6-4
黒く、暗く、塗りつぶされていた視界に光が差し込み、白く塗りつぶされていく。
眩しさに思わず一度目を閉じてから、再度ゆっくりと瞼を持ち上げて――。
「――……?」
まず見えたのは、見覚えのない天井だ。
目を開けた直後で十分にピントが合わず、ぼやけているが、その状態でも見覚えがないとぼんやりわかった。
続いて、感じたのは背中から伝わってくる柔らかさと全身にかかる適度な重み。身じろぎをすると衣擦れの音がし、全身にかかっている重みが――適度な分厚さがある掛け布団が動いた。同時に、掛け布団やシーツに染みついている柔らかなサンダルウッドの香りがフィアレッタの鼻をくすぐった。
どうやらフィアレッタは今、誰かのベッドに寝かされているらしい。
けれど、一体何が起きてベッドに寝かされることになったのか――それにここはどこなのだろう。
疑問に思いながら、もう少し情報を得ようと周囲を見渡そうとした、そのときだった。
「……! フィアレッタ嬢!」
すぐ傍で息を呑む音がした直後、焦燥を感じさせる声が聞こえた。
妙に重い身体をゆっくり動かして声が聞こえたほうへ目を向ける。
フィアレッタが普段過ごしている部屋と同じぐらいの広さの室内に、ジルニトラが立っている。ベッドから数歩離れた距離に立っていた彼は水差しとグラスを手に急ぎ足でこちらに近づいてきた。
ベッド傍のサイドボードに水差しとグラスを置き、すぐ近くに置かれていた椅子に腰かけると、フィアレッタの手を両手でぎゅうと強く握ってくる。
こちらを見つめるジルニトラの顔は悲痛に歪んでおり、見ているこちらの胸も強く締めつけられ、苦しくなってきそうなほどだ。
「ええと……旦那様? ここは一体……それから、一体何が……」
掠れた声で問いかけながら、フィアレッタは改めて周囲を見渡す。
見れば見るほど見慣れない部屋だ。部屋の広さ自体はやはりフィアレッタの部屋と近いが、置かれている家具の位置がどれも違う。テーブルや椅子といった基本的な家具はもちろん、壁際に置かれている本棚にしまわれている本はどれも見慣れないものばかり。本棚の傍には書類棚も設置されていて、これはフィアレッタの部屋にはないはずのものだ。
ジルニトラが細く、長く息を吐き出してから唇を開き、答える。
「……ここは俺の部屋だ。フィアレッタ嬢、何があったか直前のことは覚えているか?」
「ええと……確か、執務室で旦那様とお茶をしていて……」
ジルニトラへ視線を戻し、記憶を探る。
確か、執務室でジルニトラとティータイムを過ごしていた。それは間違いないはずだ。
さまざまな言葉を交わしながらフィアレッタは普通の紅茶を、ジルニトラは妖精茶を楽しんでいるうちにユグドラシルとのティーパーティーに出す紅茶をティムバー産の茶葉にしようと決まって――フィアレッタがティムバーの紅茶に合う茶菓子を見つけるためにいくつか茶菓子を選んで持ってくると言って、席を立って……かと思えば視界が揺れて、それから。
それから?
それから……何があったんだっけ?
「……倒れたんだ。あなたは」
「えっ」
倒れた? わたしが?
頭がくらっとして足元がふらついた感覚は確かにあった。じゃあ、あのときに?
でも、特に体調不良は感じていなかったはずなのに、どうして――?
ぐるぐると考えるフィアレッタの頭に、ジルニトラの手が触れる。
壊れ物に触れるかのような、おっかなびっくりとした手付きで優しく撫でてきながら、ジルニトラが言う。
「突然のことだったから本当に驚いた。本来ならフィアレッタ嬢の部屋に連れていくべきだったのだろうが……俺の部屋のほうが近かったから、ここに運ばせてもらった」
「それで旦那様のお部屋に……」
なぜジルニトラの部屋で寝かされているのかも気になっていたが、そういうことだったのか。
納得した声で呟いたフィアレッタへ、ジルニトラが相槌を打つように頷く。
「フィアレッタ嬢が気を失っている間に医師を呼んで診てもらったが、魔力の使いすぎと疲労が重なった結果、身体が限界を感じて倒れたそうだが……」
「あ……」
魔力の使いすぎと聞いた瞬間、全てに納得がいった。
ジルニトラに少しでも安らぎを提供すると決めた日から、フィアレッタは一日も欠かさず妖精茶を淹れては彼の下に持っていっていた。
本来であれば妖精茶を淹れるときは妖精や幻獣たちの力を借り、彼ら彼女らの魔力を貸してもらう。というのも、人間一人で妖精茶を淹れようと思うとかなりの魔力量を要求され、負担がかかってしまうからだ。
ところが、妖精や幻獣たちが姿を隠したこの地では、フィアレッタが一人だけで妖精茶を淹れなくてはならない。すなわち、大きな負担を一人だけで引き受けなければならない状態が続いていた。
いくら魔力量に優れていても、フィアレッタはまだ幼い子供。眠ることで回復するとはいえ、妖精茶を淹れるたびに多くの魔力を消費していればいつかは回復量が消費量を上回ってしまう。
さらに、重なったここ最近の忙しさ。十分に休息を取れない日が続いた結果、消費した魔力の回復が追いつかず――今日という日を迎えてしまったというわけだ。
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