4-3

「フィアレッタ嬢、手を」

「ありがとうございます。……わあ……!」


 差し出されたジルニトラの手に己の手を重ねて握り、馬車から降りる。

 顔をあげた瞬間、眼前に広がった景色を前に、フィアレッタは思わず感嘆の声をあげた。

 約束をしてから数日。ジルニトラとの外出は、予想していたよりもずっと早く実現した。


 なんせ忙しい人だ。二人でお茶を飲んでいたときは頷いてくれたが、後々でキャンセルされる可能性も後に頭の片隅で考えていた。もしくは、実現するのはかなり後々になるか。

 そうなってもおかしくない仕事を抱えているというのに、ジルニトラは外出を了承してから数日という比較的短い時間で約束を実現してくれた。

 一体どんな心の動きが彼の中であったのか、フィアレッタにはわからないが――こんなにも早く約束を形にしてくれたのには感謝しかない。


 わくわくした気持ちのまま、きょろりと周囲を見渡す。

 馬車から降りたフィアレッタの目の前には、はじめて目にする町の景色が広がっている。

 ティムバーのような、自然あふれるのどかな風景とは違う雰囲気。

 レースディア邸がある町のような、人が暮らしやすいよう、たくさん手を入れて作り上げられた都市という言葉が似合いそうな町とも異なる空気。

 自然と人工物、相反する二つの要素が溶け込んだかのような――これまで一度も見たことのない景色だ。

 くすり。年相応の反応を見せるフィアレッタを見つめ、ジルニトラは思わず口元が緩むのを感じた。


「ようこそ。シュネーガイストが誇る茶葉の生産地、ヘルバタの町へ」


 ヘルバタ――それが今回、ジルニトラが連れてきてくれた町の名だ。

 白いレンガで作られた建物が特徴的な町だ。けれど、全ての建物がそうというわけではなく、中には大きく育った木の上に建物を作っている――いわゆるツリーハウスになっているところもある。ツリーハウス同士は頑丈そうな吊り橋で繋がれており、木から木へ簡単に行き来ができるようになっていた。


 足元は白いタイルで舗装されており、人も馬車も行き来しやすい。ツリーハウスになっている木々の周囲も可愛らしい色合いのレンガで囲まれており、まるで花壇のようだ。

 また、町中に多くの花々が植えられており、訪れた者の目を楽しませている。その中には妖精や幻獣たちが好んでいる花も混ざっていて、そういった花が植えられている花壇の傍には妖精や幻獣を守るための魔法道具が設置されていた。


 妖精の炉心という兵器が作られた中でも、ヘルバタでは妖精や幻獣たちとの絆を守ろうとした――その気配が感じられ、フィアレッタは自身の胸の奥が熱くなるのを感じた。


「綺麗な町ですね……。自然を残したまま開発を進めた町は何度か見たことがありますが、自然と人工物が共存する作りの町ははじめて見ました」


 素直な感想を口にしたフィアレッタへ、ジルニトラが言う。


「シュネーガイスト領の中にある町や村のうち、ヘルバタには特に多くの妖精や幻獣たちが暮らしていたらしい。ヘルバタで暮らす人間が増えてきた頃、妖精や幻獣たちも、そして人間たちも暮らしやすい場所を作るにはどうすればいいか――と考えた結果、このような作りになったそうだ」


 人間だけが暮らしやすい町ではなく、妖精や幻獣のみが過ごしやすい町でもない。人間と妖精や幻獣たち、両者が暮らしやすく過ごしやすい町を目指して作られた町。

 ヘルバタの町の歴史を教えてもらい、フィアレッタの胸がますます熱くなるのを感じる。

 レースディア家と妖精や幻獣たちとの関係が改善されるのを強く願うフィアレッタにとって、ヘルバタは希望の象徴のようなものとして映った。

 ただひたすらにヘルバタの景色を見つめていたフィアレッタだったが、ぱっとジルニトラの顔を見上げ、最高の笑顔を見せた。


「こんなに素敵なところへ連れてきてくださって……本当にありがとうございます! 旦那様!」


 ジルニトラが両目を大きく見開く。

 かと思えば、唇をぎゅっと真横に強く引き結び、ふいとフィアレッタからわずかに顔をそむける。

 不快に思わせてしまったかと人によっては思ってしまいそうな反応だったが――かすかに見えた朱に染まった彼の両頬がどのような感情を抱いているのかを明確に物語っていた。

 顔をそむけた姿勢のまま、ジルニトラが咳払いをし、先ほどもそうしたようにフィアレッタへ片手を差し出した。


「……すでに満足しそうな勢いだが、ヘルバタを支える茶園まで案内する。少し歩こう」


 その声で、フィアレッタははっと我に返った。

 いけない、すっかりはしゃいでしまっていた。別にフィアレッタの年齢からするとはしゃいでも変な目で見られない年齢ではあるのだが、なんだか妙に恥ずかしい。


「は、はい! すみません旦那様、ありがとうございます」


 気恥ずかしさをごまかすため、少々早口になりながらも、フィアレッタは差し出された手に自身の手を重ねた。

 痛みを感じない力加減で、ジルニトラの手がフィアレッタの手を包み込み、優しく握る。


 ――あ。旦那様の手、わたしよりもうんと大きい。

 

 自分よりもずっと大きい、年上の男性の手。

 馬車から降りる際は触れ合った時間が短かったからだろうか、特に何も思わなかったけれど、こうして手を繋ぐとジルニトラの手の大きさがはっきりとわかる。

 異性の手に触れるのはエヴァンと接するうちに慣れたと思っていたのに、どうしてだろうか。不思議と照れるような少しだけ恥ずかしいような、そんな感覚が己の胸の奥に広がるのを感じた。


「……いいや、すでにここまで楽しんでもらえるのなら、連れてきた者として嬉しく感じる。気にしなくていい」


 手短に答え、ジルニトラが足を大きく前へ踏み出した。

 くんと繋がれた手が軽く引かれ、フィアレッタも一歩前へ足を踏み出し、そのまま彼の隣を一緒に歩き始めた。

 歩幅が違ったのは最初の一歩だけ。二歩目からは二人の歩調が少しずつ合っていく。ジルニトラがこちらの歩幅に合わせてくれているからだというのは、深く考えなくても気づいた。


 フィアレッタが歩いていてつらくならないよう歩幅を合わせてくれている心遣いも。

 優しく繋がれた手から伝わってくる体温も。

 何もかもが優しくて、温かくて――なんだか少しだけ、胸がドキドキした。

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