6-3

「……旦那様、ユグドラシル様をお招きするティーパーティーの紅茶、これにするのはどうでしょう?」


 ユグドラシルが直接何かをしたわけではない。彼女はティムバーで起きていることやコルンムーメたちの動向に興味を持って姿を見せただけ。

 けれど、ユグドラシルが現れてくれたおかげで急速に茶の木が成長し、こうして紅茶として楽しめるようになったのは事実。であれば、間接的にユグドラシルの力を借りたといってもいいだろう――であれば、彼女にも感謝の意を示さなければならない。

 ジルニトラがはっとした顔をして、自身のティーカップに残っている亜麻色の水面を見つめる。


「……そうか、収穫できたものを分けるのは妖精や幻獣たちへの感謝になる……」

「はい。ユグドラシル様が直接的に手を貸してくれたわけではありませんが、間接的に力を貸してもらったようなものだと思います。それに、ここまでティムバーを思い出させるお茶はないと思いますから」


 ユグドラシルからすれば、妖精茶は珍しいものでもなんでもない。

 だが、茶葉そのものも、小麦畑を想起させる香りも、リンデンの花も――全てティムバーに存在し、ティムバーを思い出させるもの。あの村の北部にある森で人間たちを見守り続けてきた妖精の女王に振る舞うものとして最適だ。

 ジルニトラが顔をあげる。フィアレッタを見つめる赤い目の奥では、無数の星屑がぱちぱちと細かい光を放っていた。


「……ティーパーティーに出す紅茶はこれにしよう。フィアレッタ嬢、俺が飲んでいるものと同じ紅茶をもう一度淹れることはできるか?」


 ジルニトラに出した紅茶を――妖精茶をもう一度淹れることができるか、だなんて。

 そんなの、答えは決まっている。


「もちろんです。そのお茶の淹れ方は、しっかりと頭に入っていますから」


 ティーカップをソーサーの上に戻し、フィアレッタは自身の胸に手を当てて顎を上げた。

 普段は眠たげに見える銀色の目もしっかりと開き、きらきらと無数の光を抱えている。

 ユグドラシルを招くティーパーティーをどうするか――情報不足が原因で準備がほとんど進まなかった状態が続いていただけに、希望を見つけたかのような気分だ。

 身体の奥から次々に沸き起こってくる衝動や喜びに背中を押されるまま、フィアレッタは立ち上がる。


「早速このお茶に合いそうな茶菓子は何か、いくつか見繕ってきます。二人で実際に食べながら決めましょう」

「ああ、それなら俺も――」

「大したことではありませんから、わたし一人で大丈夫ですよ。旦那様はお仕事でお疲れでしょうし、ここで待っていてください」


 腰を浮かそうとしたジルニトラへ片手の手のひらを向け、制する。

 重たいものを持ってこなければならないわけでも、たくさんの物を一度に運ぼうとしているわけでもなく、紅茶に合いそうな茶菓子をいくつか選んで持ってくるだけだ。フィアレッタ一人でも十分だし、複数人いたらむしろ邪魔になってしまう。

 普段から無理や無茶を繰り返しているジルニトラなのだ、こんなささやかなことで彼の手を煩わせたくはない。


「……そう、か? まあ、フィアレッタ嬢が大丈夫と言うのなら……」

「ふふ、大丈夫です。旦那様はここでゆっくり心身を休めていてください」


 一言念を押して、フィアレッタは軽やかな足取りで扉へ向かっていく。

 あの香りに合う茶菓子は何があるだろうか。リンデンの香りをつけて楽しむとなると相性も変わってきそうだが――茶葉本来に甘い香りがあり、しっかりとしたコクがあるから、少しスパイスが効いた茶菓子が合いそうだ。あるいはクリームやバターをたっぷり使った茶菓子か。そうだ、確かスティルルームメイドがスコーンを焼くと言っていたはずだからクリームたっぷりのスコーンも試してみよう。


 ああ、想像するだけでわくわくする。サービングカートも使ってできるだけ多くの茶菓子を持ってきてジルニトラと一緒に試そう。そのほうがきっと彼の心も休まるはず。

 旦那様はどんな茶菓子を気に入ってくれるかな――これを機に旦那様が好きなお茶菓子の種類も知れたらいいな。

 あれやこれやと思いを巡らせながら、執務室の扉のノブに手を置き、L字型になっているそれを下へ押し込んだ。


 かちゃりと音がして。

 瞬間。


 くらり。


「あ、れ」


 足元が大きくふらつき、フィアレッタの視界がぐるりと回った。

 体勢を整えるために足を一歩後ろに引こうとするが力が入らず、がくんと膝がくの字に曲がった。崩れた足では己の体重を支えきれず、そのまま視界が傾いていく。

 あんなに調子がよかったのに、どうしてだろうか。今はとにかく気分が悪くて仕方なくて、身体に上手く力が入ってくれなくて。


「――フィアレッタ!」


 がたんとテーブルに足が当たる大きな音とともに、悲痛な声が響く。

 ああ、旦那様を心配させてしまったな。大丈夫だって伝えないと、ちょっとふらついただけだから平気だって言わないと。

 大股でこちらに近づいてくる足音を聞きながら、唇を浅く開こうとする。


 同時に、身体全体に倒れ込んだかのような衝撃が走って。

 暗転。

 フィアレッタの視界は、真っ暗に塗りつぶされた。

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