5-2
「はじめまして、皆様。わたしはフィアレッタ、旦那様の……ジルニトラ様の妻としてシュネーガイストへやってきた者です」
まずは己が何者であるかを名乗り、本題に入る。
「ティムバーを襲っている不作ですが、独自の調査の結果、妖精や幻獣たちが姿を隠してしまっていることが原因である可能性が高いとわかりました。そこで、わたしとジルニトラ様は姿を隠してしまった妖精や幻獣たちを呼び戻したいと考えています」
村人たちが大きく目を見開き、傍にいる仲間と顔を見合わせて小声で何やら囁いている。
皆が皆、声を潜めて囁いているため何を言っているのか鮮明に聞き取れない。断片的にしか聞こえてこない。
妖精。不作。そんなことが。信用できるか。いやでも。幻獣。気配がない。そんなことが可能なのか――破片と化した言葉たちがフィアレッタの脳内に並べられていく。
村人たちから不信の目を向けられている――つまり信用してもらえていない現実を目の当たりにして心がわずかに痛みを訴えたが、ティムバーの村人たちからすればフィアレッタは突如現れたよそ者だ。
いくら領主の妻とはいえ、ふらりと現れたよそ者――しかも子供の言うことを信じろと言われても無理がある。
けれど、妖精や幻獣たちを呼び戻すには村人たちに協力してもらわねばならない。
では、フィアレッタがこの場でするべきことは何か。
「不可能かと思われているようですが、妖精や幻獣たちを呼び戻すのは可能です。わたしの故郷であるアトラリア領では、妖精や幻獣たちの姿が見えなくなった際にさまざまな方法で迷子になっていた彼ら彼女らを呼び戻していました」
自分の言葉が信用に値するものだと思ってもらうこと。
己がどの地から来たのかを明らかにし、信じてもらうことだ。
「アトラリア領では迷子になった妖精や幻獣たちを呼び戻す際、彼ら彼女らが好んでいる植物を用います。妖精や幻獣たちが好む植物にはさまざまなものがありますが、その中でも茶の木が特に好まれています。なので、ティムバーにも茶の木を植え、彼ら彼女らが好む環境を作り出したいと考えています」
フィアレッタの故郷がアトラリア領であることを明かした途端、村人たちの間でざわめきが広がった。
アトラリア領といえば、妖精卿が治める幻想の隣人たちの聖地。人々の間でそう知られているのを思い出しての言葉だったが、効果抜群だったようだ。村人たちがこちらに向けてくる目の中には、先ほどまで存在していた不信の色が消え始めていた。
「……でも、ほとんど作物が育たないんですよ。茶の木なんか植えても……」
「最初はわたしが妖精や幻獣たちを呼ぶ予定です。そのときに来てくれた妖精や幻獣たちにしばらくの間は手伝ってもらって、姿を隠している他の妖精や幻獣たちも呼び戻そうと計画しています」
「世話をするための人手は? 俺たちには元々育ててる小麦の畑がある。そっちの世話もしなきゃならんのに、茶の木にまで人手を回す余裕はありません」
「それは……」
村人の一人の反論に、どう言葉を返せばいいのかわからずに言いよどむ。
何か言うべきだと頭では理解しているのに、肝心の言葉が全くといっていいほど出てこず、村人たちにただ沈黙を返すばかり。
焦りでだんだん思考がまとまらなくなっていき、パニックに陥りそうになった瞬間。
「心配しなくていい」
すぐ傍で、落ち着いた声が聞こえた。
同時にフィアレッタの身体へ腕が回され、ぐいと少々強引に引き寄せられる。
ジルニトラの腕によって抱き寄せられたと少し遅れて理解したのは、頭上から降ってくる彼の声がほぼゼロ距離で聞こえることに気づいてからだ。
大丈夫だ。
反射的にジルニトラを見上げた瞬間、音を発さずに彼の唇が言葉を紡いだ。
たったそれだけの言葉。
とても短い言葉だったが、伝わってくる体温とともに伝わってきたその言葉は、じんわりと焦りで揺れていたフィアレッタの心に染み渡っていく。
気づけば、あんなに心の中で渦巻いていた不安は鳴りを潜め、落ち着きを取り戻しつつあった。
「茶の木を育てるための人手については、レースディア家から信頼できる人間を厳選して送るつもりだ。今回の計画を言い出したのはこちらだ、茶の木の世話や管理の大部分はこちらのほうで行わせてもらう」
「領主様……」
「……今回の試みは不作を解決するため、非常に有効だと思っている。どうかフィアレッタ嬢を……俺の妻を信じてくれないだろうか」
村人たちが再度顔を見合わせ、何事かを囁きあう。
先ほどよりもさらに小さな声で囁かれる言葉たちは、フィアレッタの耳に届かない。すぐ傍に立つジルニトラの様子を観察してみるが、彼の耳にも届いている気配はなかった。
「大丈夫だ」
村人たちのほうへ視線を向けたまま、ジルニトラは同じ言葉を繰り返した。
すぐ傍にいる者にしか届かないようにボリュームを落としたそれは、フィアレッタにのみ聞かせようとしている言葉だ。
「皆はきっと協力してくれる」
……ああ、これは。
先ほどフィアレッタから向けられた視線を不安や心配からくるものだと考えて、少しでも安心させようとしてくれているのだ。
じんわりと胸の奥がまた温かくなるような――熱が灯ったような感覚がし、わずかにくすぐったいような気持ちも新たに生まれる。
思わずフィアレッタが自身の胸の前で強く片手を握ったとき、村人たちの視線が再度こちらへ向けられた。
「わかった」
村人たちのうち、若い男性が一言答えた。
彼の一言を皮切りに、中年ほどの男性や若い女性、幼い子供、年老いた夫婦――他の村人たちも次々に言葉を発する。
「最初にいくらでも協力するって言っちまったしなぁ、俺ら」
「よそ者というのは少し不安ですけれど、領主様の奥様が提案してくださったことですものねぇ。奥様の出身地もアトラリア領ならきっとおっしゃることも嘘ではないわ。アトラリアの方たちは妖精や幻獣様のことに詳しいもの」
「試してみる価値はありそうよね。もう少し諦めずに頑張ってみましょう」
あちらこちらから、きらきらとした希望に満ちた声があがっている。
死んだように静まり返り、諦めの空気に満ちたティムバーの村はどこにもない。あるのは、与えられたかすかな希望を手に、自分たちにできることをして苦難を乗り越えようとする不屈の村だ。
「……言ったとおりだろう?」
ジルニトラがフィアレッタへ囁き、いきいきと煌めく目を細めて笑う。
一回、二回とゆっくり瞬きをしたのち、フィアレッタも彼の笑みや周囲の空気につられるまま口角を上げた。
「……はい。旦那様の、おっしゃるとおりでした」
よそ者であるフィアレッタを信じると決めてくれたのだ、ならば彼ら彼女らの心に応えなくては。
信頼に対して行動を起こし、結果を返すのが――きっとフィアレッタのやるべきことなのだ。
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