1-3

 エヴァンがこの話を独断で断らず、フィアレッタにまで通した理由――それがまだ、わからない。

 フェルドラッド家が敵視する家が持ち込んできた話なのだ。エヴァンの独断で一方的に断り、フィアレッタがこの話を知らないままに終わらせることもできたはずなのに。

 妹に幸福な人生を歩んでほしいと強く望み、フィアレッタが結婚するならその相手を慎重に選ぶと決めていた彼のことだ。敵視する家の人間なんて信頼できないと判断してもおかしくない――というのに、エヴァンはそうしなかった。


 その理由を問いかけた瞬間、エヴァンが表情を苦々しく歪ませた。

 申し訳なさそうに。とても苦しそうに。

 数分という長く感じる沈黙を挟んだあと、彼は重く息を吐き出した。


「……交換条件を持ち込んできたんだ」

「交換条件、ですか」

「ああ。……この婚姻を受けてくれたら、妖精の炉心の構造や弱点、問題点、対策法――炉心に関するあらゆる情報をフェルドラッド家に提供すると。レースディア家が持つ、魔法道具の開発に関する技術や知識と一緒に」


 ぱちり。フィアレッタの頭の中で、パズルのピースが音をたてて噛み合った。

 過去の歴史の中で、妖精の炉心は猛威をふるった。短時間で大量の魔力を生み出し、魔力消費が激しい上位魔法をいくらでも使える状況を作り出したためだ。

 言ってしまえば、妖精の炉心は過去のレースディア家の切り札。そんな切り札に関する重要な情報を対価として差し出してくるだなんて。

 そして、エヴァンがこれを対価としてちらつかされて悩むということは。


「お兄様。お兄様は、妖精の炉心に関する情報が必要なんですね?」


 フィアレッタがそういった瞬間、使用人たちの視線が一斉にエヴァンへ向けられた。

 ある者は驚愕の色をはっきりと視線に乗せて。またある者は、信じられないものを見るかのような目つきで。思い思いの視線がエヴァンに突き刺さる。

 エヴァンの唇からは、はっきりとした返事は紡がれない。

 しかし、ますます苦く曇った彼の表情が、その心の内をありありと物語っていた。


 答えは――イエスだ。


「……誓って、妖精や幻獣たちをないがしろにしようと考えているわけじゃない。妖精の炉心が持つ力に目がくらんだわけでもない。そこは信じてほしい」

「大丈夫です、お兄様。ちゃんとわかっていますから」


 エヴァンの顔と声にわずかな焦りが滲む。

 そんな兄を少しでも安心させるために柔らかく微笑み、フィアレッタはエヴァンの手にそっと自身の手を重ねた。


「お兄様が妖精の炉心に関する情報を必要としているのは、いつ訪れてもおかしくない最悪の事態に備えるため――そうでしょう?」


 フィアレッタが見てきた中でも、エヴァンは妖精や幻獣たちと良い関係を築いていた。

 良き隣人として、良き友人として、良き仲間として――妖精や幻獣たちを愛し、大切にしてきたエヴァンが彼ら彼女らとの関係を悪化させる選択をするとは考えにくい。いや、ありえないといっても過言ではない。

 そんなエヴァンが妖精の炉心に関する情報をなぜ必要としているのか。フィアレッタが導き出せる答えは、たった一つ。


「動乱が鎮圧された際、妖精の炉心はほとんどが王家によって回収、あるいは家門の人間の手によって破棄されました。レースディア家が所持していた分も例外ではありません。……しかし、全ての炉心が完全に失われたかと言われれば、首を傾げる部分もあります」


 レースディア家が先頭に立って引き起こされた動乱は、最終的に鎮圧された。

 当時の王はレースディア家から妖精の炉心を全て取り上げ、当時のレースディア家と深い親交があった家門にも妖精の炉心を手放すよう命じた。そうして妖精の炉心のほとんどは破棄されたが、破棄したと虚偽の報告をしてまだ妖精の炉心を隠し持っている家門が存在している可能性もゼロではない。

 人間主体の世界をと叫ぶ者にとって、妖精の炉心は非常に魅力的で強力な兵器なのだから。


「王家へ虚偽の報告をし、炉心を隠し持っている家門がまだ残っていた場合、過去に起きた大戦がもう一度起きるおそれがある――その危険性を考えて、お兄様は妖精の炉心に関する情報を欲しているのではないですか? 妖精の炉心に対する対策を講じるために」


 妖精や幻獣たちにとって、強制的に魔力を抽出して命を奪う妖精の炉心は大きな脅威だ。妖精や幻獣たちと深い絆を結び、友好関係を築いてきたフェルドラッド家にとっても例外ではない。妖精の炉心を使われてしまったら、守ってくれなかったことを理由に妖精や幻獣たちとの関係が悪化してしまう危険性があるのだから。


 また、防衛面でも大きな脅威となる。妖精の炉心を持つ者が上位魔法を乱発してくれば、アトラリア領全体が受ける被害は甚大なものになる。

 妖精や幻獣たちとの関係と、領地や領民に迫る危険性。この二点を考えて、エヴァンは妖精の炉心に関する情報を手にして効果的な対策を講じようと考えたのではないか――?


「そうでしょう? お兄様」


 言葉を切り、わずかに首を傾げてエヴァンの反応を待つ。

 エヴァンはぽかんとしてフィアレッタを見つめていた――が、やがてフィアレッタには敵わないと言いたげに苦笑を浮かべた。


「……全く。フィアレッタには全部お見通しみたいだ」

「お兄様の妹ですから」


 小さく呟いたエヴァンへすかさず言葉を返し、フィアレッタはティーカップを持ち上げて口元で傾けた。

 エヴァンも妹と同様に自分の分の紅茶を口に運び、一息ついてから口を開いた。


「お前の言うとおりだよ、フィアレッタ。妖精の炉心に関する情報を渡すと言われたとき、不安になったんだ。まだ妖精の炉心が残っていた場合、僕はアトラリア領と妖精や幻獣たちを守れるのだろうか……って」


 ゆっくりとした動きで、エヴァンは窓の外へ目を向ける。

 今は亡き両親が守り続けてきたアトラリアの地は、今日も穏やかな時間が流れている。両親が領民たちの声に耳を傾けながら治めてきたおかげで領民と領主の関係も良好で、豊かな領地の一つとして数えられている。

 けれど、この平和がいつまでも変わらずに続くとは――残念ながら言い切れない。


「もし、過去に起きた大戦と同じような戦いが起きて……領民たちだけでなく、妖精や幻獣たちのことも守りきれなかったら? 父さんと母さんが守ってきたアトラリア領を失ってしまったら……僕はきっと後悔する。だから妖精の炉心に関する情報を得て、最悪の事態が起きても対応できるよう備えておきたいと思ったんだ」


 平和な世が続いていても、その平和は永遠に約束されているわけではない。

 世界はとても不安定で、いつ過去に起きたような大きな戦いが起きてもおかしくない。

 そんな不安定な世界で生きているのだ。いつだって最悪の事態を考え、備えておこうとするのは決して間違ったことではない。

 エヴァンは領主。アトラリア領を治める者だ。最悪の事態を考え、領土や領民を守れるようにしておくのは大事なこと。


「……そうですね。わたしも、備えておいて損はないと思います」


 これは、領主としての選択だ。一人の少女の兄としてではない、領地を守る領主としての選択。

 ならば、領主の妹であるフィアレッタも――そうするべきなのではないか?


「わかりました、お兄様」


 かちゃり。手に持っていたティーカップをソーサーの上に戻し、フィアレッタは両手を自身の膝の上に乗せた。

 経緯はわかった。相手が望んでいることも、エヴァンが考えていることもわかった。

 あとは、フィアレッタが出した答えを口にするだけ。

 そしてもう、心は決まっている。

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