第二十四話 火と風

 その姿を見た時、息が止まった。


 パキリ、と枝が折れる音がした。


 大きな緑色の体が揺れている。彷徨い蔓の動物型だ。


 茎と葉で構成される四足獣。緑一色の中、浮かび上がるのは、欠けた灰色の牙。


 ぶわり、と肌が粟立つ。短槍の柄を強く握りしめる。嫌な汗が頬を流れた。気を抜けば折れそうな膝に、必死で力を込める。


 あれは、灰牙の末裔を模した彷徨い蔓だ。


 彷徨い蔓の動物型は、死んだ動物や魔物の死骸に宿り、肉や体液をすすって成長する。そして骨だけになった骸を骨格として、生前の姿を模した形になる。糧にした生物が強力であれば、その栄養を吸い取った彷徨い蔓も強力となる。


 嫌な記憶を必死に押し込め、代わりに手引書から得た知識を思い出す。それでも、荒い息は落ち着かない。


 一歩一歩、先ほどの彷徨い蔓の人型と同じく、不格好な歩みで近づいてくる。


 灰牙の末裔とは違う。しかし、大怪我を負った肩がうずき、それ以上に心臓が痛む。


 心の奥底にある、黒くどろどろとした何かに火がついた。全身の熱が、それが生み出す熱に置き換わる。


 知らず知らずのうちに、ヨトの足が踏み込んでいた。弾かれたように駆けだす。


 「――!」


 アンジェが何か叫んだが、ヨトはうまく聞き取ることができなかった。ただ、アンジェも動き出したことだけはわかった。


 彷徨い蔓の頭に当たる部分へ短槍を突き出せば、ぶちぶちと繊維がちぎれる感触の後、硬い骨に短槍の勢いを止められ、手に痺れをもたらす。パッ、と体の熱が消える。


 そこでヨトは、しでかしたことに気付いた。


 呆然とする視界の端で、緑一色の右前脚が動く。身をよじり、避けようともがくが、脇腹に強い衝撃が走った。


「かはっ」


 息が強引に吐き出される。大きな痛み。視界が、ちかちかと明滅する。


 ヨトの体は簡単に吹き飛び、地面に叩きつけられ、何度も転がった。


「ヨト!」


 アンジェの悲鳴に近い声が耳に入る。しかし、必死に息を吸い、痛みに耐えるヨトは顔を上げることができない。


 衝動的に突っ込み、真正面から弱点でもないところへ無防備に攻撃を繰り出した。

あまつさえ失態に驚いて動きを止めてしまった。あれが本物の灰牙の末裔なら、ヨトはもう死んでいただろう。


 ヨトの目に浮かぶ涙は、痛みか、悔しさか。


「爆ぜろっ!」


 大きな音が轟き、熱気が体を叩く。なんとか顔を上げると、剣を構えるアンジェの背中が見えた。火の魔法を使ったのか、彷徨い蔓の体が少し欠けていた。


 まるで、いや、そうだ、アンジェはヨトを守ろうとしている。


 彷徨い蔓の頭部分の茎が、短槍へ這って巻き付くと、穂が頭から抜け落ちる。茎を動かしたせいか、灰色の牙がむき出しになる。ヨトは、それを睨んだ。


 見覚えのある灰色の牙は、尖端が欠けていたり、半ばから折れたりしていて、無事な牙はほとんどなかった。まるで何かと争ったような形跡だ。


 彷徨い蔓がおもむろに両前脚を掲げ、アンジェを押し潰そうと振り下ろす。


 ヨトは叫ぼうとするが、体の痛みでむせるだけだった。


 アンジェは、体を震わせもせず、冷静に地面を蹴ることで避け、すぐさま剣を右前脚に向かって振り抜いた。


 切断された茎が跳ねると同時、火花が舞い散る。


 ぱち、という音が鳴れば、炎が弾けた。前脚の傷口が、茎と葉を飛び散らしながら大きく抉れる。爆風でアンジェの体勢がわずかに傾く。


 アンジェの口角が上がるのが見えた。しかし、アンジェの頭上に影が射す。


「吹き飛べ疾風――!」


 ヨトは体を痛みを押し殺し、手を突き出して叫ぶ。風が吹く。


 彷徨い蔓の顔部分が横に裂け、欠けた灰色の牙が露出する。あたかも顎と牙の使い方を知っているようにも見えた。それらが向けられるのは、アンジェだ。


「――〈き風〉!」


 手を握りしめ、肩が痛くなるほど力いっぱいに腕を引く。


「きゃっ」


 魔術の風がアンジェの体をさらい、ヨトの方へと引き寄せられる。


 まだ、足りない。絶対に、助けないと。


 そう思った途端、体の痛みがどこか遠いところで起きた出来事のように感じられた。


 体が動く。足が地面を蹴った。アンジェに向かって飛び出す。


 ヨトは、傾いたアンジェの腹に腕を回して、受け止めるように抱き寄せた。舞い上がるアンジェの金色の髪越しに、欠けた灰色の牙が見えた。


「吹けっ!」


 ヨトが叫ぶ。ひと際強い風が、前から後ろへ。


 再び地面を蹴り、今度は後ろへ飛んだ。


 ヨトはアンジェを抱いて地面へと落ち、背中をしたたかに打ち付けた。


「はあっ!」


 強く息を吐いた。体の痛みがよみがえる。


 彷徨い蔓の頭部分が、何もない地面に叩きつけられた。前脚の茎がうごめき、損傷の修復を始める。


「あ、ありがとう! でも、怪我が!」


 アンジェはすぐさま立ち上がり、ヨトを抱き起こす。


「すぐ回復魔術をかけるから」


 泣きたくなるくらい体が痛い。さすがに、立てそうにはないな。


 ヨトは慌てるアンジェに手で制し、痛みをこらえて膝立ちになる。


 息をするたびに全身が痛む。


「今は無理だ。まず、あいつを仕留める」

「けどっ」


 アンジェの赤い瞳をしっかりと見据えた。


「風が吹けば、火は大きく燃え上がるだろ?」

「え?」

「おれが風を操る。アンジェは、火をつけてくれ」


 彷徨い蔓が前脚の修復を終え、動き出すのが見えた。


 ヨトはアンジェの背中をぽん、と叩いた。アンジェが顔を引き締め、頷いた。


 アンジェが剣を地面に突き刺し、両手を前に突き出した。魔術や魔法を発生させる際、手の動作を中心に据えるのは、よく使われる手法の一つだ。そうすることで、魔力に求める結果を想像しやすいからだ。


 特に魔術のように呪文を使用せず、型にはまらない魔法は、想像力で大きく変化する。しかし、あえて自己暗示のために言葉を挟み込む場合もある。今のアンジェがまさしく、そうだ。


「火……大きな火……燃え上がる炎……」


 アンジェの手のひらに小さな火が灯る。それはぐんぐんと大きく成長し、激しい光と熱を放つ。


「吹き飛べ疾風――」


 ヨトも片手を突き出す。


 ヨトが使おうとしている下級風魔術は、突風を前へ真っすぐに吹かす〈穿うがち風〉。けれど、それでは足りない。アンジェの火を逃すことなく、彷徨い蔓にぶつける必要がある。


 例えば、風が彷徨い蔓を中心にぐるぐると回り続ければ、アンジェの火の火力が高まるだろう。


 魔術の作用は、意識的に歪めることができる。ただし、その技術は魔法に似たもので、高度な魔力操作を求められる。


 ヨトが気負うことはなかった。風が吹き始める。


「――〈穿ち風〉!」

「焼き尽くせっ!」


 激しい炎を乗せた突風が奔る。


「逆巻け!」


 ヨトが叫ぶ。


 風が、彷徨い蔓を中心に荒れ狂う。体の芯を揺るがす大きな音が轟いた。


 激しい炎が、より燃え盛り、周囲を煌々こうこうと照らし上げ、世界を赤く染め尽くす。


 暴れる炎が力づくで空へと吐き出され、火柱を作り上げた。


 火が青い空に溶け込んでいくと、その場に残ったのは、灰牙の末裔の骨。彷徨い蔓を存在は、跡形もなく消し飛んでいた。


 アンジェが、へたり込むのが見えた。


「……本物の、灰牙の末裔だって、灰になりそうだ」


 ヨトが仰向けに倒れ込む。思いっきり息を吸って、「……いたい」と痛みでうめいた。


 安心感と共に激痛がやってきた。


 アンジェが近寄り、ヨトの顔を覗き込む。


「大丈夫……?」

「ああ……でも、泣きそうなくらい、痛い」

「まかせて」


 アンジェはヨトの脇腹にやさしく手を乗せた。


「傷を癒せ――〈治癒の光〉」


 その言葉に呼応するように、アンジェの手が淡い青色の光を放つ。それが温かさを伴ってヨトの体に伝っていくと、徐々に痛みが和らいでいく。


「ふぅ……もう、魔力がすっからかん」


 アンジェが座り込み、ヨトが上体を起こした。


 脇腹に手をやる。鈍い痛みが残るものの、損傷は治っているように思えた。


「助かった……ありがとう」


 しかし、痛みが引けば、後には大きな疲労が残る。


 それはアンジェも同じ様子だった。


「少し、休むか」

「うん、そうだね」

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