11.One's old home.

〈ハーイ、ハル。忙しい私に何の用だい?〉


その夜。電話の向こうの陽気な声に一発かましてやりたくなるが、ハルトは落ち着いて言葉を選んだ。

「ミスター・アマデウス。聞きたいことがあるんですが」

〈何かな?〉

「28年前、BGMの東京支部で起きたことです」

オウ、と彼は冗談混じりの声で応じてから答えた。

大殺戮ジェノサイドだよ〉

あっさり出たワードは、奇しくも先日、十条が話した言葉だ。

「犯人は?」

〈一人の少年さ。とても賢い子だった。当時のTOPは皆、静観する他なかったね。あの頃確認された事件と事故は、あの恐ろしい才能と行動力が起こした〉

「その子は、今……何をしようとしてるんです?」

〈何だと思うかね? フライクーゲル?〉

「そのあだ名やめて下さいって言ってるでしょう。わからんから聞いてんですけど?」

〈はて、計画は計画だね。ネーミングは当人に聞かねばわからないよ。独特のセンスの持ち主だから〉

「何も知らないなら、そう言ってくれません?」

〈私が? 知っているとも――だが、教えると君は動いてしまうだろ? 撃つには早い。銃の発砲音とは騒々しいものだからね〉

「俺が、返り討ちに遭うってことですか」

〈君の腕は信用している。が、忘れぬことだ。背を向けている相手が、油断しているとは限らない〉

「……オーライです」

投げやりな返事を返すと、ハルトは質問を変えた。

「ところでアマデウスさんは、日本で何をそんなに忙しくしてるんですか?」

〈無論、ビジネスだとも。広告にCMに、挨拶に会議に会食に打ち合わせは山と有る〉

「音楽会社の方はどうでもいいです。両方って言ってましたよね?」

〈ハル、今の私は君の上司じゃあない。そこはトップシークレットだ〉

都合がいい、と、あからさまに毒づいてやると、アマデウスは笑ったようだった。

〈ヒントはあげよう。私は、略奪者が嫌いだ〉

「ええ、知ってますよ」

〈うむ。窃盗、強盗、詐欺……これらは働かずに他者の利益を奪う。賊、テロリスト、ああ、独裁者も良くない。時代は古代でも中世でもないのだ。誰しも、働きに見合う給与を与えられて然るべき世の中で、実に不愉快な連中だろう?〉

「はあ。それが何です?」

〈まあ、聞きたまえ。もうひとつ、嫌いなものがあってね、わかるかいハル?〉

「ドラッグでしょう?」

〈Oh、それは全くその通り。あんなものは一粒残らず焼却すべきだ。だが、他のものだよ〉

「ブロッコリー」

〈うーむ、それも正しい。しかし、それは私が苦手なだけだ。ブロッコリーに罪はない〉

「ジョンのお説教」

電話の向こうで微かな衣擦れが聴こえた。傍らにいつも立っている屈強な大男を見たらしい。アマデウスはバツが悪そうにボソボソと呟いた。

〈……最悪だ。先日は食後のアイスクリームを控えろと、健康診断結果を片手に小言を食らった〉

「早死にしたくないなら、ジョンの言うことを聞いた方がいいですね」

〈ハルまで説教かい? そんなものはいいから続けたまえ〉

非難がましい声から逃れるようにアマデウスは言った。

「じゃあ、偽札」

〈フン! あのアジアの悪魔どもめ……! スーパーXにスーパーZ、更にはスーパーノートを生み出すとは! まさに労働への冒涜!――いや、待て待て、ハル! 話が逸れている!〉

「……面倒な質問するからですよ。始めから答えを言えばいいじゃないですか」

〈つまらないなあ。私が嫌うのは、価値の無いものに金を使う者だよ〉

「ああ……なるほど?」

どうでもいいことの合点がいったという調子の部下に、アマデウスは疲れた様子だった。

〈先日、日本の資産家の自宅に招かれてね。金銀ギラギラ、シャンデリアまであるから欧州の宮殿かと思ったよ。日本は美しいものを沢山持っているのにねえ……センスの無い金持ちとは切ないものだ〉

アマデウス曰く、あらかじめ金持ちの家系だろうと貧乏からのしあがろうと、センスが有るか無いかで全ては決まるという。わかりやすい派手な高級品で固める者もいれば、趣味人を気取ってわけのわからない骨董や前衛的な美に走る者と様々だが、何より恐ろしいのは、センスが無い者というのは、選んだ高級品が自身に似合わないパターンが殆どらしい。

「で? 着地点はその悲しい話ですか?」

〈似合わない“高級品”の行方が気になっていてね。ジョン、例のデータを送ってやりなさい〉

すぐに送られてきたメールには、何かの数字がずらりと並んでいる。どうやら何かの会合の記録らしい。日付と時間帯が、大まかに週に二回以上、一時間から三時間程度と記録されている。

〈昨年、ひじりが文部科学省の人間に度々接近していたんだ〉

「は? 文部科学省?」

全く関与の無さそうな機関に、ハルトはオウム返しにして首を捻った。

「何の国家機関でしたっけ?」

〈主に教育を司る機関だが、学術、科学、文化、スポーツの振興、宗教に関する行政事務も含まれるね。特に彼女の熱烈アプローチを受けているのが、初等中等教育局〉

「舌噛みそうなとこですけど……なんで聖さんが?」

似合わないどころの騒ぎではない。おまけに初等中等といえば、小学生と中学生のことだ。

〈聖の表の顔を知っているかい?〉

「いえ……てっきり、どっかのブランド社長かと思っていましたが」

〈私立聖彩せいさい学園――小中高一貫校の理事だ。教育はむしろ近しい。だが、問題はそこではない〉

ハルトが聖の素性に驚くより先に、アマデウスはおぞましい情報をもたらした。

〈どうやら聖はその学園で、BGMの教育プログラムを実行しようとしている。懐かしいね、ハル――ネバダのシークレットエリアを思い出す。君を育てたシステムだ〉

「な――……」

呻き掛けた部下に、元上司はさらりと割り込んだ。

〈ああ、ハル、そろそろ失礼するよ。スタッフがサインをくれとうるさいんだ〉

呼び止める間もなく切れた電話を降ろし、ハルトは眉を寄せて音も無く唸った。握った電話が、微かにミシリと音を立てた。



 私立・聖彩学園は東京・武蔵野の地に抱かれた緑豊かな小中一貫校だ。

ピカピカにワックスを掛けられた空間は、大学に見るような劇場めいた講堂だった。生徒は皆、きちんと椅子に腰掛け、どこか嬉しそうに壇上の一点を見つめている。異様なことに、おしゃべりやあくびをするような生徒は一人も居なかった。教職員もまた、壁際に並び、同じように壇上を見ていた。こちらはあくびこそしなかったが、密かな囁きは生徒以上の高揚が見られた。

「聖さんは本当に演説が上手くていらっしゃる」

「あの方は人を惹き付ける才をお持ちだ」

全ての視線を集める壇上に、聖は立っていた。

その美貌は、ハルトに対面した時よりもいや増して輝かしい。

聖彩学園に置いて、カリスマ性とは、彼女の為の言葉だった。とはいえ、職員がさざめくように、もともと演説が上手かったわけではない。ここ最近になって、彼女は目覚ましい成長を遂げた。さぞや努力したのだろうと職員は感心し、尊敬もした。今や聖が壇上に立つと、さながら劇場のような華やかさが広がる。独裁者に等しい権威はむしろ神々しく、名ソリストの演奏に耳を済ますように生徒も教師も心酔した。聖の言葉は強くも優しくもない。只々、心地好いアルトの声はよく通り、ふくよかで明瞭だった。演説はもはやその域を越え、混迷極まる時代に、真実を与えてくれる神託であるかのように拝聴された。この話が聞けなければ、明日の指針を失うかのように、この場の人間は彼女の言葉を求めていた。

「……最後に、皆さんにお知らせがあります」

締め括りに微笑んだ聖を見て、生徒たちはこぞって目をキラキラさせた。彼らの期待に答えるように、聖は高らかに述べた。

「小中クラスを合わせ、成績優秀者30名を、私の特別教室に招待することが決まりました」

生徒たちがにわかにざわついた。皆、頬を紅潮させている。

「そう……皆さん覚えているでしょう。一学期末、私は10名を選抜して夏休みに同様の特別教室を行いました。参加した皆さんは大変優秀で、私としても、非常に有意義な時間でした」

この特別教室に関して、選ばれなかった生徒たちは何も知らなかった。

わかっているのは、参加した生徒らが夏休み明けに驚くほど成長していたことだ。彼らはそれまでの幼さや未熟さを全て脱ぎ捨てたように誇らしげであり、何か得体の知れぬ素晴らしい物を見た目をしていた。しかし、彼らはその秘密を誰一人口にしなかった。まるで、見えない封をされているように口外せず、話さないことこそが、素晴らしさを保つ秘訣であるかのように口を閉ざした。選ばれなかった生徒も、かつて選ばれた生徒も、爛々とした目を聖に向けた。聖はにっこり笑うと、既に我こそはという顔の一人一人を見渡し、両手を前に掲げた。

「選抜者は担当教員から発表致します。選ばれなくても、落胆することはありません。チャンスは幾度も巡ります――さあ、今日よりはいっそう、朗らかに学んで下さい。日々を大切に、感謝を胸に、心健やかに。次の集会で皆さんに会えるのを楽しみにしています」

拍手の瀑布を受け、聖は壇上を降りた。

出迎える様に現れた校長と共に、悠々と体育館を後にする。

「30名とは、増やされましたね」

校長の言葉に、聖はくすりと笑った。

「前回の成功からすれば、少ないくらいです」

「有り難いことです」

頭を下げた校長は、心からそう思っていた。聖のお陰で、学園の運営は非常に安定している。彼女が理事として辣腕を振るい始めてから、他の小中学校のようにモンスターペアレントやいじめ問題に悩まされることが全く無い。何より生徒は優秀だ。他校の同級生に比べ、皆落ち着いていて、模範的な生活態度を常としている。その上、締め付けるようなガリ勉というわけではなく、むしろ昨今は珍しい、泥だらけになるような遊びも厭わない。

時折、PTAから降って来る苦情めいた意見も、一体どんな手を使うのか、聖を通すと魔法のように消えてしまう。

「いやはや、私も拝見したいものですな」

剥げ掛かった頭を撫でながら笑う校長に、聖は朗らかにかぶりを振った。

「フフ……見せて差し上げたいのですが、ご容赦願いますわ、校長。このプログラムは若い精神にこそ響くものなのです。大人にはつまらないものでしょう」

現に、教職員さえも特別授業の概要は知らない。

聖は、このプログラムの頭に『アポロ』と付けている。ぱっと浮かぶのは月面着陸を果たした宇宙船アポロ11号やローマ神話の太陽神などだが、この意味も聖は明かしていない。プログラムを行う場所が聖の私有地たる小さな離島であるため、神の住む島ということではと推測した者が居たが、大人の想像はその程度だ。

「まだまだ若い者には負けない、などと申しても無駄なのでしょうな」

「そうですね……例えば校長は、サンタの存在を信じますか?」

滑らかな問い掛けに、校長は答えに詰まった。

「サンタ……ですか?」

「ええ。サンタではなくとも構いません。幽霊でも、魔法でも、妖精や人魚でも、おぞましい魔物でも良いでしょう」

校長は言葉を失った。一体、聖は何を言っているのか?

子供だからサンタを信じるとは限らない。これらがフィクションであることなど、最近の子供は殆どが知っている。まして、聖彩学園の生徒はトップクラスの成績優秀者ばかりだ。無論、空想の世界を愛するのは一向に構わない。物語は心踊らせ、豊かな感性を育む宝庫だ。現に、名作と讃えられる文学にもフィクションは数多く用いられ、読む者を魅了し、感動や教訓、ときに正しい知識をも与えてくれる。

「聖さんは……信じているのですか?」

「さあ、どうかしら」

謎かけのように笑むと、聖は颯爽と回廊を渡り、待っていた車に乗り込んだ。

「校長、今日も悩んでいたわ」

運転席の部下に聖は笑った。その笑顔は、子供たちに微笑んでいたそれとは異なる。キラービーは、女神から毒蜂の女王に姿を変えていた。

「しばらく、考え続けるのではありませんか」

運転席の男は事務的に答えたが、微かに笑っているようだった。聖は口元を歪め、窓を流れる学園に微笑んだ。

「大人になってからでも理解できる人はいるけれど、彼にはムリね」

謳うように、聖は窓に呟いた。

「既に、誰かの上に立った人間にこのプログラムは響かない。子供を持った親も、社会で部下を持った人も、若くして多くの後輩に讃えられた人間もダメ」

何か面白かったのか、部下は少し肩を揺らしたようだった。

「聖さんは、子供と努力家がお好きですからね」

「その通り。私は何も知らない子供と、頑張って吠えるお利口さんが好きよ。挫折してから這い上がる人間にこそ、成功者は生まれるもの」

聖はせせら笑うと、後部席から部下を覗き込むように身を屈めた。

「ところで貴方、フライクーゲルからサインを貰ったでしょう」

「お気付きでしたか」

「そんなに嬉しそうにしていればね」

「恐れ入ります」

部下が軽く会釈した時、進行方向からパトカーが赤い光を振り回して通り過ぎた。

「施設に招待なさると仰っていましたね。彼の琴線に触れていた様ですが――来るでしょうか」

「ええ、来るわ。“フライクーゲル”故に」

女王は楽しそうに答えた。

「人は、悪に対峙したとき……変化する。そう、彼はまたとないゲスト。現役の殺し屋なんて、日本ではリアルじゃない。滅多に見られない芸術品ほど価値があるわ」

そう言った瞳は、悪党らしい笑いが満ち満ち、聖は謳うように続けた。

「日本にはびこる悪の究極は、何かしらね。殺人なのか、不正や苛めなのか、詐欺、格差、虚偽、抑圧……様々あるわね。どんなに希望を持っていた人間をも、絶望させる悪。一生懸命やること、正直であることに馬鹿馬鹿しさも感じさせる悪」

不思議な事に、教育はすべからくそうしたものを『悪いこと』として子供たちに教える。

当初は笑顔で頷き、悪を理解し、近付くまいとしていた子供たちが、やがて大人に――或いは大人になる手前で、どうしたわけか悪に引っ張り込まれてしまう。中にはそれと気付かず、自覚も無しに悪道を突っ走る者まで出てくる。悪は正義よりも蔓延しやすい。容易いからだ。正義を保つのは難しいが、悪は安易で恐ろしい魅力を湛えている。

「その悪を除く力を、今の大人は諦めたり、外に求めがち。他力本願は昨今の『普通』に成り済まして、ヒーローになろうとするのはごく一部……しかも、日本の正義を重んじる機関は、困ったことに、度々裏切りを働いている」

ちっとも困っていない顔で聖は笑った。

「子供に諦めろと言う社会は虚しいわ。訪れる未来が、不条理な現実と、過去の汚物まみれと理解しながら学ぶのは、誰しも辛いものよ。学んだ分だけ報われ、真に幸福が訪れる『保証』があれば、彼らは心から楽しめる。つまらない大人に左右されずにね」

「愚かな大人は、子供の成長を阻む障害というわけですね」

「そうよ。私は反面教師など好まない。陳腐な模範は必要なくてよ。子供を傷つける無能な大人は論外だけれど、教鞭を取りながらアルコールに溺れる教師も、子供を忘れて煙草やギャンブルをやめられない親も同様。クリアな子供の目には全て見えている。中途半端なものは向上心を妨げ、未来を曇らせる悪習よ」

程なくしてオフィスに着くと、聖はヒールも高らかにホールを抜けた。先頃、力也が緊張気味に歩いた豊かな絨毯の上を、堂々たる姿勢で踏みしめて行く。不夜城であるかのようにきらびやかなライティングの下、頭を垂れる部下たちに目だけで挨拶を送りながら、聖は己の執務室の扉を開いた。

恭しくコートを攫って行く部下を余所に、ゆったりとひとつの棚に近付いた。

「本来、子供は強く正しく、生まれている」

舞台で喋るように、聖は美しいマホガニー製のアンティーク棚に語り掛けた。

「もし、自分が理不尽な力に絶対に負けないと知ったら、彼らはどうするかしら? 将来的に、その約束があるとしたら……」

聖は執務室の棚をざっと開いた。

そこには、ずらりと並べられた拳銃――ベレッタ30丁が黒光りしていた。

「さて……約束の70丁は、いつ届くのかしらね?」

子供に話し掛けるように、ルージュの唇が微笑んだ。



 どこかで、カモメが鳴いている。

久しい潮の香りと遮る物のない眩しさに目を細め、ハルトは見知らぬ島に降り立っていた。別荘同然のプライベートな島だというが、どうだか――それなりに設えてある波止場は、そこそこの船なら停泊できそうだが、古びたコンクリートが素っ気なく波を弾き、赤く錆び付いたビットや年季の入った杭やロープは控えめに見ても女王の趣味ではない。

東京――といっても浜松町の竹芝桟橋から四、五時間は掛かっただろうか。

早朝に出た筈だが東京の端から端までやって来たようで、既に陽は高い。澄んだ秋晴れは心地好かったが、呑気な観光ではない為、鬱な曇りにさえ感じる。

聖の招待を受けることを、十条は反対しなかった。聖のファイルを受け取り、ハルちゃんが良いなら行っといで、などと気楽な様子で送り出され、ハルトは今度こそ単独で魔窟にやって来た気分だった。

頼りは手元の拳銃一丁。念のため持ってきたマガジンを含めても、軽過ぎる武装だ。

泳いで帰るのは無理だろうなあ、などと思いながら揺られた船を降りると、三名の黒服を引き連れた聖が立っていた。

「ようこそ、フライクーゲル」

見た目だけなら休暇中の女社長といった姿の聖は、優雅な裾長の紺のワンピースに白のジャケットを纏い、緩やかな曲線を描く白い帽子を被っていた。両の手をそれぞれの肘に添え、昼の光に尚闇夜を感じる笑みを浮かべている。ハルトはハルトで、スーツではない普段着のジーンズ姿で、今日は遠慮を不要と見てか、愛想笑いもそこそこに会釈した。

「船は快適でしたか」

「良い船も揺れるには揺れますね」

「フフ……貴方、そういう話し方のほうが好ましいわよ」

「それはどうも」

不遜な態度に、聖が引き連れた側近の三人は眉をひそめたが、ハルトは素知らぬ顔で辺りを見渡した。

「今日は、あの案内人は居ないんですね」

「貴方のファンのことかしら。室月むろつきならお留守番よ」

「そうですか。残念です」

別に残念でも無さそうに言うと、聖に従って歩き出した。

聖の護衛は彼女の傍に二人つき、ハルトの背後に一人ついた。三人とも拳銃付きだ。警戒されない方が不気味なので、ハルトは反って気楽な気分になりながら、大した施設も無い殺風景な港を抜けた。

海から見た時、木々が生い茂るだけに見えた島は、思ったより整備されていた。周囲に木々は多いものの、聖の高いヒールに難が無い程度には舗装された道が一本、短い階段を挟みながら島の奥へと続いた。人の気配は全くないが、近くで野鳥の囀る声が聴こえた。

「此処、無人島なんですか」

ハルトの問い掛けに、周囲の護衛がピリリとするのが伝わった。おいおい、私語厳禁か?と可笑しくなると、代わりに聖が振り向かずに笑った。

「通年居るのは施設の管理人だけよ。今はそれなりに大勢いるわね」

施設。大勢。聖の言葉が臓腑を逆撫でるようだ。唾棄したくなる気持ちを堪え、ハルトは黙した。思ったより、自分はトラウマに弱いタイプなのかもしれない。

視界が広がった時、その憂慮は確信に変わった。

――似ている。

既視感に、胸の内がざらついた。

鬱蒼とした木々に囲まれ、広々と開けた芝生の上に、新築のように白いコンクリートの建物が横たわっていた。随分長い長方形のそれは、一見するとスタイリッシュな工場のようだ。周囲の芝生もきちんと刈りこまれ、外壁に傷んだ様子も、怪しい雰囲気も全くない。決して嫌な感じのする容姿ではないが、ハルトは船でさえ感じない吐き気を覚えた。

「どうかしら、フライクーゲル? 私の施設は」

「はあ……」

ハルトは建物を眺めたまま、内側から皮膚を抉りそうな衝動を抑えて頷いた。

「イイ趣味してますね」

音もなく開いたガラスの自動ドアの先は、高い吹き抜けを持つロビーだった。天井の窓から差し込む光は明るく、主だって白い空間は中に入って尚、美術館よりも静かだ。聖のオフィスを訪ねた時の様な出迎えは無く、誰かが通り掛かる気配も無い。白い大理石をピカピカに磨いたフロアタイルを歩く音だけが響いた。

ひとつ扉を抜けると、にわかに多くの人の気配を感じてハルトは緊張した。

五人は並んで歩けそうな廊下を挟み、幾つかの部屋が連なっている。その内の一つに、聖は颯爽と入って行った。そこはちょうどガラス越しに階下が見える観覧席のようだった。見下ろす先では、揃いの白シャツに紺のセーターとボトムスを身に着けた小学生程度の少年少女、十人程度がリラックスした様子でお喋りをしていた。いや、休み時間のような気軽さだが、彼らはグループに分かれて何かを話し合っている。不思議なことに、それを見ている大人は誰も居ないのに、サボる子供は一人も居ない。

「今はディベートの時間ですね」

満足そうに目を細めた聖が言った。ハルトは黙って子供たちを見つめた。

ディベート――特定のテーマについて、賛成と反対の立場に分かれて討論する会。正確には両意見に説得される第三者が居る為、アメリカ大統領選の公開討論もこれに該当する。

「海外ではよく行われるものですが、日本ではまだそれほど広まっていません。多角的な視点や論理的な思考、情報処理能力も向上する効率的な授業です。貴方にも経験があるわね?」

ハルトは答えなかった。

凝視する子供に、BGMの教育施設が重なっていた。

――そうだ。あの施設も、こんな具合に綺麗な建物だった。

当時、実験的に行われたBGMの教育プログラム場。ネバダ州・シークレットエリアと呼ばれたそこは、フィクションに見るような冷たく無機質な病院めいた施設ではなかった。昔はカウボーイが居たと噂されるアメリカの私有地に位置し、敷地面積は小さな町の約半分。市街地や国道からは距離を置いた高原のやや不安定な場所に有り、小規模な森林、崖、川などを抱いている。いずれも意図的に手を入れたり入れなかったりの状態を保持し、もっぱら“授業”という名の訓練に使われた。敷地には柵があるが、別に入居者を閉じ込めるものではない。外部の侵入者――大型動物は元より、一般人が知らずに入るのを防ぐ為と、適当に放牧してある家畜が襲われない為で、運動場などに見掛けるごくありきたりなフェンスだった。鉄条網やコンクリート壁などの物々しいものは無い一方、フェンスから覗ける景色は青々した雑草と様々な木々が生い茂る森くらいなもので、放たれた馬や山羊が草を食む風景に不審を抱く者は居なかった。仮に立ち入ったとしても、施設の外観は殺し屋の育成施設には見えない。自然を満喫できるホテルか学生寮、良い空気が吸えるホスピタル、或いは農学の研究所といったところか。森の中に巨大な長方形の箱をどっしり据えたような建物で、装飾がないシンプルさには素っ気ないところもあるが、どの部屋にも十分な窓が備えられ、中は木漏れ日が射し込み、風通しも空調も申し分なく、冬が厳しいことを除けば概ね快適。快適な空間で人殺しの技術を学ぶのは、イメージとのギャップが激しく、当初は気違い沙汰だと皆思う。ところが一年経つ頃には、ほぼ全員が、この気違い沙汰は恐ろしい効力があると悟るのだ。

誰かが云った。

――まんまと、飼い慣らされたと。

「どうかしたの? フライクーゲル」

自信に満ちた聖の問い掛けに、ハルトはふと現実に戻った。如何も何も無い。曖昧な愛想笑いを浮かべたが、上手く笑えた気がしなかった。

「古巣を思い出します」

「光栄だわ」

やけに上品なピンクのルージュが歪められ、聖は少年少女たちへ目をやった。

「フライクーゲル、宜しければデモンストレーションをして頂けません? 貴方は申し分ないプロフェッショナルですから」

「ご冗談を。俺は高度な議論なんて出来ません」

「貴方こそ、下手なジョークはおやめなさい。何のために銃の所持を許したと思っているの?」

弦月に割れた唇からのストレートなセリフはNOを許さぬ女王のそれだ。

とはいえ、こちらも気軽にOKなどと言えない。

「仕事の教師なら、ギムレットが居るじゃないですか」

あからさまな皮肉に、凄んだ目のままで聖はにやっと笑んだ。この女はこういう顔をすると、ますます女王か女帝の風格がある。男勝りや姉御肌と云われる女性でも、柔らかい女の一面は覗けるし、女ならではの心和む雰囲気はあるものだ。ところが聖は何処から眺めても、女性の持つ柔和な顔が全く浮かんでこない。見掛けは攻撃的なほど洒落た女なのだが、優しい声で話すときさえ、どこか常軌を逸している。一方で綺麗なお人形というわけでもない。人間のおぞましさを隠す気のない女王は腕と脚を組み直し、完璧な姿勢でついと顎を反らせた。

「野暮な遠慮はやめて、マガジンひとつ分ぐらい付き合いなさい」

挑発的な目は拒否を許さない。適当に撃たせて銃刀法に引っ掛けるくらいはやりそうだが、無意味な脅しと思い直して――ハルトは仕方なく頷いた。

「わかりました……うちの上司に迷惑が掛からないならいいですよ」

「あの男の迷惑は、朝一番のニワトリくらいよ」

ハルトが苦笑いとすくめた肩で応じると、エレベーターで地下へと伴われた。地下は地上とは一転、物言わぬコンクリート壁に覆われた駐車場のような場所だったが、ところどころに天窓を設けて光が入るようにしてある上、LEDの光は自然光に近い明るさだった。上部には各所にプロジェクターが設置され、壁に映像を投影できるという。

「屋外を再現できるのよ」

尋ねもしないことを聖は説明した。いくら絶海の孤島とはいえ、日本に大っぴらな狙撃訓練場は造れない為、ライトや映像機器を調整し、屋外を再現――というより演出するらしい。何もしなければ一見、ディックが貸してくれた狙撃場と似ているが、規模は圧倒的に大きく、レーンは幾つか種類が有り、距離も拳銃用、小銃用などに分けられていた。射撃場よりもやや高い位置にガラスを隔てた観覧席が設けられ、的を見渡せるようになっている。そこには20名ほどの少年少女が集められていた。

今度は見下ろされる側らしい。

聖が顔を向けると、彼らはアイドルでも見たような顔になり、拍手に湧いた。音が殆ど聴こえない辺り、それなりに厚みのあるガラス――恐らく防弾ガラスのようだ。彼女がにこやかに手で制すると彼らは瞬時に落ち着きを取り戻し、きらきらした顔のまま沈黙した。興奮を抑えられないような彼らの顔を仰ぎ、ハルトは微かな違和感を覚え、気付いた。

日本に来てから、あんなに楽しそうな顔の子供を見ていない。皆どこか達観した顔つきで、友達との会話も、テレビへのコメントも、はしゃぎ方まで大人のコピー品みたいだったのに対し、彼らは何というか、彼ら“そのもの”に見えた。聖は期待に胸膨らます顔を見上げ、ごく普通に話し始めた。マイクで拾っているのか、声は子供たちに聴こえているようだった。

「皆さん、ごきげんよう。今日は特別講師を連れてきました。こちらはフライクーゲル。『魔法の弾丸』と称される狙撃の名手です。見学がてら、プロの技術を見せに来てくれました」

そんな話だったか、と内心呆れながら、恥ずかしい紹介にハルトはともかく会釈した。

「挨拶しますか?」

聖の流し目に、ハルトは英語でならと意固地の悪い返答をした。いいでしょう、と聖が笑顔で応じた為、幾らか気楽に挨拶した。

「Hello. I can’t use magic. But……feel that hit.」

数名の子供たちがくすっと笑った。英語の皮肉をそれなりに理解できたらしい。

無音の拍手とスタッフが差し出す防音マフを受け取ってから、ハルトは自身のクーガーを無造作に掲げた。用意された的は人型ではなく、円型のプレートが15発に合わせて15枚並んでいた。

「標的は、向こうのモニターにアップになっているわ」

聖が愉快そうに子供らの方に顎をしゃくると、確かに彼らはこちらを見たり、別の方へと視線を動かしている。普通なら狙いたくもないデタラメな的に、ハルトは面倒臭そうに狙いを定めた。的の距離は遠くはないが近くもない。バラエティー番組のような厭らしい実演だ。少し息を吐き、ハルトは引き金を引いた。一発、二発、三発、四発、五発――上限の15発まで殆ど一定のリズムで轟音が連発した。子供たちの視線が釘付けになる。全て、的の中央に吸い込まれるような狙撃だった。当たると思う、などとんでもない――機械、ロボット、コンピューター並。そんな言葉が彼らの脳に浮かぶより早く、15発の的は一つも撃ち漏らすことなく、ほぼ中央に暗い穴を穿たれた。

これがプロ!子供たちが拍手をしようと両手を上げたとき、素晴らしい狙撃手はついと振り向いた。片手にはまだ、硝煙を上げる拳銃が持ち上がったままだ。

「一発余った」

ひと言呟いて、ハルトは子供たちが目を瞬かせるガラスの方に振り向いた。

余る? 15発全て当たったのに?

一瞬、彼らに浮かんだ緊張感は、恐怖だったか、只の驚きだったか。

子供たちが息を呑む間の直後、響いた轟音はガラス上部に有ったスピーカーを貫いた。機械が壊れる某かの不穏な悲鳴が尾を引き、周囲の呼吸が止まった。拍手をしようとした姿勢で子供たちは硬直し、表情は強張った。スタッフさえもポカンとしており、聖だけがゆったりと、品のある拍手を鳴らした。

「聞いていたより悪戯っ子なのね、フライクーゲル」

常に視界に入れていた聖は、肝を冷やした様子はなかった。ともすれば撃たれる恐怖が、この女には無いのだろうか。

「アマデウスが飼うと皆こうなるのかしら?」

「彼の秘書兼運転手と比べればわかります」

ハルトがクーガーを下ろして微笑すると、15発拳銃である筈が16発目を撃った拳銃を見つめ、聖も微笑んだ。

「いい改造拳銃だこと」

「どうも」

「講師代は“15発分”ね。残りはスピーカーとチャラでよろしい?」

「是非お願いします」

ふざけたお辞儀を返しつつ、ハルトはマガジンを外し、新しいものを取り出して装填した。その動作全てが滑らかで早く、隙がない。子供たちが文字通り釘付けのまま動けないのを狙撃手が見上げると、スタッフが硬い表情でマイクを差し出した。

「何ですか?」

聖を振り返ると、女王は優雅な笑みで子供たちに手を伸べた。

「質問に応じて頂ける?プロのデモンストレーションに尋ねたいことは多いでしょう」

「構いませんが、追加の講義代を請求しますよ」

「私が納得したら支払いましょう」

にべもない返答に、ハルトはもはや苦笑も出ず肩をすくめた。面倒には面倒が続くらしい。仕方なくマイクを受け取ると、同じものを持っていた子供と目が合った。同級生より大人っぽいと言われそうな少年は、きちんと挨拶してから、緊張した面持ちで話し始めた。

「……最後の一発は、僕らに向けたのでしょうか?」

質問は微かなノイズと吐息で震えた。素直に核心から問い掛けた少年に、ハルトは子供向けではない静かな姿勢で挑んだ。

「違うよ」

返答の内容か、日本語だったからか、少年はわずかに安堵したように見えた。

「では、何を狙ったのですか」

「スピーカー」

ふざけたやり取りだが、ハルトは真実しか述べていない。少年が何処まで踏み込んでくるか興味があった。

「スピーカーを撃った理由は何ですか?」

「君たちが居る方角に、他に狙いやすいものが無かった」

少年は眉をひそめた。自分たちを狙ったわけではないなら、その方角を狙った意図が汲めなかったのだろう。少年は少し沈黙してから、再び問い掛けた。

「ガラスが無ければ、僕らに当てましたか?」

今度は少し棘の有る調子だった。ハルトは首を振った。

「いや。でも、ガラスが無ければ、たぶん俺が狙ったのは君の後ろのスピーカーだな」

少年は思わず背後を振り返った。

確かに箱のようなスピーカーが、壁と天井の合間にくっついている。この殺し屋はスピーカーに恨みでもあるのか?他の子供も怪訝な顔をした。

「何故、スピーカーを?」

「君はどう思う?」

「わかりません。わからないので、お訊ねしています」

質問する側にしては横柄な態度だが、ハルトは苦笑した。見れば、周囲の目も同一意見であるようだ。彼らはあまり考えず、ひょいひょい聞けば済むと思っているらしい。

「大した理由じゃない。まず、俺はこの実演に1マガジン使えと指示された。が、用意された的は十五。弾がひとつ余ったから、君たちが銃を体感しやすい都合のいい的を撃った。スピーカーが好都合なのは、箱の形状が跳弾を防げること、貫けないほど頑丈でもないこと、誰かに当たる位置にないこと、壊れたら付け替えれば済むこと。壁やガラスを狙うと、飛び散った破片で怪我をするから。以上だ」

「僕らに銃を体感させたかったと仰いましたが、僕らの方に撃つリスクは無いのですか?当たらないとは限りませんよね?」

「一応聞くけど、君、俺の射撃は見たよな?」

少年が当たり前だろうという顔で頷くと、ハルトはやんわり言った。

「じゃ、今の質問は無意味だ。体感について誤解があるようだから補足するが、銃は撃つものだが、撃たれるものでもある。当たって怪我をさせるつもりはなかったけど、銃を持つことは当たるリスクを負うのと同じだ。これがオリンピック選手の練習場や警察学校なら話は別だろうけどね」

少年はそれ以上訊ねる言葉が見当たらなかったらしい。妙に静かになると、そっと礼を述べて後ろに下がった。今度は少女だった。後ろにひっつめた髪も、細いフレームの眼鏡から見つめる切れ長の双眸もキツい感じがした。

「どうすれば、それほど正確な射撃が出来るようになりますか?」

聞くまでもない問い掛けに辟易しつつも、ハルトはバカ正直に応じてやった。

「当たるようになるまで練習する」

「具体的にどのくらいでしょう?」

「人によるし、銃との相性もある。俺は一日約三時間から六時間の射撃練習と、体力や体作りの鍛錬、武器についての学習、対人向けの訓練、サバイバル戦術に近い訓練なんかを約五年続けてようやく物になった。ただ、スタートは七歳だ。いきなり普通の拳銃なんか使えなかったし、反動に耐えられる手や体が出来ていない状態だから、オモチャみたいなのから始めて、実弾に移った直後は指がイカれたこともある。当時より反動が減ったり、命中率の性能が上がっている銃もあるから、君たちの参考にはならない。それと、状況によっても命中率は変化する。足場、光の加減、ターゲットまでの距離、周囲の環境、一度に狙う人数、弾丸が詰まるトラブル、まあ色々」

少女はほんの数秒、瞳を丸くしたが、何に対してかはわからなかった。厳かに礼を述べると、別の子供に代わった。万事こんな調子で質問は続いた。大抵は銃にまつわる生真面目な問いだが、中には奇特な質問もあった。

「恋人は居ますか?」

なんだそりゃと思いながら、ハルトは興味津々の顔をした少年に笑いかけた。

「居ないよ。君は居る?」

「いいえ……」

好きな子が居そうな少年は、小さくはにかんだ。どうでもよさそうなところに着目した子供も居た。

「英語で挨拶したのは何故ですか?」

「日本語がちょっと恥ずかしいから」

事実、ハルトにとって、日本語で何かを主張するのは恥ずかしかった。BGMに入る前に喋っていたのは間違いないが、幼少期の記憶はあまり無い。ハルトの日本語は、いわばアマデウスのすり込みだ。彼は自らが母国を好むように、周りもそうあるべきと考えるタイプで、唐突に英語に取り囲まれた少年から母国語が失われるのを嘆き、自ら日本語教育を受け、積極的に会話に取り入れ、日本人とも接触させた。彼の努力の甲斐有って、少年はネイティブな日本語を失わずに済んだが、逆輸入めいた言葉に感じるのはどうしようもなかった。

「長いこと英語圏に居たから、自分の言葉っぽくないんだ」

経緯の説明を省いたが、尋ねた少年はにこりと笑った。

「日本語も、とてもお上手です」

「ありがとう」

穏便に済む質問もあれば、かなり攻撃的な問いもあった。

「人を殺して生きてて、楽しいですか?」

「そう言われると答えに困るな。俺の概念で説明していい?」

苦笑いで応じた殺し屋に、真面目そうな少年は挑むように頷いた。

「じゃあ、その質問が合わないから砕いて言おう。一、俺は人殺しをしなくても生きられるから、殺して生きているには当たらない。二、人殺しは楽しくはない。三、生きていて楽しいことはそれなりに有る」

「楽しくなくても殺せるんですか?」

「殺せるよ。スピーカーの話は聞いてたよな? 俺が殺しを楽しんでるなら、さっきの話は口からでまかせになる。反対に、楽しんで殺すタイプもまあまあ居る」

人間の残酷性は強調されやすいが、殺しを楽しめる人間などそう居ない。戦争のような集団心理に動かされる場合や、激しい戦闘ストレスによって凶暴化するケースはともかく、大多数の人間は人間そっくりの人形を傷付けることにも吐き気を催す。ナチス政権下のドイツ兵すら、ユダヤ人が殺される様の凄惨さに発狂し、拳銃自殺したケースはまま有る。ハルト自身、訓練として模擬戦闘を繰り返したが、最初の相手はぴくりとも動かぬマネキン人形だった。たかが人形――と、たかを括っていたものの、硬質の目鼻をした脳天を撃ち抜いたとき、臓腑をごっそり持っていかれるような怖気に襲われた。唖然と見つめたマネキンは、グシャグシャに砕かれた白い頭から、何やら濁った生臭い液体を溢れさせていた。血や脳漿が飛び散ったわけではないとすぐにわかったが、砕けた頭から液体を垂れ流しつつ、四肢を放り出した人形に釘付けになった。それが只の泥水を詰めただけの人形と知ってからも、不快感は重くのし掛かった。同輩も一様に覇気が無くなり、船酔いしたような顔つきで食事をしてから後で戻す者も少なくなかった。そんな中、目に見えて普段と変わらない者が、後に快楽型の殺し屋になるタイプ――或いはそうなる前に始末、または全く別の世界に放たれる人間だ。快楽型の殺し屋は、人形など言うまでもなく、子供の頭ひとつ吹き飛ばすことさえ何とも思わない。多くは臆病で脆い精神が引き起こしてしまう殺人を、いとも容易くやってのける。今回の解答者が千間なら、子供たちの誰か一人くらいは障害者、或いは犠牲者にされてもおかしくない。

ハルトは同じ穴の貉と自覚しているが、子供たちはイメージよりも温厚な殺し屋をまあまあ気に入ってきたようだった。実演の衝撃がひいてきて、凡庸な顔付きの青年ひとりが見えてきたらしい。奇妙な質問は朗らかに続いた。

――拳銃は好きか。

便利だと思うが好きではない。たまに重くて硬くて、メンテナンスが面倒臭くて嫌になる。

――殺した人数は。

十を越えた辺りから数えるのはやめたから正確にはわからない。

――殺し屋が大変なことは何か。

いつも殺される可能性があること、容易に人を信用できないこと、薬物に注意しなければならないこと、常に動ける体を維持すること、二重生活になること、などなど。

最後の質問は、“殺し屋”よりもハルト本人に踏み込んでいた。

「殺したいと思った人は居ますか?」

「居る」

あっさり頷いたことに、少年は少し萎縮したような顔をしたが、重ねて尋ねた。

「誰なのか教えて頂けますか?」

「両親を殺した奴と、反対だけする政治家と、食えるもの捨てる奴」

そこまで言ってから、ハルトは短い逡巡の後、己の胸に指を当てて付け加えた。

「あと、俺。それは昔の話で――まあ、今はそうでもない」

訊ねた少年はまだ聞きたそうな顔をしていたが、聖が制止した為、お開きとなった。思いの外、温かい拍手で見送られたハルトは、再び聖に伴われて地上に戻った。

道々、聖は何も言わなかったが、ロビーに差し掛かったところで口を開いた。

「なかなか良かったわ。ディナーくらいは用意しましょう」

「恐縮です」

分かりやすい媚びを顔に浮かべた殺し屋に、聖は肩越しに振り向き、瞳をすっと細めた。

「最後の回答だけれど」

「はあ」

「自殺とは違うのかしら?」

「はあ、一応」

「面白いわね」

「聖さんには負けますよ」

カツ、と音をたてて聖のヒールが停止した。吹き抜けのロビーに、静けさがこだました。

「どういう意味かしら?」

「ギムレットを病院送りにしてまで、俺を呼び出した理由は何ですか」

「質問しているのは私よ、フライクーゲル」

「せっかく釣られたのに、それは無いでしょう」

苦笑いと共にひょい、と掲げられたのは先ほど見せたばかりの拳銃だ。スタッフが血相変えて聖の前に出ようとするが、女王はそれを片手で制して微笑んだ。

「豪気ね。嫌いではないわ」

対するハルトは苦笑いのままだ。

「どうも俺……日本に来てから舐められっぱなしなんです。一般人はともかく、同業者はあんまり良くないと思っていまして」

「フライクーゲル、私を撃ったところで事は進展しないわよ」

「ええ、仰る通り――聖さんが亡くなられた場合を想定しましたが、驚くほど“影響がない”ですね。センター・コアの規模は、日本代表の支部と言ってもいいのに」

ハルトがそう言う頃には三名のスタッフは拳銃を構えていたが、聖は発言を促すよう顎をしゃくった。

「続けなさい」

「聖さんがセンター・コアの代表に就任したのは、十条さんの家族が殺された年でしたね」

拳銃三丁を向けられながらも、ハルトの口調は落ち着いていた。

「この人事から全ておかしい。それまで十条さんは東京支部を粛清した後、自ら代表を勤めていたと聞いています。俺はてっきり、彼が人事をやり直したことで貴方が台頭し、後任に指名されたと思っていました。ですが、この段階で貴方は殺し屋として十条さんの傘下に居なかったのでは? いや、殺し屋の顔も、裏社会の顔さえ無い。もっと言うなら、当時の東京支部に名の有る女性の殺し屋は居なかった。聖さんが“同業者なら”ご存知でしょうが、ミスター・アマデウスに至っては、女性の殺し屋を採用しません」

ルージュが歪むが、聖は何も言わなかった。

「いくらデータを洗っても、貴方には聖家のグループ企業の重役と、学園理事という顔しかない。おかしいでしょう――BGMとしての活動記録はほぼ残りませんが、仕事の成否は組織内に通達されます。そうでなくては殺し屋を精査する情報が無いし、名が売れることもない。やり方を見せたがらない連中も居ますが、『標的の殺害』が目的なのに、その手段を隠すなんて俺たちの業界ではナンセンスだ。まして、貴方が十条さんに噛み付くのは非合理的です。BGMの報酬は出来高制、或いは依頼者との交渉によって付加価値が生まれますが、支給元は支部が所属するTOPです。十条さんは貴方の上司でもあるし、仮に別の資金源が潤沢であっても、組織に準ずるなら面立って逆らう意味は無い。千間さんのように個人的な嫉妬があるならともかく」

依頼そのものも、BGMが請け負うのだから個人営業ではない。もし、聖が独自の暗殺会社なぞ立ち上げても、一度BGMに足を突っ込んだからには“何らか”の妨害に遇うに決まっている。何しろBGMの目的は『殺しで稼ぐ』ではなく、『安定と利益のために殺しを利用している』もので、実際がどうであれ、悪人をも食い物にする一大企業なのだ。

属する理由はそれぞれだが、根底には言うまでもなくカネがある。単純に金儲けをするなら、もとが金持ちの聖は別のやり方で十分。BGMにも、殺し屋にも、こだわる必要は無い。

「まさか、聖さんも十条さんと何かありましたか?」

「あの男と?」

心外と言わんばかりに見下げた口調で返すと、それはアメリカン・ジョークなの?と聖は軽くかぶりを振った。この反応が真意なら、やはり聖の行動は非生産的だ。上司と気が合わない、そりが合わないなどという些末なことは殺し屋も一般人と変わらないし、面と向かって逆らうのが宜しくないのも同じだ。千間がさららを巡って十条を敵視するのはごく自然な感情と言えるが、聖には当てはまらない。彼女が野心家であるとして、トップに名を連ねる十条に対抗心を抱くのは有るかもしれないが――たとえば無名の聖を十条が将来有望と見出だして鍛え、ライバル心や対抗意識が生まれたとしたら――否、やはりしっくり来ない。聖は後輩の面などとうに捨て、明瞭な卑下と嘲りを纏っているのだ。

「俺が考えられる推測は三つあります」

構えを少しも崩さぬまま、ハルトは提示した。

「一つは、十条さんの東京支部殲滅かそれ以前に貴方が何らかの投資をした場合――勿論、見返りを要求する程度の話で。二つ目は、貴方が十条さんの弱点を掴んでいる場合」

聖の表情は変わらない。高いヒールを履いた優雅な立ち姿はピクリとも動かない。

「三つ目は、貴方と十条さんがグルである場合」

聖に変化が無いのを確かめ、ハルトは続けた。

「俺は三つ目が最も可能性大と踏んでいます。日本では、今日の様な実演を求められることはないですからね。ただ単に『彼女は危険な殺し屋だ』と言う協力者が居ればいい。……正直、十条さんが10年前にそりがあわない筈のギムレットを始末しなかった点が気になっていたんですが――貴方を擁立する為に残したのなら、これ以上の人材は居ない。ミスター・アマデウスもグルなら尚、都合がいいです」

無名の聖に短期間で殺し屋としてのカリスマを与えるには、どうしても強力なコネクションを持つ第三者と、名の有る殺し屋そのものが必要になる。表の顔も有名なミスター・アマデウスはこれ以上ない適任だし、彼にこの役をやらせれば、口を出せる者はまず居ない。加えて、有名人のギムレットは連れ歩くだけで、聖の実力は未知数にはね上がる。万一のことがあっても、銃器を持たないギムレットは日本での護衛に最適だ。業界でもとびきりの狂人――喧嘩を売る人間は皆無と言っていいだろう。強いて言えば、あの千間が何を条件にこの役目を呑んだのかが疑問だが、大方――派手な仕事を与えたとか、そんなところか。

「センター・コアの本拠地ビルの所有権も聖さんではなく、株式会社テン・プラスでした。アホらしいくらいそのまんま、十条十の頭とケツだ。単に引き継いだままということも考えましたが、それなら貴方の十条さんへの高慢な態度はやはり不自然過ぎる。あの時は、貴方が以前の上司に同等の立場を主張する格好に見えましたが……本当は、俺へのポーズだった」

「賢い子は好きよ、フライクーゲル。ひとつ訂正するなら、私はもうひとつ顔があると言っておこうかしら」

もう一つ? ――認めたわりに、聖には余裕がある。それも単なる自信過剰ではなさそうだ。噂に相当する殺し屋ではない筈だが、銃を向けられて尚、この余裕はどこから来るのだろう。

「もう一つの顔が、聖さんの正体ですか?」

「今、話すつもりはありません。貴方が掴んでいないのなら、尚更ね」

ハルトは表情を変えなかったが、聖の言葉には内心首を捻った。聖にもう一つ顔がある?――ブラフか? そうだとしても、聖からそれを打ち明けるメリットは無い。それとも本当に只のでまかせで、こちらを撹乱するつもりか?

「貴方がBGMに加わった理由は、この施設の為ですか?」

「そう思って頂いても結構。十条に良いところがあるとすれば、私の趣向に文句を言わない辺りね。たまにミス・キャストを差し込んでくるけれど――まあ、フライクーゲル、貴方は飛び入りにしては上出来。少々、出来すぎるところが難点だわ」

「端役ならありがたかったです」

「残念ながら、貴方はダブル主演の一人よ。お相手が誰かは、もうわかっているでしょう?」

聖は相手の不幸を喜ぶような調子でクスクス笑った。

「未春ですね」

「そうよ。十条が成し遂げようとしていることの中心には、常にあの子が居る。そして貴方は、可能性を求めて十条が呼び寄せたけれど、予想を上回る逸材だった」

ハルトは笑わなかった。様々な考えがのらりくらりと浮かんでは、どぶ臭く濁る。抱え込んだ面倒を手元の鉄塊ごと投げ捨てたくなっていると、聖が軽く顎を反らせた。

「そろそろ、腕が痺れてきたのではなくて?」

「……お気遣いどうも」

女王の指摘は正しい。姿勢は乱れていなかったが、人間は人間。見た目よりも重い物を掲げて、何分保つのかは微妙なところだ。

「楽にしていいのよ、フライクーゲル。私も十条も、貴方を気に入っているわ。未春と同様に、貴方の才能は役に立つ。また、今日のような素晴らしい講義をして頂ければ、嬉しいのだけれど」

「あいつに人の刺し方を教わった子供に、俺が銃を教えろって?有り難くて泣けてきますね」

艶然と微笑み、聖はしなやかに腕を組んだ。

「フライクーゲル、貴方の想像はほんの一部に過ぎない。私と対決するのは時期尚早よ」

「……時期尚早、か」

「私達が『未来のBGM要員を育成している』というのが貴方の推測でしょう。確かに、あの子達が貴方達の後継者になれば幸いです。でも、子供を戦闘に使うというのは、些か粗暴、いいえ、無謀な計画には思えないかしら?」

また、思考が濁りうねった。その通りだ。アフリカや中東で活動したことのある身にとって、少年兵は珍しくないが、彼らはそもそも暴力の被害者で、多くが志願者ではない。志願する場合も、ほぼ全ての少年兵が何らかの理由に追い詰められてのこと。悪政、貧困、厳しい環境、悪法等々、総じて悪い大人を原因に、生きるため、或いは家族のために武器を握らされる。ところが、日本の子供――ひいては先程の子供たちはどうだろう?血色も良く、殺し屋相手に怯えや不安も見られなかった。例外や違いこそあれ、殆どの子供はそれなりの環境で、それなりに安全に生きられるということだ。勿論、日本に悪い大人は掃いて捨てるほど居るが、十代の子供に武器を握らせ「人殺しをしてこい」と言う悪党はほぼ居ない。日本の悪党は人殺しなぞするよりも、詐欺の演技か、殺しに至らぬ痛ぶり方を磨く方がよほど需要があるし、金融機関か政治家にでも張り付いた方が金になる。彼らをBGMにするなら、もっと効率が悪い。何故なら。

「アメリカのBGM教育施設が失敗しただけでも、子供の導入は無理があるわ」

そうだ。アメリカのBGM教育施設は第一期生を最後に活動停止になった。

ハルトの例だけ見れば功を奏したが、その同輩はほぼ全員が使い物にならなかったのだ。理由は単純、子供の内から殺し屋になってしまうと、公私を使い分けることができない。殺し屋の顔しかない人間は、BGMにも、一般人にも、フリーの殺し屋にさえ成れず、隔絶空間に住むため、世間の知識に乏しくなる。郊外学習と称して、街に出掛けることはあっても、隣人が殺し屋ばかりではそれ同士の教養しか身に付かない。当然、一般人に混ざれば浮いてしまい、それを避けるために表社会から距離を置くと、警察の目に留まる。警察にもBGMは食い込んでいるが、フォローできる範囲は限られ、毎度フォローが必要な殺し屋など雇うだけ損だ。ハルトがうまくやって来たのは、なべて温厚な性格と判断力、幼少期を一般家庭で過ごした下地、何よりアマデウスの存在が大きい。そうでなければ、他の同輩と同じように逮捕されたり、秘密裏に始末されてしまっただろう。

フレディ、オイゲン、マンフリー、リチャード――聖が挙げた名前は、ハルトと同じように育ち、深刻なシリアルキラー化した奴らの一部だ。

「育成施設ではないのなら、此処は何なんです。しかも、日本で非合法の銃を見せている。新しい暴力団でも組織するんですか」

「フライクーゲル、いま、日本にどれだけ引きこもりがいるかご存知?」

「は?」

引きこもり?

唐突な言葉に、ふと力也が浮かんだ。聖は返事を待たずに続ける。

「40代から60代が約60万、40代以下が約50万。占めておよそ100万を越える働き盛り世代が埋もれている計算よ。理由はそれぞれだけれど、精神的なものが中心。中には肉体的なハンディキャップ、家庭内問題等と複合していることもあるわね。年齢が上がるほど社会復帰は難しく、家族も本人も経済負担が重くなる。現状、彼らを支えている親族には、引きこもりの当事者に残す財産の為に、自身を削るケースに至るほどよ。自らの介護を拒否したり、医療を拒むような共倒れのパターンも少なくない。一部の地方自治体やNPOで成果を上げたところもあるけれど、政策としての成果はゼロに等しい。家や自室を出られない人に就労支援を致しますと公言しているだけ」

「……」

「損失額は年間、約二兆から三兆、或いはその倍。――だからといって、彼らに直接的な罪があるわけではない。無能な政府にもね。責任の所在を誰かに求めるなら、私は一人一人のモラル低下と認識しているわ」

「……モラルの低い日本人全員を抹殺するとか言いませんよね?」

「それも悪くないわね」

まんざらでもなさそうな聖だが、首を振った。

「誤解があるようだけれど、私は人間の価値を理解している方よ。一人前になるまで20年近く掛かる人間を、安易に殺すなんて非効率ですもの。やるならば意識改革と就労確保。日本は資源がごく僅かだし、AIの進歩で不要になる仕事は続々と増える。ごく一部の人間がテクノロジーを活かして潤う世の中は、中世の貴族社会に遡るも同然ね。彼らの出資先が海外のみになれば、日本経済は悪化するばかり。さて――政府が打ち出す解決策のひとつが外貨獲得だけれど、まんまと誘致したカジノでどれだけ搾れるかは担当者の手腕によるわね。でも、IR法案と観光利益のみにベットするのは、ナンセンスだと思わない?」

意趣返しのつもりなのか、ハルトはわずかに肩をすくめた。

「悪党が国の未来を案じるのもナンセンスだと思いますよ」

「あら、儲け方を知らない官僚より寛容なのに。私達の構想には、もっと効率的な手段がある。高利益且つ、関係者の誰もが得をするアイディアが」

悠然と述べた聖に対し、護衛達はそろそろ疲労が滲んでいた。傍目には崩れることなく銃を構えているものの、眉間の皺がきつくなり、握る手が微かに傾ぐ。――恐らく、本業は殺し屋ではない。SP専門か、警察出身、或いはヤクザが相場だろう。たとえ拳銃の腕が良くても、構えたまま長話に付き合うことは稀に違いない。褒めてやってもいい様を視界の隅に留め置いて、ハルトは尋ねた。

「その名案を伺っても?」

「人は資源、と答えればわかるかしら?」

部下を省みない女王の解答に、ハルトは眉をひそめた。

「まさか……引きこもりの人間を、殺し屋にする気ですか? 外貨を稼ぐために?」

女王は唇だけ微笑む。

「正気の沙汰じゃない。生きづらい人達を、よりによって死地に放るつもりですか」

「噂より穏健派なのね、フライクーゲル。心配しなくても、彼らの一部は既に賛同しています。身一つで飛び込める戦場があれば、自殺や無差別殺人を企てるよりも気が晴れるそうよ。数名に至っては初めて触る武器に狂喜していたし、収入が得られることに安堵した者さえ居る」

「……全員がそうとは思えない。戦場に行く気があるなら、バイトの面接でもした方がマシでしょう」

「貴方の言う通りなら、彼らは何故、出ていけないのかしら? 私が知る上では、一般人こそ恐ろしい生き物なのよ。群れては異なる者を蔑み、乗り遅れる者は非難し、『斯くあるべき』の型にはまらない者は虐げる。事実、一般人は問題と名の付くものから目を背けるでしょう? 引きこもる者は自ら、その受け皿になってしまうのよ。学歴、金銭面、体質などで、社会的立場が低いと卑屈になるあまり――或いはそう思わせる社会を前に、自ら追い込んだ果てが引きこもりなのだから。そんな人間を大衆は哀れむよりも見下げる――甘え、臆病、怠惰であると嘲りながらね」

「じゃあ、あの子供たちは何になるんですか。殺し屋にしないというなら、俺が見せた射撃に興味を持たせる意味がない」

「未来の指導者と言えば、理解できる?」

聖が浮かべたそれは、ぞっとするほどの笑顔だ。

「アメリカBGMが成し遂げられなかった教育を成功させる手段は、二つ有ると私たちは推測します。一つは、アマデウスが貴方に施したもの。尤もこれは、貴方の性格と経験が合致した為に上手くいった特例中の特例。もう一つは、完璧な指導者と、万一に備えた完璧な療法を用いること」

「完璧な療法……? 心理療法のことですか?」

「いいえ――アマデウスが好まぬが故に、拒否された手段よ」

アマデウスが拒否するもの。――薬物ドラッグか?

「――嘘だ。そんな都合のいいもの、有る筈がない」

「さすがはアマデウスの部下ね。アマデウスも否定しましたが、あなた方一期生が施設を卒業した13年前、既に私たちはこの療法策を持っていました。その後も臨床試験を経て、より精度は上がっています。悩み、迷い、不安に思っても、全て解決してくれるわ」

「……そうだ、殆どの人間は苦悩して、心を病む。そうじゃなかったら、何処で人間の意志を保つんですか? そうなると理解しているのに、貴方は彼らの人間性を奪うつもりですか。あなた方の利益の為に」

「いいえ、フライクーゲル。私達の思想は腐敗を止め、循環を促す為のもの。問題を先送りにするやり方は、彼らの歳と鬱を重ねるだけ。いま、社会問題と称されるものに有るのは、均衡ではなく停滞です。誰かが早急に進める必要があるのよ。流れさえよくなれば、やがて計画も必要なくなるでしょう」

「……俺たちは悪党です。分不相応だ」

「分不相応なのは貴方よ。正義を振り翳すなら、その手のものは似合わない」

丸腰の繊手が貫くように示す、鋼鉄の武器。

ハルトは軽くため息を吐いた。

「仰る通り――正義というのは似合いません」

「ええ、貴方は賢く、品性を持った誇り高き悪。権力や金銭で面の皮を見映えよくした悪党など取るに足らない本物よ。きっと、私たちを理解できるはず」

賞賛に、ハルトはいつもの苦笑いを浮かべた。弱い溜め息混じりに、緩やかに銃口を下ろした。護衛がほっとする気配を感じ、聖が満足げに口元を綻ばせる。その唇が何か言おうとする手前、ハルトはやれやれといった口調で「でも」と遮った。

「同類に従うのは、御免被ります」

轟音と呻きが瞬時に三ずつ折り重なった。ほんの数秒で、銃を構えていた三人が無様にひっくり返っている。穿たれた太股を押さえて呻きながら、尚も銃口を掲げてみたものの、“魔法”とまで呼ばれた弾丸がそれを見逃すわけがない。あっさり弾かれた銃が揃って宙を舞い、重さのわりに軽い音で廊下に吹き飛ぶ。

「……お見事、と言うべきかしら」

「聖さんがそう仰るなら、俺はお褒めに預かりましてなんとやら、ですね」

聖は尚も笑った。正気ならば、その度胸こそ称賛に値する。

「伺いたいわね。貴方の意図を」

「わかりませんか」

「ええ。私を殺すつもりがないのはわかるけれど」

「それがわかるだけ、貴方はこいつらより格上です」

今度こそ拳銃を下ろし、ハルトは手近な男から順に携帯電話を奪い、しばしタップをした後、一つ残して踏み潰した。薄いそれを摘まんで、聖を振り返る。

「食事はいいんで、これ貰いますね」

「好きになさい。帰りの船も手配しましょうか」

「大丈夫です。迎えが来ますから」

お邪魔しました、と告げ、ハルトは静かな施設を後にした。



 追っ手があるかと思ったが、波戸場は潮騒が響くだけだった。

「ハル」

低い呼び掛けに目を向けると、小型ジェットボートの運転席から金髪碧眼の大男が顔を覗かせていた。白い船にも海上にも不釣り合いのスーツ姿を認めて、ハルトは露骨にうんざりした。

「ジョン、スーツ以外持ってないのか?」

「持っているが、着替えを持ち歩く習慣はない」

寝間着もスーツだと言いそうな男は、お前が急に呼びつけたからだろうという顔のまま、早く乗れと顎をしゃくった。

「これ、宜しく」

ハルトがぶっきらぼうに掲げた携帯電話を男は黙って受け取り、ズボンのポケットにねじこむと、返事の代わりに船を発進させた。分厚く震えるエンジン音と波の弾ける音がする中、振り返った島は静かだった。強く吹き付ける風の中、陽が沈もうとしている。警察や救急車がやって来る気配もなく、徐々に淡い輪郭になっていく。

「キラービーと揉めたか」

強く放るような声に、ハルトも耳が遠い人間に向けるように返事をした。

「揉めてはいない。『構えた』ってとこ」

男は海を見据えながら、小さく鼻で笑ったようだった。

「アマデウスさん、なんて?」

「何も。俺がお前に言われて聖を調べた通り、ハルは好きにさせるよう指示されている。社長は多くにそう言うが」

「だと思った……実際、どうなんだよ。あんたがアッサリ此処に来るんだから、事情は通ってるんだろ? 引きこもり傭兵団なんか何に使う気なんだ?」

「お前は使い道があると思うのか」

自分で、目付きが変わるのがわかった。

「……やっぱり、“そういうこと”なのか」

「ああ。一つ誤解の無いよう忠告するが、社長は当初から反対だ。今は聖に任せた方が、彼らを外に連れ出すことができる為、賛同している」

「……ふーん。じゃ、アマデウスさんは何か? 拉致して音楽活動でもさせる気?」

「本気か知らんが、面接すると。人間一人の価値に関しては、社長は聖と同意見だ。ただ飼殺しにしている日本政府は理解に苦しむと嘆いている」

「……アマデウスさんの来日は、聖が持っているドラッグが目当てなんだな? 聖と十条さんが結託してる事業と、ベレッタ紛失と、銃殺事件も繋がるのか?」

「俺からは何も言えん。ハルの推察は聞いてやれるが」

「ズルいヤツ。俺は銃殺事件だけが腑に落ちない。聖が提示したファイルの中身……薄っぺらい書類の『関係ないです』は、俺に言ってんだろ?あんなもん電話すりゃ済むってのに、バカにしていやがる」

「お前が聖の所に行ったのは、施設の件を気にしてのことだろう」

「ハイハイ、そーですが? 気分悪くなっただけですが? 文句あっか?」

エンジン音にも負けじと声を荒げる姿は、日頃のハルトしか知らない者なら目を疑ったに違いない。敏腕秘書は小さく笑っただけで首を振った。

「泳がされるのは気に入らないか、ハル」

「うっせーな。 もう慣れた!」

拗ねた子供のように波へと吐き捨てた男は、それきり静かになった。

「ハル、このまま支部に帰るのか?」

「……ああ」

「トオルと構えるのはやめておけ。あいつは聖とは違う」

「わかってる。あの人とやりあうのは、アマデウスさんとテレビゲームするより面倒臭そうだ」

「同感だ」

もともと寡黙な男も、それきり黙した。船を降りるとき、ハルトはふと振り向いた。

「……なあ、ジョン。俺、こっち来て変わった?」

男は厳めしい容貌を向け、石が喋るように静かに答えた。

「ハル、人は皆、毎日変わる。俺もそうだった」

「……結局、地獄行きなのにか」

「変わる。地獄へ行く運命が変わらなくても、行き方くらいは変わる」

小さく微笑んだ男に対し、ハルトは自分ができる最も意地の悪い――悪党の嘲笑が浮かんだ。あの日、ジャングルで聞いた声と、目の前の男の忠告が重なる。

「説得力あるな」



「やあ。おかえり、ハルちゃん」

DOUBLE・CROSSの店先。外灯程度の明かりの下、低い階段に腰を下ろしていた十条はにっこり笑った。風が冷えてきた季節にも関わらず、傍らにうずくまるスズがちらりと見上げてきた。上司と猫を渋い表情で見下ろし、ハルトは呆れ顔を浮かべた。

「こんな夜中に何してるんですか」

「スズの散歩に」

「……平然と嘘吐くの、やめた方が良いですよ」

面倒臭そうに言ってやると、十条は小首を捻って苦笑しただけだった。

そのまま横を行き過ぎても良かったが、奇妙な飼い主とペットに向かい合う。ふと、この組み合わせを見たのは初めてだと気付いた。

「こいつ、十条さんの猫なんですよね?」

「一応、ね」

察したらしく、苦笑して傍らを見下ろした十条だが、飼い猫は目を閉じて知らんぷりしている。

「僕は保護者ってとこ。飼い主とは名乗れないよ」

全く異論は無い。この猫の衣食住を世話するのは未春であり、甲斐甲斐しくブラッシングしたり遊んだりするのは倉子だ。

「スズは、自分で此処に来たと言っていましたね」

「うん」

「それ……もしかして、未春が掃き掃除してるときだったんじゃないですか?」

「そうそう」

当時を思い出すのか、十条は愉快げに笑った。

「ちょうど今ぐらいの……肌寒くなってきた頃かな。閉店時間に近い頃、未春が『困りました』って仏頂面で僕を呼んだ先に、スズが座ってた。営業マンみたいにビシッと、店に向かって、だまーって、畏まって」

「あいつ、追い払うとか、放っておくとかしなかったんですか」

「僕もそう言ってみたら、『全然動かない。無理です。今夜から雨なのに。十条さん何とかしてください』って言うわけ。未春が僕にああしろこうしろって小言以外に助けを求めたのは初めてだったから、驚いた。ホウキで追っ払えなんて言わないけどさ……いやあ、なんてシュールなことに、って笑っちゃったよ」

多分、未春は笑いだした十条を無言で睨んだろう。しかし、十条の言い分は尤もだ。殺し屋が殺し屋にSOSするだけでも珍妙なのに、理由が猫の移動では笑うしかない。

「ところが僕だって猫の扱いなんてちんぷんかんぷん。飼ったことなんか勿論ないし、どうやって触れば良いのかもわからない。しょうがないから、さらちゃんに来てもらったんだけど」

「さららさんもわからなかった、と」

「そういうこと」

ただし、さららは情けない男二人と違って機転が利いた。「トオルちゃんが寄付してる先に、そういう団体なかった?」と言ったそうだ。

「それが、ラッコちゃんが参加してた犬猫の保護団体。電話したら近隣に住んでる人がすぐに来てくれたんだけど、ちょうど電話の先に居たラッコちゃんも来たってわけ」

しかし。このどっしりした猫は更に彼らを追い込む。首輪の無い猫が野良なのか迷い猫なのかは調べなければわからない為、ともかく保護する必要があったが――威嚇こそしないものの、ケージに入るのも抱かれるのも拒み、その都度するりと未春の足元に避難する。無表情のまま微動だにしない青年と、甘えるでもなくその足元に澄まして座る猫を見比べ、倉子も思わず「イケメン好きなのかなあ」とこぼしたという。とっぷり暮れ出した国道沿いにテコでも動かない猫。目下の対策が打ち出されるまで、そう長くはなかった。

「『仕方ない』って未春が折れたよ」

十条は夜に滲むように笑った。

「いつものように、無表情にぼそっと言った。あの顔は、かわいそうだから、とか、可愛いと思ったわけじゃなかった。でも、僕はなんだか嬉しかったよ。未春のあんな様子は後にも先にも見たことがないから」

「……あいつ、器用ですからね」

「そうだねえ……未春は何でも出来ちゃう子だ。音を上げる必要がないくらいには」

バイクらしき轟音が駆け抜け、十条の言葉は途切れた。

「十条さん」

「うん?」

「何故、俺を此処に呼んだんですか」

声と闇の合間を、騒音と光がフラッシュする。場違いなほど穏やかに、十条の目尻が下がる。

「僕が気に入ったからだよ」

優しい声は不思議と騒音を漂い、数歩先のこちらにふうわり届いた。放っておけば、この男は何にも邪魔されずに延々と喋ることができそうだった。

「……質問を変えます」

一呼吸ごとに、胸がざわついた。泥沼から、なにともつかぬ物を引き揚げるような気色悪さを感じる。

「俺に、何をさせるために呼んだんですか」

「君が今、この店でしていること」

前もって準備されたセリフに聞こえた。背後の国道が激流なら、この男はどこまでも穏やかなせせらぎか。

「疑ってるね、ハルちゃん。本当だよ。一日、一日、君は証明してくれている。未春とおんなじ」

微笑して、十条はDOUBLE・CROSSを斜めに仰いだ。閉店時間を過ぎた店は暗く、看板の灯りは消えているが、満開の夜桜でも仰いでいる顔に見えた。

「ねえ、ハルちゃん。此処に来て、どうだった?」

「……調子狂い続きです」

素っ気ない返事をしてから、反射的に要らぬ捕捉が口を突いた。

「悪党と、小市民の往復運動は疲れます」

「はは、じゃあ、どっちが楽しい? BGMの殺し屋である君と、DOUBLE・CROSSのハルちゃんである君と」

「……質問の意味がわかりません。俺は殺し屋です。仕事に“楽しい”かどうかは関係ありません。今はたまたま、表の顔がこの店に居るだけです」

冷静に喋ったつもりだったが、むきになっている気がした。十条がやけに凡庸に笑うのが、胸の奥を逆撫でる。――これは、未春と同じ気持ちだろうか。

「僕は、この店で皆に好かれるハルちゃんが、裏表無しの本物だと思うな」

崩れそうにない笑顔を、車のライトが滑っていく。眺めていると彼の思う方へ流されそうで、目を逸らして首を振った。

「皆が知らないだけですよ。殺しを見たことのない人間に、実感が湧く方がどうかしてる」

「確かにね。でも……君は不本意ながらもラッコちゃんを励まし、リッキーの悩みを聞いて、さらちゃんを気遣い、未春の心を開いている。これはBGMの殺し屋であるだけの人間にはできないよ。いや――大抵の人にはできない。本当に、凄いことなんだ。君が居るだけで、誰かが元気になって、安心するんだよ。誰かが傷ついたり、死ぬんじゃなくて」

「美談は他所でやって下さい。俺が此処で偽善を安売りしたところで、正体は殺し屋です。皆に親しまれる『ハルちゃん』じゃない」

「君は、もう『ハルちゃん』だよ」

「違う!」

生憎、張り上げた否定は、トラック騒音に轢き逃げされた。それでも潰しきれない感情が腹で唸り声を上げていたが、眉間で処理して声を落とした。

「……聖さん……いいえ、あの施設……あれは何なんです? BGMの施設にしては中途半端だ。悪趣味過ぎる」

「悪趣味かあ……だからハルちゃんは不機嫌なのかい? 確かに僕も白ばっかりの内装はイマイチかなって――」

「とぼけないで下さい――俺が育った施設は“役立たずを量産して”閉鎖になった。聖の施設は、気色悪いほど似ていました。違うのは子供の顔つきくらいだ」

「君が居た場所の子供は、どう違っていたの?」

「……あそこじゃ、どいつもこいつも夢なんか見ていませんでしたよ」

吐き捨てて、イライラしていた理由が鮮明になってくる。

BGMの施設では、誰もが強制収容された犠牲者だった。もともと、まともに生きる余裕などない連中は、食って寝られるならば、そこに戦闘がプラスされても順応せざるを得ない。力也に話した通り、吐くほど鍛練させられたが、そこそこ食えて、そこそこの住まいに暮らしていると、死んだら楽か、などとは誰も考えない。そこそこ生きて、そこそこ殺す――この仕組みに違和感も関心も無くなるように育てる。あれはそういう場所だ。それなりに平和な国の、まともな環境に育った子供が集まる所ではない。銃刀法に守られながら、銃社会に踏み込もうとする子供。彼らを傀儡し、利益の為に悪へ招き入れようとする大人。銃の上手い扱い方? 死に対する理由? 好きな人だと? バカバカしい。成らざるを得なかった殺し屋を、将来有望な子供が理解し、模範にして何になる。大人しく平和を謳歌し、享受することの何が気に入らないんだ!

「銃社会ですらない日本で、子供に銃撃を見せる意味なんか無い。俺から見れば、引きこもりの人間はそれ以上に無意味だ。人間ドックから始めるほど、ウチは人材不足なんですか?」

「君の目にそう映ったなら、そうかもしれない」

相変わらず、十条は穏やかに笑っていた。

「十条さんが指示しているんですね? 聖さんと結託して何の――」

「It is too early now」

突然の英語に戸惑うハルトに、十条は己が口許に人差し指をそっと当てて笑った。

「時期尚早だ、ハルちゃん。難しいかもしれないけど、もう少しだけ僕を信用して待ってほしい」

聖もアマデウスも言った言葉にハルトは顔をしかめた。

「……一番、信用しづらいやつですよ、それ」

「はは、……うーん、それじゃあ一つ白状しよう。僕はあるものが来るのを待っているんだ。今、君に全て知られると、それが奪われてしまう可能性が高い」

「へえ」

つい、馬鹿にしたような笑みが口に乗る。

「聖と結託している貴方から、何か盗る気が起きる奴なんて居るんですかね」

皮肉を言っても、十条はにこにこしていた。

「物わかりのいい悪党ばかりなら、そもそも僕らの仕事は少なくて済むだろう? 警戒しているのは古馴染でね。君に動かれると困るから名は明かせないが――こいつがなかなか、厄介な人でさあ……すーぐ人質とか取るわけ。古典的で困るよねえ」

――余計に謎が深まってしまった。この信用ならざる上司の言い分では、時間経過で何か状況が変わるらしい。疑問は内心に留めて首を捻った。

「……なんだか、反って煙に巻かれた感がありますね。全部、時期尚早だからですか?」

「まあ、そう思ってくれていいよ」

「では、現在“時期尚早”なのに、聖さんが俺をあの施設に連れ出したのは何故です? 俺が何を考えるのか、貴方は予測済みでしょう? だから補足のために此処に座って……」

――待って、いた。

いや、それも変じゃないか?“あの件”を知っているのは施設に関わった人物だけで……

不自然に途切れた言葉の先で、尚も十条はにこにこしていた。

「僕が君を“補足の為に”待っているのは、おかしいね。それでは僕が、君と例の施設の関係を詳しく知っていたことになる。アマデウスさんは、君の秘密まで僕にベラベラ話すような人じゃないよ」

「……俺の反応を見るために……此処に居たんですね?」

「君が素直な子で助かる」

つい、にこにこ顔を睨んでしまう。――やられた。待っていた狙いは“それ”か。

「……その様子じゃ、勝手に調べて気付いたんですか。よくわかりましたね……アマデウスさんに日本限定のアイスクリームを贈る方がラクなのに」

その手があったかー、と笑う脳天をふっ飛ばさずに無視してやったのはありがたく思ってほしい。BGMのトップシークレットに踏み込むのは、TOPの立場といえど万死に値する。特にこの問題は、アメリカBGMにとって“隠しておきたい”秘密なのだ。有能な殺し屋を量産するための施設を、他のTOPに相談なく運営したこと自体もそうだが、その後――あの施設が閉鎖された経緯と事後処理が問題だった。

アマデウスはこの件に屈辱的なほどムダ金を撒いたし、平然としつつも失敗は自覚している。ただ、有能な殺し屋は確かに完成していた。

誰より頭が良かったフレディ、空間把握に優れたオイゲン、一度も組んで勝てなかったマンフリー、機械のような遠距離射撃をするリチャード、隠れたら誰も見つけられなかったジョゼフ、どんな時も冷静だったテッド、ITや機械工学に秀でたケネス、マジシャンのように手先が器用なチャールズ――

更に何人もの、“同じ者”たち。

彼らはほぼ全員、“同じ”一人にられるまで、完璧だった。

懐かしく、思い出したくない同胞。あの世で会ったら、“袋叩きに遭うであろう”同胞。

ハルトは冷たく煙る闇に溜息を吐いた。

「 “あの件”に気付いたのなら、俺の解雇をおすすめします」

「うん? まさか。僕は君をスカウトして良かったと思ってるし、君は “才能”があるだけ。気にすることはないさ」

「……そういう問題じゃないです。俺は貴方とは違う――いつ、彼らと同じになるかわかりません」

「君が、あの施設で育ったから?」

頷いた。十条はやんわり微笑みながら小さな溜息を吐いたようだった。

「ねえ、ハルちゃん。人の才能は一人一つじゃないんだ。誰よりも優れる力が才能というわけでもない。君は僕と同じ才能の他にも、素晴らしいものを沢山持っているんだから、大丈夫だよ。君が恐れるものに、そう簡単には呑まれない」

「でも……あいつらを殺したのは――」

「だめだめ、ストップ! もう、僕の知りたいことはわかったからこの件はオシマイ。これまで通り、君は皆のハルちゃんで居ること!」

十条は笑顔で断言すると、よっこいしょ、と年寄り臭く立ち上がった。スズが倣うように起き上がって伸びをし、そのまま“保護者”より先に、のしのしと家に戻っていく。

「おスズは賢いねえ。僕らも帰ろう。夕食に遅れると未春がうるさい」

あくび混じりに踵を返そうとする男は、隙だらけの一般人に見えた。簡単に殺してしまえそうな背だと思ったから、声を掛けた。そうしないと、重い懐と背後の轟音に気が変になりそうだった。

「何故ですか」

「何故って?」

「イカれてんですか。“閉鎖の件”を知って、俺を此処に置くのはどうかしてる……!」

「だから、何度も言ってるじゃないか」

隙だらけの殺し屋は肩越しにへらっと笑うと、利かん気の子供に言い聞かせるように優しく言った。

「君は、皆が大好きな“ハルちゃん”なんだから、此処に居て」

答えを待たずに、階段へと消える背に立ち尽くした。

――それは、俺じゃない。

俺じゃないんだ。

言葉は喉にも届かなかった。やかましい逆光の暗闇に、苦い嘲笑がこぼれる。殺し屋の自分が、好青年をやれと言われて途方に暮れているのが可笑しかった。

求められているのに、行き場を失う感覚だ。

タイミングを図ったように、ポケットの中の電話が振動した。

「Hi……」

「――例の電話、お前が思った通りの品だった」

名乗りもせず、低音の英語が響く。

「……あっそ……」

「聖に連絡は」

「要らない。働き蜂の始末は身内でやるだろ」

「何故、そいつだとわかった」

「簡単だ。一人だけ、銃の構えが違ってた……」

そこまで言って、眉間をつまむようにして溜め息を吐く。それを待つような沈黙の後、再び声がした。

「トオルは、何と」

「……何かを待っている件は聞いた。俺が関わるのは時期尚早だそうだ」

「彼がそう言うのなら、そうなのだろう」

深く頷くような言葉の後、声は音量を絞るように小さくなった。

「――ハル、トオルに“あれ”を知られたな?」

刹那、バイクの走行音が駆け抜けた。頭の奥をドリルが突き抜けたような爆音が過ぎた直後、響いたのはバリトンではなく、ひどく気の抜けた声だった。

「ハルちゃん、メシ」

さっきまで十条が居た場所に、未春が立っていた。ライトを浴びる顔はいつも通りシラケていて、少しばかり咎める視線だ。

気付くと降ろしていた電話をちらりと見て、ハルトは頷いた。

既に、通話は切れていた。

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