3-5
ティムバーは、レースディア家の屋敷から馬車で数時間ほど走った先にある村だ。
古くから数多くの食料を生産していた農村で、特にティムバーで作られる小麦と、それを原材料にしたパンは非常に美味しいと評判だそうだ。
……それも、不作が続く今となっては遠い過去のものになりつつあるが。
「……ここが、あの報告書にあったティムバー……」
両手で持ったトランクケースを持ち直し、フィアレッタはぐるりと周囲を見渡す。
人の手がより多く入った町に比べると、ティムバーはのどかな田舎という印象がある村だ。より多くの緑が残されており、自然の中に村が存在しているというような雰囲気と印象がある。
並んでいる家のすぐ傍には畑が作られており、どれもそれなりの広さがあるが――どの畑を見ても、作物はほとんど育っていない。ちらほらと育っているものもあるが、数が少ないうえに活力も感じられなかった。
村全体の雰囲気も心なしか落ち込んでおり、どんよりした空気に満ちている。
「……報告書からも感じられましたが、状態は深刻そうですね」
「ええ……」
一緒についてきてくれたバートランドもあちらこちらへ視線を向け、活気のない村を前に苦い顔を見せている。
改善したほうでこれなら、かつてはもっとひどかったのだろう。弱々しいとはいえ作物が多少育っているだけ良くなったのだろうが、まだ苦しいのには変わりない。
強く拳を握り、大きく深呼吸をする。綺麗に整えられた爪がフィアレッタの手のひらに強く食い込む。鋭い痛みが手のひらに走るが、気合いを入れるにはちょうどいい痛みだ。
「……まずは、ここの人に少し話を聞いてみたいところだけれど……」
人影を探して歩きながら、ざっと村を見渡してみる。
外を出歩く村人の姿はほとんど見当たらない。農村ならもっと農作業に精を出す村人がいてもおかしくないというのに、どの畑を見ても持ち主らしき人影は見当たらない。
収穫できる作物の量が減っているからそれに伴い仕事量が減り、外を出歩く村人の数が減ったのか――あるいは、長く続く不作の影響でティムバーで暮らす村人の人数そのものが減ってしまったのか。
思考を巡らせては苦い思いを噛みしめるフィアレッタの耳元で、ふと。
「奥様」
バートランドが一言だけ耳打ちし、村の一角へ目を向けた。
つられてそちらに目を向けると、村人らしき少女が大きなジョウロを両手で持って歩いているのが見えた。
大体フィアレッタと同じぐらいの年齢に見えるその少女は、ところどころを継いで直したツギハギのエプロンドレスを身にまとっている。
フィアレッタはバートランドへ、バートランドはフィアレッタへ、互いに視線を向け、小さく頷き合う。
そして、フィアレッタを先頭に、あえて足元の砂を強く踏んで大きく足音をたててからジョウロを運ぶ少女へ近づいた。
「お忙しそうなところ申し訳ありません。少々よろしいですか?」
「……え?」
少女の足が止まり、こちらへ振り返る。
彼女は田舎ののどかな風景に似合わない二人組を見て目を丸くした。
だが、距離を取ったりどこかに逃げ込もうとしたりせず、ジョウロを持ったまま身体ごとこちらへ向き直った。
「ええと……貴族の方ですか?」
「はい。フィアレッタと申します。お忙しいシュネーガイスト領主のかわりに、ティムバーの視察にまいりました」
フィアレッタがそういった瞬間、少女の両目がぱっと強く輝いた。
絶望していたところに救いの手を差し伸べられたかのように。
どうしようもない現実をなんとかしてくれるかもしれない、かすかな希望を見つけた人のように。
それだけの反応で、彼女がどれだけの不安を抱えて過ごしていたかが鮮明に感じ取れた。
「報告書によれば、ティムバーではいまだに不作が続いているとのことでしたが……」
「はい……。領主様がこれまでにいろいろと手を尽くしてくださったおかげで、少しは回復したんですけど……まだ十分な量の小麦は収穫できていません。私の家はまだマシなほうで、三軒先のご近所さんはもっとひどい状態だってお母さんは言ってました」
そういって、少女は畑へ目を向ける。
彼女が向かおうとしていた畑には何らかの作物が植えられているが、その量はほんの少しだ。それなりの広さがある畑を全て埋めるには到底足りず、作物――おそらく小麦だと思われるが、育ち具合も悪い。
どの小麦の茎も太さが不十分で、ひょろひょろとしている。麦踏みをしたら、そのまま茎がぺしゃんこになって立ち上がらなくなってしまいそうなほどに。
「確かに、あまり育っていないようですね……」
言いながら、フィアレッタは畑へ歩み寄る。
ぱっと見ただけでは普通の畑にしか見えず、いくら見渡しても原因らしき原因は見当たらないように映る。
これまでにジルニトラが不作を改善するために手を入れているとわかっているのもあって、いくら調査をしても原因は見当たらないように思えてしまった。
だが、手を入れているはずなのに不作が改善しないということは、原因がまだどこかに存在しているということだ。
「これまで領主様はどんな対策を?」
「ええと……病気の対策とか、土壌の改善とか……。あっ、あと、畑の土にも魔力を込めて成長が促進されるようにしてくれたんですけど……」
少女の話に耳を傾けながら、畑のすぐ傍で片膝をついて座った。
そのまま畑の土をわずかに手に取り、包み込むようにして自身の手のひらに乗せる。
ドレスの裾や指先が汚れてしまうのを一切気にしないフィアレッタの行動に、バートランドはもちろん、フィアレッタにあれこれ話をしてくれていた少女も目を丸くさせた。
「フィアレッタ様、一体何を……?」
「貴族様?」
バートランドと少女が不思議そうに声をかけてくるが答えずに、目を伏せて意識を集中させる。
「この目に見せろ コルンムーメのささやき声 豊穣の光 降り注げ……」
歌うように、流れるように、フィアレッタの唇から古き魔法の言葉が紡がれた。
瞬間、フィアレッタの周囲でふわりと風が起きた。
フィアレッタを中心に、足元から風が緩やかに吹き上がり、髪やドレスの裾を控えめに揺らす。
風とともに地面から柔らかな光も一緒に舞い上がって、きらきらとフィアレッタの髪や身にまとうドレスを光の粒で飾った。
しだいに光の粒たちはフィアレッタの手の中にある畑の土へ集まっていき――やがて、その輝きを失わせていく。
見る者に幻想的な印象を抱かせる光景に、バートランドも少女も一言も言葉を発さず――否、言葉を発せずにフィアレッタを見つめていた。
「……なるほど……」
しんと静まり返った空気の中、浅く息を吐き出した。
伏せていた瞼をゆっくり持ち上げて、手の中にある土を畑へと戻して立ち上がる。
はじめてシュネーガイスト領を馬車の中から見たとき、なんともいえない妙な違和感を覚えていた。
はじめてジルニトラへ妖精茶を淹れたときも、妖精や幻獣の気配を感じないという違和感を覚えていた。
この違和感は一体なんだと首を傾げ続けてきたが、土の状態を確認するために魔法を使った今ならあんな違和感を覚えたのも納得できる。
この地には、妖精の加護も幻獣の魔力も感じられない。
フィアレッタが先ほど唱えた古い魔法の言葉――あれは、妖精たちから教えてもらった言葉のうちの一つ。大地に宿る祝福の力を可視化し、目や肌で感じやすくするものだ。
長く妖精や幻獣たちと共存してきたパンタシア王国の大地には、妖精や幻獣たちの祝福や魔力が宿っている。大地に宿ったそれらの力は植物の成長を助け、作物の実りを助けてくれている。
パンタシア王国の領土であるシュネーガイスト領も例外ではないはず。
だというのに、魔法で光の粒として可視化された祝福の力は非常に少なかった。全く含まれていないと表現しても過言ではないほどに。
そして、妖精茶を淹れるときに覚えた、妖精や幻獣たちの姿が一切感じられなかったという違和感。
これは。
これは――シュネーガイスト領には、妖精や幻獣が全くといっていいほど存在していないということだ。
過去の歴史から考えれば、昔から妖精や幻獣がいなかったわけではない。
おそらくだが、何らかの理由によって元々息づいていた妖精や幻獣が姿を消した結果、大地に宿る祝福や魔力が弱まっていき――今に至るのだろう。
いくら対策をしても不作が解決しないのも納得だ、健やかに植物を育てるために必要な力が不足してしまっている状態なのだから。
もう一度息を吐き出し、フィアレッタは少女のほうへ振り返る。
「ティムバーの村から近い距離に、妖精や幻獣たちが多く暮らしている場所はありますか? 森でも湖でも、廃墟でも構いません。とにかく過去に妖精や幻獣たちの姿が多く確認された場所はありませんか?」
「えと……それなら、村を出て、北に少し歩いた先に森がありますけど……。北門から出たらすぐに辿り着けると思います」
「北へ少し歩いた先に……ですね。ありがとうございます」
お仕事を邪魔してしまってすみません、頑張ってくださいね。
最後にそう言葉を告げて、フィアレッタは少女へ深々と頭を下げる。その後、迷いのない足取りで北へ向かって歩き始めた。
少々遅れて、背後からバートランドが追いかけてくる。
「奥様、一体何をされるおつもりなんですか? なぜ村の調査ではなく、北にある森へ……」
「バートランド」
たった一言、彼の名を呼んで言葉を遮る。
ちらりとわずかに振り返って視線も送れば、バートランドは一瞬だけ両肩を跳ねさせたあと、唇を閉ざした。
じぃと静かにバートランドを見つめたのち、フィアレッタは顔に深刻さを滲ませた。
「森で確かめたいことがあります。……結果によっては、不作の真の原因も明らかになるはずです」
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