6-6
懇願するかのような表情を見つめながら、フィアレッタは言う。
「旦那様……いえ、ジルニトラ様。わたしは、わたしが納得した上であなたの下へ向かうと決めました。もう少しお兄様と過ごせたらと思ったことは否定しませんが、無理に引き離されたとは思っていません」
びくりとわずかにジルニトラの両肩が揺れる。
彼の喉が浅く、短く、引きつったような音を立てたが――フィアレッタの手を振り払ったり、傍から離れようとしなかった。
仮にそんなことをしようとしても、逃がすつもりはないのだけれど。
「……それから、わたしはジルニトラ様がご自身を削ることをよしとしておりません。あなたなりに考えてくれたのだとは思いますが、自分の身近にいる方が自分の身を削って尽くしてくれていると知っても、わたしはあまり嬉しくありません」
もしかしたら、ジルニトラ様が倒れていたのかもしれないんですから。
わずかに頬を膨らませながらそういうと、ジルニトラがバツの悪い顔をし、わずかに目をそらした。
今回はフィアレッタが倒れてしまったが、確率的にはジルニトラが倒れてしまう可能性のほうが高かった。彼のほうがフィアレッタよりも長く、日常的に無理をしていたようだから。
気まずそうなジルニトラを少しの間、じとーっとした目で見つめたのち、フィアレッタは困ったように苦笑を浮かべる。
「……わたしは身近なところにいる方を踏みつけにして平穏な暮らしを得ても、幸せな気持ちにはなりません」
「うぐ……」
「ジルニトラ様だって、逆の立場だったらきっとわたしを止めようとするでしょう?」
今だって、こうして倒れたフィアレッタを心配し、自分の胸中を打ち明けて無理をしないでほしいと口にしてきた。
フィアレッタだって同じだ。フィアレッタもジルニトラが無理をしていると知って心配になり、妖精茶を用意して彼を少しでも休ませようとした。彼が抱え込んでいる仕事のうち、自分が手伝えそうなものがあれば秘密裏に手伝って仕事の量を減らそうとしたほど。
もし、フィアレッタとジルニトラの立場が逆だったら、ジルニトラも同じようなことか――あるいは似たようなことをするに違いない。
きっと自分たちは似た者同士だ。互いに互いのことを言えないぐらいに。
「……それは……否定できない、が……」
気まずそうにジルニトラの視線が右へ左へ、あちらこちらへ向けられる。
しかし、すぐに気を取り直そうとするかのように咳払いを一度だけして、改めてフィアレッタの目を見た。
先ほどまでの悲痛な表情はどこへやら、今度はとても真剣な顔をしている。
「とにかく、フィアレッタ。あなたは倒れたんだ。あなたは今まで俺を休ませようとしてくれていたようだが、あとのことは俺に任せて休んでくれ」
「でも、妖精や幻獣相手のことですから、わたしが……」
反論しながらもう一度起き上がろうとするが、ジルニトラがそれを許さない。
起き上がりかけたフィアレッタをもう一度ベッドに押し戻し、眉間にシワを寄せた。
「確かにあなたのほうが妖精や幻獣たちに詳しいだろうが、俺も全く学んでいないわけではない。……簡単には信じられないとは思うが、俺を信じてあなたは休んでいてほしい」
「……ジルニトラ様」
両肩に添えられていた手が動き、今度は額に添えられた。
大きい手が額に触れ、フィアレッタよりも少し低い体温が額から身体に伝わっていく。
昔、体調を崩したときにエヴァンが額に手を当てて寝かしつけてくれた日のことを思い出してほんの少し懐かしい気持ちが胸の奥によみがえった。
本音を言うと、妖精が絡んだ事案なのだから自分が頑張って橋渡し役にならなければという思いはある。
けれど、倒れたのも確かで、フィアレッタがジルニトラを休ませようとしていたように今度はジルニトラがフィアレッタを休ませようとしている。相手に無理をさせたくないという一心で。
ここで無理をして動こうとすれば、フィアレッタも人のことは言えなくなってしまうし――何より、ジルニトラの心遣いを無下にすることになる。
……思いを無下にするのは、ジルニトラ様に申し訳ないなぁ。
それに……ここでジルニトラ様のお願いを聞かずに無理をするのは、ジルニトラ様を信頼していないと返事をするのと同じになってしまうかも。
……それは、それは――嫌だ。
掛け布団の下で、ぎゅうと胸の辺りを強く握る。
これまでずっと無理をしていた人だ、フィアレッタが見ていないところで無理をするのではないかと心配になってしまうが――だからといって彼を信じないという選択をするのも心が痛む。
心配だと叫ぶ内なる自分もいる。
けれど、心配だからといって相手を信じずに大事にするというのも間違いであるように思える。
「……なら……少しの間、ジルニトラ様にお任せしますね」
なら――ジルニトラを信じるという道を選ぼう。
任せてほしいと口にした夫のことを信じてみよう。
掛け布団で口元を隠し、フィアレッタはへなりと苦笑いを浮かべた。
その返事を聞いた瞬間、申し訳なさそうにしながらも笑うフィアレッタとは対照的に、ジルニトラは両目を大きく見開いてから心底嬉しそうに微笑んだ。
「ああ。フィアレッタはここまでたくさん頑張ってくれた。……あとは俺がなんとかするから、身体の調子が戻るまでゆっくり休んでいてくれ」
ジルニトラの大きな手がフィアレッタの頭を一度だけくしゃりと撫で、すっと離れていく。
こちらに背を向けて部屋から出ていく大きな背中を少しの間見つめたあと、フィアレッタは掛け布団を頭からすっぽりと被った。
ただ撫でられただけだというのに、両頬に熱が集まって仕方なかった。
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