24.Hand in Hand.
十条が叫んだ直後か同時か、
次の瞬間、さららは十条が覆い被さるように床に倒され、優一の鋭い蹴りが要海の椅子を倒し、
「な……なんだ……!?」
要海は叫んだつもりだったが、先ほどの轟音にも勝るバカでかい回転騒音と、吹き込んできた海風と悲鳴に呑み込まれて自分の声さえ聞き取れない。暗闇から眩いライトと機関砲を向ける鋼鉄の怪物が武装ヘリだと認識した時には、要海の肩を誰かが強い力で引いた。
「じ……十条……っ」
まさか銃弾の雨に向かって押されているのでは――と思った辺りで、急に後ろから腰をむんずと掴まれて前方にぶん投げられた。
声を上げる暇もない。要海が宙を舞うや否や、背後で二度目の銃声が爆発した。
――が、今度は景気よく連射することなく、途中でマイクの不具合のような音を立て――バン!と勢いよく会場のドアが閉じられた。
「か……要海さん! お怪我は……!」
誰かに受け止められた要海は、声を掛けられてようやく、それが長年付き従っている部下だと気付いた。ほっとした男の視線が要海の手やシャツを染める赤に注がれていて、うまく動かない首を何とか振った。
「……
「そうですか……ご無事で――何よりです……」
噛み締めるように呟いた部下を見上げ、程なく落ち着いて来た要海は周囲を見渡した。放り込まれたのは、会場に向かう廊下の奥だった。電源はやられていないらしく、品の良い灯りはそのままだったが、運良く逃げ延びた数人の傷や、先ほど浴びた血だの酒だので、上等なカーペットはシミだらけだった。
その上を無事だったスタッフが走り回って忙しく介抱している中、紺のエレガントな裾を翻らせる女が居た。自身も腕やほつれたストッキングに破片か何かで切ったらしい掠り傷があったが、気にすることなく怪我人に手を貸している。その光景を、どこか別の場所のように見てから、要海は我に返った。
「……そうだ、十条は……?」
「十条……? 彼女を連れてきた後、戻って行きましたが――」
振り返ると、会場の入り口である重い扉が閉じている。へらへらしたひょろ長い姿は何処にもない。
「中……か……? そうだ、優一はどうした……!?」
「優一も、中よ」
頬に掛かる髪を払い、顎をつんと反らしたのは茉莉花だ。漆黒のドレスの裾は一部が無残に裂けていたが、痛みも恐れも無いのか、腕を組んで扉を睨む。そのしなやかな肩には、
「優一と十条は、私達を此処に放り出してからすぐに、お前を助けに戻ったのよ」
「なんだと……」
要海は扉を見て絶句した。優一に椅子ごと蹴飛ばされたのは覚えているが、その後の彼は見ていない。十条に至っては、こちらを放り投げてから銃撃の中に残ったことになる。
一体、茉莉花はどういう神経をしている?
いくらあの二人が化け物じみた身体能力が有るとしても、至近距離で機関銃に襲われて無事でいられるとは思えない。茉莉花は少しの動揺も見せずに、いまだ立ち上がることのできない要海を見下ろした。
「要海、あのヘリは何なの?」
「知るか……! そんなこと……僕が知るわけが――……」
「あら……それはジョーク? これはお前の船よ。そしてこれはプライベートな会合。お前が十条を仕留めたかったように、誰かがお前を狙いやすい場で仕留めようとしたのではなくて?」
「……バカな……! こんな真似をするような敵は、僕には――……」
吐き捨てたところで、要海の顔色が変わった。
武装ヘリを持ち出せる悪党など、真っ先にBGMが思い浮かぶが、仮にもTOP13である十条を狙うわけがない。今、日本界隈に居る最も危険な悪党はミスター・アマデウスだが、彼が十条と懇意なのは組織内でも有名である筈だし、彼と対立するなら、十条はこんな所には来ない。
……第一、十条とさららの招待は、加納を初め、数名のスタッフしか知らない。
茉莉花が言う通り、狙われたのが自分だとしたら――……
「……まさか、ロスカ・カルテルが……?」
「ロスカ・カルテル? ……ああ、そういうこと――要海、お前は本当に世間知らずのお坊ちゃんね!」
きりりと眉を吊り上げた茉莉花が、廊下の奥に目を細めた。その赤い爪を持つ手には、いつの間にか電話がある。
「
素早い会話を終えると、茉莉花は要海の方を睨み据えた。
「加納、早く要海を立たせなさい。敵が来ます。そのドアを背にバリケードを組むわ」
「て……敵……?」
「悪党の癖に、
「……デッキを中心に配置していましたが――……」
連絡がつかないのだろう、歯を食いしばる部下を見、要海は崩れそうになる足を何とか持ち上げた。茉莉花は加納の言葉を聞くなり、この状況下でもハイヒールで颯爽と身を翻すと、座り込む者や、そこに跪くさららに何事か声を掛けた。
「――加納、手元に『ギフト』はあるか?」
「は……はい、此処に……」
一つの切り札として、最も信頼に足る部下に肌身離さず持たせていたのは、紛れもない『ギフト・ギビング』だ。
専用のピルケースにずらりと並んだそれを一瞥し、要海は頷いた。
戻ってきた茉莉花が、薬と要海を見て、すいと目を細めた。
「……茉莉花、お前、武器は?」
先に声を掛けた要海に、茉莉花はフンと鼻を鳴らした。
「HK45一丁よ。腕は期待しないで」
「腕は要らない。保険になればいい」
要海は、怪我人に手を貸してこちらにやって来たさららを見た。さららも要海を見た。その目に絶望の色はなく、凛と澄み渡っていた。……よく似た目だ。
「茉莉花、奴らがロスカの部下なら……僕に考えがある。時間を稼ぐぐらいはできる筈だ」
「それは頼もしいこと。名案は歓迎するけれど、何をするつもり?」
茉莉花は尋ねたが、要海の視線がさららに有るのを見て気付いたらしい。
「……悪い提案ではないわね」
「ロスカの部下は、『ギフト』を気に入っていた。まだ数名しか飲んでいないこれを欲しがる奴は多い。おまけに奴らは、酒があれば必ず合わせて飲む趣向が有る」
「うまく乾杯するかしら?」
腕を組む茉莉花に、加納がすっと近くの部屋を示した。
「丁度、そこにはワインセラーがあります。ウイスキーなども有りますし、高価なビンテージなら、恐らくは……」
茉莉花がくすりとルージュの唇を歪めた。
「いいでしょう。要海、連中は何語で話すの?」
「英語も通じるが、基本はスペイン語だ」
「それは好都合。連中は私がおびき寄せましょう」
「
「加納、フェミニストは今は必要なくてよ。お前の主人と、そちらのレディのお世話でもして頂戴」
「……任せていいのか」
「ええ。“挨拶代わりに”ね」
艶やかな笑みからこぼれた謎は、茉莉花らしくない。要海は目を瞬かせたが、今は聞き返す間が惜しい。すぐにこちらを見つめるさららに向き直った。
「……さらら、頼む――お前の力を借りたい……聞いてくれるか」
名を呼ばれたさららは一瞬、驚いた顔をした後、じっと要海を見つめた。
どこか遠くで銃声が聞こえた気がした。
少しだけ似ている気がする目を見つめ、さららは力強く頷いた。
「……聞かせてください」
船全体が細かくブレるような振動の後、後部の方から何かがぶつかるような気配がした。上部で、誰かが巨大なテーブルをいくつもひっくり返したような。
――未春か?
ハルトが胡乱げに天井を見ると、わずかな間の後に再度揺れた。大の字になっている
「……なァ、フライクーゲルさんよォ……」
「なんだよ、その呼び方やめろ」
「イヒヒ……なァ、様子が変だぜ。近くでマシンガンみてェな音がする」
「げ、マシンガン……!?」
難聴でもスプリング適合者か? ハルトが罠を警戒しつつ、近くの壁に耳を当てる。此処は船の後方――会場からは最も遠いのだから、十条やさららに向いた攻撃ではなさそうだ。仮に、先に仕事を終えた未春が悪党狩りをしているとしても、銃を撃たせる余裕は与えまい。
「お宅の警備員はマシンガンなんか装備してんのか?」
「ンなわけねーわ。日本だぜ? あんなド派手な音させんのは小牧の連中じゃねェよ。茉莉花お嬢の手下とかじゃねェの?」
「……いや、そんな筈はない。殺し屋はギムレットだけだ――……」
何より、茉莉花は
「お、フライクーゲル――誰か走って来るぜ、三、四……いや、五人だ!」
矢尾のセリフが終わるや否や、入り口に大柄な男たちが差し掛かるのが見えた。
着ているのはスーツでも、
ヒュウ、と矢尾が仰向けのまま口笛を吹く。
ハルトはマガジンを交換した拳銃を携えたまま、床で苦悶する男らに目を凝らした。
「何なんだこいつら。どう見ても日本人じゃない。――What are you doing here?(此処で何をしてる?)」
倉庫に響いたハルトの問い掛けに、問われた男が悪態らしき言葉を喋る。英語ではないが、アメリカで活動中は何度も耳にした言葉だ。
「スペイン語? ……中南米かどっかのギャングか?」
一人の手首が黒々と入れ墨に覆われているのを見て、ハルトが首を捻ると、矢尾が頭を摩りながらのろのろと半身を起こした。
「……ひょっとして、ロスカの手下かァ?」
「ロスカ?」
「ロスカ・カルテルのボスだよ。
「あー……あのトマト……」
「はァ? トマト?」
「なんでもねーよ。こいつらはお前のボスのビジネスパートナーか?」
矢尾は両手を持ち上げて首を振った。
「その筈だが、俺ァ、こんな割り込み聞いてないぜ。要海チャンに見限られちまったのかな?」
「……お前の肩を持つ気はないが、それなら俺が此処に入った瞬間や、バイクのエンジンが掛かる瞬間がベストだ。マシンガン撃たせるより、一酸化炭素や毒ガスの方が低コストだぞ」
「ヒヒ、殺し屋の発想は容赦ねェ。んじゃあ、要海チャンの想定外ってことかァ? こいつはマズイんじゃね?」
「同感だ。お前らのボスがしくじったか、無関係の海賊かはともかくな」
深い溜息を吐くと、ハルトは呻いている男たちに歩み寄り、その武器を次々と取り上げていった。何やら喚いてもがいた奴は容赦なく横面を蹴飛ばし、静かになったところでマシンガンや拳銃を奪い、ヘラヘラ笑っている矢尾の所に戻ってきた。
「おっかねーなァ……どうすんのよ、ソレ」
「拳銃は貰う。H&K MP5……アサルトなら借りたけどな……」
ぶつぶつ言いながらの短い逡巡の末、マガジンだけ取り出し、本体はすべて駐車場の暗闇に向けて蹴飛ばした。奪った拳銃を無造作にポケットに差し、入りきらない銃とマガジンを放り込んだアタッシュケースを持ち上げたところで、ハルトは矢尾に振り向いた。
「俺は上に行くが、あんたはどうする?」
「ン~……行ったところで役には立たねェと思うが、さっきから加納チャンも要海チャンも電話出ねェし、俺だけ休むのは悪ィ気がすんだよなァ……」
「こっちもさっきから出ない。その気があるなら手伝えよ」
クーガーの調子を確かめながら、先ほど戦った相手を見もせず言う男に、矢尾は少し面食らったが、ニヤリと笑った。
「いいぜ、フライクーゲル。何をすりゃいいんだ?」
「……お前いい加減にしろよ。まず、その呼び方をやめろ。ハルトでいい」
指差して念を押すと、ハルトは片隅に飾るように置いてあったバイク――DUCATIを示した。
「乗せてくれ。あいつが一番早そうだ」
甲板に接近した武装ヘリは奇怪な音を立てながらホバリングしていた。
その機関砲の先――本来、弾を吐き出す穴がいくつもあるそこには、肉切り包丁のようなものと幾本もの巨大な針が突き刺さり、全体がねじ曲がって今にも外れ落ちそうに揺れている。が、まだ幾つかの銃口は生きているらしく、幾分詰まった音を響かせながら銃撃を繰り返していた。
「やっぱ、落としちゃダメかなあー?」
カーペットのぼろを纏った床を横跳びながら、間抜けな大声を吐いたぼさぼさ頭の長躯を、同じように数歩動いて弾丸を避けたワイシャツにベスト姿の青年が睨みつけた。
「駄目です。船に近すぎる。最低でも十は離して下さい!」
回転騒音に負けじと出た皮肉に、返す方も声を張り上げた。
「だよねー! うるさいから、さっさと行ってくれないかなー!」
そう言った男は、何度目かの銃撃をトントントンと引いて避けると、片手を大きく振り抜いた。鞭がしなるような唸りと共に勢いよく飛んだそれが、ヘリの正面の窓をガン!と叩くが、がららん、と虚しい音を響かせて落ちた。唇を尖らせてむっとした辺り、強化プラスチックを叩き割るつもりだったのだろう――生身でヘリを壊すつもりの無茶な男に、優一は怒鳴るのも面倒臭い呆れ顔になった。
「十条さん――」
「へあっ、ごめーん! 怒んないで! そう簡単には割れないよね!」
「……別に、怒ってはいません。狙いは良い、やり方が雑なんです!」
そう言って優一は素早く手の甲を掲げて見せると、もう片手を親指と人差し指の間に差し込むサインをした。
十条が腑に落ちた顔をして、口パクで「賢い」と言って笑った。その手が手近な椅子の座面を叩くと、飛び出すように二本の柄が現れる。要海が見たら血相変えただろう仕掛けから、瞬間的に引き抜かれたそれは刺身包丁のように長いナイフだ。ヘリのライトに照らされてぎらつくそれを見て、溜息でも吐きたいといった顔の優一の両手にも、いつの間にか長い針がある。
ヘリの内からそれを見ていた男は、不意に嫌な予感がして操縦装置のスティックを握りしめた。目の前の異常に素早い二人組が、まともな人間ではないのはとうにわかっている。そもそも、ヘリの攻撃は一瞬で終わる予定だったのだ。ターゲットの小牧要海は確かにこの会場に居た筈だし、窓に向けて連射すればほぼ全ての人間が紙屑のように引きちぎられ、絶命する。後はブリッジを占拠し、『ギフト・ギビング』を回収すれば済む仕事だった。
ところが、要海は目の前の男らの手で船内の奥に逃げおおせ、この二人は信じ難い身体能力で機関砲にダメージまで与えてきた。こんな話は聞いていない。ボスが平和と名高いこの国でやられた後、右往左往する自分たちにうまい話を持ってきたあの白人が、嵌めやがったのか?それともこっちが無知だったか――……
わずかな逡巡の間に、斜め上から岩石がぶつかるような音がした。ぎょっとして見た強化プラスチックと装甲の隙間に瞬間移動してきたような針が刺さっている。その楔に唖然としたのも束の間、追って飛んできた刃が強い衝撃で針を打ち据えた。ギギギギギと嫌な音が響き、男が青くなる間に、同様の二撃目が反対側の隙間に狙い違わず突き刺さる。今度は明快に、今にもひび割れそうな不協和音が響いた。
「ヒッ……!」
思わず身を引くが、椅子にベルトでしっかり固定されている体は引きようがない。
仲間には留まるよう言われたが、冗談じゃない! 慌ててスティックを動かし、機体を後退させる。
刹那、三撃目が目線のすぐ手前にぶつかると、気味悪く突き立ったナイフの隙間から冷たい海風が唸った。が、窓が割れることは無かった。男は機体の製作者と神に感謝しつつ、ヘリを船の舳先より後退させ、このまま母船に戻そうとした時だった。
あれほど頑丈だった窓が、突如、飴を叩き割るように破砕した。それが四撃目の攻撃だと気付くよりも、破片と共に猛然と吹き付けてきた風に怯んだとき、庇った腕の隙間に――甲板の上で、こちらに向かってダーツを投げるような姿勢の男が見えた。
その手が動いたのを男が見たかどうかは、わからない。額を針に穿たれ、驚愕に目を見開いたまま絶命した腕がスティックを離れた。コントロールを失い、ぐらりと傾いだ機体はしばし浮上し続けた後、プロペラを回し続けた状態で海に墜落していった。
「おつかれさまあ~」
しぶきを上げながら歪な爆破と黒煙を上げる機体を見ていた優一に、十条がハイタッチの姿勢で声を掛けた。にこにこしている男の手をじろりと睨み、行き過ぎるかと思われた優一だったが、すれ違い様にバシン!と打ち据えた。
痛そうに手を振る男を肩越しに、さっさと中に戻ろうとする。
「あー、待って待って」
「待ちません。中にも入り込んでいる――早く戻らないと」
「皆は大丈夫さ。それより、こっちにお客さんだ」
優一が足を止めた。振り向いた甲板に、何処から現れたのか――忽然と、黒いヘルメットを被り、急襲部隊を思わすアサルトスーツに身を包んだ二人が立っていた。暗闇にうっすらと見える手にはアサルトライフルの黒いボディがある。
「海賊には見えないね。どちら様かな?」
〈BGM?〉
質問に質問を返した相手の声は男のようだが、くぐもり、肉声ではないようだった。十条の目がすっと細められ、新たな椅子から二本のナイフを引き抜く。ゆらりとその隣に来た優一の手にも、先ほどより細い針がある。
「日本語が通じないのかい?『誰だ』って聞いたんだけど」
二人は無反応だった。波音と風が戦慄く。
機械が何かを読み込むような間の後、片方が、胸の悪くなるような低い音で言った。
〈Combat start〉
「Mierda!」
男の一人が電話を切って悪態を吐いた。
「なんで誰も出ねえんだ。上と下に分かれた奴らはともかく、ヘリはどうした?」
「トイレにでも行ったんじゃねえの?」
揃いの防弾ベストを纏った以外はてんでばらばらの服を着た男たちは、仲間のジョークに下卑た笑いを響かせた。
「こんな簡単に乗れちまう船じゃ、ヘリの仕事はとっくに終わってるさ」
豪華客船の後方から小型船で乗り込んだ先に居た見張りは、声を上げる間もなくサブマシンガンの餌食になった。拍子抜けするほど安易に乗船した後、三つのグループに分かれたが、誰ともすれ違っていない。上下のエレベーターに乗り込んだ二組は、電波が悪いのか、抵抗に遭ったのか、ブツの回収に忙しいのか――連絡が途絶えている。更に、左右から乗り込んだ連中が居た筈だが、こちらは定時連絡さえ怠り、乗り込めたのかも謎だ。
「簡単なのはいい。情報通りってのが不気味だ……ギフトを回収したら、とっとと帰るぞ」
「そうビビることねえって。せっかく良い船に乗ったんだ、酒でもねえかなぁ……」
ぼやきながら廊下を渡ると、そろそろ目的の会場があるフロアだ。本当に、気味が悪い程、警備がザルだ。日本は平和と名高いが、悪党もずいぶん呑気な国らしい。
汚れ一つ見当たらないカーペットと壁が湾曲し、優雅なカーブを描く通路まで来た。
「ん?血の匂いがするな。ヘリの攻撃で穴だらけになったか――」
緊張を滲ませて角を曲がろうとしたとき、突如、どこかの部屋から野太い男の声が響いた。
「Oye!ven aquí!」
不意の「なあ、こっちに来いよ!」というスペイン語に、仲間たちは顔を見合わせた。
「誰だ、今の?」
「下に行ったダビじゃねえか?こんなとこで遊んでいやがったのか」
舌打ちに笑みを浮かべつつも、マシンガンを掲げてドアを蹴飛ばした。構えて入り込んだやや薄暗い部屋に、仲間の一人が口笛を吹いた。所狭しと酒が並んでいる。
「こいつはすげえや」
「誰もいねえな。隣だったか?」
喜色満面にボトルを物色し始める仲間をよそに、一人は周囲を見渡した。声の主どころか、室内に人の気配はない。洒落た橙色の光が照らす小さな室内には、如何にも高そうなワインやウイスキー、日本酒らしきボトルが並んでいる。更に奥の立派な飴色の戸棚には煙草と葉巻が丁寧に収められていた。こちらはご丁寧に鍵付きだったが、中をじっと見た男の一人がはっとした。
「おい、これ『ギフト』じゃねえか?」
集まった仲間たちが確認し、同意した。禁止薬物とは思えぬパッケージの箱は、亡きボスが見せた品物そのものだ。すぐに火を吹いたマシンガンでガラス戸の一部を弾き飛ばすと、箱を取り出し、中の錠剤を見て、一人、また一人と頷いた。
「間違いねえ。ギフトだ。商談用か?」
「抜け目ないな、ジャップは。……なあ、こいつは予定数にねえんだろ?俺らで分けちまおうぜ」
抜け目ないのはお前だろ、と仲間をどついた男もニヤニヤ笑っている。賛成なのは言うまでもない。既に居合わせたメンバー全員が『ギフト・ギビング』は経験済みだ。何せ、ギフトは頭の中のごみごみした感情すべてが取り払われるようにすっきりするし、高揚感も悪くない。ハマり過ぎれば危険だが、リスクを知りながらハイになり、堕ちた奴を笑い飛ばしてやれるぐらいが麻薬カルテルにはふさわしい。
五人全員が舌に一錠ずつギフトを載せ、一本ずつ気に入った酒を手に取った。棚にきちんと有った栓抜きといい、日本はまったく微に入り細に入り素晴らしいもてなしの国だ。
「――飲んだわ」
廊下の奥、もう一つの曲がり角の向こうで茉莉花が呟いた。見事な声色で騙した女は、要海が見るスマートフォンに映った監視カメラの像に唇を歪めた。その顔を要海は訝しそうに仰ぐ。
「お前にそんな特技があるとは知らなかった」
「フフ……後で幾らでも教えてあげるわよ」
そう言った茉莉花が振り返るのはさららだ。マイクを握りしめ、緊張した面持ちで立っている。そこに静かな足取りで加納が戻って来た。
「要海さん、ロックできました」
「よし。頼む」
要海の目を見て、深呼吸したさららが頷いた。
限界まで音量が上げられた状態で、マイクに無音の毒が注がれた。
――……聴こえたのは、幾つかの瓶が割れる音。それだけだった。
「……やったか?」
要海がバリケードの内から呟く。さららはほっと溜息を吐いたが、茉莉花はじっと監視カメラの映像を見つめ、目を細めた。
「まずいわね。一人……いいえ、二人動いた」
その言葉が終わらぬ内に、廊下の向こうからドアを激しく叩く音がした。やがて銃声が響き、ガン!ガン!ガン!と乱暴に打ち壊す音がする。さららが消えそうな声で呟いた。
「……やっぱり……もう、私……」
俯いて吐き出されたその呟きに対して、周囲が問いかける間はなかった。
「来るわ」
拳銃を構えた茉莉花が言うと、酩酊したようにふらつきながら、男が角を曲がって来た。一人は屈強な体をよろめかせ、目元は眠気を堪えるように見えた。多少なりとも弱らせたようだが、かつて起こした茫然自失ほどではない。もう一人も似たような状態だったが、こちらの姿を認めると、首から下げたサブマシンガンを両手で抱え直し、先に発砲し始めた。どちらも壁に体を寄せながら向かってくる為、動きこそ遅いが、弾丸は関係ない。見えているすべてをハチの巣にできるだろう攻撃は、二つに増えると更に暴れ回った。
さららが身を縮め、撃ち返す余裕のない茉莉花や要海が唇を噛む。
調度品の即席バリケードなど、すぐに破られてしまう。何か他に手は――――
「…………何の音?」
耳を押さえていたさららが顔を上げた。同じく違和感を感じたらしい銃声が途絶え、代わりに周囲を支配したのは地の底から唸るような爆音だ。
刹那、殆ど直角に曲がって廊下に飛び込んできたのは、悪魔のように黒いボディをしたバイク・DUCATI Diavel V4だ。こんな船内でバイクに出会うと思わなかっただろう男たちが、泡を食ってサブマシンガンを構え直すが、そんな鈍間を見逃すクーガーではない。
瞬く間に賊の得物は弾き飛ばされ、腕や太腿を穿たれて床に転がった。その前をドリフト走行しながら通過し、バイクは派手に一回転して停車した。
「矢尾か……!?」
部下の存在に一早く我に返った要海に、バイクに跨ったままの男はひらひら手を振った。
「おォ、要海チャン! 加納チャンも無事かァ?――お? お嬢も居るじゃん。久しぶりィ」
矢尾をよく知らない茉莉花こと明香が軽く眉を寄せたが、この反応は正しかったらしい。ニヤニヤ笑っている矢尾を、後ろに乗っていた男がうんざり顔で見た。
「……スプリング適合者の運転って、みんなこうなのか……?」
「イヒヒ……お望み通り飛ばしたぜ?」
「未春といい勝負だ」
互いを繋いでいた腰のベルトを放って言い捨てたハルトに、さららが駆け寄っている。抱きつきそうな彼女を手前で受け止めると、緊張の糸が切れたのか「ハルちゃん」と呟いて涙ぐんだ。
「えらい目に遭ったみたいですね……十条さんはどうしたんです?」
「十条と優一は中よ、フライクーゲル。相変わらず素晴らしい腕前ね」
変わらぬ様相を保っていた茉莉花に、ハルトは半ば感心しながら頷いた。
「この様子じゃ、未春は来てないんですね」
「彼の消息は不明。室月とは少し前に連絡が取れたけれど、今は繋がらないわ」
「室月さんが――それなら仕方ない。わかっている情報を教えてくれますか」
「……ところで、フライクーゲル、あの男とは意気投合でもしたの?」
茉莉花の視線が示すのは、バイクに騎乗したまま大げさな身振り手振りでハルトを指差す矢尾だ。
「俺が勝ったから、足に使いました。……二度と使いたくありませんけど」
「なんでだよ、フライクーゲル~~あんたならいつでも乗せてやるよォ」
耳ざとい男のアプローチに心底嫌そうに手を振ったハルトに、茉莉花がルージュを歪めた。
「相変わらずモテるのね。フライクーゲル、悪いけれど、先にあの部屋をチェックしてくれる? 害虫が居るの」
「みはるくん、はるとくん居たよ。やおやおのバイクに乗ってる」
ジャンクが呟いたのは、
ちょうど操舵室の真下辺りが十条たちが居る会場である。未春が居たのは後部、前方にある操舵室は遠く、異音はまだ聴こえなかった。室月の情報では、このフロアには運航に関わる一般スタッフや警備がそれなりに控えている筈だが、誰も居ないのではと思うほど静かだった。
一人で進む未春の傍らには、小さなドローンが一体浮いている。連れて行こうとした未春に、ジャンクは取り外すのにかなりの時間を要することと、バッテリーが保たない可能性を踏まえ、丁寧に断った。断ったものの、彼女はやはり嬉しそうだった。
「わたしが、みはるくんをナビゲーションしてあげる」
全監視カメラの映像にアクセスできるというジャンクの申し出を、未春は二つ返事で受けたが、首を捻った。
「余計に動いたら、電池切れしない?」
「だいじょうぶ」
どうもジャンクによれば、想定より早く未春に敗れた為、電力は余裕があるらしい。
まず、未春は会場のカメラを探ってもらったが、こちらは破損しているのか切られているのか、何も見えなかった。次にさららの姿を探してもらうと、会場のすぐ外の廊下で見つかった。怪我人を見て回る様子が見えたので、未春はひとまずほっとして、次に全フロア内で人が映っている場所をピックアップさせた。
すると、生死の差はあれど倒れた人間が山ほど映った為、一旦打ち切って室月の捜索に絞らせた。彼は当初、聖の部下と清掃員をまとめて行動していたが、待機していたフロアにその姿は見つからず、現在のフロア――操舵室付近のカメラでようやく発見された。恐らく、彼は一早く異常に気付き、操舵室の守りに入ったに違いない。
マラソンでもするように軽快に走っていた未春は、宙を滑るように付いてくるジャンクに尋ねた。
「ハルちゃん、何処に向かってる?」
「この下のフロア。約3分後、会場の前と推測」
会話以外のデータに関してはがらりと口調が変わるジャンクに、未春は頷いた。
さららのことは心配だが、ハルトが到着するなら大丈夫だ。
「みはるくん、つぎの角、右1、左2、きをつけて」
「わかった」
短く応答した未春は、その歩調のまま左の角に飛び込んだ。
「ッ!?」
気配を察知できなかったらしい相手は黒いヘルメットをしていたが、驚愕の声を上げたようだった。手前の相手がナイフの一閃に指を取られてよろめくと、後ろは銃を構えようとしたようだったが、やはり間に合わずに鞭のように振り抜かれた攻撃に、グローブをした手ごと切り裂かれる。
「Oh Shit!!」
反対側の男はアサルトライフルを発射するに至ったが、猫のように素早い相手を捉えることはできず、左右に振られた銃口は壁に多数の穴を開け、手から腕にかけてすっぱり切られ、怯んだところで恐ろしい威力のパンチが顎にヒットし、沈黙した。
なんとか銃を拾おうと屈んだ最初の二人も、間髪入れずに首元に降って来たキックを食らい、壁に激突して大人しくなった。
廊下からふわふわと漂ってきたジャンクのドローンが、周囲をサーチするようにくるりと回転した。未春は自分の腰のベルトを外すと、取り上げた武器を釣った魚を吊るすようにひょいひょいと引き金の穴を通して片手に持った。
「ジャンク、こいつら知ってる?」
「検索。検索。検索――ヒットなし。ごめんね、みはるくん。しらない。わからない」
未春は気絶している男らを眺め、首を傾げた。カメラには映っていた侵入者は、みな普段着に防弾チョッキを着た入れ墨だらけの連中だ。未春の居た上階のフロアまでは到達できなかったか、行く意味が無かったのか、遭遇していない。ジャンクの検索データによると、ロスカ・カルテルと呼ばれる南米を中心に活動する麻薬シンジケートの連中で間違いないらしい。ギフト・ギビングの売買で要海と手を組んだものの、つい最近、ボスのミスター・ロスカが日本で銃撃死し、この責任を要海に問うてきたという。覚えのない要海は見舞い金と称する金で片を付けたつもりだったが、ロスカの後釜は満足しなかったようだ。
彼らが要海への報復と金銭、ギフトの要求をするのはわかる。
では、こいつらは何処の誰だ?
三人とも、黒いヘルメットをし、揃いの黒いアサルトスーツだ。何処かの軍隊か特殊警察のような出で立ちだが、ジャンクの検索にヒットしないということは、何処の組織でもない、或いは完全に秘匿された存在ということだ。
未春は一人ずつ、ヘルメットを無造作に剝ぎ取った。日本人ではない。先ほど、咄嗟に喋ったのは英語だった。三者三葉、よく鍛えられた太い首の上は、白人系だ。
「ジャンク、撮影できる?」
ドローンが近付いてジーと撮影し、ふわりと浮いて黙した。改めてデータベースをチェックしているようだ。
「ヒット。元・アメリカ合衆国国防総相・海兵隊所属・上等兵・マイケル・クラーク、同ジェイソン・ホワイト、ゲイリー・スミス」
「ありがとう」
ハルトなら何か考察を述べたかもしれないが、未春は礼だけ述べた。ちょうどそこへ、銃声を聞き付けたらしい足音が響いてくる。
「みはるくん、正面から2」
ジャンクが喋る途中からヘルメットを被った姿は見えている。未春は持っていた戦利品をぽいと放り、走りながら両手を順に振った。放たれた銀光が手前の相手の片手と肩を穿ち、銃を構えたままのけぞった顔に靴底がめり込む。反動で後方にステップした長い脚は即座に床を蹴り、深く沈みこんだ姿勢からもう一人を斜め下から切り上げた。降って来た返り血を払うように反転し、相手の腕を掴んで後ろにねじ上げた。
苦鳴を漏らした男の首元にナイフを据え、未春は息も上がっていない声でぼそりと言った。
「Who is it?」
「……Shut the fuku up……!」
苦しそうに出た言葉に、未春が小首を傾げる。
「だまれクソが」
親切に翻訳してくれたジャンクに頷くと、未春は男を壁の方に突き飛ばし、たたらを踏んだ急所を下から蹴り上げた。未春が同じようにせっせと戦利品をベルトに通す傍ら、ジャンクは何か言いたそうに気絶した男の周囲をふらふら飛んだが、未春が立ち上がると、後に付いて飛び去った。
操舵室に続く廊下は、他の静けさとは一線を画した荒れようだった。
壁には生々しい弾痕がいくつも有り、カーペットには血液と思しき染みや、壁や何かのプラスチック片のようなものも転がっている。
扉に向かうと、当然、電子錠が掛かっている。扉は重く分厚い。先ほどの連中も散々試した後なのか、ノックをしたところで無駄だろう。
「開けられる?」
こじ開けることもできるかもしれないが、未春の問い掛けにジャンクはすぐに取り付けられた装置に向かい合った。未春に端末を刺すよう頼むと、繋がった状態でジーと音を立てながら、しばらく黙した後、ロックの外れる音が響いた。
未春はジャンクに礼を言い、少しだけ戸を引っ張ると、知り合いの部屋の扉にするように声を掛けた。
「室月さん、居る?」
「……未春さん?」
声を確認した未春が扉を開けると、薄暗い操舵室で室月が蒼白な顔で拳銃を握っていた。彼の後ろには一般スタッフらしき者たちと、操舵を専門とするクルーが不安と怯えをあらわに立ちすくんでいる。
室月は未春の姿を認めると、肩の力が抜けたようだった。
「未春さん……良かった、ご無事でしたか」
そのまま倒れ込んでしまいそうな男に歩み寄り、未春は顔を覗き込んだ。
「怪我?」
「……ええ、申し訳ありません。電話と一緒にやられました」
答える室月の片手首は被弾したわけではないようだが、電話を弾かれた衝撃で骨折したか、林檎のように腫れている。一人のスタッフが、臆した様子で未春に近づいた。
「ぼ、僕を庇って怪我なさったんです……電話は貸すと申し上げたのですが……」
無表情に聞いた未春が室月を振り返ると、彼は苦笑だけ返した。
「傍受されますと厄介なので、連絡を絶っていました。私は大丈夫です。ひと段落してから、こちらの通信機器をお借りします」
そう言いながら、浮遊するドローンに目を留める室月に、未春はジャンクを振り返った。
「ジャンクのドローンです。ジャンク、この人は室月さん」
「はじめまして。むろつきさん。ジャンクです」
「これはご丁寧に……はじめまして」
もはや癖なのか、ドローンにも美々しいお辞儀をした礼儀正しい男に、ジャンクが感動するのが、何となく未春にはわかった。彼女は微かにウキウキした様子で浮遊すると、先ほどと同様に周囲をくるりと見回した。
「更新。更新。みはるくん、下のフロアで戦闘。数4」
「十条さんと優一さんです。このフロアを制圧した仲間だと思いますが、少々手強い様です」
未春はすたすたと窓の傍に向かい、何かの衝撃でヒビの入った合間からデッキの方を見下ろした。会場の電気が消えている為、デッキの上は暗闇で殆ど見えないが、未春はしばしそちらを眺めてから自身のスマートフォンを手に取り、電話の向こうに何事かぼそぼそと喋った。一分にも満たない会話の後、未春は室月に振り向いた。
「室月さん、残った敵の位置ってわかる?」
「敵の位置……そうですね……ジャンクさんに、そこの操作盤にアクセスして頂くのが最も早いと思いますが、如何でしょう?」
頭ごなしにやれと言わない室月に、ジャンクは不自然な上下ホバリングをしながら、操作盤にやって来た。やる気満々らしい。室月は彼女の隣にやってきて、クルー数名を呼び付け、操作の手配をした。
数分も待たずに、ジャンクは船全体をスキャンしたようだった。
「みはるくん、わかったよ。交戦中の2と会場フロアの5を除いて、総数8。ロスカ・カルテル2+4、アンノウン2。ロスカとアンノウンの2は侵入に用いた小型船舶の見張りと推測。マッピング完了。端末に転送。送信完了」
「ありがとう、ジャンク。室月さん、俺は残党を片付けに行ってきます。この辺にはもう誰も来ないと思うけど、一応、これ」
目を丸くするクルーらをよそに、がらがらと、その場に銃火器を放り出し、未春はベルトを締め直した。傍目にはどう見ても丸腰になった青年に何も知らないクルー達が不安そうにするが、室月はむしろ窓の方を心配そうに見つめた。
「……十条さんたちは、大丈夫でしょうか?」
「たぶん。念のため、ハルちゃんを此処に呼んだ」
少しも心配した様子のない未春の言葉に室月ははっとしたが、理解した顔で頷いた。
「お気をつけて」
こくりと頷いた未春は、ふわふわと漂っているドローンに向き直った。
「ジャンクはどうする?」
「ジャンク、かなみがしんぱいなの。みに行っていい?」
「いいよ。外は危ないから、中から行く方がいいと思う。途中まで一緒に行こう」
「ありがとう、みはるくん」
すたすたと出ていく青年と、子犬のようにくっついていくドローンを見送りながら、室月はどこか穏やかな笑みを浮かべた。
「……さらら、あの子は大丈夫だ。きっと……」
デッキの上は、風が吹き荒れていた。波が弾ける音が響く。
二対二の敵同士が見つめ合ったのは、ほんの僅かな間だった。最初に動いたのは、両手に大振りのナイフを持った男だ。普通の人間なら瞬きする間に切られているだろう攻撃が振られたが、アサルトスーツにヘルメットの相手は、これを片腕で受け止めていた。まるで鉄骨をバットで殴り付けたような音が響く。
「おっと?」
襲撃者の十条は眉を寄せただけだが、引いた位置で見ていた優一は瞠目した。
今の一撃は普通の人間なら腕がもげていてもおかしくない。
それを片腕で止めた――?
彼らの驚きも束の間、受け止めた男はもう片腕にあるアサルトライフルの引き金を引いている。片手で撃つことはおろか、至近距離で撃つような代物ではないそれをぶちかましたが、攻撃の反動からゴムのように飛び退いた男は、既に居ない。
「今の聞いた?」
跳ね返るように戻って来た十条に、優一は頷いた。
「貴方が手加減していないなら、硬いですね」
「マジでターミネーターのご登場かな?」
「……冗談を言っている場合ですか?」
冗談の最中にも、二人の相手はアサルトライフルを撃ち始めている。デッキの床が弾け飛び、既に割れている後方のガラスが悲鳴を上げる。互いに逆方向に円を描くように走り抜けた二人の後を容赦のない射撃が追うが、胸の悪くなる音と共に飛来した数本の針が銃身を串刺しにしている。一瞬、止まった攻撃の隙間から、自身が黒い弾丸であるかのような十条が飛び込んだ。再び応戦しようと腕を掲げた相手に、先ほどよりも凄まじい一撃が加えられる。鐘を打ち壊さんばかりの攻撃に、相手の足がデッキにめり込み、もう片手に握られた刃が突き出された。胸を貫くと思われた攻撃をアサルトライフルの銃身で受け止め、撃てるのかも怪しいそれの引き金を引いた。
「っとと……!」
咄嗟に刺突に使った刃を引き抜いて弾丸を跳ね返すと、素早くバク転して距離を取る。
「うーん……?」
数手の間に傷んだ刃を眺め、十条は唸りながらそれを後ろ手に奥に放ると、手近に転がっていた椅子から別の刃を引き抜いた。その間、優一の方は全く動きを止めていない。イタチ科の獣のように鋭敏な動きで、十条が攻撃したのと別の相手に次々と針を打ち込む。息つく間も与えず、腕、足、肩に刺さるが、決定打にならないらしい。
ただ、こちらのアサルトライフルは針に阻まれてどこか詰まったらしく、相手はこれを捨て、
「どう思う?」
「呼吸は感じるので人間だと思いますが……MGBは効かないようです」
「スプリング接種者じゃないってことか。ターミネーターじゃない?」
「しつこいですよ」
「確かめよう。一瞬、気を引いてくれるかい」
優一の返事を待たずに、両の手に長いナイフをぶら下げた十条が走り出している。
銃弾が舐めるようにデッキを破砕しながら追う。翻ったスーツの裾を掠めた時、攻撃手は何かに片足を取られて後ろにバランスを崩した。背中合わせにしていた二人のズボンの裾に、フックのような金属が食いつき、そこから伸びた細いワイヤーが勢いよく引かれている。
絡まるそれに気を取られた瞬間、唸りを上げた十条の一撃が、頭をかち割るほどの勢いで一人のヘルメットを弾き飛ばした。
「……!」
旋廻して着地した十条が目を瞠る。
中から覗いたのは、白人系の中年男性だ。しかし、その灰色の目に光は無く、十条はおろか、周囲の様子も見えていない様だった。半開きの口からは涎と共に赤い血が滴り、白いものが混じり始めた髪の隙間からも血が垂れていた。
「……薬物か? いや……これは――」
ごろりと転がったヘルメットの中身をちらと見た十条が眉間に皺を寄せた。そこには得体の知れない基盤らしきものが内側をびっしり覆い、目元には数字やターゲットポイントを示す映像、頭頂部には注射針ほど細い突起が幾つも生えている。
「……ヴ……ヴヴ……!」
銃を握る手ががくがくと震えて、男は武器を取り落とした。刹那、枷が外れたようにぐるりと目玉が回転すると、目の前の十条に飛びかかった。引っかかっていたフックをものともせず無理やり突き進み、アサルトスーツを引き千切り、出遅れたその身を捉えると、ブルドーザーめいた怪力で船の手すりまで押していく。面食らった十条が相手の足を両側から穿つが、痛みを感じないのか、血を垂れ流しながら押し続ける。
「十条さ……ッ!」
十条に気を取られた優一の手が緩む。
唐突に押し寄せた疲労感が全身を襲い、いま一人の相手が撃った弾丸がその肩を食い破った。顔を歪めた隙に、同じように掴み掛ってきた相手は優一をデッキに押さえつけ、血が溢れ出す肩を押し潰すように馬乗りになる。
まずい――自身の肩が立てるめりめりとした嫌な音を聞きながら、優一は苦悶を露わに十条の方を見た。いくらバケモノじみた強さでも、人間なのは変わりない。この高さから、抱きつかれたまま夜の海に落ちるのは危険だ。先ほどから相手の脚か腕を落とそうにも、強靭なプロテクターか何かが邪魔をしている。手すりに押し付けられ、その背がミシミシと音を立てる。落ちなくても、背骨を折られるか手すりごと破壊されて落下するか――常に余裕を保っていた男の顔に、ちらりと焦りが浮かんだ時だった。
ダァン! と、彼方で銃声が響き渡った。
ほぼ同時にぐしゃりと何かが激しく潰れる音を立て、十条の肩口で男が脳天を貫かれる。一瞬にして絶命した男が、だらりと落ちた腕に引かれるように倒れ伏す。
続けざま、優一を押さえつけていた相手にも真横からヘルメットに向けて重い銃撃が襲った。身動きもできずに弾丸を叩きこまれ、三発食らう頃には頭を貫かれて横倒しに倒れた。痙攣する体を引き剝がし、十条と優一は弾丸が飛んできた方角を仰いだ。そこには強引にガラスを割った窓からM24
「きゃー! ハルちゃんカッコイイー!」
かなり濁った黄色い声に、遠くの青年はイヤそうな顔をしたが、すぐに表情を改めて空を見た。無論、その頃には十条と優一も気付いている。暗闇の向こうから、ヘリが一機、向かってきていた。力強い轟音と風圧は先ほどのヘリと同様だが、今度は攻撃の気配はなく、そもそも武装していない。心なしか優雅にさえ見えるスピードでやってくると、全く無駄のない動きでヘリポートへと舞い降りるように着地した。
「やれやれ……『死神』がお出ましってことは、終わったってことだね」
背面の腰をさすりながらやって来た十条は、ずたずたに裂けてワイシャツを真っ赤に染めた優一の肩を見ると、我が事のように悲鳴を上げた。
「ひええ、痛そう……大丈夫?」
「誰の所為だと思ってるんです……平気ですから、その上着貸してください」
「へ? いいけどさあ……隠すことないじゃん。さらちゃんが心配してくれるよ」
「……だから嫌なんです」
片手でぐいぐいと裾を引っ張る優一に対し、ニヤニヤしながら脱ぐ気配の無い十条がうろうろと甲板を歩き回る。
「何やってんだ、あの人ら……」
それを見下ろしてから、ハルトはヘリの方を見つめた。極上のコートを翻らせ、颯爽と降りてくる男を忌々しそうに睨んだ。
いっそ銃撃してやろうかという顔で、ハルトは今日一番の溜息を吐いた。
「That explains it……ミスター・アマデウス……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます