3-4
また同じものを用意してくれるだろうか。
ジルニトラがそういった日から、フィアレッタとジルニトラのティータイムは二人の日常の一部となった。
拒否されることも覚悟していたのだが、ジルニトラはフィアレッタが用意した妖精茶の味を気に入ってくれたのか、いつでも快くフィアレッタを執務室の中に迎え入れてくれた。
正直とても驚いたし、今でも驚いているのだが、少しでも彼を休ませたいと考えているこちらからするとありがたい。
「旦那様、フィアレッタです」
こん、こん。
すっかり日常となった呼びかけをし、執務室の扉をノックする。
普段ならここですぐに入室許可が入るのだが、今日はすぐに聞こえてくるはずの声がなかった。
「旦那様? 今日のお茶をお持ちしたのですが……」
こん、こん。
集中していて聞こえないのだろうか――首を傾げながら、フィアレッタはもう一度扉をノックする。
しかし、やはり扉の向こうから反応はなく、フィアレッタの声が静寂に溶けるばかりだ。
「……入りますね?」
どうかしたのだろうか。
よほど集中しているのか、はたまた違う理由か、それとも。
一瞬だけ脳裏に浮かんだ最悪の光景を頭の片隅に追いやり、フィアレッタは片手でティーセットを乗せたトレイを持ち直し、もう片方の手で扉を開けた。
少しだけドキドキしながら執務室の中を覗き込む。
執務室は、今日も変わらずに不安を覚えそうなほどの静寂が広がっている。
いくら耳をすませても人の声は聞こえず、時計の針が時を刻む音のみが聞こえる中――部屋の主が普段向かっている執務机に彼の姿はない。
かわりに、ティータイムを過ごす際に使っているソファーの上にその姿はあった。
「……あら」
目をしばたかせ、フィアレッタは静かに彼のほうへ歩み寄る。
部屋の主であるジルニトラは、ソファーの上に身を縮こませ、小さく寝息をたてていた。
申し訳程度に薄手のブランケットを身体にかけて眠る彼の目元には、べっとりと青黒いクマがある。顔色も心配になりそうなほどに青白く、これで動けていたのが不思議なぐらいだ。
少し珍しい姿だが、妖精茶を繰り返し飲むうちに張り詰めていた精神が緩んだのだろう。
常に極限状態にあったのが、こうして少しでも休める状態になるまで回復したというのは少し嬉しく、安心するものがある。
ローテーブルに今日の分の妖精茶を置き、フィアレッタはジルニトラへそっと手を伸ばした。
「……本当にお疲れなんだわ……」
よほど深く眠っているらしい
フィアレッタがジルニトラの頬に軽く触れても、顔にかかっている彼の髪を指先で優しく払っても、穏やかな寝息をたて続けている。
優しく彼の目元に触れて、目の下に深く刻まれたクマを優しく撫でる。
簡単に触れられる距離で改めて目にすると、とても痛ましい姿だ。数日ちょっと眠るくらいでは解消できなさそうなほど色濃く刻まれたクマからは、それだけジルニトラが己を追い詰めていたのだという事実が読み取れる。
……せめて今だけは、夢も見ないほどに深く眠ってほしい。
ジルニトラに飲ませていた妖精茶の効果で、穏やかで安らぐ眠りが約束されているはずだから。
そっと小さく息を吐き、極力静かにジルニトラの傍を離れる。
直後、執務室の扉が数回ほどノックされ、ゆっくりと開かれた。
「失礼します。旦那さ、ま――?」
「あっ、バートランド」
執務室に姿を見せたのはバートランドだ。
数通の手紙を乗せたトレイを持っている辺り、どうやらジルニトラ宛に届いた手紙を持ってきたらしい。
バートランドは部屋の中にいたフィアレッタの姿にまず驚き、続いて執務室を見渡して眠っているジルニトラの姿に目を皿にした。
自分たちが何を言ってもまともに休もうとしながったジルニトラが眠っている――休息をとっているというのは、非常に大きな衝撃を覚えるものだったようだ。
「……旦那様は眠っておられるのですか?」
わずかに声を潜めて問いかけてきたバートランドへ、小さく頷いて返事をする。
「はい。わたしが来たときには、すでにお休みになられていました。……ここ数日お持ちした妖精茶の魔法が効いてきて、張り詰めていた精神が緩んだんだと思います」
「私たちが何を言っても駄目でしたのに……これが妖精茶の、祝福の力ですか……」
形はお茶という可愛らしいものとはいえ、本物の妖精茶は古い魔法だ。それも、長い時を生きてきた妖精たちが扱う古い時代の魔法。
普段目にしている妖精茶が効果のない偽物ばかりで、こういった古い魔法にも慣れていないのであれば、その効果は非常に大きなものとして映るのだろう。
まん丸く見開いた目をしばたかせるバートランドを少しの間だけ微笑ましい視線で眺めてから、フィアレッタは執務机に歩み寄った。
「……こうして間近で見ると、本当にすごいなぁ……」
執務机はそれなりの広さがあるが、所狭しと書類や手紙が積まれている。
左半分にはまだ確認していない報告書と手紙が、右半分には確認済みの報告書と手紙が置かれている。確認済みの報告書や手紙もかなりの量があるが、それ以上に未確認のもののほうが多い。
こんな量の仕事をたった一人でこなそうとすれば、いつか必ず身体を壊してしまう。
「ええ、本当に。……あまりにも無理があることをされています」
すぐ傍でバートランドの声がする。
いつのまにかフィアレッタのすぐ傍まで移動してきていたらしい。手にしているトレイを執務机の片隅に置き、彼は深いため息をついた。
発された声に浮かぶのは、ジルニトラを心配する思いと少しの呆れだ。
「これだけの報告書があるんですから、内容の確認だけでもお手伝いをお願いしたらいいのに……」
呟きながら、フィアレッタは未確認の報告書のうち、上から一枚を手に取った。
内容に少し目を通してみると、どうやら不作に悩まされているらしい。これまでもジルニトラが報告を受けて対処してきたようだが、一向に終わりが見えないと悲痛な叫びが記されていた。
「……この報告書にある村は、そんなに長く不作に悩まされているんですか?」
ちらりとバートランドを見上げ、問う。
フィアレッタが領地の問題に興味を示すとは予想外だったのか、バートランドはわずかに驚いた様子を見せたが、首を縦に振って肯定した。
「これでも旦那様が調査と対策を重ね、最初の状態よりは回復したほうではあります。ですが、まだ不作は終わらず……農村で暮らしている村人たちには苦しい思いをさせてしまっているのが現状です」
はじめてシュネーガイスト領へ来たときの景色を思い出す。
あのとき、ぱっと見た印象ではシュネーガイスト領は貧困に陥っている印象はなかった。
違和感はあれど大地が枯れているわけではなく、適度に自然を残しながら発展している。
けれど、蓋を開けてみれば解決しない不作に悩んでいる人々がいる。
「……ねえ、バートランド。少し出かけたいんだけど、ついてきてもらえますか?」
「お出かけですか? もちろんですが……一体どちらまで?」
手の中の報告書を元の位置に戻し、言う。
「この報告書にある農村まで、何が起きているのか見に行ってみたいんです」
不作を叫ぶ場所の名はティムバー。
シュネーガイスト領に存在する村のうち、多くの食料を生産していた――もっとも長く不作に悩まされている村だ。
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