2-8
上がった煙からベールクティーの甘やかで爽やかな香りと、キャンディスのリンゴを思い起こさせるような爽やかさのある香り――似ているけれど少し違う二種類の香りが合わさり、違和感なく混ざりあった香りが感じられる。
そうっとティーポットの蓋を閉め、フィアレッタは元気な声で一言、宣言した。
「これで完成です!」
その声を合図に、使用人たちの意識がはっと引き戻された。
バートランドもいつのまにか目の前の光景に釘付けになっていたことにようやく気づき、短く息を吐き出す。
レースディア家に仕える者として、我を失うなんてことがないように日頃から気をつけていたつもりだったというのに、簡単に目を――意識を、心を奪われた。
フィアレッタがしていたことは、特別製とはいえ、紅茶を淹れていただけなのに。
「……魔法だ」
はつり。言葉がバートランドの唇から一言、こぼれ落ちる。
その声に反応し、フィアレッタは彼のほうへ目を向けると、にぱりと悪戯に成功した子供のように無邪気に笑ってみせた。
「ええ、魔法です。……妖精たちは日常生活の中にも魔法を織り交ぜて、悪戯をするんですよ」
ここ、シュネーガイストの地には妖精の気配は感じられない。
けれど確かに、妖精の魔法は、悪戯は、奇跡はもたらされた。
フィアレッタという、妖精たちの寵愛を受けた少女の手によって。
「さあ、冷める前にジルニトラ様のところへ持っていきましょう。お茶自体に甘みがあるのでお茶菓子はつけずに。それから、わたしの分として、普通のベールクティーを一杯お願いします」
「奥様の分も……ですか?」
「はい」
きょとんとした顔で目を瞬かせたヘッドキッチンメイドへ、フィアレッタは大きく頷く。
「わたしがジルニトラ様の下へこれを持っていきます。わたしの分も紅茶も一緒に用意されていたら、ジルニトラ様もお茶のお誘いを断りにくくなると思いますから」
ジルニトラの分だけを用意して持っていっても、その場ですぐに飲んでもらえる可能性は低い。あれだけの仕事を一人でこなそうとしているのだ、あとで飲もうと思ってそのまま忘れられてしまう可能性が高い。
けれど、一緒にいる誰かの分まで用意されていたら?
自分一人だけではなく、誰かと一緒にお茶を楽しむ状況になったら?
……そっけなく断られてしまう可能性ももちろんゼロではないが、その場でお茶を飲んでくれる可能性も高くなるはずだ。
「なるほど……旦那様がお茶を飲む必要がある状況を作り出す、と……」
「皆様ではなく、わたしが持っていくだけでも断りづらくなるかもしれませんしね」
「わかりました。であれば、喜んでご用意させていただきます」
ヘッドキッチンメイドがそういって、深々とフィアレッタへ頭を下げる。
そして、頭をあげたかと思ったらすぐに湯を沸かしはじめ、他のメイドたちに指示を飛ばしてフィアレッタの分のベールクティーを準備しはじめた。
ただ一人分の紅茶を用意するだけなのに、ここまでのやる気を見せてくれるとは予想外で、フィアレッタは目をまん丸く見開く。
そのすぐ傍で、バートランドがそっと耳打ちした。
「もしかしたら、奥様がほんの少しでも旦那様が仕事の手を止めるきっかけになるかもしれませんから。……それだけ奥様に期待しているということですよ」
私たちが何をしようとしても、旦那様は止まってはくれませんでしたから。
最後にそう付け加え、バートランドが苦笑いを浮かべた。
お茶の誘いをするだなんて本当にちょっとしたことなのに、これだけの期待を向けられるとは――つまり、それだけジルニトラが日頃から使用人たちの思いを無視し、無理や無茶を繰り返していることを意味している。
ちょっとしたことにも大きな期待を向けられるのは少し緊張してしまうが、自然と背筋が伸びた。
「……任せてください。ジルニトラ様が少しでも休んでくれるよう、わたしもあの手この手でお茶のお誘いをするつもりでいますから」
自信に満ちた声で答えれば、バートランドもかすかにほっとした表情を見せる。
こんなに期待と希望を寄せてくれているのだ、バートランドの頼みを引き受けた者として――そして、使用人たちからの期待や希望を受け取った者として、良い結果を出せるようにしなくてはならない。
覚悟していてください、旦那様――!
一人、えいえいおーと拳を振り上げ、気合を入れる。
フィアレッタがジルニトラを絶対に休ませると強く決意する一方で。
「……?」
執務室で黙々と仕事をこなしていたジルニトラは、なんともいえない予感を覚え、一人首を傾げていた。
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