第五話

5-1

 クラシオン茶園で苗木を数本購入したあと、フィアレッタとジルニトラの行動は早かった。

 茶園の見学とヘルバタの観光もそこそこに、茶の木の苗木を数本購入すると、二人はそのままの勢いでティムバーへ向かった。


 一定のリズムで馬車に揺られ、ヘルバタを出て数時間。

 頭上に広がる空が夕暮れの色に染まり始めた頃、ティムバーに到着した二人は少し急いだ気持ちで馬車から降り、苗木が入った箱を抱えて村の中へ向かった。


 村はフィアレッタが訪れた日と同様に静まり返っていて、けれどあの日よりは村人たちの姿をちらほらと確認することができた。

 つい先ほどまで賑やかなヘルバタにいたからか。今日はあの日以上に村の中が静かであるように感じられ、フィアレッタの心臓がぎゅうと音をたてて締めつけられる。

 ほとんど作物の実らない畑で、それでも少しでも多くの実りを得ようと作業をしていた村人が二人の足音と気配に気づいて視線を向け――次の瞬間、ぎょっとした顔で大声をあげた。


「っ領主様!?」


 ここまで静かな村なのだ、一人が叫べばその声は簡単に周囲へ広がる。

 他に外で作業をしていた村人たちも同様にぎょっとした顔をこちらへ向け、まん丸く見開かれた目を一斉にジルニトラに向けた。

 その中には、以前フィアレッタが一人で訪れた際に出会った少女もおり、周囲の大人たちとは少々異なる驚愕の目をフィアレッタへと向けてきていた。


「突然の来訪で驚かせてしまってすまないな、皆」


 あ、この人、こんなに柔らかい声も出せるんだ。

 ちらりとすぐ傍にいるジルニトラを見上げ、フィアレッタは一人、そんなことを思う。

 ジルニトラが周囲にいる村人たちへ発した声は普段見せている仏頂面に合わないほど柔らかく、一種の温かさをよく感じられた。

 不安に揺れる者を少しでも安心させようとする穏やかな声――無理を繰り返し、自分自身を追い詰めているときよりもはるかに優しい声。

 また一つ、ジルニトラの知らない一面を見たかのような気分だ。

 フィアレッタが一人で驚く間にもジルニトラと村人たちの会話は続く。


「いえ……確かに驚きはしましたが、気にしてもらえるのはありがたいことですから」

「でも、今日は何のご用でしょう? つい最近も領主様の代理の方が視察に来ていたとエルビスのところの娘さんから聞きましたが……」

「……視察?」


 ぎくり。フィアレッタの心臓が大きく音をたてた。

 背中を冷や汗が伝い、引きつりそうになる笑顔を必死に普段どおりの状態で維持する。

 ジルニトラは心当たりがないと言いたげだが、彼の中で心当たりがないのも当然だ。あの日の来訪はフィアレッタが勝手に行ったことなのだから。


「領主様?」


 村人たちも不思議そうな顔をする中、ジルニトラの視線が一瞬だけこちらに向けられる。

 そのまま少しの間黙り込んでいたジルニトラだったが――やがて息をつき、なんともいえない空気を振り払って苦笑を浮かべた。


「いや、なんでもない。最近少し忙しい日が続いていてな、物忘れも時々してしまうんだ」

「ああ、なるほど……。本当にお忙しい中、この村を気にかけていただき、ありがとうございます」

「気にするな。ここ最近のティムバーのことは、俺もなんとかしなければと思っているんだ」


 ――よ、よかった! 今は気にしないことにしてくれた!

 ジルニトラはもちろん、周囲の村人にも気づかれないよう、フィアレッタはほっと安堵の息をついた。

 彼が一旦追求しないと決めただけであって、ごまかせたわけではない。日を改めて追求される可能性は残っているが、日々を送る中で今回のことを忘れてくれる可能性もある。

 このまま忘れてくれることを密かに願いつつ、ジルニトラと村人たちの会話に意識を向ける。


「それで……領主様、本日は一体……?」

「今日は一つの提案をしにきたんだ。上手くいったら、ティムバーを襲っている不作を解決できるかもしれない――と言ったら、皆は協力してくれるか?」


 瞬間、村人たちの目の色が変わった。

 疲れ切った、あるいは諦めきった目に光が差し、力強さが宿る。

 絶望と諦観に満ちていた村の空気が変わったのを、フィアレッタは確かに肌で感じた。

 まるで死んだように静まり返っていたが、この村に住まう人々は――完全に諦めていたわけではない。


「そりゃあもう、この問題を解決してくださるのならいくらでも協力しますよ!」

「……そういってもらえて嬉しいよ。では……」


 つぃ、と。ジルニトラの赤い目がフィアレッタを映し出す。


「フィアレッタ嬢。この村で何が起きているのか、説明を頼めるか?」

「はい」


 突然こちらに話題を振られて内心驚いた。

 だが、動揺や驚愕をなんとか飲み込み、フィアレッタは堂々と一歩前へ出た。

 領民たちの間で不安や心配が広まっているときに上に立つ者が慌てたり動揺したりしていたら、頼りない印象を与えてしまう。今彼ら彼女らに必要なのは、信じてもいいと思える指導者なのだから。


 ――大丈夫。上手くやれる。


 一回、二回。軽く深呼吸をしてから、片足を斜め後ろへ。両手でドレスのスカートをわずかに持ち上げて村人たちへお辞儀をする。

 ゆっくり顔をあげれば、驚いたような――あるいは不思議そうな目でこちらを見る村人たちがフィアレッタの視界に映った。

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