6-5

 ……失敗した。どうしても妖精茶を一人で淹れないといけないときは、十分に休息の時間を取るよう妖精や幻獣たちから言い含められていたのに。


 掛け布団に添えられた手に力が込もり、シワを作る。

 自然と眉間にシワが寄り、唇が真横に引き結ばれたのち、への字に曲がる。

 忙しい日が続いていたからこそ自己管理には十分気をつけなくてはならなかったのに。

 ゆっくりとした動きでフィアレッタを撫でていたジルニトラの手の動きが止まり、再度フィアレッタの手に添えられる。


「フィアレッタ嬢、あなたは倒れる原因になるほど……どこかで魔法を使っていたのか?」

「……旦那様……」


 言うべきか、言わないべきか。

 少しの間迷っていたフィアレッタだったが、浅く息を吐き出すと、そっと唇を開いた。

 倒れるという大きなことが起きてしまったあとなのだ。特に魔法を使っていないと主張しても信じがたいものがあるし、信じてもらえないに違いない。

 ならば、素直に答える――もとい白状したほうがジルニトラにかかる心労が少なくて済む。


「……実は……お茶を準備する際に、少し」

「茶というと……いつもフィアレッタ嬢が持ってきてくれていた紅茶か?」

「はい。ずっと内緒にしていましたが……あのお茶はただの紅茶じゃなくて、妖精茶なんです。とはいっても旦那様の分だけで、わたしのは普通の紅茶でしたが……」


 フィアレッタがそういった瞬間、ジルニトラがぽかんと口を開けた。丸く見開かれた目をかすかに揺らし、フィアレッタを凝視する。


「妖精茶は……俺も何度か口にしたことがある、が……」

「現在、妖精茶として取り扱われているもののほとんどは特殊な効果を持たない模倣品です。わたしが旦那様にご用意していたものは、本来の淹れ方を守った――言ってしまえば本物の妖精茶です」


 ジルニトラは信じられないと言いたげな顔でフィアレッタを見つめている。

 が、すぐにぐっと眉根を寄せて険しい顔をし、かと思えば深く息を吐き出してうなだれ、片手で顔を覆った。


「……あなたとティータイムを過ごすと、不思議と心や身体が軽くなると思ってはいたが……そういうことだったのか」


 深い後悔や自責の念に濡れた声で、ぽつり。ジルニトラが言う。

 ぎゅうとフィアレッタの胸が強く締めつけられ、苦しくなる。

 こんな声を出させているのは他の誰でもない、自分自身なのだと思うと、胸だけでなく喉の奥も痛みを訴えてきた。


「あ、けど……妖精茶を淹れるたびにこうなるわけではないんですよ。今回がちょっと特例だったってだけで……。身体の調子も、もう大丈夫ですから」


 少し慌てた声色でそういって、フィアレッタはベッドから身を起こそうとした。

 これ以上ジルニトラの悲痛な声を聞きたくなくて、大丈夫なのだと伝えることで少しでも安心してほしい――そんな一心で。

 けれど、ジルニトラは安心するどころかますます表情を歪め、起き上がろうとしたフィアレッタの両肩に手を置いてベッドに押し戻した。


「……旦那様?」


 フィアレッタの呼びかけに対し、ジルニトラから返事はない。

 かわりに、両肩に置かれているジルニトラの手にぐっと力が込められた。

 髪が影になり、彼が今、どのような表情をしているのかは見えない。それが一種の威圧感のようになっており、フィアレッタを緊張させた。

 どこか重たく感じられる沈黙が広がって、数分。いや、数秒だったかもしれない。

 妙に長く感じられる沈黙が続いたあと、ゆっくりとジルニトラの唇から音が紡がれた。


「……フィアレッタ」

「は、はい。なんでしょうか……?」


 フィアレッタの喉がぎゅうと細まり、緊張の色を宿した声で返事をする。

 今度は数秒ほどの時間を置いて――ゆっくりとジルニトラが顔をあげる。

 ずっと影になり、隠されていたその表情を目にした瞬間、フィアレッタはほんの一瞬だけ呼吸を詰めた。


「フィアレッタ」


 ジルニトラは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 眉尻はすっかり下がり、冷たさを感じさせる両目からは覇気が消えて揺らいでいる。涙は出ていないのに、涙で濡れていると一瞬錯覚してしまいそうになるほど。

 驚き、困惑し、何も言えないフィアレッタへ、ジルニトラが言う。


「……俺はあなたと婚姻を結んだ日、あなたが幸せに、平穏に過ごせるように力を尽くそうと誓った。まだ家族の下で過ごしたかっただろうあなたを妖精卿の下から引き離してしまったんだ、せめてあなたが幸せに――好きなことをして過ごせるようにしよう、と」


 ぽつり、ぽつり。

 ジルニトラの唇から言葉がこぼれ落ち、フィアレッタの上で弾けていく。

 わずかに震える声で語られるその言葉は、これまで一度も知ることのできなかった彼の胸中だ。


「……なのに、あなたが……幸せに過ごしてほしいと思っている人が倒れてしまっては、意味がないだろう……!」


 ジルニトラの顔を見つめながら、フィアレッタはゆっくりと瞬きをした。

 ……もしかして、あの日。婚姻を結んだ日に、フィアレッタへ侯爵夫人としての役割を果たさなくていいと口にしたのは――そういう理由だったのか。

 フィアレッタは、てっきり愛がない結婚だからだと思っていた。夫としての役割を果たさなくてもいい状況を作るためにフィアレッタへあんなことを告げたのだとばかり思っていた。


 だが、実際にはまだ幼いフィアレッタへ負担をかけないようにするため。フィアレッタが侯爵夫人という役割に縛られて息苦しい思いをするのを防ぐため。

 全ては、フィアレッタが好きなことだけをしてのんびりと時を過ごすことができるように。

 それが、フィアレッタの幸せになるのだと信じて。


「……俺はどれだけ苦しくても耐えられる。だから……どうか穏やかに過ごしてくれ、フィアレッタ。穏やかに幸せに過ごしてくれ。あなたが幸せに過ごしてくれることが、俺にとっての幸福なんだ」


 だから、頼む。何も気にせず、無理もせず、穏やかに過ごしてくれ。俺に大切な人を守らせてくれ。

 念を押すかのようにそういって、ジルニトラは再度うつむいた。


「――……だんな、さま」


 優しい人だ。自分自身を削ってまで、相手の幸せを追求できる優しい人。

 優しくて――とても、とても不器用な人だ。


「旦那様」


 もう一度ジルニトラを呼び、彼の頬に手を当てる。

 びくりとわずかに両肩を揺らしたのち、ジルニトラがゆっくりと顔をあげた。

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