第二十話 増えた悩みの種

 ベルから見てヨトの姿は、冒険者たちの熱さを含んだ猥雑わいざつなギルドの空気にすっかり慣れてきたように思えた。


 最初の頃は、どこかおっかなびっくりといった雰囲気で、足取りは弱々しかったが、すっかりと冒険者らしくなってきている。


 一方で、アンジェの場合、初めから気遅れしているような雰囲気もなかった。相手がこちらを気にしないなら、こちらも相手を気にしない、そんなたたずまいをしていた。


 しかし、その無関心さは警戒心の無さを意味しない。気の張りようは、ヨトよりも上だった。アンジェが書いた出身地は貧民街。そこでの暮らしで身に着けた癖だろう。


 ヨトとアンジェが報告所で依頼完了の認定を受けたところを見計らい、ベルは二人をカウンター越しに呼び止めた。


「おめでとうございます。この度の依頼達成により、ヨト様は銅級中位へと昇格いたしました」


 ベルは愛嬌を込めた笑顔を向ける。冒険者ギルドの受付嬢となってから身に着けたものである。相手の機嫌を取る以上の意味は込められていない、はず。


 他の冒険者に比べヨトとアンジェに対して態度が違う、などということが決してないよう、こちらも気を張っている。


「新しい冒険者証明書をお渡しするので、今持っているものは回収させていただきます」


 ヨトから冒険者証明書を受け取り、例によって、銅色の記号とヨトの簡易的な情報が刻まれた板を渡す。


 前の物よりも記号を構成する線の本数が増えたものだ。銅色はそのまま銅級であることを示し、記号が中位を表している。一目で判断するための工夫である。


「試験、みたいなものは、ないんですか?」


 ヨトが新しい冒険者証明書を眺めながら言った。


「銅級下位から中位への昇格条件は、依頼達成数が規定数に到達した時点で満たされます。試験が必要なのは、ある程度、冒険者としての知識が求められる銅級上位以上からですね」


 ヨトとアンジェは揃って顔をしかめた。


「問われるのは、今後の冒険者活動に必要な知識なわけですし、勉強して損はしませんよ?」


 しかめっ面を浮かべる二人の様子に、ベルはくすりと笑った。


 知識の有無で冒険者の生存率は変わってくる。それを理解していても、二人のように勉強という行為を嫌がる者は多かった。それが大人であるなら見苦しいが、子供であるなら可愛らしいものだ。


「……上位への昇格条件って、他にも、あるんですか?」


 ヨトの逃げるような物言いに、ベルは、「はい」と返した。


「銅級上位昇格依頼、というものの達成も含まれています。試験はいつでも受けられるんですけど、昇格依頼はギルドが時期を見て対象者へ提示します」


 ヨトがうつむき思案する。


「冒険者の手引書てびきしょというものもありますよ? やたら分厚くて、試験ではそこまでの知識を求められないので、あまり使用されないものですが……」

「じゃあ、他の冒険者はどうしてるんですか?」


 アンジェが首をかしげる。


「先輩冒険者に師事する方が多いですね」


 ベルの言葉に、アンジェは難しい顔をする。おそらく、そういう伝手を二人は持っていないのだろう。二人がギルド内で他の冒険者と話している姿は見たことがなかった。


 そんな二人の様子を見ていたベルは、ついうっかり、思わず、口を滑らせた。


「あの、よろしければ、私がお教えしましょうか。業務外のことなので、勤務が終わってからなりますけど……」


 受付嬢は冒険者の疑問に答えられるよう、教育されている。それこそ、銅級上位昇格試験程度なら、新人受付嬢であるベルですら簡単に合格できるだろう、という意図で、言ってから、しでかしたことに気付き、ベルが凍り付いた。


 紛れもなく失言である。


 必要以上に関わってはいけない、と意識しつつ、さらにギルドのそこそこ偉い立場にいるブレストから苦言をていされている状況で、私的な用事を取り付けようというのだ。


 けど、と。ベルの頭の中で言い訳が展開される。


 ヨトに新しい仲間ができるのは、とても良いことである。ただ、同年代の子供であるというのが、ベルの感情を揺さぶった。力になってあげたい、と思ってしまった。


 それに、ヨトもアンジェも冒険者としての才能に優れている、とベルの目には映った。まだ受付嬢になって数ヶ月も経っていない新人だけど。


 あるいは、それが理由の一つでもあるのかもしれない。冒険者と受付嬢という違いはあれど、なったばかりの新人という共通点。しかし、自身よりも年下の子供が辛い目にあっている。


 それなら、同情してしまうのも仕方ないのでは?


 などと考えたところで、伝わることもないし、そもそもそんなことを考えているなんて露程つゆほども思わない二人は、驚きつつも申し出を受け入れる。


「いいんですか? お願いします」

「お願いします」

「あ、はい、お任せください……」


 お願い断って、なんて思う間もなく、ベルは頷いた。自滅という結末は、これで二度目だ。


 問題が解消された、というふうな表情を浮かべる二人には、きっとベルの複雑な感情に気付いてはいないだろう。気付かれても、かなり困るが。


 ヨトとアンジェが下宿している走る白馬亭の食堂で食事ついでに話をしよう、と提案したのはベルだった。ギルド職員は、業務終わりにギルドの酒場で食事を取ることが多い。ベルも同様だったが、受付嬢が冒険者と私的な話をするところなんて、他の職員や冒険者に見られるのは、色々まずいと理性が働いた結果だ。


 本日の業務はすぐに終わった。ギルドは日が完全に沈み、〈白銀の月〉が昇る頃に閉まるが、その前から幾人かの職員は業務を終える。ベルのそのうちの一人だった。


 すぐさまギルドの奥に引っ込み、受付嬢の制服から私服へと着替えを済ませる。


 制服がぴしっとしたものなら、私服はゆったりとしたものだ。


 お洒落な服でよかった、とベルは思ったところで苦笑する。まるで今から男性と逢引あいびきでもするみたいな、おかしな考えだった。


 急いで仕事を終わらせ、素早く帰ろうときびきびした動作で支度するベルを、一人の先輩受付嬢が目敏く気づき、「男?」なんて訊いてくるものだから、変な方向に考えが飛んでしまったかもしれない。


 実際は、男、なんていう未知のものではなく、年下の男の子と女の子だ。


 大きな問題として、冒険者、というものがあるが。


「はぁ……」


 無視してはいけない問題に、ベルはため息が増えていることを自覚していた。


 どうにかしないと、と思いながらも同時に、どうにもならないな、と思い始めている。


 どうか、彼と彼女の行く末に、しあわせがありますように。


 ベルは心の中で祈りながら、ギルドを後にした。

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