5.Ice and Pick.

その日は、朝のダイニングテーブルにメモが置いてあった。


〈今夜はハルちゃんの歓迎会です。焼肉だよ☆

が! 仕事です! ガビーン! 申し訳ないけど今回は狙撃なのでハルちゃんだけ。

主役だから急いで来てね。ファイト一発!〉


ガビーンって、なんだ。

感嘆詞か? 直接書く人初めて見たな……とハルトが無言のツッコミから顔を上げると、未春が待っていたように朝食と一緒にファイルを持ってきた。足元をうろうろするスズとビビを踏まないように着席すると、未春は更に食器棚の上から、楽器のケースめいた信じられないものを下ろす。

「これ、十条さんが使ってって。防音マフもある」

「ブレイザーか……俺、長距離はあんまり得意じゃないんだけどな……」

一体何処に収納してるんだという指摘はさておき、ケースに入っていた小銃――ライフル銃と呼ばれるそれは、ご丁寧にスコープ付きだ。ハルトは自信無さげにぼやくが、未春は首を傾げている。

「十条さんは、ハルちゃんの成績すごいって言ってたよ」

「そりゃ、胴に当てるのはできるけど……ヘッドショット一発はなあ……」

「胴当てでいいんじゃない? 弾数も指示書いてない。やるのも基地内で話通してある」

「じゃ……この『ファイト一発』ってのは何だよ?」

「それは栄養ドリンクCMの決まり文句。多分、頑張れってこと」

眉間に皺を寄せた青年は押し黙るが、未春はハルトの拳銃をテーブルに置いて、構わず続けた。

「一応、いつもの拳銃も所持で。ある程度の発砲は見逃してくれるって」

治外法権ということか。壁の一歩向こうがアメリカだと思うと変な感じがしたが、まあ銃を持っていて四の五の言われないのは気楽ではある。相棒を受け取って、ハルトは頷いた。

「何人だ?」

「一人。決行は午後六時。訓練中の飛行機が飛ぶ瞬間を狙う。仕留めたら案内人が車待機してるから、すぐ撤収」

「……わかった」

「ハルちゃん、それまではどうする? 十条さんは休んでもいいって言ったけど」

「ポイント周辺の地図があれば見たい。あとはいい。店手伝うよ」

「良かった。助かる。さららさん、元気ないから」

そう言う未春の声も、機械的でありながら些か覇気が無いように思えた。

「お前のせいで責任感じてるんじゃないのか?」

マグカップ片手に言ってやると、未春は素直に頷いた。

「そう思う」

「自覚あんのか……そんなら控えてやれよ」

「難しいんだ。俺はキラー・マシーンらしいから」

「キラー・マシーン?」

殺人機械とは物騒なあだ名だ。誰が付けたんだと問う前に、未春は地図を取り出して広げている。すかさず、様子を見に来たビビがハルトの膝に乗っかって来た。腰を落ち着ける場所をもぞもぞと回転しながら探していたが、男の膝では都合が悪かったのか、虚空に向けて不平を唱えた。

「そう言われてもなあ」

猫相手に困り顔の男を、未春は対岸からまじまじと見てから、地図を指した。

「位置はこの辺。駐車位置が此処だから、ハルちゃんがやりやすいとこで。迎えの位置も指示してくれれば良いって」

「わかった。高い建物ばっかだから問題ないな」

片手にパン、片手で猫の頭をさすりながら答えた青年を、未春はマグカップ片手にぼんやり眺めていた。

「……あのさ、ハルちゃん」

「ん?」

地図から顔を上げた青年を見て、さららの言葉が頭を過った。

――殺しなんてやめちゃえば?――

「ごめん。なんでもない」

ハルトは不思議そうな顔をしたが、未春はいつも通り、無表情のまま静かに食事をした。



 午後六時前。

ハルトは指定されたマンションの屋上に腹ばいになっていた。約800メートルほど先の駐車場に向けてライフル銃を構え、予定時刻を待つ。

英字の案内が並び、同じような建物が並ぶ様は、少しアメリカを思い出した。尤も、頬を撫ぜて髪を冷やす空気は異なり、乾いているのにどこか湿っぽい。すぐ傍の滑走路から、巨大な鉄の塊が辺りを轟音で包みながら飛び立つ。高速道路のようなオレンジの光が照らす下、標的が車から降りた瞬間だった。

鋭利に尖った爆音を響かせて、弾丸は見知らぬ男の胴を射抜いた。こちらには聴こえないが、でかいトマトでも弾けるような音を立てた筈だった。車のドアやガラス戸に血漿がぶちまけられるのを見ながら、手は機械的にボルトハンドルを回している。ほんのわずかな間を置いて崩れ落ちる頭に向かって、二撃目がヒットした。

――ヘッドショット。

胸に一言、呟く。

何が起きたのか?そう思う間に死亡したことを確認し、手早く武器を回収する。

――焼肉より先に氷を山ほど食いたい、そう思いながら立ち上がった時だった。

寒風に発砲音が響き渡った。反射的にハルトはその場を退き、素早く屋上階段の壁際に寄る。狙撃した位置からではない。近いが別方向だ。闇夜でよく見えないが、周囲を窺うと、国道の走行音に紛れて、ガチャガチャと変な音がした。

刹那、割合近い位置のコンクリートが弾かれるが、とても当たるような腕ではない。

――素人か?

こんなところで挑発などしても、こっちはやり合う気などさらさら無い。わざわざ居所を教えるような真似はせず、無視して素早く階段を下りると、待っていた車に滑り込んだ。

「Did it go well?」

「……That went well……」

サングラスで顔の見えないBGM関係者に「上手くいったか?」と尋ねられて、面倒くさくなったハルトは「上手くいったよ」と返した。尾行が無いことを確認してから、外国めいたバニラ臭のする車はドライブでもするようにゆったりと滑り出した。追って来る車や人影は無い。ライフルをケースにしまっている内に、あっという間にゲートに辿り着く。降りる間際、周囲を見渡してから、ハルトは一言尋ねた。

「It was attacked―― Do you know what it is?(狙撃されたけど、心当たりある?)」

「Really?I don't know……(本当か? いや、わからないな……)」

そうだろうと思っていた為、軽く頷いて礼を述べると、車を降りた。

難なくゲートを抜けるが、夜でも走行の激しい国道がやかましいばかりで、追っ手の気配はしなかった。DOUBLE・CROSSに戻ろうかと思ったが、よからぬ者に付いてこられるのも面倒だ。呼ばれていた店方面に歩き出しながら、上司に電話を掛ける。

「――もしもし、十条さ――」

〈ハルちゃんおっそい!〉

掛けた電話の向こうで声を上げたのは倉子だった。

「――ラッコちゃん? あれ、これ十条さんの電話だよね?」

〈十条さんは電話置いてどっか行っちゃ……あー戻って来たーお腹空いたよ、ハルちゃん! 早く来てー〉

などと言い捨てた倉子がガタガタ音を立てた後で、落ち着いた声が返って来た。

〈――もしもし、ごめんね。無事完了かい?〉

「はい、依頼の方は。――ただ、仕事の後に狙撃されました」

〈……本当? 怪我はない?〉

「はい。素人っぽくて……まぐれで当たる気もしなかったです。場所が場所なので深追いしないで引き揚げました。追手は無いようですが……そっち行かない方がいいですか?」

〈……ううん、こっちにおいで。その方が安心だから〉

「わかりました……ラッコちゃんに、先に食わせてやってください」

電話をしていても気にならない程度には、狙われる感覚は無かった。大通りにも関わらず、街並みは暗かったが、車だけは盛況に通っている。飲食店やコンビニに紛れて真っ暗な家屋が在ったり、車が二、三台沈黙しているだけの駐車場などを眺めながら辿り着いた店は、かなり年季の入った建物だった。隣の建物と周囲がぴったりくっついた二階建ては、正面に窓は無く、狙撃はされないだろうが、店ごと爆破されたらあっさり崩壊しそうだった。

入口を開くと、中は満員御礼だった。熱気と煙、肉やキムチの匂いと煙草が入り混じり、空調など役に立っていなさそうな雰囲気だ。小さなテレビが備え付けられたそこは、外国育ちのハルトでも、昭和っぽいと思ってしまった。私服にエプロンという格好のスタッフが片手間に二階を示した為、一人でも窮屈なほど狭い階段を上がる。

「ハルちゃん、こっちこっち」

「センパーイ! 早くー!」

待ち侘びていたのだろう、二階の座敷に上がるなり、倉子と力也が両手をサインのように振る。大人数向けの二階も混雑していて、畳敷きのそこは煙と楽し気な笑い声に満ちていた。言われた通り焼き出していたものらしく、既にテーブルの上は宴会状態だった。

テーブルには全員揃っていて、十条の左右を未春とさららが挟み、対岸に、はしゃぎ気味の倉子と力也が座っていた。

「……無事で良かったよ。後で少し話そうか」

小声で言った十条の笑顔にハルトも頷いて、早く早くと急かす少女の隣に座った。

「みんな遅いんだもんー待ちくたびれたよー」

「みんな?」

席に着いた青年に、倉子は顔をしかめて頷いた。

「十条さんは来るなりどっか行っちゃったし、さららさんとみーちゃんもお店閉めるの遅くなっちゃったって言うしー」

非難がましい目に、十条は困った顔で笑った。

「おっさんはトイレだけど、ダメかなあ」

「店は珍しく大きいソファー売れたから。ハルちゃん、何飲む?」

対岸からメニューを差し出してくる未春に、そろそろたまらなくなってきていたハルトはげんなりした顔で言った。

「氷。そのジョッキに一杯くらい。あとはビールで」

おかしな注文に、隣で倉子が目を丸くしていたが、未春は心得たと、階下に注文をしに行った。

「なんで氷?」

案の定尋ねられて、ハルトは困り顔を浮かべたが、どうせ今後も見られる可能性があることだ。できるだけ邪険にしないように答えた。

「ラッコちゃん、戦闘ストレスって知ってる?」

首を振る少女に、ごく手短に説明してやる。

「軍隊の兵士が戦場で掛かるストレスのこと。彼らの場合は、銃弾の雨や死の恐怖でも起こるけど……殺しをする人間はそれと同じか、それ以上のストレスを急激に感じるんだ。BGMの中では、キリング・ショックなんて呼んでる」

「それと、氷と、どういう……?」

「放置すると、精神崩壊や発狂状態になるから、殺し屋は、みんな独自のストレス解消法を持ってるんだよ。酒や煙草だったり、同じ本何度も読んだり、偏食だったり」

「ハルちゃんは、氷を食べないと頭がおかしくなるってこと?」

「そういうこと」

初めから、解消方法を持っていたわけではない。どちらかというと、子供の頃は仕事を全うすることに精一杯だった為、気にならなかった。氷が必要になったのは、暑さの厳しいアフリカの乾燥地帯で、ある嫌な仕事をした後からだ。渇きに気が狂いそうになりながら飲んだ水の氷を、がりがり噛み砕いたら、不気味な落ち着きに……包まれるというよりも、襲われた。

“食わなきゃ死ぬ ”そんな気になりながら、周囲が呆気に取られる中、コップ四、五杯は食べ続けてようやく落ち着いたのを思い出す。

無論、地域によっては氷は危険物で、腹具合に影響が出ることもしばしばあったが、それもだんだん耐性ができてくるのだから不思議なものだ。

「ハルちゃんのキリング・ショック対策面白いよね。アマデウスさんも言ってたよ」

十条が軽快に言う脇で、さららがどこか寂しげな顔をしていた。

どうかしたのだろうか? 声を掛けようかと思ったとき、未春がスタッフよろしく、ステンレス・ペールに山積みの氷と、生ビールのジョッキを運んできた。

「おまたせ、ハルちゃん」

「さんきゅー……」

普通は先に手を出すビールではなく、氷を摘まんで口に入れ出す青年を、物珍しそうに五人が眺める。じっと見つめてくる視線に居たたまれなくなり、ハルトはひどく面倒臭そうに言った。

「……あの、これ見せもんじゃないんで……」

「いやあ、乾杯いつしよっかな、って」

十条の言葉に、それもそうかと青年はジョッキを握った。

「すみません、どうぞ」

「ありがとう。じゃあ、遅くなっちゃったけど! ハルちゃんうちの店へようこそー!」

ガチャンガチャン!と元気に杯が打ち付けられ、ようやく宴会らしい騒ぎになる。

「リッキー、ハルちゃんの分まで食べちゃ駄目だよ」

「十条さんひどいッスー! まだ食べる前なのにー!」

早々にいじられる力也を眺めながら、ひたすら氷をガリガリやる青年に、倉子は何か言いたそうだったが、何も言わなかった。

「ラッコちゃん、気にしないで食べていいよ」

「う、うん」

なにやら緊張気味の倉子に対し、ひょいひょいと肉を置いていく未春である。

「お前、ホントに内臓好きなのな……」

先の血泡を思い出すほど赤いレバーを設置していく男は、あっけらかんと肉の皿を見渡した。

「ハルちゃんのも焼くよ。何好き?」

「……じゃあ、ハラミ」

「ハラミも内臓だよ」

「知ってるっての」

「……みーちゃん、タン塩も置いて」

「わかった」

「未春うー僕のも焼いてー」

「十条さんはそっちで自分でやってください」

「ひどい! こんな冷たい甥っ子にしたの誰!」

「トオルちゃんでしょ。ほら、リッキーに取られちゃう」

「さら姉、肉焼くのも上手いッスね!」

その様子をハルトはぼんやり眺めた。混沌ってのは、焼肉屋や居酒屋にあるような気がした。みんなハイテンションで、騒いでいて、ついさっき、知らない誰かが死んだり殺されたと知っていても、尚騒げる。

此処に居る誰にも関係の無い、けれど、関係の無い人なんて居ない、誰か。

冷たく冷えた腹のうちに熱いものが入って、腹が減っていたことにようやく気付く。

「ハルちゃん、大丈夫?」

尋ねてくる倉子に、まずまずの顔で笑った。

「大丈夫だよ、そんなにコレ心配?」

指差す冷たいそれに、倉子は小さく頷いた。

「お腹壊しちゃいそう」

「平気だよ。溶けるだけだから。酒や煙草よりいい」

「……じゃあ、いっぱい食べなよ? クッパも石焼ビビンバも美味しいよ」

「いいね。どっちも気になる」

そう言われると、倉子はぱっと明るい表情になった。

「半分こしよ! あたし頼んでくるから」

「ラッコちゃん、僕も焼かないビビンバと生欲しい」

「私、テグタンとオイキムチお願い」

「カルビとロースと大盛ライスも頼むッス!」

「ちょっと! 多いよ! もっかい言って!」

店員のようにメモをとる倉子を眺めていたハルトは、ふと目の前でじーっと未春が見ているのに気付いて、胡乱気な顔になる。

「……なんだよ?」

「別に。ハルちゃんは優しいね」

「……?」

さっき、一人殺してきた男に何を言うのかと思ったが、聞き返す前に、未春は倉子に向き直って言った。

「ラッコちゃん、俺も石焼ビビンバひとつ」



 ひそひそ話す声が聴こえる。


――ああ、またか。


仕事の後に眠ると、いつもこれだ。

今は秋に向かう筈なのに、ひどく蒸し暑い。ジーワジーワと、何かの虫が鳴いている。青い草と夜露の濃い匂いが鼻につく。たぶん、ジャングルの匂いだと思う。暑さも、空気も、土も、植物の匂いもみな濃くて重い。

歩き疲れた体は眠たくて、休みたいのに寝苦しい。暑い。虫の鳴き声や羽音がうるさい。

「Child? 」

頭の上で、誰かが言った。

低い男の声だ。でも、お父さんの声じゃない。

そういえば、お母さんもどうしたんだろう? 知らない女の人達と楽しそうにしていたけど。

さっきまで歌ったり笑ったりしていた人達の話し声はなんにも聴こえない。闇に包まれた森の匂いと、虫のさざめき、草木が揺れる不安な音がするばかりだ。

「What a hell you gonna do……!」

誰かの焦った声がする。うるさいな。眠ってしまいたいのに。

「Needs must when the devil drives……Let's take it……」

――背に腹は代えられないから連れて行こう?

今では聴き取れる英語に、ハルトは笑った。


ばーか。何を騒いでやがる。能無しのBGMめ!


『失敗したから』の間違いだろ?



 目を覚ますと、歓迎会から一夜明けた自室だった。

重いと思ったら、猫二匹が腹と胸の上という信じられない場所で寝ていた為、どうにか動く片手でスマホを取ると、既に、昼近い。

カーテンの向こうは良い天気らしいが、生あくびが止まらなかった。

昨夜、今日は寝ていていいと言われたため、惰眠を貪っていたハルトである。

漬物石のような猫たちに退いてもらうと、スズは関取のような貫録で店に出て行き、ビビは足元を律儀にくっついて回った。

牛乳を飲もうと冷蔵庫に手をかけて、ふと、腹が冷えていないことに気が付いた。

下すことは少なくなったが、いつも仕事の後に冷え続ける腹部は驚くほど何でも無かった。倉子がチョイスしたスープご飯に石焼メシのおかげか?後は……

見下ろした先で、ビビが甘え声を出して目を細めている。

休んでいいと言われたが、買物くらいは行くかと身支度を済ませて階下に降りると、響いた陽気な声にハルトは腹の底から叩き起こされた。

「やあ! ハル!」

元気かい? と片手を挙げた金髪碧眼の男に、ハルトは我が目を疑った。

五十を過ぎた辺りから年齢不詳の恰幅のいい男は、ブルー・グレーの上等なスーツを纏い、もう片手に持っていたハニーグレーズドーナッツを頬張って、親指を突き立てた。

「オイシーイ!」

「何が『オイシーイ!』だ! 何やってんですか! ミスター・アマデウス!」

ニューヨークか、シアトルのオフィスに居る筈の男は、肩をすくめて両手を上げた。

「オウ、ワタシ日本語ニガテなので、チョト何言ってるかワカラナーイ」

全部日本語で答えて、金髪碧眼のオッサンは呆れ顔の青年からドーナッツへと戻っていく。

「……さららさん、このオッサンいつ来たんです?」

元上司を無視して歯軋りしたハルトが、笑顔を浮かべていたさららに向き直ると、彼女は頬に指を当てた。

「少し前よ。『ハルの元上司デース!』っていらっしゃって……日本語がお上手だから、ジョークかと思っちゃったけど、そんなジョーク言う人居ないわね」

「イエス、ハル! コレまじオイシイ!」

「うるさい!」

口笛を鳴らす元上司を怒鳴りつつ、一体何しに来たのだろうと思案する。

BGMのTOP13の一人であるこの男は、そうでなくても大変な肩書きの持ち主だ。

多くの事業を手掛けているが、中でも有名なのは大手音楽会社のCEOと武器の開発メーカー社長という超非常識なプロフィールだ。また、日本語が堪能な点も含めて、彼は大層な親日家でもある。故に仕事を理由に何度も来日しているが、殆どが銀座や日本橋、六本木などで接待される人物なので、護衛も無しに東京の片田舎でドーナッツを貪るのは、いくらなんでも奇抜すぎた。

「貴女は天才ですネ、さららサン。アメリカに持ち帰りたいデース」

にこりと頭を下げるさららに対し、ハルトはじろりと睨んだ。

「日本語教師並みに上手い癖に……その胡散臭い外国人キャラやめてくれませんか……何しに来たんです?」

本当に胡散臭そうに尋ねる元部下を眺め、アマデウスは青い目を細めた。

「ハル、私は休暇でジャパンに来られるほど暇じゃないよ」

唐突に母国語のように滑らかな日本語を話し始めた上司に、ハルトは渋面で頷いた。

「わかっています。どっちの仕事ですか?」

「両方さ」

両方。その響きにぎくりとした。

BGMには組織の性質上、ミスもそれなりに起きるが、ミスター・アマデウスが仕事をミスしたことは、ハルトが知る限り一度も無い。

つまり、近日中に誰かが確実に殺されるということだ。こんな寝ぼけそうな日常で、また。

男はコーヒーもうまそうに飲みながら、ビジネスライクに口を開いた。

「三日前、うちのスタッフが一人やられたんだ」

目を瞠る青年に構わず、アマデウスは続けた。

「いや、そっちじゃない。本当に只の会社スタッフ。アジア人でね――どうやら、君と間違えたようなんだよ」

「俺と……?」

「相手は素人だが、使われたのはガンだ。ヘタクソでねえ……実に気の毒な死体だった。現場には外れた9ミリ・パラベラム弾も残っていたよ。犯人はどうやら背が低い者であるようだ。女性、または子供の可能性も見ている」

ヘタクソな狙撃――嫌な予感しか浮かばない。

「ハル、心当たりは無いかい?」

「――昨夜、基地内での仕事直後に狙撃を受けました」

「ほほう? それはまた。犯人の目星は?」

「俺にはわかりません。さっさと退きました。十条さんが調査している筈ですが」

「身に覚えは、などと私は聞けないね」

無いわけないでしょう、と首を振る青年に、アマデウスも頷いた。

「同一犯かはともかく、こっちに渡ったようだから別件ついでに私が出向いた。一般人が銃を所持して入国はできない筈だが、素人は時に厄介だ。気を付けたまえ」

「……まさか、それを言いに来たんじゃありませんよね?」

「両方と言ったろう、ハル。私はそこの壁向こうでもビジネスマンなんだ」

「そうじゃなくて、注意するなら三日前にしろって言ってんです!」

「ハッハッハ、今度は連絡してあげるよ」

愉快げに笑い皺を寄せると、アマデウスは静かに仕事をしていたさららを振り返った。

「いや、大変美味しかった。ありがとう、さららサン」

「こちらこそ、ありがとうございました。またどうぞ」

笑顔でお辞儀をするさららに、男は嬉しそうに手を振った。スーツを閃かせてさっさと出て行く男を入口まで見送りつつ、ハルトは尋ねた。

「十条さんに会って行かないんですか?」

「トオルはスリープ中だろう? また今度、夜にでも招くさ」

外では、ほうき片手に未春が立っていた。格好はともかく、どこかガードマンのような立ち姿に、アマデウスは笑顔で近寄った。

「ミハル。ハルの世話をありがとう。また会おう」

おい、人をペットみたいに言うんじゃない――元部下の抗議の視線を無視した男に、未春はぺこ、と頭を下げた。その姿を、アマデウスは隙のない目で見まわして顎を撫でた。

「君は実に宜しい。仕事に困ったらうちに来たまえ。歓迎するよ」

熱の無い目をした青年の肩を軽く叩くと、申し合わせたように国道を走って来た黒塗りの外車が店の前で停車した。以前は上司の為に開けていた扉を、顔見知りの屈強なスーツ男が開けるのをハルトは何となく眺めていた。一方、スーツ男はハルトを見て、口端に小さな笑みを浮かべた。

「How does it feel to be back? 」

懐かしく感じるバリトンとグレーの瞳に、ハルトは鼻をならして肩をすくめた。

「I’m not sure.」

男は口許だけ微笑してドアを閉めた。彼が颯爽と運転席に乗り込む間、陽気な上司は窓からにこにこと手を振った。

「またね、ハル」

渋面で頷くと、車は激流めいた国道に紛れて行った。初めて見送る気がしたそれが見えなくなっても、しばらくハルトは立っていた。

「ハルちゃん、ほんとにクビになったの?」

気が付くと横に立ったままの未春が、同じ方向を見つめて言った。

「どういう意味だよ?」

「だってあの人、まだハルちゃんを信頼してる」

「……お前、そんなことわかんの?」

「わかってるだろ、ハルちゃんも」

風が強くなってきて、未春の言葉を吹き飛ばした。冬を控えた冷たい空気に、落ち葉と排気ガスが混じって吹く。何故か答えは出なくて、国道を振り返った。

一体どこまで行くつもりなのかと問いたくなるほど、多くがどこかへ走っていく。

様々な走行音が、ひとつの爆音に重なり合って。

ふと、思い出すのはあの悪党と初めて会った日だった。

「Good to see you!(君に会えて嬉しいよ!)」

会うなり、両手を広げて歓迎した白人系の男を、日本人の少年は生真面目な顔つきで仰いだ。

「It’s an honor to meet you……Mr.Amadeus.(お会いできて光栄です、ミスター・アマデウス)」

「Oh!Your English is very good!(おお、君の英語は素晴らしい!)……日本語はできるかね?」

不意に飛び出た流暢な日本語に、少年は少し面食らったようだった。ペースを乱された顔をしてから、子供らしくない顔で神妙に頷いた。

「はい。……少しは」

「素晴らしい。ではハル、今後、君と私の会話は日本語を基本にするとしよう。私も勉強中でね。ミスをしたら教えてくれるかい?」

「……はい、ミスター・アマデウス」

背筋を伸ばしての返答はそつのないものだったが、アマデウスは顎を撫でて唸った。

「ふむ、とりあえず掛けたまえ」

そこからは英語だったことに、当時あべこべに日本語が苦手だったハルトはほっとして、やはりきちんと腰掛けた。座敷ならば正座したであろう――海外育ちだというのに、非常に日本人らしい仕草に、アマデウスはまたしても顎を撫でた。脇に控えた、屈強な体格の部下が差し出すファイルを手に取り、少年の細かなプロフィールが書かれたものを気の無い様子で捲った。

「ハル、君の施設でのキャリアは何度も読んだよ。見学したこともある。語学、技術、教養、身体能力――非常に優秀だ。射撃の腕は言うことナシだね。教官も敵わないと言っていた」

普通の少年なら舞い上がるような誉め言葉だったが、若干十五歳の少年はにこりともせずに頭を下げただけだった。その様子を盗み見る様に眺めてから、アマデウスはファイルに視線を戻した。

「しかし、優秀な人材は他にも居た。首席は君ではないし、似たようなオールラウンダーも数名居る。何故、私が君をナンバー・ワンに抜擢したかわかるかい?」

「……アジア人だからですか?」

日本語の会話を求められた為だろう。自信無さげに答えた少年に、アマデウスはニヤっと笑った。

「それもある。正確には、アジア人ではなく日本人はポイントが高い。私が日本に興味があるのも事実。まさに打ってつけだね。しかし、それは単なる付加価値だよ」

「他には思い付きません」

正直に降参した少年に、アマデウスはファイルを脇に寄せて大きく頷いた。

「宜しい。では明かそう――ハル、私が君を選んだのは、実地試験で見せた君の行動に興味が湧いたからだ」

「実地試験の……?」

それを聞いた少年の顔色が変わった。無理もない。少年はそのスペックに似合わず、実地試験の結果は散々な評価が付いていた。他の試験結果がA並びの好成績なのに対し、実地試験のみがF。これほど目立つ汚点は珍しいくらいだ。

「実地試験は『初めての殺人』。これをパスできない殺し屋など、壁掛けの銃だ。我々は君たちのように少年を一から教育するのは初めてだが、他の生徒はこなしている。どうにも気になるね、ハル? 何故君はこれほど優秀でありながら、標的を“殺さなかった”んだ? 怖かったかね?」

「……」

少年は俯いて押し黙った。

実地試験は、それまで訓練で使用する、人形でも、VRでもない――生身の人間を殺すシミュレーションである。無論、利用されるのは死刑囚または殺害予定の悪党であり、だだっ広い工場跡地や私有地の山奥で秘密裏に行われる為、世間には何ら反映されない。

ただし、生き延びれば恩赦が認められるという条件付きで投下される為、殆ど生き残ることはないが――本番さながらに逃走もするし、抵抗もする。

更に手が込んでいて、シチュエーション毎に想定される『殺し方』を選ぶところから始まる。本番同様、標的の資料を読み、狙撃なら標的が現れるのを待つ準備を、集団相手なら一般人を巻き込まぬよう、証拠を残さぬよう、どう処理するか、それぞれ考える必要がある。無論、年端もいかぬ子供が人殺しを行う際、ショックを受けることは少なくないし、一度目からキリング・ショックに悩むこともある。

「君の標的は、実地試験では珍しいパターンだったね。死刑囚ではなく、ギャング子飼いの殺し屋……しかも、狙撃手だ」

少年がなかなか口を割らない為、アマデウスは静かに語り始めた。

「武器を取り上げているとはいえ、大人でも難度が高いパターンだ。殺しを生業にしていた人間なら、何処から撃たれるのかある程度予測できるし、そこらの悪党より力もある。こうした相手を宛がわれたのも、君が優秀である証だろう? それに、この試験で用いた射撃は、私も身が震えた」

少年は頷かなかった。曖昧に首を傾げ、困ったように視線をテーブルに置く。

「教えてくれないか?私は君を責めているわけではない」

脚を組み換え、ニヒルに笑った悪党を少年はちらと見つめ、躊躇いがちに口を開いた。

「……利き腕さえ、潰せば良いと判断しました」

アマデウスは脇に寄せた資料を、視界の端に見た。

少年は拳銃で、“正確”に殺し屋の利き腕に三発の弾丸を撃ち込んでいた。急所の次に警戒するであろう、商売用の腕、且つ……狙いにくい位置を。特筆すべきは、外した弾丸が無いことや、指に着弾していることだ。この腕前なら、急所を狙えば一発で仕留めたかもしれない――にも関わらず、少年は意図的に、そちらを狙っているのである。

「殺し屋としての生命を奪えば、済むと思ったのかい?」

「ええ、まあ……」

言い淀む顔つきは、少年の素を思わせた。ばつが悪そうな困り顔は、隠れて飼っていた犬猫を見つけられた子供のようだった。

「何故だね? 殺せと言われてできなければ、君は殺し屋として役に立たないと評価される」

此処で育てられた以上、役立たずの行き先は地獄だ。それは単純な死ではなく、他がやりたがらないような悪辣な仕事に就く羽目になる。国家に歯向かった人間を拷問する役目や、いつ死ぬかわからない戦闘地域に送られるのがわかりやすい例だ。いくら殺し屋でも、ハルトと同じ施設で育てられた者は望んでそうなったわけではない。地が殺人鬼ではない者が、罪も無い人間の生爪を剥ぎ、指を千切り、絶叫を聞きながらおぞましい苦痛を与え続けていれば、すぐに精神崩壊してしまう。

少年もそれを知っている筈だ。嫌な事、目を背けたくなる事ほど言い含め、リスクを避けるように仕向けた教育施設なのだから。

「……はい。その通りです。言い訳するつもりはありません」

諦めたように少年は首を振った。

「標的のプロフィールを読んで、殺さなくてもいいと判断しました」

「ほう?」

決め手は、と促され、少年は居心地悪そうな顔で答えた。

「……十代の子供が居たからです。妻の情報が不明だったので、この子供を放任した場合の、復讐を回避しようと思いました」

幾らか嘘くさい説明を含め、アマデウスは愉快そうに笑った。

「宜しい。大変面白いね、ハル。私はデータ以上に君が気に入ってきた」

褒められているのか詰られているのか判別付かず、少年は肩をすくめた。

「殺し屋が、その子供を鍛えて復讐するとは思わなかったかね?」

「……さあ、無理だと思いました」

「何故かな?」

少年は言い辛そうに、白状した。

「……その子、自分で拾った犬を大事に飼ってるそうなので……」

己の意志で他の生き物に慈愛を向ける子供が、人殺しなど出来る筈がないと思っていた。

今思えば、ハルトは自身のこの回答に違和感を覚えてならない。動物の命と、人間の命を同等に汲んでいる人間は、そう居ない。無論、普段は家族のように大切にするだろう。しかし、追い詰められた時にも同じ回答ができる者は少ない。倉子のように、人間の悪辣さを介して動物を重んじるタイプも居れば、隣人にとても親切でありながら、動物の命など人間に及ぶまいと軽んじるタイプも存在する。また、そのどちらでもない――どの命も平等と謳う者と、どの命の価値も顧みない者も居るのだ。

「すみません、それ以上の説明は自分でもできません」

「謝ることはない。君が持つ倫理は美しい。子供ならではの可能性と希望を感じるね」

アマデウスは、嘘のない澄んだ青い目で微笑した。

「ただ、問わねばなるまい。君は殺し屋になるつもりはあるか? それとも――殺しに関わらず、私の表の社のスタッフになる方がいいかな?」

この問い掛けを受けた時、少年はぽかんとしてから、ふっと笑いが込み上げた。世界規模の悪党が、悪党に育てられた子供に尋ねるセリフが可笑しかった。

「そんなこと」

急に人間らしく――子供っぽく笑い出した少年を、アマデウスは隙のない笑みで迎えた。

「決まっているでしょう?」

「そうとも」

悪党は頷いた。その内側に蠢くものを隠そうともせずに。

「ハル、既に君は素晴らしい殺し屋だ。プロフェッショナルとして歓迎するよ。そうそう、君の見学をしている時にあだ名を考えたんだ。とてもクールだよ。それはね――」

皮肉なその名を、ハルトは自分から口にすることは無かった。

アメコミのヒーローっぽくて恥ずかしい――そう言いながら。

それからほんの少し後、アマデウスの予言のように、このあだ名に等しい仕事をすることになる。結果として、異なる意味でもナンバー・ワンになってしまった。

あれから、何年経ったんだったか……とうの昔に見えなくなった車の行き先をハルトが眺めていると、未春がツンと人差し指で肩を押して来た。

「……なんだよ?」

「ハルちゃん、暇だったらコレ買ってきて」

見せられた画像にはどう見てもコップ状のパッケージをした飲料と、「飲むソフトクリーム」の文字。突風に、枯葉が吹っ飛んだ。

「…………」

嫌だ、と思ったが、人が固まっている内に未春はさっさと店に戻って行った。



 今日の風は、おかしな客を運んでくるらしい。

ハルトが買物を終えて店に戻ると、見慣れない客が居た。まあ、見慣れない客の方が多いのだが、その男の顔はハルトも知っていた。

ジャケットにスラックスだが、中はワイシャツではないカットソーというラフなスタイルの男は、カフェの椅子に足を組んで座っていた。

知らなければ、スレンダーな体型に物柔らかな印象というなかなかハンサムな男だ。

だが、その正体は装いとは真逆である。BGM所属の殺し屋――かなりエグイ方の。

未春とさららも知っているらしく、未春に至ってはさららの隣に、見るからに警備兵のように立っていた。お使いの品をぽいと投げてやってからさららに向き直ると、彼女は少しほっとした顔になっていた。

「……ハルちゃん。おかえりなさい」

「はい、ただいま戻りました」

挨拶してから、さりげなく男に向き直ると――その視線は既にこちらを刺していた。

「君か。ミスター・アマデウスが可愛がっていたエリート君は」

お会いできて光栄だ、と愛想良く会釈される。

千間優一せんまゆういちです。はじめまして」

何も知らなければ、モテそうな30代の優男だが、久方ぶりにエリート扱いされても、ハルトはあまり好い気はしなかった。

千間優一。温和な名前が皮肉過ぎるほど、『千枚通し』や『ギムレット』の異名を持つ、特殊な針で刺殺する有名な殺し屋だ。

何故有名かというと、彼はごく少数派の “快楽型 ”の殺し屋――平たくいえば、殺人鬼なのだ。殺し自体をやらずにいると精神崩壊するという、究極の異常者だ。

故にキリング・ショックを持たず、自らの手が行う死こそが、精神安定剤になっている。

「なんだったかな、君のあだ名。現地では有名だったが――」

「千間さんほどじゃありません。アメリカにいらした時は、元・上司がお世話になりました」

あっさり話題を変えた青年に、千間は苦笑した。

「ミスター・アマデウスの依頼か……懐かしいな。あれはラスベガスの麻薬シンジケートの撲滅だった。数人で裏カジノ全滅……最高だったよ」

この手の殺し屋には虫唾が走るが、ハルトは顔には出さずに軽く頷いた。

アマデウスも、性格上は彼のような殺し屋を好まない。しかし、麻薬及び覚醒剤を反吐が出る程嫌う彼は、自身のテリトリーで商売をした報復のため、この手の殺人鬼を招集することが稀にある。自らが手塩にかけた殺し屋を薄汚い薬物に触れさせたくないという気持ちもあるらしく、当時すでに在籍中だったハルトもこの件には関与していない。

ただ、終わった後の現場写真だけ見せられた。

「ハル、君はこういう安ワインのような仕事をしてはいけない」

ミスター・アマデウスは唾を吐くように言うと、一本十万越えの赤ワインに口を付けた。

「私が欲しいのは、理性ある確実な仕事だ。わかるだろう、ハル? 全く汚らしい現場ではないか。これで奴らは芸術性があると思っているのだから、気の毒でならないね――見たまえ、まるでバーベキュー串から外れた生焼け肉のようだ」

写真の中では、赤絨毯を尚色濃く染めて、タキシードの男やドレスの女が折り重なっていた。多くの人間は、首から血を流し、何か細いもので一突きに串刺しにされたことがわかる。中には二人まとめて刺し貫かれたらしく、絡まるように倒れた遺体もあった。

あれに比べると、未春の仕事後は額縁に入れて飾るくらいの価値を見出されそうだ。

「君のようなエリートが、何故こんな片田舎の支部に?」

親し気に話し掛けられ、同類扱いかなと思いながらハルトは曖昧に首を捻った。

「まあ、色々ありまして……千間さんは、こちらにはよくお見えになるんですか」

「たまにね。ずっとこの人にフラれ続けているもので」

そのセリフにはさすがのハルトもぎょっとしてさららを振り返った。居心地悪そうにしているさららの背後――奥のキッチンには、放り投げるように置かれた真紅の花束が有る。

「そろそろ結婚してほしいんだが、決心がつかないらしい」

「……千間さん、何度もお断りしているでしょう?」

さららは自身の片腕を抱いて、どう見ても拒否の構えだ。

「諦めが悪いんだよ。君もいつまでも結婚しないだろ?」

「……私、結婚する気ないだけですから!」

彼女にしてはつっけんどんな言い方をすると、入って来たお客の方に逃げる様に去って行く。懲りた様子もなくニヤニヤ笑っている男を疎まし気に眺めてから、ハルトはさららの近くへさりげなく移動した未春にこっそり尋ねた。

「どう思う?」

「何とも。ただのド変態」

こういうとき、未春の歯に衣着せぬセリフは痛快だった。思わず笑ってしまってから、ハルトは面白そうに頷いた。

「お前に言われちゃ、形無しだな」

気楽そうなハルトに対し、未春は真面目とも真剣ともつかぬ顔つきで千間を凝視している。

「ハルちゃん、さららさんに泊まるように言ってくれる? 俺から言うと遠慮するから」

「いいけど……あいつ、そんなにしつこいのか?」

「一回だけ、俺が相手をしたことがある」

「そりゃ相当イカれてんな」

BGM内での私的な戦闘は暗黙とはいえ、ご法度だ。尤も、互いに仲間意識があるわけではない為、同じ支部内でも、揉めることはそれなりに有るが。

「腕一本くらい取ってやれば良かったのに」

「ハルちゃん、意外と大胆だね。他の支部と戦争する気?」

「御免被るけど、ああいうのが再起不能になるのは世の為だと思う」

未春は返事をしなかったが、ハルトの言葉を噛むような顔をしていた。

「ところで、さららさん寝るとこないだろ。どうするんだ?」

「え?」

思案から帰って来た未春は、目を瞬かせ、今日一番の衝撃告白をした。

「そんなの、十条さんと一緒に寝るに決まってるだろ」



 閉店後、さららは思った以上に落ち着いていて、千間もおとなしく帰って行った。

花に罪は無いからと言いつつ、高そうな花束を完全に解体し、ハサミでばちんばちん!と短く切ったものを小ぶりのコップに取り分けて店に飾る辺り、彼女の性格を見た気がしたが。

「せっかくだからハルちゃんの手料理が食べたい」というリクエストに応じて、キッチンに立っていたハルトは、スズやビビと遊んでいるさららに声を掛けた。

「男所帯に泊まるって、嫌じゃないですか?」

尤もな問い掛けに、どうして、とさららは軽やかに笑った。彼女が自然に腰かけたのは、やはり前に教わったシーヴの椅子だった。

「平気よ。未春はよく出来たハウスメイドさんみたいだし、ハルちゃんは紳士だから」

上司の名が出ないことが気になったが、人として信頼されていることには妙に安堵した。ハルトがオーブンから引っ張り出した鍋に近付いて、さららは嬉しそうに覗き込む。

「いい匂い。何が出来たの?」

「キャセロールです。まあ、キャセロールってのはこの鍋のことで……これに適当にぶち込んで煮て焼くだけです。簡単なんですけど、ミスター・アマデウスも好きですよ」

答えたキッチンの隅には、アメリカでは御馴染みの赤と白のラベルが特徴的なスープ缶がある。刻んだ肉や野菜、米やパスタなどをスープと共に鍋に入れ、チーズを乗せて焼くという一般的なオーブン料理である。使うのは余ったスープだろうと構わず、何を入れても成立する上、ポテトチップスさえ定番の具だから料理と呼ぶほどでもないのだが。既に上がっている分厚いクラブハウスサンドの隣に、芳ばしい焼き色のそれを鍋ごと置くと、さららは一緒に見つめるビビを抱いて目を細めた。

「美味しそうー。ビビのパパは家庭的ねえ……いい旦那様になりそう」

「冗談でしょう」

「あら、ホントよ。トオルちゃんなんて46なのに、なーんにも出来ないんだから」

「それは同感です」

顔を見合わせて笑い合うと、未春が「なーんにも出来ない男」をぐいぐい押してやって来た。

「十条さん、メシです。いい加減起きてください」

「未春ゥー……おいちゃん起きてたよー。ただちょっと昼寝してただけで……」

基本的に引きこもりのように自室で仕事をしている男は、眠そうにしながら席に座らされる。髪はぼさぼさで、瞬きもおぼつかない男を、呆れた視線が見下ろした。

「トオルちゃん、また完徹したのね。やめなさいって言ったじゃない」

一回り年上の男に姉か母親のように言う女性に、大の大人は眠気眼を擦って頷いた。

「仕事してたらアマデウスさんから連絡来てさあ……例の狙撃の件も含めて調べてたら、スズメが鳴いてたんだよお……」

よぼよぼの爺さんのように答え、介護士のような甥っ子からスプーンを握らされた十条は、幻を見たように目を瞬いた。

「ところで、どうしてさらちゃんが居るの?」

「店に千間さんが来たんです」

未春の声に、十条は「ああ」という顔になって頷いた。

「彼も懲りないねえ。君に殺されたいんじゃない?」

「バカね。此処で死んだらお店が閉まるでしょ」

全くその通りなので、ボケ顔のオーナーに返す言葉は無い。ハルトがざっくりと取り分けるキャセロールの湯気が立つ中、猫たちがガツガツとエサを食べる音が響いた。

「美味しいわ」

口に運んでから、トオルちゃんが憎らしくなってきた、と笑うさららにハルトは苦笑を返す。あんな殺人鬼にストーキングされているのに、笑顔でメシが食えるのは、さすがにプロかと感心する。

「そうそう、ハルちゃん……例の狙撃の件だけど」

猫舌の男はスプーンに乗せていた料理を念入りに吹いてから口を開いた。

「現場に残ってたのは9ミリ・パラベラム弾だった。普通過ぎて手掛かりにもならないけど、アマデウスさんが言ってた件と同じだね」

日本で銃撃が普通ではないとはいえ、弾丸は非常にポピュラーに出回っているそれだ。これでは選択肢が有り過ぎて、犯人どころか銃の特定もできない。

「同一犯だと思いますか?」

「僕は結論を急がない方だけど……可能性は高い。プロじゃない感じがどうも気になる」

「……プロじゃない人が、どうやって拳銃を手に入れるの?」

不安そうなさららの問い掛けに、十条はサンドイッチ片手に首を捻る。

「日本で合法的に持ってるのは警察官と自衛隊、あとは猟銃と、クレー射撃なんかの競技用の小銃や拳銃だね。どれも登録・管理してあるからともかくとして、あとは暴力団関係」

こんがり焼いたトーストにベーコン、レタス、トマト、薄焼き卵を挟んだそれを口いっぱいに詰め込んだ後、十条はしかつめらしい顔で言った。

「正直、ヤクザの皆さんも簡単に拳銃は持たせないし、売らない筈なんだけどな。しかも今回の犯人は下手くそときてる。振り込め詐欺に没頭中の彼らが、腕のない人間にわざわざ銃を持たせても意味がないし、かえって自分たちの身を危うくするよね」

「……BGM関係者はどうです?」

尋ねたハルトに、三人はそれぞれに目を丸くした。

「アマデウスさんの支部では、末端の清掃員クリーナーも一丁は所持しています。日本ではどうしているんです?」

「基本的に、携帯は認めていないよ。表の本職で持っている警官なんかは別だけどね。僕らはBGMを名乗るだけに、可能な限りはその国の法に則るものだから」

十条は首を振るが、スプーン片手に口を開いた。

「でも、ハルちゃんが言いたいのは、BGMが独自の輸出入ルートを持ってるだろって件だよね?」

ハルトは頷いた。

そうでなければ、自身の愛銃もアメリカから連れてくることはできない。

殺し屋といえど、航空機は一般のものに搭乗するため、安易に武器は持ち込めない。たとえバラバラに解体しても、空港の金属探知機は弾丸一つさえ許可してくれないからだ。船舶での輸送も、一般のものでは当然ムリだ。何がしかの別ルートが必要不可欠となってくる。十条が「ハッピータウン」などというバカげた支部名を付けているから気にしていなかったが、千間を見て、急に殺し屋の方の頭が冴えてきていた。

「……はっきり言って、俺は日本の支部を甘く見ていました。でも、千間のような人間が居ると思い直したら、異常者が山ほど出てくる気になってきましたよ」

「確かに、千間くんは本物の異常者だね」

苦笑いを浮かべる十条を、ちらとさららが見たが何も言わなかった。

「東京の支部は現在、うちと、千間くんが居る『センター・コア支部』の二つだけ。あとは北海道に一つ、大阪に一つ、福岡に一つの五ヵ所が日本のBGM支部だよ。といっても……殺し屋を名乗れるのは東京だけだ。他は清掃員の育成中心の施設だから、殺し屋は居ても二、三人てとこかな」

「それじゃ、妙なアクションをしそうなのは一つだけですね」

「うん。十中八九、異常者を抱えてるセンター・コアだ。代表のひじりさんは面白い人だけど、ご自分のことを殺人蜂キラービーとか言ってるし」

キラー・マシーンならウチにも大層なのがいるけど、などと、十条は未春を眺めやる。

「……やめて、トオルちゃん。未春は自分から殺しはやらない」

すかさず入って来る硬質の声音に、十条はあくまでのんびりと答えた。

「当然だよ、さらちゃん。だから未春はマシーンなんだから」

――命じられたことだけを遂行する機械という意味か。

さては、「キラー・マシーン」のあだ名はこの義理の叔父から出たものらしい。

呑気な一言に手痛い中傷を感じたが、さららの反応に比べて、当の未春は抗議はおろか、気にした様子も無い。

「センター・コアが、俺を邪魔だと感じる要素はありますか?」

「目下のところは無いと思うけどなあ。BGM内での同士討ちはNGだし、ハルちゃんが彼らに不都合なミッションをしに来たわけでもないでしょ?」

「そんな映画みたいなことはありません。するなら堂々と異動して来たりしませんよ」

「だよね。まあ、気になるなら調べてみようか。ちょうど、アマデウスさんに呼ばれているから、聖さんには会えると思うよ。一緒に行くかい?」

「いいんですか?」

「君さえ良ければね。いつもは未春を連れて行くんだけど、君も頼りになりそうだ」

なるほど、護衛ということか。

「良いなら付いていきます。俺としても……さららさんの近くには未春が居た方がいいと思いますから」

なんとなくあの男とは会合で会う気がしていたが、そうでなくても謎の銃撃があった以上、狙撃された自分は此処に居ない方が他のスタッフは安全だ。ハルトの言葉が面白かったのか、十条は唇を歪めて義理の甥を振り返った。

「……頼りにされてるねえ、未春」

無反応の未春に対し、さららが頷いた。

「実際、頼りにしてるわ」

未春は小さく首を捻ったが、返答はせずに料理を口に運んだ。


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