2-5

 案内されたレースディア家のキッチンは広く、魔法石で稼働するコンロや冷蔵庫といった基本的なものから凝った料理を作る際に必要になりそうなものまで、十分な調理設備が整っている。

 しっかりとした大きさの調理台やたくさんの食器をしまった食器棚、数多くの調理道具がしまわれた収納棚――広々とした室内に必要なものが全て揃っている。

 それだけでなく、使用人が休憩のために使えそうなテーブルや椅子も用意されていた。


「皆、揃っているな」


 そんな数人の使用人が集まってもスムーズに働けそうなキッチンの中。

 バートランドの隣に立ち、フィアレッタはキッチンを担当している使用人たちと対面していた。

 目の前にいる使用人たちはシェフとメイドが数人――そのうち、胸にレースディア家の家紋のバッジをつけているシェフとメイドがレースディア家お抱えのシェフとその補佐をしているヘッドキッチンメイドなのだろう。

 強い緊張の色を滲ませた彼ら彼女らの前で、バートランドが告げる。


「お前たちも知っていると思うが、こちらにいらっしゃるのはフィアレッタ様。旦那様の奥様になられたお方だ」

「改めて、はじめまして。フィアレッタと申します。今回は突然お邪魔してしまってすみません」


 嫁いできた初日にも顔を合わせているが、改めて名前を名乗り、深々と頭を下げた。

 屋敷の女主人が使用人に頭を下げると思わなかったのか、キッチンの使用人たちの間でかすかにざわめきが広がる。

 必要以上に彼ら彼女らを動揺させないよう、すかさず頭をあげ、フィアレッタはちらりとバートランドに目を向けて話の続きを促した。


「フィアレッタ様は、旦那様に特別なお茶をご用意するためにいらっしゃった。嫁いできて数日が経つが、あまりキッチンには出入りしていなかったお方だ。十分にサポートように」

「……奥様が直々にご用意されるのですか?」


 メイドの一人がぽかんとした声色でそういった。

 使用人として働いている彼ら彼女らからすれば、貴族が自分自身の手で茶を淹れるだなんて予想外のはずだ。一人では何もできないのだと憐れまれてしまいそうなほど、貴族たちは身の回りのことを使用人に任せているから。


「言っただろう。特別なお茶をご用意するためにいらっしゃった、と。……フィアレッタ様にしか淹れられないお茶だ」


 彼女の問いにバートランドが答えたあと、静かに目を細める。

 瞬間、キッチンの空気の温度が急激に下がったような――ひやりとした空気が辺りに広がった。


「それから、彼女がお茶を淹れる過程の中で何を見ても、どんなものを目にしても、決して外部に話すな。……いいな?」


 棘を含め、バートランドは使用人たちに向けてそう告げた。

 反論の声は一つもあがらない。返ってくるのは無言の肯定だ。

 決して外部に話すな、もし話した場合は覚悟をするようにという威圧感を前に、使用人たちの表情がますます凍りついていく。

 萎縮しそうな空気を変えるため、フィアレッタはぱんと胸の前で両手を叩いた。


「そういうわけで……お仕事の邪魔をしてしまって申し訳ありませんが、少し手を貸していただけると嬉しいです」

「あっ……もちろんです、奥様。なんなりとお申しつけくださいませ」


 手を叩いて音を出す。たったそれだけの動作。

 だが、たったそれだけで萎縮しそうな空気が霧散し、異なるものへ入れ替えれる。

 はっと我に返ったヘッドキッチンメイドが声をあげ、フィアレッタはそんな彼女へ柔らかな笑顔を向けた。


「ありがとうございます。それでは早速……紅茶道具を見せてもらえますか?」

「紅茶道具ならこちらの棚にしまってあります。旦那様が普段お使いになられているものをご用意しましょうか?」

「ううん、それもいいんですが……わたしが選びたいので」


 ヘッドキッチンメイドの申し出を断り、フィアレッタは教えてもらった棚の前に立つ。

 普通に紅茶を用意するのならジルニトラが普段使っているものを選ぶのがいいだろう。

 けれど、今回はそうではない。今回用意するのは普通の紅茶ではない。

 妖精茶を淹れるために必要になるのは――人間が普段使い慣れた紅茶道具やティーセットではないのだから。


「んーと……」


 棚の中には、紅茶道具と一緒に数多くのティーセットがしまわれている。

 かつてレースディア家で暮らしていた人の中にお茶の時間を楽しむ人がいたのか、ティーポットやティーカップ、ソーサーだけでなく、コーヒーカップやコーヒーミルまで――紅茶だけでなくコーヒーも楽しめるように道具が一通り揃えられている。

 まずは必要な紅茶道具を棚から取り出して調理台の上に並べておき、次にティーセットへじっくりと視線を巡らせた。


「――……」


 軽く息を吸って、吐いて、意識を集中させる。

 妖精茶を淹れるときは、使うティーセット選びから妖精たちの手を借りるのが一般的だ。周囲の妖精たちにティーセットを選んでもらい、彼ら彼女らが気に入ったそれを使って茶を淹れる――これが、妖精茶を淹れる最初のステップだ。

 けれど、肝心の妖精の声はいくら待っても聞こえてこない。

 キッチンの窓から外を見てみるも、妖精や幻獣たちの姿も気配も一切感じられなかった。


 ――おかしい。


 フィアレッタの中で内なる声が叫ぶ。

 パンタシア王国は妖精や幻獣と歩んできた国。その歴史から妖精や幻獣が多く暮らしており、土地によって違いはあるが彼ら彼女らの姿はどんな場所でも見かけるはず。

 最低でも一人や一匹ぐらいは姿を見かけたり気配を感じたりできるのに、ここでは全くといっていいほど感じられない。


 まるで、この地には最初から妖精や幻獣たちが暮らしていないかのように。


 ぞわ――と。フィアレッタの背筋を冷たいものが駆け抜けた。

 いや、最初から妖精や幻獣たちが暮らしていないだなんてありえない。仮に妖精や幻獣が最初から暮らしていないのであれば、妖精の炉心で大勢の妖精や幻獣が命を落とすという事件は起きなかったはず。

 過去にレースディア家が起こした事件の内容を考えれば、シュネーガイストの地にも妖精や幻獣たちが暮らしている――はずなのだ。


 なのに、どうしてこんなにも妖精や幻獣たちの気配を感じられない?

 ……わからない。


「……奥様? どうかされましたか?」

「あ、ううん。なんでもありません。どれも素敵なティーセットだから、どれにしようか迷っちゃって」


 は、と集中していた意識が引き戻される。

 心配そうに声をかけてきたヘッドキッチンメイドへそういって、フィアレッタはなんでもないというように緩く首を振った。

 なぜ妖精や幻獣たちの姿や気配がないのか理由が気になるが、とにかく今はジルニトラのための妖精茶だ。

 妖精たちに選んでもらうことができないのなら、自分でこれだと思うティーセットを選ばなくてはならない。

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