22.Standby.

矢尾やおが?」

「はい」

委縮した様子の部下を見た青年は、年に何度消えるだろう眉間の皺を更に深く刻んだ。

「構わん。好きにさせろ」

言い捨てて、開かれたノートパソコンに視線を戻す。部下が丁重に頭を下げて退出すると、入れ替わりに黒のバイクジャケットに身を包んだ男が入ってきた。短い金髪に赤いメッシュが散った派手な男は、バイク便でも届けに来たかのような軽快さで入室してくると、断りもなくソファーに背を預けた。

「なァ、クルージングの件聞いたぜ。俺も行っていい?」

「矢尾……バイク乗りが波乗りでもする気か?」

見向きもせずに書類を見ている青年に、男は歯をむき出して笑った。

「イヒヒ……要海かなみチャンもジョークとか言うんだ。ジェットスキーはいいけどよ、波は興味ねェわ」

「後にしろ」

にべも無く言い捨てた要海の眼前に、上からずいと刃物が下ろされた。グリップに電動装置が付いた特殊な円形の刃物は、決して布やパンを切る為のものではない。奇妙なことに、その丸い刃は、一部がひしゃげている。

「見た? すごくね?」

面白そうにゆらゆらと振って見せて、

「信じられねェよコレ……どんくせえガキを足でドン! してから、片手でなんか投げやがったんだ。こう――下から手首のスナップだけで放る感じで」

再現のつもりか、空いた片手を上げ下げしながら、ヒヒヒヒヒと愉快そうに笑った。

「久々に痺れたね。あいつが十条未春だろ? なあ要海チャン、あいつも来るんだろ? 俺にくれよ、何でもするからさァ――」

「お前はバケモノと遊びたいのか?」

「だってよ、あんな奴は格闘家でも相手になんねえよ。あのスカした優一チャンだって病院送りになったじゃねえか。スプリングには“スプリング”だろ?」

おどけるように自身の首を一閃する男を、要海は無言で睨んだ。

「図に乗るな。お前が適合したのは開発中のスプリングの模倣品だ。本物とはレベルが違う」

「ヒヒ……そうさ。感謝してやまねえよ。おかげさんで俺はまたバイクをぶっ飛ばせる体になった。聖のジジイには迷惑がられちまったが」

「景三なら死んだ。ニュースを見なかったか? 内部抗争のていになっているが、茉莉花まりかは十条の仕業以外、考えられないと言っている」

少しは感傷があるかと思ったが、昔の上司の訃報に、男はヒュウと口笛を吹いた。

「ようやく死んだか……あの爺さん。寿命じゃねェのがさすがだわ」

「発見時、部屋には『春の祭典』が流れていたそうだ。本望だったのではないか」

皮肉に対し、男は天井を仰いで笑った。

「イヒヒ……で? ジジイの切り札はどーなったのよ?」

「スプリングなら疑似を含めて十条が残らず拾った。あんなゴミを集めて回るとは、奴の部下も御苦労なことだ」

「お嬢、怒ってンだろうなァ」

肩を揺らしながら合掌する男に、要海はやや思案顔を向けた。

「僕もそうだと思っていたが――茉莉花はそこまで怒り狂っていなかった。手駒の殺し屋も殆ど失ったようだが、どちらかというと、島で進めている事業の方に集中している様子だ」

「案外、ほっとしてんじゃねえ? 俺だって、あのヒキコモリ計画がいつ実行されんのかヒヤヒヤしてたぜ。臆病モンに持たせるのに拳銃100丁もオーダーしたって聞いた時ァ、いよいよボケちまったかと思った」

「ああ。茉莉花がつまらん追悼をしないよう見ておく必要はあるな。あの女は面倒だが、女は女だ。優一に手綱を取らせておけば、それなりに押さえておける」

「イヒヒヒ、お嬢様はむさくるしい殺し屋何十人より、優一チャン一人居りゃあ“イイ”んだろ? わかりやすくて助かるなァ?」

部下の戯言を鼻で笑うと、要海は表情を改めた。

「後は、もう一人の面倒な女を抑えれば、うちは安泰だ」

「わざわざ妹チャンを大型客船で迎えに行くワケ? 金持ちってスゴイねェ……」

要海は忌々しそうに首を振った。

「あんな女の迎えなど、車を寄越すのも惜しい。客船は十条を始末する為だ」

男は息を呑んだ。明らかに元上司の死よりも驚いた顔をしている。

「マジ? ……あいつはジジイとは違うぜ。無理じゃねェ?」

「無理ではない」

意に介さない顔つきで、要海は頷いた。

「どういう風の吹き回しよ? ずっと『ほっとけ』って言ってたじゃん。俺は奴が老衰するまで放置すんのかと思ってたぜ?」

「パーフェクト・キラーの耐性ができたからだ。――お前、自分が何の為に十条未春に接触したのか聞いていないのか?」

「へ? 加納かのうチャンは――『ギフトに釣られてきた未春の前で、一般人を殺すフリをしろ』って言ってたけど――……どゆこと?」

「奴はお前のやかましいバイクの音を『敵の音』として覚えた筈だ。次からは遠方でも気付く」

「?……でもよ、要海チャン……俺のバイクのマジな音は――……あ、そゆこと?」

「そうだ。十条未春は、十条本人よりも危険である可能性が高い。なるべく対峙せずに片付けたい。船内の一室を貸してやるから、当日までに準備をしておけ」

「なーんだ、じゃ、連れてってくれるし、未春と遊ばせてくれるんじゃん」

「お前の希望とはニュアンスが違う。時間が稼げればいい――倒すのは無理だと思ってやれ。同じ得物で奴に敵うと思うな」

「オーケー、オーケー、俺が“一人”って勘違いしてもらう為のオモチャでしたかァ……」

賢いねえ、と喉の奥で笑うと、全く意に介さない顔つきの青年を見下ろした。

「パーフェクト・キラーの耐性ってさ、要海チャンがうっすいギフト飲んでたのと関係あんの?」

面白くなさそうな顔で要海は頷いた。

パーフェクト・キラーの効能には謎が多く、一体いつまで効果が継続するのか未だに解明されていない。要海が初めて得た際の効果は残っているまいが、どうやって飲まされたのか不明である。同じ手を使われることを警戒し、効果を打ち消す薬の開発も進められたが、パーフェクト・キラーの製造ノウハウは景三さえも、全貌を知るには至っていなかった。

開発者の千間利一りいちは故人であり、千間優一の祖父だが、利一は千間家の方針に逆らい、優一の教育に反対だった為、両者の関係は希薄であった。故に優一は薬の情報を持たず、医師である姉の千間優里に渡っていたが、彼女の身辺は景三の部下が四六時中マークしていることから、小牧側が接触することは難しかった。

事態が動いたのは10年前、千間優里の方からパーフェクト・キラーの情報提供と引き換えに、スプリングを無効化する薬の開発協力を求められた。ただ、この取引は聖側に察知されぬよう慎重過ぎるほど慎重に進められた為、10年もの歳月を要し、スプリングについて優里は芳しい様子を見せていないし、パーフェクト・キラーに関しては、ギフト・ギビングを生むに留まった。仕方なく、要海は類似品であるギフト・ギビングを研究させ、この効果を消す方面の薬を開発させた。これを定期的に摂取することで、パーフェクト・キラーの脅威から少なからず、守られるに至った。

とはいえ、景三に知られずにここまで進められたのは僥倖だった。優一に関わったさららを快く思っていない茉莉花に、彼女が殺されなかったのも幸いだ。……いや、この件に関して茉莉花は随分、寛大になった。見張らせる名目だとしても、優一がさららに恋慕しているフリをさせるなど、以前の彼女なら絶対に許すまい。

――殺されては困る。さららは生きていてこそ価値があるのだから。

「矢尾、何か言いたそうだな」

「ヒヒヒ……妹チャンの為に苦労してんなァと思ってよ」

「確かに、さららが死ねば要らぬ苦労だ」

「ポイズン・テナーに関しちゃ、俺はお嬢が正しいと思うぜ。あんな使い勝手の悪ィ能力、無い方が世の為ってもんだ。例の結婚の件だって、偽の妹チャン立てりゃ済む――何が要海チャンを頑張らせんのよ?」

「お前、死にたいと思ったことはあるか」

「へ?」

唐突な質問に、男はすぐに軽く両手を挙げた。

「あるわけねェわ」

「僕は有る。あの女も同じだろう」

問い返そうとしたが、間髪入れずに要海はパソコン画面に戻って行った。

それ以上は何を聞いても無駄だと悟り、男は仕方なさそうにソファーに引き返すと、どっかり背を預けて、ひしゃげた刃を眺めた。

「ところでさ、要海チャン……十条未春と一緒に居た男って誰? 俺、見たことねェんだけど」

「一緒に居た男?」

「若い野郎だ。なんつったらいいのかなァー……そこらに居そうな、あんまし特徴が無ェ奴だった。けど何か、イヤ~な感じがしたんだよな。未春に気ィ取られて、ちゃんと見てねーんだけど」

「お前の話は抽象的過ぎる」

要海が手元のスイッチを押すと、すぐに扉が開き、先ほど退出した部下が頭を下げている。

「加納、十条のところに居る若い男に心当たりはあるか」

「若い男ですか? 何人か出入りしていますが――」

脇に抱えていたパッドを手早く操作すると、自ら確認に立って行った矢尾が数秒後に声を上げた。

「お、こいつ、こいつ――ほらァ、要海チャン、やっぱ特徴ないって!」

矢尾が掲げるパッドを即座に持ち主が取り上げ、要海にデータを送りながら説明した。

「……恐らく、野々ののハルトという男です。数カ月前にアメリカから異動してきた、TOP13・アマデウス直属の殺し屋だった者です」

「『死神』の……? 何故、報告しなかった?」

「も、申し訳ありません――ご報告しようにも、特筆するほどのデータが無く……」

「データが無い……?」

「は、はい……アメリカでの活動歴は大人しいもので――……日本でも動いたのはつい最近です。聖茉莉花の元に置いていた部下をやったのはこの男ですが、それ以外は殆ど動いていません。茉莉花の部下も同時に撃たれていますので、当方の人間を狙ったというよりは、茉莉花と揉めた上での行動だった様ですし……」

「既に世話になったということか。何故そんな男が十条の元に?」

「仕事上のミスを犯した為に、十条の元に異動になったというデータ以外、異動に関する詳しい情報はありません。『[[rb:魔法の弾丸 > フライクーゲル]]』のあだ名で呼ばれていますので、拳銃の腕は並ではないようですが、日本では使い勝手が良くないのか――」

「はァ……!? こいつが『フライクーゲル』?」

『魔法の弾丸』の二つ名に、矢尾は胡散臭そうに眉をひそめた。

「こんなサラリーマンみてェな男が? ……別人じゃねェの?」

「そのあだ名の男を知っているのか」

「そりゃ……殺し屋の間じゃ有名だと思うぜ。聖のジジイがずっと欲しがってた野郎だ。なんだっけ……アマデウスが育てた殺し屋の生き残りとか何とか。俺はてっきり、マッチョな傭兵とか大リーガーみてェな男だと思ってたんだけどな……北アメリカを中心に、縦横無尽に殺しまくってるんだからよ。こいつがそんなタフな奴に見えるかァ?」

「矢尾の意見も一理あります。アメリカの活動記録は秘匿されていますし、日本での活動は数える程です。こちらで確認できている大きな事案は、聖とアマデウスの内輪揉めの際、千間優一と戦った件だけです。この時も未春が同伴していますので、運転を受け持っていただけの様ですが…… 一発だけ見舞い、千間を病院送りにしています」

「ほほォ……優一チャンに当てるんなら、悪くねェけど……未春が居たんじゃあ、こいつの腕はわかんねえな……」

パッドを覗き込みながらの矢尾のぼやきに、要海も自身の画面を見ながら眉を寄せた。

「……妙だな。何か欠陥があるのかもしれんが……ミスター・ロスカが撃たれたのは、こいつの仕業じゃないのか?」

少し前、来日していた麻薬シンジケートのボスを襲った凶弾の犯人は未だに不明だ。無論、この男の命を狙う奴は対抗勢力や身内を含めてごまんと居る為、特定は困難だった。

「時期的にも可能性が高いですが……残念ながら、米軍基地内でのことなので、こちらで調査・確認は出来ず――申し訳ありません」

「あの件は仕方がない。ロスカ本人の希望を汲んだ結果でもある。アマデウスが来ている手前、詮索はこちらの為にならない」

「或いは、この男はダミーで、ロスカ氏の件はアマデウスの別の部下という可能性もあります」

「そうだな。……だが、あの『死神』の直属が、普通の男というのは考え難い。我々にマークされない様、十条が日本での活動を制限していた可能性もある。加納、出来る限り情報を集めろ。今、日本に来ているアマデウスを刺激しないように頼む」

「かしこまりました」

「本物なら、嫌なイレギュラーになるぜ……要海チャン。こいつは“撃てる場所”なら、十条や未春より脅威になるだろうよ。人質でも取った方がいいんじゃね?」

「駄目だ。民間人には手を出すな。十条の周辺をマークしている奴に厄介な警官が居る。奴の目がこちらに向くのは避けたい」

本庁所属の生真面目一本の警察官に、賄賂や脅しは通用しない。こちらが表側の人間を脅かせば、十条は喜び勇んでこいつに助けを求めるだろう。何も知らずに正義を重んじる連中が、交通違反でも探すようにグループ会社の周辺をウロウロするなど、たまったものではない。

「加納、船員を含め、全ての人間に金属探知の徹底を指示しろ。銃火器を持たせないことが一番だが……万一に備え、ジャンクを呼んでおけ」

「ジャンクを……ですか」

躊躇う様子を見せた部下に、要海は首を振った。

「会場と離れた区画に置けば問題ない。“電力使用量”も制限させる。不安なら、指示があるまで電子錠でも掛けて繋いでおけ。僕の指示だと言えば聞く」

頭を下げた部下の顔色を覗き込み、矢尾がニヤニヤ笑った。

「イヒヒ……要海チャンの本気度がわかるなァ、加納チャン。あいつにはパッドやスマホ持って近付いちゃダメだぜ。要海チャンの番号取られたら、すーぐ機種変しねェといけなくなる」



 DOUBLE・CROSSの店内は、外の寒風を感じさせない穏やかな時間が流れていた。緩やかに伸びては跳ねるジャズのメロディ、売り物のソファーを陣取って眠るスズ、エプロンから垂れた紐を攻撃してくるビビ、カウンターに立って物柔らかな接客をするさらら。

そしてハルトは、仕事に出ている未春に代わり、外を掃き清め、内をはたき、椅子の汚れを拭い、ここ最近で最も落ち着いた日常を過ごしている気がした後、Why……?と呟いて頭を垂れた。アメリカや世界を飛び回り、無慈悲に引き金を引いて来た日々が、もう遥か大昔のような気がしてくる。

てっきり一触即発かと思ったギフト・ギビングの回収は、結局のところ、半分以上がブラフだった。十条は国見を巻き込んだバイクの接触が最大の目的だったとみている。こちらが地ならしをした詐欺グループは、ミスを犯したり、稼ぎを偽ったり、海外に高飛びしようと目論んでいた為、始末を手伝わされたというわけだ。

つまり、この依頼はBGM宛てではない為、死者はゼロである。

まあ、悪党なのでゼロにこだわる理由はないが、殺す必要性も無い。どの拠点でも全員を縛り倒し、清掃員と共に引っ越しの荷物よろしく車に詰め込んで輸送した。

行き先はやはり途上国だそうだ。国見が殺害を予感していたのは良い経験と判断し、ハルトと未春は殺し屋ヅラでしらを切り通した。

力也には後で教えてやったので、いつか話してもらえるだろう。

問題は、小牧との件だ。

すぐに対決するのかと思っていたら、国見との話を終えた十条は眠気眼で言った。

「招待された日まで、待たなくちゃ」

招待とは、二日後に小牧要海が主催する豪華客船でのパーティーだ。

表向きはグループ関係者の懇親会だが、実際は小牧の後ろ暗い事情を支える者たちの情報交換会である。

そして要海は、更にこの裏で、さららの件に決着をつけようとしている。

正式招待されているのは、十条、さらら、明香が扮する茉莉花、優一の四人。

現時点で茉莉花と優一が離反していることを気付かれた様子はない為、多少なりと優位ではあるが、恐らく、要海は十条を殺すつもりでいるという。

話を付ける為だけなら、わざわざ海上という隔離空間を選ぶ必要は無いからだ。

カムフラージュとなる会合には、自分たちの情報を漏らさない手下を集め、警備員も息の掛かった部下。船員の多くは事情を知らぬプロフェッショナルだが、小牧の傘下であるのは言うまでもない。仮に、“酔った誰か”が海に飛び込んだとしても、救助や通報は行われないということだ。以前は考えていたらしい暗殺という手段を選ばない点は、十条が死んだことを公にする為――と、十条本人が踏んでいる。

確かにTOP13の一人である十条を仕留めるなら、情報公開した方が得になる。倒した殺し屋はスピード出世間違いなし、……と、十条は胸を張って言っていたのだが。

何故、相手の都合に合わせるのだろう?

十条が安易に殺されるとは思えないが、そうと知っている相手が無策である筈がない。狙いであるさらら本人を、代役無しに連れて行くというのも、相手に譲り過ぎではと思った。

――何か、別の目的があるのか?

上司の方策に呆れながら、ハルトが眺める先にはさららが居る。目が合うと、にこりと微笑むが、こちらよりも過激なジェットコースターに乗せられているのは彼女だ。

「ねー、ねー、ハルちゃーん、どれが良いと思う?」

二階からの声に顔を向けると、当の上司が何やら両手に平箱を載せて階段を下りてきていた。実は先刻、黒いネクタイを山ほど持ってきた男は、今度は女性用のピアスを山ほど持ってきたらしい。客も居るというのに、こちらの前に運んできて両手に摘まみ始める十条に、ハルトは大げさに溜息を吐いた。

「本人に決めてもらえばいいじゃないですか」

さららに視線を送ろうとするが、十条が防ぐように手を振った。

「ダメだよ、さらちゃんに聞くと、いっつもコストが低いの取るんだもん」

「そんならもっとセンスが良い人に――そうだ、千間せんまさ……優一さん、デザイナーでしょ?この人どうにかして下さいよ」

助け舟を期待したのは、隅の席にひっそりと座っていた優一だ。

センター・コアが壊滅して以来、あちらに詰める必要がなくなったらしく、主に十条がベッドに引っ込んでいる時間帯に来店するようになった。彼は表向きのデザイナー業を此処で行い、今日も黙々と工場発注の仕様書や指示書を書いたり、ノートパソコン相手に忙しそうにしていた。今は向かいに腰かけている室月むろつきに至っては、これまでより茉莉花の代理作業が多いようで、いつ休んでいるのか見当もつかない。出たり入ったりと忙しく、居たら居たで優一の手伝いをし、例の詐欺大学生――国見くにみの指南を務め、果ては十条のお菓子のお使いを引き受けて、未春にストップを掛けられていた。

優一はこちらを見たが、すぐに手元の作業に戻ってしまった。代わりに、そろりと立ち上がって傍に来たのは室月だ。

このメンツの前では無意味と思われるひそひそ声で囁く。

「……ハルトさん、申し訳ありません。優一さんは、さららさんのお召し物に口は出さないと決めていまして」

「はあ……なんで?」

「自分好みにするような感覚が気になる様です」

「……聴こえているぞ、室月」

叱られた室月が小さく微笑んで身を引く。ハルトは対照的な二人の男をうんざり顔で交互に見てから、十条がにこにこと指し示す、パールやダイヤがきらめくピアスの羅列を凝視し始めた。そういえば、ドレスは何色なんだ――そう思って顔を上げたとき、席に向かった筈の室月が十条の方に戻って来た。

「――十条さん、要海がジャンクを呼び出したようです。ハルトさんの存在に気付いたのでしょうか」

「おっと、そうかい。僕は船だから無いかと思っていたんだけど……自分も乗る船に連れてくるとはね。要海くんはやっぱり強引なんだねえ……」

やや難しそうに頭を掻いた十条だが、ちらりとこちらを向いて、目が合うなり嫌な笑顔を見せた。これが何かを企む顔なのは、さすがにもう理解できる。

「大丈夫だよ。結局のとこ、こっちにはハルちゃんが居るんだから。警戒したってムダムダ……僕たちは最初の予定通り進めよう」

「……嫌な予感がするんですが」

「いやいや全っ然? なーんにも問題ナッシング。ハルちゃんがだーい好きなお仕事をしてくれればいいだけの話だよ~」

「仕事はしますが、何者ですか」

ハルトの視線は十条ではなく、室月に向いている。何事も尋ねるならこの男が一番良い。期待通り、彼は客の耳に届かぬ程度の声できちんと答えてくれた。

「ジャンクは以前、聖に属していた殺し屋です。小牧には、聖に居た頃、問題を起こしたり、重傷を負うなどした殺し屋を引き取り、人体実験に当てていたことがあるのですが、この過程で、小牧側に改めて雇われた人間が数名居まして、ジャンクもその一人です」

「その名前は、あだ名ですか?」

「恐らくそうでしょうが、この名前以外は一切不明なのです。自身のことをそう呼び、他の名で呼ばれると、著しく気分を害します。日本人或いはアジア人と思われますが、出自、年齢を含め、正確なことはわかりません。御存じの通り、聖家は表向きでは教育者の顔を持ちますので、孤児の支援もしていますから……」

「何処かから、攫ってきた子ってことも有り得るよね」

横から出た十条の容赦のない一言に、室月は厳しい顔つきで頷いた。

「……姿を確認したのは、10年前の事件後です。景三は『亡霊ファントム』の二番手、三番手を作ろうとしていましたが、自ら謀殺した千間博士亡き後、成功の見込みは無く……ジャンクのような人間を生む結果に」

『亡霊』の名に、ハルトは微かに胸が軋んだ。彼が何者か知り、景三が自身に執着していた事実を知った今、見知らぬ殺し屋は因縁のある相手のような気がしてしまう。

「具体的に、どういう殺し屋なんですか」

「ジャンクは、半分以上が人ではありません」

「……また、SF……?」

そのうちトランスフォームする悪役や火を吹く超人が出て来ても驚かなくなる気がする。そう思ってげんなりしたハルトだったが、意外なことに室月はかぶりを振った。

「申し訳ありません……私の説明が悪かったようです。ジャンクの体は、サイボーグのような強化されたものではなく、むしろ生命維持の為に機械の部分が欠かせないんです。車椅子に似た歩行器無くしては歩くこともままなりません。景三に見放されたのも、コストや使い勝手の問題だった様です」

「それで殺し屋が務まるんですか……?」

「体は不自由で感覚は幼い様ですが、脳は明晰です。接続機器さえ与えれば、指一本動かさずに、戦闘機や戦車の計器を狂わせたり、タレットを利用した砲撃が可能です。与えないとは思いますが、衛星を掌握されたら何が起こるかわかりません」

「十分、SFでサイボーグじゃないですか!」

悲鳴を上げたハルトに対し、十条がげらげら笑った。

「ハルちゃんたら、大げさだよ。そりゃ、ジャンクは接続できる機械があればあるほど強くなる面白い殺し屋だ。でも、本人の体が弱すぎる。接続なんて、ケーブルなら切れば終わり、無線も回線を切れば終わり、本人の電源も切れたら一時間も経たずに死んでしまう。ま、扱い辛くても生かしていたんだし、要海くんはそれなりに使いやすくしているのかもね」

「呑気に言うことですか?こっちが攻める側じゃ最悪の相手ですよ」

「そお? 野戦で力を発揮するタイプだと思うけど……ハルちゃんが言う通り、使い方次第では脅威になる……かなあ? 僕は待ち伏せでも、圧倒的に君の方が強いと思うけど」

「だったら十条さんがやって下さいよ……俺は嫌ですよ、大量の銃器や罠に挑むとか……ターミネーターじゃないんですから」

「僕だってターミネーターじゃないし、さらちゃんを守らなくちゃいけないからなあ」

似たようなもんだろが、という顔をしたハルトに対し、室月はそっと言い添えた。

「少し時間を下さい。調べておきます」

「……俺、もっと早く室月さんに会いたかったな……」

思わず、正直な気持ちを吐露するハルトに、室月は苦笑して首を振った。

「私は、皆さんのお手伝いしかできませんから――」

ハルトがブラック企業にホワイト社員の姿を見たと思ったとき、十条の電話が音よりやかましいバイブレーションを響かせた。

「お、ディックだ。はいはーい。うん、ありがとー。ああ、おっけー、取りに行くよー」

電話を切ると、十条はハルトに向かってブラック企業のトップらしい笑顔を浮かべた。

「ハルちゃん、ディックのとこにお使いに行って来て。できれば試してきてほしいから」

「試すって、新兵器でも頼んだんですか」

「またまたあ~……この間話してた空気銃だよ。ちょっと特殊だけど、職質されても大丈夫なやつだから」

「『ちょっと特殊だけど』大丈夫なやつですね……?」

嫌そうに反復すると、ハルトはエプロンを外して出て行こうとし――ちょうど、帰ってきた未春と鉢合わせた。

「おう、おかえり」

「ただいま」

涼しい顔で帰ってきた未春の手には、ドリンクカップが有った。ハルトが思わず凝視したそれは、コンビニやシアトル式カフェで見かけるプラスチックの透けた容器に、得体の知れない蛍光色が混じった茶色い液体――が、ぬらぬらと揺れている。

「何だそれ……」

引き気味に問いかけたハルトに、未春は気味の悪いそれを啜ってから答えた。

「そそられるものが無かったから、混ぜた」

『混ぜた』の一言に、ハルトは思い出した。

DOUBLE・CROSSの面々では有名な未春のミックスジュースとはこれのことか。

最近は変わった商品が頻発していたので、久しく行われていなかったらしいが、未春が好む奇怪なドリンク(本人はそんなつもりはない)を生み出す魔の儀式――と、明香あすかが言っていた。

敢えてそうしているのか、その組み合わせは聞いただけでも気持ちが悪くなりそうなものばかりで、卵や油、調味料など、液体と呼べるものは幅広く採用される。明香いわく『中高生がドリンク・バーでふざけて作る罰ゲームより過激』だそうだ。ドリンク・バーの想像は曖昧だったが、代表例に、コーヒー+ポン酢、ビール+ココア、緑茶+ケチャップ+牛乳、青汁+ジンジャエール+ミルクティーなどなど、想像を絶するドリンクを生み出しては平然と飲んでいる為、輪をかけて気持ち悪いという。さららでさえ、メロンソーダにキムチ液を注ぎ始めた時は叫んだらしい。

「その色……飲んで平気なもんなのか……?」

「これはコーヒーと、ウコンの栄養ドリンク」

「……時々、お前の飯がなんで旨いか分からない」

未春は正体がわかって尚、謎のドリンクを啜り、小首を捻った。

「ハルちゃん、どっか行くの?」

「ああ。ディックのとこにお使い」

「俺も行っていい?」

「十条さんに聞いてくれ」

未春が視線だけ送ると、上司はウインク付きの気色悪いサムズアップで返してきた。

入り口で危険物扱いされそうなドリンクを早く飲めと促すハルトと、憮然と飲み続ける未春が出ていくと、室月が微苦笑を浮かべた。

「未春さん、変わられましたね」

「室ちゃんもそう思う?」

問い掛けた十条は嬉しそうだ。

「はい。何故でしょう……以前より感情が豊かに見えます。ハルトさんが同世代なのが良いのでしょうか」

「そうだね……それもあると思う。何より、ハルちゃんが優しいんだ。リッキーが昨日話してくれた内容だけでも、彼がどれだけ人を想える人間なのかわかるよ。それにさ、ありがたいことに、未春を特別視してくれてるんだよね~……悪党に厳しい癖にさ」

「――それは、十条さんの計画通りなのでは?」

室月の言葉は、彼にしてはやや皮肉が籠っているようだった。

十条はにっこり微笑んだ。

「僕は、“そういうもの”だからね」

そう答えた十条を、優一の視線がちらりと掠め、元のパソコン画面に戻って行った。



 小一時間前のこと。

「こんにちは」

校門で声を掛けてきた意外な人物に、国見は思わず足を止めた。他人のフリをする間も与えず、忘れもしないハンサムな容貌がこちらを見下ろし、小首を傾げた。

「寝不足?」

「は……、え……?」

あまりに唐突な問い掛けに、間抜けな声しか出ない。

事実、昨日からよく眠れなかった。何度も戸締りを確認し、掛かってくるかもしれない電話や来客に怯えたが、結局、詐欺グループらしき人間からも、警察からも、そうではない謎の人物からも何の音沙汰も無く、眠気と恐怖心にふらつきながら、十条や室月からの連絡を何度も見ては、夢ではないのを確認する――そんな具合だった。

「な、何か用ですか?俺、何も持ってませんし、取ってもいませんよ……!」

半ば命乞いのように言うと、未春は両手を上着のポケットに突っ込んだ状態で、ほんの少し怪訝な顔をした。

「ちょっと聞きたいことがあるだけ」

国見は呑み込めぬ顔のまま頷いたが、はたと気付いて周囲を見回した。思った通り、行き過ぎる女学生らの視線が熱い。

「あ、あの……良いですけど、場所変えませんか?お兄さん、目立つから……」

「未春でいいよ」

ぼそりと言うと、先に立ってすたすた歩き出す。

同じ国の人間か疑わしいすらりとした脚の歩調は速く、蹴つまずきそうになりながら付いていくと、彼はプログラミングされたロボットのように駅前でかくんと曲がってカフェに入り、何も聞かずに注文をし、座るよう促した。大人しく席で待っていると、彼は先日のようにカフェオレを運んできてくれたが、自身のドリンクはコーヒーを通り越して真っ黒な飲み物に輪切りのレモンが浮かんでいた。

「な……なんですか、それ……」

「竹炭レモネードだって」

躊躇なくカップを掴むと、写真を撮ることもなく、旨くも不味そうにも見えない顔つきで啜った。何をしても涼しい顔の男だ。

「君さ」

不意に声を掛けられ、国見は飛び上がりそうになった。

「な……なんですか……?」

「リッキーの友達なんでしょ?」

見つめてくる茶色の強い双眸には、何の意図もないように見えた。

「友達って、どんな感じ?」

「は……はい?」

この人、俺より年上だよな?――訝しんで仰いだ男は、静かな瞳で答えを待っている。

「どんなって……貴方も一人や二人居るでしょ?」

「俺、よくわかんなくて」

本当によくわからないという顔つきで、首を捻る。

「人によって違うと思いますけど……」

「じゃあ、なんで同じ言葉で表現すんの」

ざっくばらんな小学生のような問い掛けに、国見は戸惑った。

「知りませんよ……ホントなら、俺と葉月君はまだ知り合い程度なんです。彼が突然、友達だって……」

「ふうん……でも、もう知り合いじゃないんでしょ?何が違うの?」

「え、ええ?……そんなこと言われても……」

自分とて、友達と呼べる人間は居たのかどうかわからない。個人的な意見を言わせてもらえば、同級生はみんな友達――なんて言葉が通用するのは小学一年生ぐらいまでだと思う。小学校入学から一年、親元を離れた学校という環境に慣れてくると、だんだん……誰と気が合い、誰と過ごすのは具合が悪いかわかってくる。

自分は正直、幾つかに分かれたどのグループともそりが合わず、高校まで何となく作り笑いでやり過ごし、大学に入ったらもはやどうでも良くなってしまった。

食事は一人の方が落ち着いたし、興味のないスポーツやドラマの話題、見ないバラエティにお笑いのネタ、流行りの店、価値のわからないファッションや食べ物――とにかく、合わせることも、気を遣うこともない。自分がそうして一人だったのなら、友達というのはこの逆をいけば良いのだろうか。

「普通は……何かを共有するもの、かも……」

「共有?」

「同じ何かが好きとか、共通の趣味が有るとか……価値観が合うとか、友達になるきっかけって、そういうことだと思いますけど……」

自信のない意見だったが、未春は真面目に聞いて吟味しているようだった。

黒い液体を音も無く啜りながら、CMか映画のワンカットのような顔を窓に向け、何か思案している。

「……君は、リッキーと何か共有できたの?」

「う、そう言われると……矛盾しますね……」

どうもこの未春の回答は子供っぽいというか、AIと話しているような感がある。検索結果を提示する機械的な面と、応用に欠けたぎこちなさが同居している。

「……葉月はづき君には、言わないでもらえます?」

国見の遠慮がちな断りに、未春は目を瞬かせてから頷いた。

「さっきも言いましたけど、俺と彼は世間の定義じゃ『友達』じゃないんです。……けど、葉月君は俺みたいな協調性のない奴に、友達になるって……味方になるって言ってくれた。今まで、口だけの奴は居たけど、心からそう言ってくれたのは、彼が初めてだと思う。だから多分……なれると思います。趣味が合わなくても、価値観がズレていても。俺、正直、彼みたいなタイプは苦手だから、慣れるまで時間掛かりそうだし、けっこう……イライラしそうな気もするけど」

最後は少し笑ってしまった。笑いでもしないと、自論で突っ張っていたこれまでの自分がやりきれない。

未春は、あの妙に真っすぐな茶色い目を向けて、黙って聞いていた。

「……参考になりましたか?」

躊躇いがちに問うと、彼は何の感慨も湧いていない様子だったが、こっくり頷いた。

「うん。よくわかった。ありがとう」

そう言ってもらえると有難い。こちらも何となく、つかえていたものが腑に落ちた感じがした。国見がほっとしてカフェオレを口にすると、カップを置いたところで未春が口を開いた。

「あのさ」

「あ、はい?」

「リッキーの友達なら……俺が今から言うこと、覚えておいてほしいんだ」

「え……何ですか?」

「リッキーのこと。俺以外の誰も、リッキー本人も知らないこと」

国見は眉をひそめたが、未春が告げた内容に、目を見開いた。

「……そっ……それ、冗談じゃありませんよね?あの葉月君が、そんなこと……」

「君は思い当るんじゃないの。俺、あのアパートに行ったとき、同じことが起きるかもしれないと思ってた。リッキーが君を殴ろうとしたら、止めるつもりだった。我慢できたのは、ハルちゃんのおかげみたい」

「俺が殴られていたら――“同じこと”になったかもしれないんですね……?しかも、葉月君はどうしてそうなったか、覚えていない……」

「リッキーが本気で怒らなければ大丈夫。俺が知る限り、初めて見た時以外は起きていないから、セーブできるようになったのかも」

「……俺に話してくれたのは、起こりそうになったら友達として止めろってことですか?」

自信のない下からの視線に、未春はあっさり首を振った。

「違う。君が、リッキーが怒る原因になると思ったから」

「?……えっと……?」

「リッキーはたぶん、自分のことじゃ怒らない。だけど、君が誰かに傷つけられたりすると、怒ると思う。そうならないように気を付けてほしくて、教えた。はっきり言って、君がこれからする仕事は、危険じゃないとは言い切れないから。十条さんが、ヤバい人間だってことは気付いてるだろ」

「はい……」

それはもう、室月というスタッフから説明してもらって再確認している。あの十条に比べたら、先日までの詐欺グループの連中など赤ん坊レベルだろう。

「やばそうなら、俺かハルちゃんに連絡していいから」

ずいと差し出されたのは、先日も頂いたあの店のカードだ。裏面にはっきりと二人分の連絡先を確認して、国見は頷いた。

「そういえば……ハルトさんは、未春さんの友達じゃないんですか?」

何気なく聞いたつもりだったが、未春は微かに瞠目し、人形のように静止してしまった。店内に流れていたヒーリングミュージックが、ゆったりとワンフレーズ奏で終える頃、その視線は下に落ち、右に逸れ、斜めに落ち、また下に戻り、ふらりと戻ってきた。

「俺とハルちゃんって……友達に見える?」

「えっ……?」

ようやく返ってきた言葉は、積年の悩みを訴えるように聞こえた。しかし、嫌悪感は感じない。好きな人の話をする女子か、兄弟同士で素直になれないような……ちょっと微笑ましい雰囲気がある。

「そ、そうですね……友達、じゃないなら、相棒っていうか、パートナーとか……何かそういう――気心知れた感じ? に見えましたけど……」

「……ふーん……」

未春はぼんやり答えて、黒い液体を啜った。その返事は無関心というよりも、気恥ずかしさや照れ臭そうな気配がした。

――本当にこの人、殺し屋なのかな……?

国見がそう思いながら眺める先で、未春は黒い液体が消えたコップの氷を見つめていた。

放っておいたら、いつまでも見つめていそうな目だった。



「じゃ、作戦内容を説明しまーす」

行楽に行くような気軽さで十条が言ったのは、DOUBLE・CROSSがクローズした後のことだった。ハルトと未春がお使いから戻った時には、さららを相手にケラケラ笑っている明香が居た。すかさず未春がゴミを見つけたように直進し、逃げ足の速い明香がふざけた悲鳴を上げて退いたところで、十条が声を上げたのだが。

「えー、乗り込むのは小牧グループ所有の豪華クルーズ船・ホイットニー。夜間クルーズということで出港は夜の8時。僕とさらちゃん、茉莉花役のあっくん、優一くんの四名は招待状があるのと、室ちゃんは聖のスタッフ枠で普通に乗船しまーす」

言いながら、シルクのような艶のある封筒を示す。

「招待の表向きは、小牧グループの裏・定例懇親会。直訳すると、悪党の総会だ。要海くんは、僕を殺して、さらちゃんを本格的に小牧に引っ張るつもり」

「何で奴はそこまでして、ポイズン・テナーが欲しいんですかね……?」

ぼやいたハルトに、十条は苦笑いをし、室月と優一は伏し目がちになり、明香は口元を歪めて目を逸らした。無を貫いている未春はともかく、さららが気まずそうに身を縮ませる。

「俺、なんかマズイこと言いました……?」

「いいや、ハルちゃんの発言は御尤も。これはなんていうか、多様性の問題?」

「はあ?」

「ハルトさん、ちらっと聞いてない?要海さんがゲイだって」

自身の前髪を弄りながら、上司さえ言い淀んだものをずばり言ったのは明香だ。

「小牧は古い会社だからさ、身内の跡取りが欲しいんだけど、要海さんは女の子がてんでダメなんだ。体外受精も薦められたけど、女が自分の子供産むなんてぞっとするんだって。そんで白羽の矢が立ってんのが、腹違いのさららさんってワケ」

不意に横から剣呑な気配がして、先にハルトがぞっとした。

最近わかってきたが、未春は怒ると気配が濃くなる。……まあ、怒りたい気持ちはわかる――血筋を目的に子供を産めと強要するのは、いつかの悪徳ブリーダーと大差ない下衆だ。そう思っていると、優一と室月の眉間にも、それらしい皺が寄っていた。十条はあちこちに跳ねた毛を更に掻き回すと、唇を尖らせた。

「うーむ、ついでに要海くんはポイズン・テナーも諦めていない。だから本作戦の一番の目的は、要海くん――及び小牧グループに、さらちゃんから完全に手を引いてもらうってことになるね」

「……ということは、小牧要海を殺すわけじゃないんですね?」

なるべく静かに問いかけたハルトに、十条はさららを見てから頷いた。

「要海くんがやってきたことに関しては、万死に値すると思うよ。でも、彼はあれで経営者としての仕事はきちんとやっている。裏の悪質な資金繰りはともかく、表の社員にオーバーワークさせたり、法的な不正や、隙間を狙った違法スレスレの行為もしていない。むしろ、小牧の古いやり方は彼の代で良い方に変化しているんだ。年功序列を廃したり、オフィスの設備を刷新したり、福利厚生を増やしたり……表の影響力が強い以上、彼を安易に始末することはできない」

表も悪党なら遠慮なくやります、と言いたげな十条に、ほんの少しだけさららが微苦笑を浮かべた。

「じゃ、俺たちは何しに行くんです?」

招待枠を外れているハルトが未春を示して言うと、十条は両手を合わせてへらっと笑った。

「ハルちゃんと未春は、ざっくり悪党退治でーす」

「ざっくり…………」

こちらの認識が間違っていなければ、「大まかにやれ」ということだが――未春は微動だにしない。……お前はそれでいいのか? ハルトがまたしても来日直後の感覚に胃をむかつかせていると、第二の呑気者が手を上げた。

「トオルさーん、俺の茉莉花ちゃんは今回で退場していいんだよね?」

「いいよ。もう聖家に残ったBGM関係者は傘下の清掃員だし、あっくんは作戦終了後に別のアポロと交代だ。あとで表向きも後進に交代して、女王様は引退だよ」

「だってさ。良かったね、優一サン」

にっこり笑い掛けた明香に、優一は見向きもせずに鼻を鳴らした。

茶話さわ、お前はお喋りが過ぎると言った筈だが?」

明香がぺろりと舌を出して黙したところで、室月がすっと挙手した。

「乗船する殺し屋の確認が取れましたが、宜しいですか」

「お、さすが室ちゃん。仕事が早い」

「いえ……当初の話通り、ジャンクは既に船内に収容されました。今回のパーティーでは使用されないコンサートホールです。事前に椅子が撤去され、パーツらしき機械が運び込まれています。ホールには電源が複数ありますので、有線と無線の両方を用いるつもりかと。他に、工事で用いる重機に似たアーム型の機械二台と、撮影所などで使われる大型ライト、高圧洗浄機、それと……小型のラジコン車及びドローンを合わせて50台ほど確認しています。銃火器は無いようですが、以前から内部に有ることも考えられます」

「ホールを解体してラジコンサーキットでもするのかな?」

苦笑いを浮かべた十条だが、ハルトは顔をしかめた。事前にわかって尚、厄介な相手になりそうだ。

「もう一人、ハルトさんたちが遭遇したバイクの男ですが、名前は『矢尾 龍馬やお たつま』。元は聖グループで逃亡者や離反者を専門に狙う殺し屋でした。バイク操縦技術に長け、速さに対し、異常な欲を持っています。本人たっての希望だそうですが、疑似スプリングを接種し、不完全な適合者となった後、景三と反目して小牧に移りました」

「不完全な適合者?」

「半・適合者とでも申しましょうか。常人よりは格上の身体能力を有しますが、十条さんたちには及ばず、副作用による彼の疾患は『難聴』なので、スプリングの特性を相殺しているんです。その代わり、ポイズン・テナーは効果が薄い。お二人が遭遇した際はDUCATIに乗っていたそうですが、他の車種と思しきものが多数運び込まれていました」

「船内でバイクを……?要海は随分、寛大なんですね」

「走行できそうなのは車両を収容できる倉庫スペースくらいなので、そこで待つと思いますが――……この場所に関しては通常のスタッフが出入りしないフロアなので深入りできず、何があるかは未確認です」

申し訳ありません、と頭を下げた室月だが、当然責める者など居ない。たった数時間でこれだけわかれば十分過ぎるぐらいだ。

「部屋を分けたということは、この二人は共闘することはないんですか」

「いやあ、無いと思うな。こんな会議しといて何だけど、本来BGMは個人主義だ。君たちも一人の方がやり易いよね?」

日頃、同意を得られない十条だが、これに関しては満場一致だ。

「と、いうわけでハルちゃんと未春で手分けしてもらう。こっちの邪魔にならなければ、相手の生死はこだわらない。どちらかというとササっと戦闘不能にしてもらって、こっちを手伝ってほしいんだ。細かい手下の方が、数が多くて面倒臭そうだから」

「先に手下を片付けて、この二人を相手にするのは……?」

「ジャンクをどこまで船と繋げているかによるね。なんたって、この高圧洗浄機がイヤな感じがする。手下もろとも海に吹っ飛ばされるなんて――どう?」

どうもこうも、豪華客船の上から海にダイブするなど絶対にお断りだ。骨を折るなどでは到底済まないし、夜の大海原に放り出されるなど生きた心地もしない。

「僕が思うに、どちらも船舶向けの殺し屋じゃないよね。誰かの殺害を目的にするなら、ジャンクは乗船させずにドローン兵器や無人ヘリを与えた方が役に立つし、矢尾は明らかに陸が主戦場だ。明らかにこの二人は、招かれざる客用。恐らく、ハルちゃんと未春が乗船しない場合、彼らは待機か、別の役目に当たる筈。でも、せっかく待っててくれるんだしね?」

「……どうせ、小牧の手下に何人か、ターゲットがいるんでしょう?」

「さすがハルちゃん。そういうこと」

十条たちが要海と会う間に、稼がせてもらうという算段だ。二人の殺し屋は、バリケードかボディーガードのようなものか。

「ハルちゃんと未春は、室ちゃんに従って先に乗船してね。二人の武器は持ち込めそう?」

「はい。未春さんのものは既に船内に。ハルトさんの方は、今日の空気銃を含めて当日までに」

室月がそう言うなら不安はないが、料理関係者と共に運べるナイフに比べ、日本では明らかに怪しい銃をどうするつもりなのだろう?

分解しようと別の物に隠そうと、金属探知やX線検査装置は見逃してくれないのだが。「ご心配なく」と室月は頼もしく請け負った。

「あ、僕も丸腰で乗るけど心配しないでね」

「しませんよ。優一さんは堂々と商売道具持っていけるだろうし」

十条はむくれたが、要海との会談は茉莉花こと明香と優一も同席するというから心配することは何もない。できれば悪党同士、腹を割った話し合いで解決してほしいが、仮に争うことになっても、優一が居れば十分だ。彼は明香やさららを保護するぐらい訳もないし、何も言わずとも確実にこなしてくれるだろう。ポイズン・テナーを使われると厄介だが、優一が居れば安易に使われる可能性も低くなる。

「十条さんは、ベルトや時計、財布も取られると思いますよ」

当の優一が船内図を眺めながら指摘すると、十条は「ええー……」と間延びした嘆息を漏らした。

「もしかして僕、パンツ一丁で行った方がいい?」

「トオルちゃん……それだけは絶対にやめて」

さららの尤もな忠告に全員の心が一つになったところで、十条がお得意の笑顔を浮かべた。

「大まかにはこれでオシマイなんだけど、さらちゃん何かある?」

「えっ……私?」

「うん。皆さらちゃんの為に頑張るから、エールとか」

明らかに困り顔でさららは視線を彷徨わせ、いっそう身を縮ませると、集まった一人一人を静かに見渡した。

「……トオルちゃん」

「なあに?」

「……無理よ。どうしてこんなにハンサムな人ばかりなの? 恥ずかしくて見られない」

言うなり両手で顔を覆って黙してしまう。

「ええ~……もう、さらちゃん~……普段から僕とか未春は見慣れてるじゃない……あ、さては優一くんでしょ? それとも哲司てつじさん似に渋く成長した室ちゃん?」

俺の名前は呼ばないでくれ、と思っているハルトをよそに、意義あり意義あり!と吠えたてたのは明香だ。

「トオルさん! 俺とハルトさんも入れてよー! これでも黄色い声援浴びて生きてんだから!」

「おい、巻き込むな! 俺は浴びて生きてねえよ!」

「ウッソー。ハルトさんずっとモテモテじゃん。ジェラシーだわ~」

「……何の話だ、ずっとモテてんのはこいつだろ!」

指差された未春は、全く動揺せずにぼそりと言った。

「ハルちゃんはカッコイイよ?」

「クッソ、お前が言うなイケメン詐欺が……!」

『オシマイ』どころか収拾がつかなくなってきた辺りで、さららは細い指の隙間から、とても小さな声を絞り出した。

「……皆、かっこいいわ。ほんとよ。……ありがとう。誰もケガしないでね……」


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