3-6

 人の気配が少ないティムバーの村を歩き、見えてきた北門をくぐって、数分。

 少女に教えてもらったとおり、北の方角へ向けて歩いていけば、彼女が口にしていた森が見えてきた。


 木の葉が真っ白に染まった神秘的な森だ。まるで雪や氷に閉ざされたかのように白く染まっているが、凍てついてそうなっているわけではない。落ちていた葉に手を伸ばして触れてみると、普通の木の葉と同じ柔らかさが指先に伝わってきた。

 足元にはフェブラン草が咲き誇り、足元まで白く彩られている。きっと、この森はフェブラン草の群生地――立ち並ぶ木々たちもフェブラン草のように、元々白い葉を持つ種類の木々なのだろう。


 森の入り口と思われる場所には看板が立てられている。長い年月を感じさせるほど古びた看板には、すっかりかすれて読みづらくなっているが、文字が綴られていた。

 ベルラスの森――なるほど、どうやらこの森はそう呼ばれているらしい。


「全てが白い森……こんな森が存在していたのですね……」


 そう呟いたバートランドは眼前の景色に圧倒されている。

 足元の草から立ち並ぶ木々まで、全てが白く染まった森など、ここ以外では目にできない。現実味の薄い光景を前に圧倒されるのも無理はない。


「フェブラン草の群生地になっているようですから、木々もフェブラン草と近い性質があるのかもしれませんね……」

「……もし、フェブラン草と似た性質があるのなら、この木々を使った加工品もシュネーガイスト領の特産品にできそうですね」

「確かにできると思いますが、ここは妖精たちが住まう地のはずです。過度に人の手を入れようとしたら妖精たちとの関係が悪化するおそれがありますから、個人的にはあまりオススメはできません」


 もし手を入れるのであれば、慎重に。

 そう言葉を付け加えながら、フィアレッタはベルラスの森へ足を踏み入れた。

 さく、さく。足を前へ踏み出すたびに足元で草や土を踏む音がする。


 己の背丈を軽く越し、天へ向かって大きく枝を伸ばした木々を見上げたり、周囲へ注意を向けたりしながら奥に進んでいく。

 けれど、いくら奥へ進んでも妖精や幻獣らしき姿や影がフィアレッタの目に映ることはない。

 やがて辿り着いた広場で足を止め、フィアレッタはぎゅっと目を細めて険しい顔をする。


「……やっぱり……これは……」


 畑の土を調べた際に感じた嫌な予感が、はっきりと形を帯びてくる。

 肌を撫でる空気には、確かに慣れ親しんだ妖精や幻獣の魔力が含まれている。

 だが、いくら周囲を見渡しても耳をすませても、耳に馴染んだ妖精たちの歌声や幻獣たちの鳴き声は聞こえない。

 多くの妖精や幻獣が息づいていてもおかしくないのに、彼ら彼女らの気配も姿も感じられないというのは――まるで森全体が死んでしまっているかのようだ。


「……バートランド」

「は、はい。なんでしょうか、奥様」


 さく――と背後で草を踏む音がしたタイミングで、同行者である彼の名を呼ぶ。

 ドレスの裾が汚れるのも構わず、フィアレッタはその場に座り込む。

 持ってきたトランクケースを置いて蓋を開くと、中に入れていたボトルとティーカップを取り出した。

 ボトルの中身をティーカップへ注いだ瞬間、草木の爽やかな匂いの中に紅茶の芳醇な香りが溶け込む。


「少しの間、木々の後ろに隠れていてください。今から、ここで暮らしているはずの妖精たちと対話を試みます」

「……えっ? よ、妖精たちとの……対話ですか?」


 返ってきたバートランドの声は、ぽかんとした――驚いたことを一切隠さない声色だ。

 けれど、発された声の奥にはかすかな好奇心が潜んでおり、思わずフィアレッタの口元が緩む。

 妖精や幻獣たち、幻想の世界に住まう隣人たちに慣れていないからこその反応は、彼ら彼女ら幻想の世界の隣人たちに慣れきったフィアレッタからすると新鮮で――同時に、可愛らしさがある。


「はい。ですので、少しばかり身を隠していてください。ここには、警戒心が強い妖精や幻獣たちが多く暮らしている可能性もありますから」


 言いながら、ボトルをトランクケースの中へ戻し、続いてキャンディスの瓶を取り出してその場に置いて、続いてティースプーンを用意する。

 スプーンを持った手で一度トランクケースを閉めると、その上にティースプーンやキャンディスの瓶、紅茶を注いだティーカップを置いた。


 ティースプーンでキャンディスをすくい、甘やかさとハーブの香りをまとったシロップごと氷砂糖を数粒ほど紅茶に加える。

 そのまま、キャンディスをすくうのに使ったティースプーンで紅茶をかき混ぜる。

 溶け切っていない氷砂糖がティーカップの側面に当たり、かろかろと涼やかな音をたてた。


「何が見えても、何が聞こえても、決して声を出さないように」


 最後にやや強い口調で付け加え、きんとティースプーンでティーカップの縁を叩いた。

 バートランドからの返事はない。かわりに、彼が動いた気配と草を踏んで茂みを分け入る音がする。それこそがバートランドの返事だ。

 一見すると、貴族の少女が森の中で一人きりのお茶会を楽しんでいるかのような現場で、フィアレッタは静かに手元のティーカップを口元に運んだ。

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