3-3

「……?」


 胸の奥で感じた感覚に心の中で首を傾げ、ジルニトラは己の手を見つめる。

 今のが何だったのか考えてみるが、答えに辿り着くことはできず、ただただ疑問がジルニトラの中で残るだけだ。


「旦那様? どうかされましたか?」


 今のは一体――。

 思考の海に落ちかけていた意識がフィアレッタの声で引き戻される。

 はっと我に返って顔をあげれば、正面の席に座り、不思議そうに首を傾げているフィアレッタが視界に映った。


「……いや、なんでもない。気にするな」


 そうだ、きっと気のせいだ。何かを感じたような気がしただけで。

 首を傾げる内なる自分に言い聞かせ、ジルニトラは目の前に置かれたティーカップへ手を伸ばした。

 持ち手を持つ際に指先がティーカップの側面にわずかに触れ、確かな熱をジルニトラへと伝えてきた。


「……いただこう」

「どうぞ。旦那様のお口に合ったら嬉しいです」


 一言、口にしてからティーカップを口元に寄せる。

 ペチュニアの花が描かれたそれをゆっくり傾ければ、適度な温度で保たれた紅茶が舌の上に広がる。

 甘く爽やかな香りは幼い頃から何度か楽しんできたベールクティーとよく似ているが、かすかにリンゴを思わせる香りも含まれており、慣れ親しんだベールクティーよりもさらに爽やかさを感じさせる。

 広がる味は、まろやかですっきりとした甘みと爽やかな渋み、そして強いコク。甘みと渋みとコク、バランスの取れた味わいだ。

 だが、ふと。茶葉が持つものとは異なる甘みが舌に触れた。


「……?」


 はっきりとした――けれど、不快感のない甘み。

 茶葉が持つ甘みが自然な甘さなら、今感じたのは後から付け加えた人工的な甘さだ。


「……もしや、砂糖か何かを加えたか?」


 ちらりとフィアレッタへ視線を向けて問いかければ、目の前の少女はこくりと首を縦に振った。


「はい! バートランドから旦那様はこの時間、お仕事をされていると聞いたので……。少しでも疲れが取れるようにと、少しだけ砂糖を加えました。甘いものは疲れを癒してくれるというお話を聞いたことがあるので」

「……そうか」


 ……バートランドから聞いて、わざわざ甘みを加えてくれたのか。

 甘いものは疲れに良いという説を信じて。


 先ほども感じた温かな感覚が胸の奥にじんわりと広がっていく。

 一人の少女が自分のために用意してくれたということがなんだか嬉しくて――少しだけくすぐったい。

 もっと何か言うべきなのだろうが、それ以上の言葉が思い浮かばず、もう一口紅茶を飲む。


 一口目はわずかな驚き。

 二口目は安らぎ。


 フィアレッタが用意した紅茶の正体はいまだにわからないが、慣れ親しんだ紅茶に近い味を楽しむたび、不思議と不安や焦りで揺れていた心が落ち着いていく。

 互いにほとんど会話がなく、お茶会というには静かすぎる。

 それでも、この静寂は普段この部屋で感じているものよりはるかに軽く、むしろ安らぎさえ覚えるようだ。


「どうでしょう、旦那様。お口に合いますか?」


 こてりと可愛らしく首を傾げ、フィアレッタがそう問うてきた。

 こちらの姿を真っ直ぐに見つめ、きらきらした目を向けてくる姿はなんとも可愛らしい。

 己の口元がほころびそうになるのを感じながら、ジルニトラは一言、静かな声で答えた。


「……ああ、とても」


 一口飲むごとに、不安を優しく解きほぐしてくれるかのようで。

 心配も、焦燥感も、優しく寄り添って癒してくれるかのようで。

 とても美味しく――落ち着くものがある。少しの眠気も覚えてしまいそうなほどに。


「……また、用意してくれるだろうか。同じものを」


 気づけば、ぽつりとそんな言葉が唇からこぼれ落ちていた。

 はっとして自身の唇を軽く押さえるも、言葉はすでにフィアレッタの耳に届いており、取り消すことはできない。

 少し驚いたように目を丸くしていたフィアレッタだったが、やがて嬉しそうに口元を緩ませ、次の瞬間にはぱっと花が咲くかのように満面の笑みを見せた。


「はいっ! またご用意しますね。わたしも旦那様と一緒にお茶が飲めたら嬉しいですから」


 負担になるようであれば無理はしなくていい――。

 とっさに言おうとしたジルニトラだったが、先にそう返されてしまえばもう何も言えない。


「……ああ。頼んだ、フィアレッタ嬢」


 自分の要望に、自由に過ごしてほしいと願った相手を付き合わせてしまうのは申し訳ないと思う。

 けれど、この味をまた楽しめると喜んでいる自分がいるのも、また事実だった。

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