2-3

 レースディア家の一階は結構な広さがあるが、それは二階も同じだ。

 螺旋階段を上がり、広々とした二階の廊下をバートランドとともに歩く。

 一階の廊下には特に目立った調度品は飾られていないのに対し、二階の廊下には色鮮やかな花をいけた花瓶や落ち着いた雰囲気のある絵画が飾られている。フェルドラッド邸も廊下に花瓶を飾っているが、フェルドラッド邸で見慣れたものとはまた違った雰囲気があり、フィアレッタの目を楽しませた。


 あちらこちらへ視線を向けながら、数歩前を歩くバートランドの背中を追いかけていく。

 彼の足は二階廊下の奥を目指しており、一歩前へ進むたびに空気が少しずつ暗くなり、重さを増していっているようにも感じられる。

 自然とフィアレッタが身構える中、バートランドは前へ前へと進み続け――やがて、奥のほうに位置している部屋の前で足を止めた。


「……この部屋は……?」


 バートランドの足が止まったのに従い、フィアレッタも足を止める。

 案内された部屋は、ダークブラウンの木材で作られた扉で閉ざされている。重厚感のある色合いをしており、ドア窓は見当たらない。取りつけられたドアノッカーは少しくすんだ金色で、一種の威圧感がある。

 はて、一体何の部屋なのか――無言でちらりとバートランドを見上げれば、フィアレッタよりも高い位置にある唇がゆっくりと開かれるのが見えた。


「こちらは旦那様の執務室になります」

「!」


 旦那様の執務室。

 ということは、つまり――ジルニトラの執務室。

 馬車の中で言葉を交わしてから、とんと見ていないジルニトラの姿がフィアレッタの脳裏に浮かぶ。


「……旦那様は、こちらに?」


 バートランドから目の前の扉へ視線を移し、問う。


「はい。旦那様は集中できるからという理由で、屋敷の奥にある一室を執務室としてお使いになられているのですが……」


 そこで一度言葉を切り、バートランドは扉のノブに手をかける。

 そして、極力音をたてないよう静かに――慎重な動きで、扉をわずかに開けた。

 ノックもなしに扉を開けていいのか指摘しそうになったが、フィアレッタが何か言うよりも早く、バートランドが唇の前に指を立てた。

 声なき制止の声に、ぱっと喉から出かけた言葉を飲み込む。


 バートランドの様子からして、部屋の主に気づかれないようにしているのだろう――つまり、部屋の主に気づかれてしまったら目にできない何かがバートランドの言う『見せたいもの』なのだ。


「……あちらをご覧ください」


 すぐ傍にいるフィアレッタのみに聞こえるよう声を潜め、バートランドは片手で扉の隙間を示した。

 彼に促されるまま、扉の隙間からそっと室内を覗き込む。


 細く絞られた隙間からは室内全体を見渡すことはできず、見えるものはひどく限られている。

 その限られた視界の中――大きな窓を背に、ジルニトラがただ一人で執務机に向かっているのが見えた。


 執務机の上には複数の書類が積まれており、ジルニトラはその山の上から一枚を手にとっては内容に目を通し、判を押している。

 一枚確認したら、また一枚。

 判を押すかペンを走らせるかしたら、また新しい書類へ――休む様子もなく、機械か何かのようにただひたすらに同じ動作を繰り返し続けている。


 彼の他に人の気配が感じられない部屋の中、無言で書類を確認し続けるその姿は、遠目から見ているだけでも心配になるものがあった。

 見てはいけないものを見てしまったかのような気分になり、フィアレッタは思わず後ろへ一歩下がる。

 そして、できるだけ静かに扉を閉めてから数歩後ろに下がり、バートランドへ目を向けた。


「……バートランド、これは、一体……」


 喉から出たフィアレッタの声は、自分でもわかるぐらいに動揺している。

 脳裏に繰り返し浮かぶのは、つい先ほど目にしたばかりの景色だ。

 ジルニトラ以外の気配が感じられず、限られた音しか聞こえない――重苦しい沈黙に満ちた部屋の中でただひたすらに書類を確認していくジルニトラの姿。

 一人だけで全て確認するにはとても時間がかかりそうなのに、誰の手を借りようともせず、まるで自分自身を追い詰めるかのように仕事をこなす様子は寒気を感じるものがある。

 動揺するフィアレッタとは反対に、落ち着いた様子でバートランドが答える。


「ご覧のとおりです」

「……ご覧のとおり、って……」


 す、と。

 バートランドが再度執務室に繋がる扉を見る。


「レースディア家の現当主になってからというもの、旦那様は全ての仕事をお一人でこなそうとされています。我々使用人がいくら手伝いを申し出ても全て断り、あのように領民からの手紙や報告書に目を通し、時間が許す限り机に向かっておられるのです」

「旦那様お一人で、全て?」


 使用人たちからいくら手伝いを申し出られても断って、たった一人だけで。

 時間が許す限り、あの部屋の中で、ただひたすらに。

 そんなの、そんなの――。


「そんなのは……無茶です! 手伝いもなしにあれだけの量の報告書に目を通し、自分宛てに送られてきた手紙も全て確認するだなんて……!」


 自分の耳を疑いたくなった。

 いや、実際にフィアレッタは自分の耳を疑った。聞き間違いではないかと。

 扉の隙間から覗き見ただけでも、執務机にはかなりの量の書類が積まれていた。遠目からは見えなかったが、バートランドの言葉から考えると、書類だけでなく彼宛ての手紙もあるのだろう。


 使用人や信頼できる人間の手を一切借りずにあれだけの量を全て捌き切るには、かなりの時間が必要になるはず。他の領主の仕事もこなさなければならないことを考えると、時間が足りなくなるはずだ。

 補佐を入れず、自分一人だけで全てをこなすだなんて――無茶にもほどがある。


 そう主張しようとしたフィアレッタだったが、は、と。

 突然、脳裏にジルニトラと出会ってから今日までの記憶がよみがえった。

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