囲気は気に入ってもらえた――ほっと胸をなでおろしつつ、フィアレッタは身にまとっているドレスの裾を両手で軽く持ち上げた。そして、片足をすっと斜め後ろの内側に引き、残されたもう片方の足の膝を軽く曲げる。

 その隣で、ジルニトラが自身の右足を引いて右手を身体に添え、左手を横方向へ水平に伸ばしてお辞儀をした。


「お待ちしておりました。本日はお越しいただき、誠にありがとうございます。ユグドラシル様」


 そういって、フィアレッタはゆっくりとした動きで頭をあげた。

 隣に立つジルニトラも少しの間をあけてから、フィアレッタと同様にゆっくりと頭をあげる。

 緊張しつつも、それを心の奥底に隠した二人へ、ユグドラシルは柔らかく微笑んだ。

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