4-2

「レースディア家に対して厳しい目を向けてきている妖精たちが多いのは事実ですが、全ての妖精がそうというわけではありません」


 ば、と。素早い動きでジルニトラが顔をあげた。

 大きく目を見開いてこちらを見つめてきている彼へ、フィアレッタは柔らかい笑みを見せる。


「妖精たちの中には、レースディア家が本当に心を入れ替えているのであれば再度協力したいと考えている子たちもいるようです」


 ぱち、ぱち。

 ジルニトラの赤い目が数回ほど瞬きを繰り返す。

 失意と驚愕、そしてかすかな希望――さまざまな思いが彼の目の奥で無数に弾けていた。


「古くからレースディア家を知っている妖精や幻獣たち相手には時間がかかってしまうことでしょう。ですが、関係改善が不可能なわけではありません」


 全ての妖精や幻獣たちと和解するには、かなりの時間がかかってしまうだろう。

 だが、時間をかけてゆっくりと関係を改善していき、古くから生きている妖精や幻獣たちと和解するのも不可能ではない。

 手に持っていたティーポットを置いて、元気づけるようにジルニトラの手を両手で包み込む。フィアレッタの手のぬくもりがジルニトラに伝わり、彼の目をきらりと強く輝かせた。


「……しかし、妖精や幻獣たちと和解するといっても、一体どうしたら……」

「大丈夫ですよ、旦那様。わたしに案があります」


 ジルニトラの手を両手で包み込んだまま、わずかに手に力を込める。

 彼の両手を優しく握るようにして、すぐ目の前でふわりと優しく微笑んでみせた。


「一緒にお出かけしましょう!」

「……は?」


 再度、ジルニトラが数回ほど瞬きをし、ぽかんと浅く口を開ける。

 冷酷な印象すら与えそうなほど冷たい印象があるからだろうか。ジルニトラがするには非常に珍しい表情であるように思えた。

 にこにこと笑顔を浮かべたまま、フィアレッタはさらに言葉を続ける。


「シュネーガイスト領にある茶葉の産地へ一緒に行きましょう。旦那様の気分転換にもなるはずですし」

「……なぜ……急に、外出の話になるんだ?」


 ジルニトラがその疑問を口にした瞬間、フィアレッタの目がきらりと輝いた。


「簡単なお話です。妖精や幻獣たちが好む植物はいろんな種類があるんですが、その中でも多くの妖精や幻獣たちが好んでいるのが『茶の木』なんです」


 嘘ではない。まだフィアレッタ・フェルドラッドだった頃、妖精や幻獣たちと過ごす中で発見したことだ。

 妖精や幻獣たちはさまざまな植物を好んでいるが、その中でも茶の木には多くの妖精や幻獣たちが集まってくる。彼ら彼女らが妖精茶を淹れる際も人間たちが育てている茶の木から茶葉を拝借していると言われるほどだ。

 つまり、茶の木が多い場所――紅茶の有名な産地となっている町なら、妖精や幻獣たちが姿を見せやすい。

 ぱっとジルニトラの両手から手を離し、胸の前でぱちりと両手を合わせた。


「妖精や幻獣たちが好む環境がどんな場所であるのかを旦那様自身の目で確認し、彼ら彼女らが好む植物を増やして、妖精や幻獣たちが過ごしやすいと感じる環境を増やすんです。妖精や幻獣たちにとって居心地が良い場所が増えれば、旦那様の決意も本物なんだってわかってもらえると思いませんか?」


 ジルニトラが自身の顎付近に手を当て、無言で考える。

 彼が何を考えているのか表情から読み取るのは難しい――が、彼の赤い目の中では、絶えず無数の光がぱちぱちと弾けている。

 黙り込んでから数分。長く感じられる時間が流れる。


「……俺は、そちらに『侯爵夫人としての役割は果たさなくていい』と言った」


 独り言を呟くかのような声量で、ジルニトラが問いかけてくる。


「その外出は……フィアレッタ嬢。侯爵夫人としての役割を果たすためか?」


 じぃ――と。ジルニトラの目が静かにフィアレッタを見つめてくる。

 フィアレッタ本人の中にも、上に立つ者として、貴族として、領主の妻になった者として、現在のシュネーガイスト領を良いものに導きたいという思いがある。

 けれど、己の中で燃える思いはそれだけではない。


「……領民たちの暮らしをより良いものにしたいという思いはあります」


 フィアレッタもまた、呟くような声量で言葉を返し、ジルニトラを見つめ返す。

 決して目をそらさずに、まっすぐと。


「ですが、それだけではなく、旦那様に少しでも休んでほしいという願いもあります」


 ぴくり。ほんのかすか――本当にほんのかすかな動きだが、ジルニトラの指先が動いた。


「……これは、わたしが自分からやりたいと思って行動に映したのです」


 だから、これは自分がやりたいと思って行動に映したことだ。

 役割を果たすためにという思いもあるけれど、自らやりたいと思ったから、自ら行動に移したいと考えたがゆえの行動なのだ。


「結婚した日、旦那様はこうもおっしゃいましたよね。『好きなことをして過ごしてほしい』と」


 最後にそう言葉を紡いで、にっこりと唇を持ち上げて目を細めてみせる。

 ジルニトラはわずかに目を見開き、何か言いたげな様子を見せていた――が。やがて浅くため息をつき、小さく首を縦に振った。

 仕方がないといわんばかりに眉尻を下げ、困ったように笑いながら。


「……わかった。そういうことなら出かけるとしよう」

「……!」

「有名な紅茶の産地なら、いくつか心当たりがある。それに、これを機に紅茶作りを任せる町を増やしてもいいだろう。紅茶なら我が領特有の銘柄として売りに出しやすいしな」


 ふつり、ふつりとフィアレッタの胸の奥で歓喜が湧き上がる。

 次々に湧き上がってくるその感情に背中を押されるまま、ばっとジルニトラの手を強く握った。

 もっと難しい顔をされるのも、断固として首を縦に振ってくれないパターンも考えて、ひそかに覚悟していたからだろうか。顔が温かく感じられて、笑みがこぼれるのを抑えられない。


「本当にありがとうございます、旦那様!」

「……だから、その旦那様というのは……ああいや……いいか、もう」


 ジルニトラが一瞬だけ難しい顔をし、何か考えて、最後にはまた仕方ないといいたげに薄く笑った。

 無事に外出の許可をもらえたのも、馬車の中ではあんなに険しい顔をしていたジルニトラがこんな緩んだ表情を見せてくれるのも――今のフィアレッタには、全てが嬉しくて素晴らしいことであるかのように感じられた。

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