第二十三話 彷徨い蔓
ヨトが〈灰牙森〉に来るのは、久々のことだった。これまでの依頼のほとんどは、〈
〈銀冠山脈〉の麓よりも薄暗い森は、否応なしに痛みを思い起こさせる。
踏み出す足が重く感じる。じとりと汗が頬を撫でる。風に揺れた枝葉がこすれ合う音がいやに響く。気を抜けば、手が震えて短槍を落としそうだ。
ヨトの歩みが遅いため、自然と前を行く形になっていたアンジェが立ち止まって振り返る。
「……大丈夫だよ。わたしも、はじめよりは強くなったから」
こちらを覗き込む赤い眼は、心配とヨトを安心させようとする力強さが混ざり合った色をしていた。
「ああ……そうだな」
そう言うと、アンジェは満足げに笑みを浮かべ、再び歩き出した。
たったそれだけで、足取りが軽くなった気がした。
〈
「何ここ……」
「気味が悪いな……」
突然、視界が明るくなった。今来た道を振り返ってみれば、薄暗い森の中とは思えないほど明るいことがわかる。
しかし、それは気持ちのいいものではなく、かえって薄気味悪さが強調されていると感じた。
光が差し込んでいるのは、それを
なぜ少ない? その疑問は、手引書の知識が答える。
樹霊とは、歩き回る植物の魔物のことだ。〈樹霊区域〉の生える植物が、大人しくしているわけもなかった。
「アンジェ」
「うん」
同時に、ヨトは短槍を、アンジェは剣を構えた。
短槍を強く握りしめ、深呼吸をすると体に熱が宿る。それが全身に伝われば、身体能力が強化されたことになる。この魔力操作も慣れたものだ。
広がった視界の奥、緑色の
どのような方法で侵入者を感知したのかは不明だが、真っすぐとヨトとアンジェに向かって近づいてくる。まるで歩いていると主張する不恰好な二足歩行は、人間を
植物の茎と葉が絡み合い、あたかも意志を持った一つの動物であるかのように振舞っている。
「
「……石や枝を取り込んで骨格とし、自身の茎を筋肉に見立てて人形を構築する樹霊、だよね」
ヨトが判断し、アンジェが手引書で得た知識を、引き出すように口に出した。
あれは人ではないし、そもそも動物の類でもない。あれは植物だ。
戦闘の勝手が違う。動きはもちろん、思考すらもかけ離れたものだろう。通常の魔物相手と同じように戦うだけで、それは隙となる。
「来る」アンジェが言った。
彷徨い蔓が右腕をしならせ、ヨトとアンジェへ向かって横に振りかぶった。動作は緩慢、ヨトは屈んで、アンジェは後ろに引いた。頭の上で風が唸る。遅くても、そこに込められた力は大きい。避けられると確信していても、もし当たれば、と考え冷たいものが走る。
ヨトは腰を落としたまま突っ込み、背後へ回るすれ違いざま、短槍の穂で彷徨い蔓の脚を斬りつける。切断された葉が舞い散るものの、穂の長さでは脚を切断するには至らない。
頭上から影が
人体であればおかしな動きだ。肘は後ろには回らない。けれど、彷徨い蔓はあくまで人形を真似ているだけにすぎず、茎と葉が絡み合っただけの構造に前も後ろもなく、関節というものも存在しない。
「ヨト!」
アンジェの悲鳴に近い声を受け、ヨトは体を翻し避けた。そして地面を抉った腕を流れる動きで半ば断つ。動揺がなかったのは、手引書から得られた知識のおかげだ。知っていなければ、もろに食らうことになっていただろう。
しかし、切り傷は傷口から伸びた茎によってすぐさま塞がれた。
「ちっ」
厄介なやつだ。ヨトは歯噛みする。通常の魔物と違い、生半可な傷をつけたところで、傷口は繋ぎ合わされ修復される。しかも痛みを感じない、あるいは感じても怯むことはないため、多少の損傷をものともしない。
高い耐久力を崩すには、相応の攻撃力が必要となるが、それを銅級上位に求められているということだろう。
ヨトの視界で光が弾け、爆発音が体を叩く。アンジェが放った火の魔法が、一瞬にして燃え上がり、彷徨い蔓の右肩部分を吹き飛ばしていた。
彷徨い蔓は動きを止め、爆破された部分を修復しようと茎がうねる。
「よし!」
飛び散る茎や葉越しに、アンジェがにやりと笑う。ヨトは頷いた。
アンジェが持つ火の魔法の火力は、冒険者として活動する前と比べて格段に上がっていた。
頼もしいな、おれの仲間は。ヨトは心の中で呟きながら、自らも彷徨い蔓に向かって短槍を構え、力と共に思いを込める。
「切り裂け烈風――」
魔術において重要なのは、求める力を思い描くこと。
想像しろ。自分こそが、風を操るのだと。
ヨトの灰色の髪を揺らした風が、短槍の穂へと収束していく。
「――〈
叫ぶと同時に短槍を全力で振る。渦巻く風がいくつものの三日月状の刃へと変化し、強い風と共にヨトが睨む先へと回転しながら射出された。びゅう、と風切り音が鳴る。
断てっ!
心の中の叫びと共鳴するように、風の刃たちは彷徨い蔓をばらばらに切断した。ヨトの風魔術もまた、鋭く磨かれている。
彷徨い蔓を結んでいた茎が斬られたことによってほどけ、ちぎれた茎と葉を撒き散らしながら地面に落ちる。
それでも、彷徨い蔓の破片たちがうごめき、体の修復を図る。
植物でありながら、動物的な体に執着心に似た何かを持っているらしい。その行動は敵への攻撃よりも優先されていた。
しかし、一度に多くの茎を切断されたためか、傷を繋ぎ合わそうと伸びる茎の動きは弱々しい。
「アンジェ」
「うん」
ヨトは短槍を振って彷徨い蔓の破片をさらに細かく切り分けていく。アンジェもそれに倣い、剣を叩きつけている。
彷徨い蔓は抵抗することもできず、細切れになっていく。
いくどか短槍を振れば、彷徨い蔓の破片から伸びる茎が動かなくなる。
これでもう、体を再構築することもない。逆に言えば、ここまでしないと彷徨い蔓は復活する。そして、茎と葉のどこに記憶してるかわからないが、襲った相手を執念深く追ってくる。
「ふぅ」ヨトが息を吐く。「これで、終わりだ」
体にまだ熱は残るが、確かな重さも感じていた。激しい動きこそ多くはなかったが、中級風魔術の魔力消費量は今のヨトにとっては大きなものだ。魔力を使えば、魔力が減るだけでなく体力も同様に減っていく。
使いどころは考えなくてはならない。
「うん、大丈夫かな」
一方で、手を握ったり開いたりするアンジェに疲労の色は見えない。これはヨトよりも魔力量が多いからだ。魔力面においてはアンジェの方が数段上となる。
「厄介な魔物だったね」
「だが、おれたちなら難しくない」
中級風魔術と火の魔法。彷徨い蔓の耐久力を上回る攻撃手段がある。
「でも、あまり会いたくはないかな。ちょっと、嫌な感じがする」
「ああ」
顔をしかめるアンジェの言葉にヨトは同意する。
危険な魔物である、という以上に、彷徨い蔓の人型は気味が悪く、心がかき乱される。
「彷徨い蔓は、どうして人の姿を真似てるんだろう」
アンジェが言った。心の中の疑問を、ふと口にしてみた、という感じだった。
「何というか、もっと良い形があるはずなのに」
動物型、と呼ばれる彷徨い蔓は、その名の通り動物や魔物の骨格を基礎としているため、見た目もそれに沿ったものとなっている。
しかし、人型は、人の骨格を基礎とせず、枝や石を取り込んでわざわざ人形をとっている。人形という発想はどこから来たのか。
「森に入ってきた冒険者を見たから、か?」
ヨトは口に出しながらも、何となく違うだろうなと思った。真似るためには、姿かたちを捉える必要がある。しかし、それを行うための、目と言える器官が彷徨い蔓二は存在しない。
動物型が動物に見えるのは、骨格に茎と葉が這うように絡みついたから、そう見えるだけだ。
「もしかして、人に憧れている、とか?」
アンジェが首をかしげながら言った。
「それは、さすがにないだろう」
ヨトは怪訝な顔で否定する。そこまでの知性はないだろうし、あったとしても、人間に憧れを抱くだろうか?
「そうかな」
アンジェは答えが出ない、もどかしそうな顔で目を伏せた。
手引書には、そういったことは書かれていなかった。
「……しいて言うなら、魔物だから、じゃないか?」
手引書の一番初めに書かれていたことだ。
魔物は、人間とは離れたところに位置するものであり、異なる理屈に沿っているものである、と。
つまりは、考え込んでも理解はできないもの、ということだ。
「……そうだね」
そこでアンジェは、思考を振り切るように頭を振った。
「先に進もう」
「うん」
目的は彷徨い蔓の討伐ではなく、紫星の採集だ。
ヨトとアンジェは、なるべく草木に近づかないように奥へと進んでいく。彷徨い蔓とは別種の樹霊が、木に化け待ち伏せしている、という可能性が存在するからだ。
幸い、動き回る樹霊の方が多いため、木々を避けられるほどの隙間はある。あまり神経を張り詰める必要なく、移動することができた。
ヨトなら紫星の判別がつく。自然と前を行く形になった。
ヨトの足が止まったのは、しばらく歩いた後だった。
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